102話 勇者招集 2
四人の男たちが紫苑の周囲に駆け寄るや否や、戦場はさらに激しさを増した。
彼らは互いに目配せひとつで動きを連携させ、無数の水精霊を次々と切り裂いていく。
その姿は容赦なく、冷徹さが滲み出ていた。
「強い」シルビアが呟くと、隣に立つイサベルが冷静な声で言葉を継いだ。
「異常な集中力と魔力の併用。違法ポーションですね」
「違法ポーション?」
シルビアの表情には驚きが浮かんでいる。
イサベルは視線を彼らに据えたまま、わずかに口元を緩めた。
「良家のお嬢さまには馴染みのない世界でしょうが――」
彼女は一際目付きの鋭い男を指差す。
「あの痩せた男はヤバいですよ。リーダー格です」
シルビアもその男に目を向ける。
無駄のない動きで指示を飛ばし、的確に戦局を支配するその姿は、一言では片付けられない迫力を纏っていた。
「元騎士といったトコロですかね。相当な実戦経験があるでしょう。まあ、あの男もジャンキーでしょうが」
イサベルの分析は淡々としているが、その声に重みがあった。
「あの……どうしてそんなに詳しいんですか?」
シルビアは訊ねた。
イサベルは一瞬沈黙した後、かすかに苦笑を浮かべた。
「……私もそうでしたから」
「え?」
シルビアの驚きが言葉に乗る。
「違法ポーション欲しさに背信行為までしました。それを拾ってくれたのが今の主です。地獄の訓練で叩き直され、正気に戻してもらいました」
イサベルの語り口は淡々としているが、その中に過去の後悔と覚悟が滲んでいた。
彼女はふと姿勢を正すと、小さく礼をした。
「名乗り遅れました。天凰騎士団所属、暁烏の中忍、召喚術師イサベルと申します」
その時、さらなる声が割り込んできた。
「どうも、お嬢さま」
振り返ると、鋭い目付きの女性が後ろまで来ていた。
「私は水魔法使いアドリアナ。同じく中忍。今から、水の結界を張りますよ」
イサベルが補足する。
「このエリアダンジョンでは水が豊富ですから、彼女の力は特に強力です」
アドリアナが辺りを見回し「ディエゴは?」とイサベルに問うた。
「船倉のお坊ちゃんを迎えに行ったわ」
「ルイスを?」シルビアの顔に不安の色が浮かぶ。
イサベルは微かに笑みを浮かべた。
「ご心配なく。ディエゴは我々クランのリーダー、どこにでも潜入できる上忍です。元は熟練の冒険者で、腕も立ちます」
☆☆☆
海賊船の欄干に立つ紫苑が、わざとらしく手を口に当てて笑みを漏らした。
「聞いちゃった」
軽い口調で振り向いたその顔には、悪意の影がちらついていた。
「この距離で?」
小声でのやり取りだったはずだ。
シルビアは不信感を隠せない表情を浮かべた。
「ハッタリでしょ?」
紫苑はシルビアの言葉に被せるように口を開いた。
「いいえ。シルビアさんの後ろにいる赤いチュニックの方はアドリアナさん。その横で、お猿さんを召喚なさったのはイサベルさんでしたっけ?」
「魔具か」
ベルナルドが鋭い声で応じた。
「――身体中に仕込んでいるわね」
アドリアナが言う。
イサベルとアドリアナは瞬時に身構えた。
彼女たちの間に緊張が走る中、紫苑は笑い声を上げる。
「元ジャンキーが、違法ポーションは許せなあいとか! アハハハハ!!」
「なにか、おかしかったでしょうか?」
イサベルが冷静に問いかける。
紫苑は笑みを深めながら、まるで楽しむように続けた。
「ええ、とても。希望を取り戻しかけた人間を再び地獄へ蹴り落とすのは、いつだって愉快ですもの」
その声には冷たい毒が混じり、紫苑の瞳には嗜虐の光沢が宿っていた。
「悪魔……」と思わずシルビアが呟く。
「いやねえ、近頃の若い娘は。躾けがなっていないわ。そうだ――」
紫苑はあからさまに楽しげに周囲を見回す。
「エリアボスが出たタイミングだし、どさくさ紛れに殺れるわね――あなたたち!」
「はい。お嬢」
四人の男たちが一斉に返事を返すと、紫苑は無邪気な笑みを浮かべながら命令を下した。
「あのお嬢さん方が遊んで欲しいんですって! 好きにしていいわよ」
その瞬間、男たちがシルビアたちを鋭く睨みつける。
「狂わせろ。愛欲の針」
紫苑が髪を束ねている簪を触って命じる。
リンと何かが鳴る音がした。
その瞬間、吐き気を催すような悪意と魔力が場を支配する。
元々、異様な光を宿していた男たちの気配が急激に変化していく。
目の焦点が合わず、泡を吹き、魔獣の殺意と劣情が宿ったかのようであった。
