しばらく疎遠だった幼なじみに声をかけられた。
一日の授業が終わり、勉強から解放された放課後の事だ。
「ねぇ、智也。今日部活休みって聞いたんだけど……久しぶりに一緒に帰らない?」
幼馴染の瀬良結菜がそう言って俺に声をかけて来た。彼女とはここ一年ほど疎遠だったのでまさか声をかけて来るとは思わなかった。
「えっと……」
「……ダメかな?」
「……いや、別にいいんだけど」
疎遠。と言っても、仲違いをしたとかそう言う訳では無い。どちらかと言えば俺のほうが彼女の事を避けていた。
「────彼氏に悪いんじゃないか?」
と言うのも、彼女は高校入学からしばらくして恋人が出来た。だから、変に誤解されないよう遠慮していたのだ。
もっとも、それだけが理由では無いのだが。
「えっと……その、別れたから大丈夫だよ?」
少し、いい辛そうに彼女は話す。どうやらよくない事を思い出させてしまったらしい。
「そうだったのか……悪い」
「ううん、別に気にしなくていいから……それで、そういうわけだから……」
もじもじと、こちらの返答を窺っている。
「……なら、一緒に帰るか。久しぶりに」
「あ……、うんっ、カバン取って来るね!」
嬉しそうに笑顔を浮かべると、彼女は急いでカバンを取りに行った。
その背中を見ながら、俺は少しだけ複雑な心境になった。
*
帰り道。
俺たちは少し間を空け、並んで歩いている。
「……」
「……」
無言。
俺たちの間に会話は無い。正直言って、何を話していいかが分からない。
「えっと……智也、最近どう……?」
「どうって?」
「……部活、とか?」
「……まぁ、ぼちぼち」
「そうなんだ……」
「うん……」
「……」
「……」
時折、向こうのほうから話題をふってくる事もあるのだが、それも続かない。
中学までは、よくこうして一緒に帰っていた。その時は、今みたいに途中で会話が途切れるような、気まずい雰囲気になる事もなかった。
あの頃はどんな風に話をしていたのか。たった一年ほど疎遠だっただけなのに、もう覚えていない。
「……ねぇ、智也。ちょっとだけ、時間くれない?」
そのまま無言でしばらく歩いていると、彼女がそう言って立ち止まる。
「時間?なんで?」
「うん、ちょっとね……ダメかな?」
「まぁ……いいよ」
「ありがとう、智也。ここじゃあれだし、近くの公園に行こっか」
彼女の言う、近くの公園と言うのは、幼い頃によく一緒に遊んだ、小さな公園の事だろう。砂遊び場とブランコくらいしか遊具が無いけど、座って話すならちょうどいい。それほど長話になるのかは分からないが。
そんなわけで公園へとやって来た俺たちは二人でブランコに腰をかける。
「……なんか懐かしいね。昔はよくこうやって遊んだよね」
「そうだな」
「あの頃は、毎日のように一緒にいたっけ。小学生になってたくさん友達が出来ても一番一緒にいたし……中学生になって遊ぶ機会が減っても登下校は一緒にしてた」
彼女は、足をぷらぷらとさせながら懐かしむように言う。
「でも、ここ最近はさ、ちょっと疎遠になってたよね、私たち……」
ここ最近とは、高校生になってからの約一年ほど俺が避けていた事を言っているのだろう。
「ううん……智也、私の事避けてたでしょ?」
「……」
流石に気付いているよな。当たり前だ。結構露骨な避け方をしていたから。
「智也はさ、私の事、嫌いになったの?」
彼女は不安そうな目でこちらを見つめて来る。
「…………そんな事ないよ」
嫌いになったかどうかで言えば、俺は彼女を嫌いになんてなって居ない。
何故なら、俺は彼女の事が好きだからだ。
正確にいつからかは分からないけど、それでもそこそこ長い間片想いしてた。
だが、俺が告白するよりも前に彼氏が出来た。
「ただ、瀬良さんの彼氏に悪いなと思って」
だから、避けるようになった。
誰だって自分の恋人の近くに異性がいたらいい気がしないだろう。特に、その異性が恋心を抱いているなら尚更だ。
