105話 勇者招集 5
「し、失礼を承知でお願いしたい!」
ベルナルドはルイスの手を引き、躊躇うことなく剣禅の前に進み出た。
「弟を――ルイス・カザーロンを、貴殿のお弟子の末席にお加え願いたい!」
「……魔眼か」
剣禅はじっとルイスを見つめ、その鋭い眼光が少年の本質を見透かしていくようだった。
「はい。先ほどの貴殿の剣筋。私には見えませんでしたが、弟は見えたと」
「お前は強くなりたいのか?」
剣禅の声は低く、静かだったが、その言葉には重みが宿っていた。
「いやあ、どうだろ? 今やってる剣術もあるしさ」
ルイスは頭を掻きながら答えたが、その言葉の奥には子供らしい無邪気さと、少しの興味が滲んでいた。
「兄上はこう言っているが?」
「今やっている剣術と組み合わせちゃダメかな?」
「ダメなことなどありゃせんよ。先人たちは皆、そうしてきた。だが、うちの剣を覚えてからだ。できそうか?」
「へえ。うん。じゃあ、やってみようかな」
剣禅は小さく笑うと、肩を竦めた。
「そうか。なら、天鳳騎士団を訪ねてこい。弟子は何人かおる。仲良うやれるな?」
「俺、騎士にもサムライにもならないよ? それでもいいの?」
ルイスの返答に剣禅は眉を上げ、面頬の奥で目を細めた。
「なぬ? なら、お前は何になるつもりだ?」
「冒険者! 世界中の国に行って、魔具と食いもんとダンジョンを獲りに行くんだ!」
「ほう。そら、デカい夢だのう。まあ、好きにせえ」
「おい。貴様。名はなんといったか?」
「はっ。ベルナルド・カザーロンと申します!」
剣禅はベルナルドを見つめ、その視線が全てを押し測るかのようだった。
「先の戦いで、貴様――死ぬつもりであっただろう?」
「そ、それは……」
「たわけ!! 未熟者が! 百年早いわ! 二度と命を粗末にするな!」
「も、申し訳ありません!」
「だが貴様……男であったぞ。大義である」
バシッと剣禅がベルナルドの肩を叩く。
ベルナルドは息を詰め、胸が熱くなるのを感じた。
世界最強の剣豪――暁月剣禅が、自分を「男」として認めてくれた。
その一言が、今からの人生に、どれほどの重みを持つか。
「兄弟仲良うせえ」
剣禅は二人の頭を両手でわしづかみにし、力強く撫で回した。
その仕草に不釣り合いな柔らかな笑みを浮かべると「さらばだ」と一言残し、踵を返して去っていった。
☆☆☆
いよいよ盛り上がりを見せる水魔法エリアダンジョンを横目に、元黒魔法大権威ガヴィーノ・デル・テスタは、再開発の波に取り残された一角を静かに歩いていた。
水魔法学部街は、青を基調とした壮麗な建築様式で名を馳せる風光明媚な街だ。
金色の装飾が施されたモスク風のドーム屋根が並び、迷路のように入り組んだ細道は光と影のコントラストを描く。
わずか数ヶ月前までこの街は、医療と福祉の拠点として知られていた。しかし、状況は大きく変わりつつある。
通りは観光客で溢れかえり、ギルドやエリアダンジョンを目当てにした冒険者や商人たちがひしめいている。
賑やかな笑い声と呼び込みの声が交錯し、活気に満ちていた。
変化のきっかけは、水魔法学の大権威セリナが民間企業との交流を推進し始めたことだ。
彼女の改革は、観光地化という形で街を劇的に変貌させた。
もちろん、反対意見も少なくない。
だが、豊富な資金の流入によって生活魔法の実用化が進み、それが医療分野にも還元されていることは周知の事実だ。
現実的な利益を前にすれば、反対者たちの声は日増しに小さくなり、今やほとんど耳を貸す者はいない。
ガヴィーノは立ち止まり、賑わう街の喧騒を背に再び古びた一角を見つめた。
輝くような街並みの中で、この一帯だけが時の流れから取り残されたかのように静まり返っている。
「……すっかり変わっちまったな」
低い声で呟き、ガヴィーノは再び足を進めた。
☆☆☆
学園都市では、市長や町長が民主的な選挙で選出されるわけではない。
それぞれの学部市街は、学部の運営方針や研究目的に基づいて自治が行われており、市政は学術評議会や学部長、なによりも大権威が決定権を持っている。