魔具のアレルギーを持っているシルビアは、特に嫌悪感が明確であった。
冷や汗が吹き出し、鳥肌が止まらず、目眩がした。
シルビアは自身の頬を引っ叩く。
「しっかりしなさい!」
傍らに居たイサベルとアドリアナがぎょっとして目を剥く。
「気合いです!」
シルビアが叫んだ。
☆☆☆
紫苑の命令を聞いた男たちの間合いに、斬り込む影があった。
四人の男たちのうち二人が吹き飛ばされ、激しい衝撃音が響く。
激怒したベルナルドが、猛獣のような剣撃を繰り出す。
その剣は迷いなく、男たちの間を駆け、殺意を帯びた斬撃が次々に振り下ろされた。
「あらあら。強いのねえ」
紫苑が軽い調子で呟くと、黒ダイヤモンドの輝く中指を掲げた。
――夜喰らいの指輪。
船上に漂う空気が一変し、凍りつくような重苦しさが押し寄せた。
紫苑が黒い指輪にそっと触れると、不気味な光が弾け、空間に大きな裂け目が現れた。
その裂け目から這い出てきたのは、巨大な蛇の頭部だった。
赤黒く輝く瞳が船上を見下ろし、見る者の心に直接恐怖を刻み込む。
その牙は鋭く、口元から滴る液体はまるで生気そのものを蝕む毒液のようだった。
蛇の身体が次々と裂け目から出現し、甲板を包み込むように渦を巻いた。
その動きに合わせて周囲の空間が揺らぎ、まるで現実そのものがねじ曲がるように感じられる。
「マズい! 行け! エイジャ!」
イサベルが叫ぶと同時に、水猿エイジャが驚異的な速度で動き出した。
その全身から水の粒子が弾け、甲板に水飛沫を撒き散らしながら、一気に巨大蛇に向かって突進する。
蛇の尾が甲板を薙ぎ払うように振り下ろされる。
エイジャは凄まじい速度でそれを躱していった。
黒い霧がその場に漂い、エイジャの視界を奪おうとするが、水猿の動きは止まらない。
次の瞬間、エイジャの長い腕が蛇の尾を掴むと、そのまま驚異的な力で蛇を暗闇から引きずり出した。
蛇の全身が裂け目から引き剥がされるように現れると、その巨大さが露わになっていく。
何十もの螺旋状の身体が空中でうねり、渦を巻きながら甲板をのた打った。
その一撃一撃が嵐のような破壊力を伴い、甲板が軋み、木片が飛び散る。
ベルナルドが思わず後ずさりする中、エイジャは水猿特有の咆哮を上げながらさらに前進した。
蛇の鋭い牙がエイジャを狙うが、エイジャはその動きを読み切ったように身を翻し、逆に蛇の頭部に拳を叩き込む。
蛇は一瞬のけ反ったが、すぐに体勢を立て直し、周囲の空間をねじ曲げてエイジャを呑み込もうとした。
だが、その瞬間、エイジャの身体が水に溶けるように霧散し、蛇の攻撃をすり抜けて再び距離を取った。
「咬み殺せ。夜喰らい」
紫苑からリンと音がしたかと思うと、また異様な魔力が甲板を覆う。
「ギシャアアアアアアアアア!!」
突如、狂乱したように巨大蛇が蜷局を巻いて、むちゃくちゃに暴れだす。
ワサワサと黒い毛が蛇に生え始め、狼の顔が出てきた。
双頭の蛇と狼――完全体になった”夜喰らい”が、エイジャとベルナルドに襲いかかった。
「エイジャ!」
イサベルが祈るように叫ぶ中、夜喰らいと水猿の壮絶な戦いが繰り広げられる。
バチリと夜喰らいの顎が跳ね上がる。
シルビアの火炎球が続けざまに当たるが、夜喰らいの勢いは変わらない。
その間も、紫苑は狂ったように笑い声を上げ、指輪にさらに力を注ぎ込んでいた。
リンリンと音が鳴る。
「また、さっきの魔力……!」
シルビアは紫苑を凝視した。
なにかしている。
この魔力を発動させている原因はセリナが言う”魔王の遺物”に違いない。
ベルナルドは突如として背後に迫るエイジャの一撃で突き飛ばされたが、驚く間もなく地面で反転し、鋭く体勢を立て直す。
そして、近くにいた男に瞬く間に斬りかかり、その剣閃で返り討ちにした。
「すごい体幹してますね。あなたのお兄さん」
イサベルが感嘆混じりに呟くと、シルビアが声を張り上げた。
「お兄ちゃん! あの女よ! なにかしてる!」
その言葉には強い確信があった。
「わかってる! 援護を頼む!」
エイジャと巨大蛇の激しい格闘が続く中、ベルナルドは一瞬の隙を見逃さず、周囲の敵を制圧していく。
「補助に回りましょう。でも、猿とハンサムくんだけじゃ攻撃陣が足りないわね」
イサベルが短く判断を下すと、アドリアナが自信ありげに微笑んだ。
「心配ない。来るわよ」
その言葉を裏付けるように、船倉の扉が勢いよく弾け飛び、と響き渡る音と共に二つの影が飛び出してきた。
