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超弩級彼女ヘカトンケイル  作者: ウミノサチ
4/5

1-3.愛は腕の数だけ

 23時まであと数十分しかない。


 件の騒動からようやく抜け出し、自宅に辿り着いたころにはすでにそんな時間だった。

 先程まで酒場にいたのに全く腹は膨れていないし、飲酒者を前にしてかいた不快な汗をはやく洗い流したい。生理的欲求による計画立てをしながら、吊るそうと羽織っていた外套に手を掛けた時だった。


 その手に、するりと指先が触れた。


 触れただけではない。指先はこちらの指と指の間に入り込み、手は被さるようにして添えられた。

 ふと顔を上げると、別の手が頬に触れる。頬から顎先にかけて滑らせられた指の動きに、先程顎を掴まれたことを思い出す。


 やはり彼女は、怒っていた。


「まだ怒っているんですか?」


 返事の代わりに、背後から回された腕が固くこちらを抱き寄せた。


「……すみませんでした」

 オズワルドは苦笑した。


 普段の彼女はとても世話焼きで甲斐甲斐しく、まるで絵に描いたような理想の女性だ。けれどここに居て、後ろから抱きついてくるのは少女。自分をもっと見て頂戴と我が儘を言う少女のようだと思った。


「あなたがいてくれるから、俺もあそこまで言えるんです。でも、言い過ぎました。あなたを心配させてしまった」


 抱きついた腕に手を添える。冷たくもなければ熱くもない、心地よさがあった。

 ただ腕は触れれば触れるほど別の熱を帯びていくようにも感じた。それは温もりと言うには熱過ぎて、その熱に心臓が沸かされていくようであった。

 抱き寄せたまま、別の手が動けない体から外套を取り払う。別の手が腕に触れていた手を取り、再び指を絡ませてくる。頬に添えられていた手は耳をなぞり、後頭部に回って髪を掻き上げた。


「、少し、待てませんか」


 思わず慌てた声が出た。


「もう23時になってしまう。せめて、シャワーを浴びさせてはくれませんか?汚れた姿を、あなたに晒したくはないんです」


 懇願するように、絡めていた彼女の手を取る。

 彼女はこちらの主張を聞く気はあったのか、ぴたりと動きを止めていた。

 けれどそれらは、解放するためではなかったらしい。

 背後から抱き寄せていた力を、それまで掛けていた後ろではなく前へ掛ける。当然そのままでは頭から倒れてしまうので、それ以上倒れ込まないように片膝をつく。意図せず前屈みになった体に覆い被さるようにして、()()()()()()()()()()


「っ、…どうしても、待てませんか」


 ――こんなにもあなたは綺麗よ。


 そう囁かれた気がする。宥めるような、同時に誘うような声音だった。赤子をあやしながら、同時に恋人を情事に誘うような声音だった。


 腕が、手が、上着を脱がしシャツのボタンを外していく――ちなみにこう言う場合でも彼女はしっかりとボタンをちぎることなく丁寧に外していくのである。素肌をさらすと流石にまだ薄寒い季節ではあるが、すでに上気した体にとっては涼しいだけであった。

 いつのまにか息が上がっている。意図せず暴かれることへの羞恥と、動きを制限された状態で追い詰められていると感じる切迫感と。


 そして、どうしようもない幸福感で、息が上がっている。


 ――嫌ですか?


 今度は声ではなく文字であった。直に触れている空気をかきわけて、一本の指がするすると背中に文字を書いたのだ。


「いいえ…、いいえ。嫌なものですか。嬉しいんです、とても。こんなにも、あなたに求められているのだから」


 オズワルド・マクスウェルは、愛されている。

 その事実だけで、他のあれこれは割とどうでも良くなってしまうくらいに。



 - - - *- - - * - - -



 時計は23時40分を指そうというところであった。


 静まり返った薄暗い部屋に、月明かりが差し込んでいる。その月明かりに照らされて蠢くのは、


 ()()()()()()()()()()だ。


 腕の中には髪や衣服を乱したままの男が眠っている。腕は抱き留めたまま男の頭を愛おしそうに撫で、乱れた髪を梳いていく。ところどころはだけてしまった衣服を洗濯籠にまとめ、汗ばんだ体では居心地が悪かろうとぬるま湯に浸したタオルをどこからか持ちだしてきて拭き取っていく。甲斐甲斐しく動く腕を、男は見ることも無ければ目を覚ますこともなかった。


 男、オズワルド・マクスウェルは、23時を境にして必ず眠りにつくからだ。


 それは彼女との『きまりごと』であり、そうなったのは彼女と“付き合い始めた”ころからである。オズワルドが何をしていようと、彼女が何をしていようと、――例え互いを求め合っている時であろうとも――23時を過ぎればすとんと眠りに落ちる。

 しかも落ちる眠りの深さは中々のものであり、顔に水が欠けられようとも、隣の部屋で爆発が起きようとも、何が何でも起きない。起きるのは、決まって6時を過ぎてからなのである。これも彼女との『きまりごと』であった。


 拭き終えた体を抱え上げ、綺麗に整えられたベッドに横たえさせる。窓際にあるベッドに近づいたことで、より腕が月明かりに当たり全貌が露わになった。


 陶器のような白い肌。

 磨き上げられ傷一つない細い指。

 そして、節々をつなぐ球体関節。


 パーツ一つ一つの縁取りには金の装飾が施され、芸術品と言っても過言ではない。また指のいくつかにはデザインが異なる指輪が嵌められており、瞬くように月明かりを反射して輝いている。

 横たえた男の頬にそっと触れた。相変わらず目を覚ます様子はない。

 男が彼女に捧げた夜の時間はまだまだ長く、彼女は再び男を腕の中へと誘い込んだ。


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