学生以外の移住希望者にとっては、この都市が提供する最先端の医療技術や、画期的な生活サービスは非常に魅力的である。
しかし、その恩恵を受ける代わりに、それぞれの学部市街で定められた独自の市政や規則に従う義務を負う。
たとえば、雷魔法学部市街では、工学部系の住民に対して定期的な技術実験への参加が求められるが、最先端技術の恩恵に最初に触れることができるのも彼らなのである。
これらの規則は、学術研究と都市の発展を維持するためのものであり、従わない場合、住民権を剥奪されることになる。
そのため、移住者は利便性だけでなく、その背後にある制約や責任を十分に理解する必要があるのだ。
☆☆☆
たった数ヶ月で「旧市街」と呼ばれるようになった病院通りを、ガヴィーノ・デル・テスタはゆっくりと歩いていた。
かつて、この通りは「死人さえ生き返らせる」と謳われた名医、元水魔法大権威フォマ・アウロフが治めていたエリアである。
大学病院を中心に、最先端の医療研究所や小さな専門医院が整然と並んでいる。
水魔法学部には、白魔法学部と肩を並べるほどの優れた病院や研究機関が集まり、その存在が街の象徴でもあった。
この一帯には通院する病人や老人たちの居住区もあり、以前は人々の往来が絶えなかったが、今ではその賑わいも影を潜めつつある。
そんな中、フォマの行方不明というニュースが人々の間でささやかれ始めていた。
既に半月が経過しているが、未だに消息は掴めていない。
この件は、首都大学総長ゾーエ・バルリオスからの依頼として、ガヴィーノが調査している案件のひとつだ。
だが、依頼とは別に、個人的にも気になる失踪だった。
フォマ・アウロフという人物を、単なる免職や挫折で失踪するような男だと考える者はいない。
彼は強靭な意志を持ち、決してそのような状況に屈するような人物ではない。
むしろ、そんな「暇」さえあるはずがないのだ。
ここ数年、彼は現場を離れ、研究に専念していた。
だが、調査を進めるほどに、その「研究」に不審な点が多く見つかった。
最も疑念を抱かせるのは、フォマの業績だ。
かつては水魔法学の最前線を切り拓いた男が、ここ数年は目立った研究成果を発表していない。
発表された論文の内容も精彩を欠き、時には「わざと手を抜いているのではないか」と疑われるほど退屈で凡庸なものばかりだった。
そんな評価は、かつての彼を知る者からすれば信じがたい事実だ。
「本当に、フォマがあんな論文を出すか?」
ガヴィーノは心の中で問いを繰り返しながら、静まり返った病院通りを見上げた。
かつての栄光を失いつつあるこの旧市街と同じように、フォマもまた、見えない何かに囚われていたのだろうか。
☆☆☆
密偵紛いのことを続けるのも、案外愉しい――そんなことに気づいてしまった自分がいる。
おかげで最近では、妻にも半ば呆れられ気味だ。
だが、大権威であった頃に比べれば、肩の荷が軽くなったのも事実だろう。
研究は信頼する後継者たちがしっかりと受け継いでくれている。
新しい責任者のもと、学問には新たな知見が注がれるタイミングでもある。
それを見守る立場に回るのも悪くはないと思うようになった。
それにしても、こういった隠密仕事をしていると、かつて冒険者だった頃を思い出す。
当時は仕事が途切れることも珍しくなく、そんな時の繋ぎとして密偵じみた任務を請け負うことがあった。
その頃から愛用している魔法の一つが“認識阻害”。
自分の存在を他人に感知されにくくするこの魔法は地味だが、効果は抜群だ。
足跡を追わせないどころか、侵入捜査にも重宝する。
魔具にせよ魔法にせよ、お気に入りというのは誰にでもあるものだが、自分にとってはこれがまさにその一つだった。
そもそも、黒魔法が「闇魔法」と呼ばれていた時代には、その名の通り社会の暗部で用いられる魔法が多かった。
こうした隠密系の技術はその中でも特に発展していた分野だ。
もちろん、一般公開するような代物ではない。
だが、学生時代にはこうした古の魔法を掘り起こすことに夢中になっていたものだ。
正直なところ、あの頃の自分はただのマニア――いや、オタクだったと言っても過言ではない。