双剣を構えるディエゴと、盾と短剣を装備したルイスだった。
☆☆☆
「なんだ、アレ?! イカしてんなあ!」
ルイスはクラーケンホエールを見上げ、大声で叫んだ。
「喜んでじゃないわよ!」
シルビアがルイスに向かって怒鳴る。
「ルイス! こいつら敵よ! やっつけなさい! あと、そのお猿さんは味方だから!」
「だから言ったろ! 堅気じゃねえってよ! 猿と兄貴以外は斬っていいんだな!」
「ぶった斬れ!!」
「まかせとけ――って、エリアボス相手しながら?」
「そこら辺は、大権威さまがなんとかしてくれるはずよ! たぶん!」
クラーケンホエールが小精霊を召喚していないのをみると、セリナが攻撃を止めているのだと推測できた。
「重要なトコロが適当なんだよな。姉貴は」
ルイスは苦笑しながら古式剣術の構えをとった。
実戦経験を経た今、その構えはある程度、サマになっていた。
☆☆☆
「あと、コレ!」
シルビアが小さな試験管を投げつけた。
慌てて受け取ったルイスが中身を覗き込む。
「ポーション? ああ、ありがとう」
そう言いながら飲もうとするルイスを、シルビアがすかさず止める。
「違うわよ! そこの女にぶっかけて!」
「は?」
ルイスは栓を抜き、匂いを嗅いで顔をしかめた。
「臭ッ! なんだよ! 嫌がらせか?」
「いいから、アンタは言われた通りにやんなさいよ! 一々、口答えしてんじゃないわよ!」
「へいへい、わかりましたあ」
ルイスは軽口を叩きながらも、しっかりとポーションを握り直した。
アドリアナはシルビアの頭脳明晰さに感心していた。
「ポーションを発酵させることはできるか」と訊かれたときには、何事かと驚いたが、説明を聞いて納得したのだ。
「我が家の家訓は、やられたらやり返せよ――」
シルビアは低く囁くように言い放つ。
「あの女、よくも最低な命令してくれたわね」
シルビアは怒りを静かに燃え上がらせながら、最後に小さく笑った。
「家訓に従って、やり返します」
☆☆☆
隙を見計らい、ルイスはポーションの瓶を高く投げ上げた。
瓶は太陽の光を反射して一瞬輝き、視線を集める。
「ダニエル!」
肩の上にいた小さな電気精霊ダニエルが「キュイ!」と可愛らしい鳴き声を上げ、瓶に向かって放電した。
電撃が命中すると、ポーションの瓶が空中で砕け散る。
粘り気のある液体が紫苑の頭上に降り注ぎ、滴り落ちた。
「きゃあ! 臭い! なんなの、これは?!」
紫苑は悲鳴を上げ、顔をしかめて発酵ポーションをはたき落とすが、べたついた液体は瞬く間に肌へと染み込んでいく。
「普通なら、回復機能が失われた廃棄品だけど……ジャンキーにはどうかしら?」
シルビアが静かに言い放つ。その冷たい声には一切の容赦がなかった。
紫苑の背後で、四人の男たちが突然動きを変えた。
目が血走り、狂気を帯びた視線で紫苑を睨みつける。
「魔法学科の学生なら、違法ポーションの大雑把な作り方くらいはわかるわ。似せたかったのは、その気配」
「シルビアさんの読み通り。私が確認しましたが、この匂い……違法ポーションそのものですね」
イサベルが頷きながらシルビアの説明に付け加えた。
男たちは狂気に突き動かされるように紫苑へ襲いかかって行く。
「私がわからないの?! 下がりなさい! 私に近寄らないで!」
紫苑は慌てふためきながら叫ぶが、男たちは耳を貸さない。
「戻れ! 夜喰らい――!」
紫苑が中指の指輪を掲げ、闇の裂け目を再び開こうとする。
しかし、その前に事態は急変した。
「アレルギーが治まった! 魔力が弱ったわ! お兄ちゃん! 今よ!!」
血だらけのエイジャが夜喰らいを地面に押さえつけ、ベルナルドが気を吐き、鋭い一撃を繰り出す。
同時にディエゴも、狼の首に双剣を突き刺した。
――広背筋二倍。
ベルナルドが巨大蛇の顎に短剣を突き、口の中に入った短剣に魔力を注入した。
ドオン!!
巨大蛇の顔が破裂する。
ベルナルドが、巨大蛇の口の中で、竜巻を発生させたのである。
ディエゴの双剣が光を反射して一閃し、狼の首も斬り離された。
ゴロリと転がる二つの巨大な首。
血と魔力が飛び散る中、静寂が一瞬だけ訪れる。
「きゃああああああ!」
紫苑の絶叫が海賊船全体に響き渡り、その声は恐怖そのものだった。
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カクヨムでも書いております。宜しくどうぞ。




