おはなしを返して
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
わっ……と、飛び出す絵本だった。
ふう、びっくりしたわ。最近の飛び出す絵本って、勢いあるのねえ。本気でカエルが跳ねたのかと思った。寿命は縮んだわね、確実に。
二次元のものを、どうにか三次元におこすことができないか……。飛び出す絵本って、そのはしりだと思うのよね。
仕掛けを用いた絵本って、13世紀あたりには、すでに存在していたみたいよ。占星術で星を見る際、夜空を観察しながら向きを合わせられるよう、本の中身を回すことができるようにしていたとか。
次第に子供向けへシフトしていき、19世紀を迎えるころにはどんと数が増えて、不思議の国のアリスをはじめとする、各種童話の本で採用されるようになったそうね。
つぶらやくんは飛び出す絵本って、手元にどれくらい持ってる?
もし持っていて、長年使わないまま何事もなかったとしたら、下手に開かないでそのままにしておいた方がいいかもよ?
というのも、飛び出す絵本に関して、ちょっと不思議な体験をしたことがあるの。その時の話を聞いてみないかしら?
私の父は仕事柄、本に携わることが多くてね。自分で買う以外に、他の人から譲ってもらうケースもたくさんあったわ。
私が飛び出す絵本に出会ったのも、父が譲られた本の中からいくつかプレゼントされたときだった。最初にもらったのが、有名な童話のシリーズもの。見どころとなるワンシーンが蛇腹状に本の中へ折りたたまれていて、目的のページにくると「じゃらり」と開いて立ち上がる。
そのときは「おお!」と純粋な感動を覚えるんだけどね。製本の問題か、私の畳み方の問題か、何度も開いていると飛び出す部分が破けてきてしまう。
――ああ、ものってどう扱っても、壊れちゃうんだ。
幼ごころに学んだ私は、たとえ気に入ったものであっても、飛び出す絵本は一度見たらできる限り、そのページを見ないようにしていたの。一度壊れてしまったら、たとえ直したとしても、それは壊れる前とは違うもの。二度と戻ってはこない。
そう考えたら、必要以上に開かずそっとしておいた方がいい……。
けれど一方で、こうも考えてしまう。
私はお絵かきをすることが好きだった。もっというと、描いた絵を誰かに見せることが好きだったの。
評価にこだわりはなかったわ。ただ自分の作ったものを、誰かに知ってほしいって、そう思っていた。
――この飛び出す絵本を作った人だって、誰かに見てもらいたいと思ってるんじゃないか。だとしたら、傷むのを怖がって本を読まないのは、その人の希望にかなわないことをしているんじゃないか。
できる限り、飛び出す部分を見えるようにして、なおかつダメージを少ないものにする。そのためにどうしたらいいか、小さい私は考えたのね。
私は壁などに飾られる絵と、画集などの、広げると机を占拠してしまうほどの大きい本から、アイデアのヒントを得る。
――絵本の飛び出す部分だけを広げて、ずっと飾っておくようにしよう。
そうすれば畳んで傷めてしまう心配もなく、飛び出した部分を堪能し続けることができる。
そして、ただ並べるだけじゃ物足りない。飛び出す部分を、うまいことつなげることはできないだろうか。
そう考える私は、自分の部屋に使わなくなった長机を用意してもらい、そこへ童話の本を広げていった。
玉手箱を開け、おじいさんになった浦島太郎。ほどなく彼はつるの恩返しのつるとなり、空の彼方へ飛んでいく。
途中、通りかかった眼下の森では、いまにも白雪姫とキスをしようとしている王子様の姿あり。そこから木を何本か隔てた向こうの海で共に泣くのは人魚姫。
愛する王子を刺せずにいる彼女の横で、タイムリミットの12時を告げる鐘が鳴り響く。同時に魔法が解けゆくシンデレラが城の前へ走り出して……。
机いっぱいを占めるころには、ひとつなぎになった童話たちの世界が、そこに広がっていたわ。私の筆では、とうてい書きおこせない、三次元の一ページ。