そんな趣味がいつの間にか評価され、気づけば黒魔法大権威の座に就いていた。
自分では、偶然と幸運が重なっただけだと思っている。
「古代魔法の研究」と言えば聞こえは良いが、実際のところは趣味を極めただけなのだから。
まあ、今はこの余暇を楽しむことにしよう。
なにも街なかで”認識阻害”を使う必要もないか。
風が爽やかに吹いていた。
自由に歩き回るのも久しぶりだ。
☆☆☆
妻子からは「雰囲気イケメン」と揶揄されて久しいし、正直、自分でもそう思っている。
趣味が高じて研究者になり、古代魔法の権威なんて肩書を得て、さらにはビジュアルが相まって“黒街魔王”などという二つ名までつけられてしまった。
やめてくれ。
冒険者時代に、多少の自己演出が必要だっただけで、長髪も拘りだとか言われていたがなんのことはない。単に散髪するのが億劫だったというだけだ。
私は本当に、ただの古代魔法オタクなのだ。それだけだ。
大権威も、今ではすっかり研究者というよりはスーパースターを発掘して、学部をアピールしたい意図が見え見えだ。
まあ、レイやセリナは天才だとは思うが、若すぎし、性格が独特すぎて付いていけない者が多い。
まず、私が付いていけない。
なんなのだ。レイのあの、狂気の自宅は。
「また来て下さいね」などと涼しい顔で言われたが、二度と行くものか。
あそこに行くくらいなら、ダンジョン最奥のアークデーモンの住処の方が、まだ快適である。
よくあの家で正気を保てるものだ。
……ちょっと待て。彼女は、正気でいいんだよな?
ガヴィーノは、それ以上、考えるのをやめた。
☆☆☆
パトロール中の巡回騎士がガヴィーノに話しかけて来た。
参ったな。
”認識阻害”を切っていた。
あれをしていると、どこかで気を張っていなければいけないからリラックスできないのである。
「ちょっと、すいません。そこの黒マントの人。そう。あなた」
街の一般人が「騎士」と呼ぶ彼らは、正式には議会騎士団に所属する治安維持官である。
議会騎士団は、五つの主要騎士団の中で唯一、軍属ではなく法の執行を専門としており、実質的には治安官や巡察官に近い役割を担っていた。
「少しだけ職務質問して良いかな?」
華やかに発展した水魔法エリアダンジョンだが、その裏では、急速な変化による歪みが顕在化していた。
最近では、騎士団の報告書にも「怪しい人物の目撃情報」が増えているらしい。
「いや、急いでいるんで」
「すぐ終わるから。本当に。ちょっと、お話訊かせて貰えるかな?」
「……なんだ?」
「ええと、お兄さん。今なにをしているところですか?」
「なにって……それは言えない」
「ああ、なるほど。言えない感じですか。では、ご職業は?」
「……無職です」
「無職で、なにしてるか言えない黒マントかあ。ちょっと詰め所まで来て貰えるかな?」
「なんでだ。嫌だよ。私は、なにもしてないではないか!」
「いやいや。しでかす前に捕まえるのが、私の務めだから! ね! お兄さん! ね?!」
「ここで訊けばいいだろ!」
「まあ。いいですけど、人の目とか気にならないの?」
「ならんね!」
「いいか。私は密命を帯びて、ここに来ている。今は調査中なのだ」
「無職が密命……」
「言いたくはなかったが仕方ない。私は元黒魔法大権威――聞いてるのか?」
巡回騎士は通信魔具を手に取り、どこかと会話を始めた。
「……全身黒ずくめ、黒マント、腰まで長髪の中年男性。挙動不審です――え? 痴漢? ああ、完全に一致してますね」
「待て。それは私ではない!」
「自称、黒魔法大権威だと。ええ。薬物検査? はい――無職です」
「さらばだ!」
「ちょ……待てよ! 待ちなさい! 黒マントが逃げました! 逃走! 逃走! 痴漢です! 痴漢容疑者、逃げました!」
「ぬああああああああ! なんでだあああああ!!」
お読みいただきありがとうございました。
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カクヨムでも書いております。宜しくどうぞ。