「"瀬良さん"……昔みたいに名前で呼んでくれないの?」
「あー……彼氏に誤解されないよう、名字で呼ぶように意識してたから」
「さっきも言ったけど、私、別れたから……そんな事気にしなくていいから」
と言われても、もう名字呼びに慣れてしまったし、今更名前で呼ぶ必要も無いだろう。
なんとなく彼女は、名前で呼んでくれるのを期待しているようにみえるが、
「……話ってそれだけ?」
それに応えるつもりは無い。話を逸らすように俺はそんな事を言う。
「えっと…………」
彼女はそのまま口をまごつかせて、そして黙ってしまう。
「……そろそろ帰るか?」
なので俺がそう言ってブランコから立ち上がると、
「待って……っ!」
彼女は俺の制服を引っ張って引き留める。
「あの、ね……智也は今、彼女とか居たりする?」
「居ないけど」
どころか、今まで彼女が出来た事なんて無い。
「そっか。じゃあ……じゃあさ、私と付き合わない?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「…………なんで?」
「なんで……って、智也の事が好きだからだよ……」
「……」
あぁ、なんでそれを言うのが今なんだろう。そう思わずにはいられない。
「………………ごめん」
「え……?」
「ごめん…………瀬良さんと、付き合う気は無い」
俺がそう言うと彼女は目を見開いた後、悲しげな表情を浮かべる。
「……なんでか聞いてもいい、かな?」
何故かと問われれば、俺自身の気持ちの問題だろう。
彼女には、別れたとはいえ恋人がいた。端的に言ってしまえば、その事実が俺の中で引っかかっているんだ。
そんな事を気にするのもどうかとは思っている。元カレ元カノがいるのなんて別に普通の事だから。いちいちそこまで気にする事じゃ無いだろう。
だけど、俺はそれを気にしてしまう。
彼女が好きと言ってくれたその口で、かつて別の人へと愛を囁いたのだろうか。知らない場所でデートして、知らない一面を見せたりして、そうやって誰かと恋人をしていたんだろうか。
我ながら結構気持ち悪いが、そんな風に考えてしまうのだ。
考えて、考えて、苦しくなって、そして冷めてしまう。
だから俺にとって瀬良結菜は初恋の相手で、今もなお変わらずに好きなのに間違いは無いけど、それでも彼女の恋人になりたいとは思えなくなった。
もちろん彼女自身を嫌いなわけではないので、幼馴染として接するのは全然問題ない。
「……とにかく、ごめん」
とはいえ、俺の思っている事を彼女へと正直に伝える必要は無いだろう。伝えたところで何かが変わるわけでもない、不用意に傷付けるだけだろうから。
「……ほんとにダメかな?」
「……うん」
「やっぱり付き合っている人がいるとか……」
「いないよ」
「じゃあ、誰か好きな人がいるとか……」
「それは…………"いた"のほうが正しいかな。失恋したから……」
「それなら…………」
どうしてここまで食い下がるのかな。別に彼女にとって恋人は、俺じゃなくたっていいはずだろう。事実、付き合っていた人が居たんだから。
……この考え方は、駄目だな。本当に酷いものだ。
それでも、正直に思っている事ではある。
「ごめん…………それでも、付き合うつもりは無いから……」
そう言って、彼女の想いをバッサリと切り捨てる。
「そっか…………ごめんね、時間取らせちゃって……私、先帰るね」
そう言って彼女は俺に背を向ける。
その時、一瞬だけ見えた彼女の表情が目に焼きついた。
「……はぁ」
結局のところ、彼女に恋人がいた、と言う事実が俺には受け入れられなかったのだろう。でもそれは、決して彼女が悪い訳では無い。どちらかと言えば悪いのは俺だ。
だからと言って、俺が苦しい思いをしてまで付き合っても、お互いに幸せになれないだけだ。
それともいつか、そんな事を気にしなくなる日が来るんだろうか。
少なくとも、今の俺には考えられなかった。