私は家にしまってあるビニール袋の中から、特に透き通っていて、適当な大きさのものを選び、その長机をすっぽり覆う。子供なりの永久保存版にするつもりだったのよ。
私は、親に掃除その他もろもろで、この芸術品を動かさないようお願いした。そのくせ、友達を家に招いたときには、自慢げにこの本たちの様子を見せたの。
童話好きの子にはまあまあ受けたけど、そのほかの子にはいまひとつ受けが良くなかったわ。私の考える「作った人の気持ちうんぬん〜」なんて、ますます不評で「なにをいってるんだお前は?」って目で見られることも珍しくなかった。
それでも私は構わない。見せびらかすことができるってだけで、心が躍ってくるのが分かったから。そうして、当時存命していた祖母が家に来てくれた時にも、自慢の彼らを見せたのよ。
祖母の反応は、友達が示してくれたいずれのものとも違った。
食い入るように眺めてくれる様は、最初こそ少しうれしさを覚えたけど、祖母の顔はどんどん険しいものになっていく。そして、ついと顔を離すと、「これは早いうちに元に戻した方がいい」と私へ告げてきたの。
「本のみんなが泣いておる。見てみい」
祖母が指さす先。そこには白雪姫にキスせんとする、王子様の顔があった。
よくよく見ると、そのまなじりに光るもの。くわえて白い粉らしきものがくっついている。
こんなもの、私が覆いをかけたときにはなかったはずだ。その横の人魚姫、シンデレラにも同じものが見えたの。
「浦島太郎の最後、知っておるか?」
祖母の問いに、私は答える。玉手箱を開けた結果、浦島太郎はおじいさんとなり、打ちひしがれたところで、乙姫様からの「だから開けねばよかったのに……」と惜しむような声を聞く、と。
けれど、祖母は首を振った。それは子供用に改変されていると。
「元の浦島太郎はな。老人になった後、鶴になるんじゃよ。そして理想郷と呼ばれる『蓬莱山』へ旅立っていく。乙姫も亀となり、浦島太郎の後を追って蓬莱山へと向かうんじゃ。
これは期しくも、浦島太郎が願った通りの終わりを迎えている。じゃが……」
鶴に続く面々を見て、祖母が言葉をつむぐ。
「彼女らの時は止まったままじゃ。白雪姫は永遠に目覚めず、人魚姫は悲しみの絶頂のまま風の精になれず、シンデレラは魔法が解けた絶望のふちにあり続ける……。
誰が終わらぬ責め苦を望もうか? 元に戻してやりなさい。それが彼女らのためじゃよ」
祖母の言葉を、私は最初真剣には聞かなかった。私の作品にケチをつけているのだと思っていたの。
ところが、祖母が帰って日を置くにつれ、彼らの目元にくっついていた白い粉は、その量をひとりでに増していく。しかも中にはアブラムシを思わせる黒い斑点となって、体中に浮かび始めたのよ。
ビニールのガードはしっかりしている。何かが入り込む余地なんかない。そう信じる私だったけど、広がる黒い斑点に耐えられず、ついに覆いを外して彼らの身体を吹く。黒いものを拭い取ったはずなのに、布にはどんな汚れも残らない、不思議なものだったわ。
そして拭き取っても、拭き取っても、一晩が明けると元の状態へ戻ってしまうのよ。
やがて彼らの身体がほとんど黒いもので隠されてしまうほどになった、真夜中のこと。
パタン、パタンと本の閉じる音を聞いて、私は目を覚ます。見ると、長机の上がやけに平べったくなっている。ビニールの覆いは、机の上に並べられた表紙たちの上へじかにかぶせられ、寝る前まで支えていたはずの飛び出す挿絵の姿はみじんもない。
本たちは、勝手に閉じてしまっていたのよ。信じがたい光景に、私は何度も目をこすりながら、試しに白雪姫の飛び出す挿絵部分を見てみる。
再びポップアップした王子様の姿は、寝る前までに見た真っ黒い姿どころか、目に光るものも、白い粉もくっつけていなかったのよ。人魚姫も、白雪姫もおんなじで。
きっと本を閉じたから、彼ら彼女らはようやく挿絵の先に進めたんでしょうね。
本のそのページを開いたなら、その本の世界はずっとそこで止まったまま。ならばどんなに素敵なものでも、彼らのためを思うなら、最後に閉じてあげるべきじゃないかと、私は思うようになったわけ。