1-2.汝、仕事を愛せよ
「一件につき5万ガルですか」
「ああ、それからレアもの素材は別で金を出す。アンタ、爪や牙だけじゃなく心臓や目ん玉さえ取り出しちまうんだろう?」
「まあ、そういうこともありましたけど…」
〈デリケンドークの隠れ家〉は工房通りから程近いところにある酒場だ。多くの酒場が夕暮れ時からの営業であるのに比べ、〈デリケンドークの隠れ家〉は昼間から定食などを提供している飯処でもある。
酒場は工房と同じくらいハンターや解体屋にとって重要な場所だ。同じ依頼に同行した両者が労いの為に訪れるほか、依頼の話もここで酒やつまみをお供に行われることも多い。というか、この街ではほとんどそうだ。どこかの街では落ち着いたBGMの流れる小洒落た喫茶店やカフェが打ち合わせの場所だと聞いたことがあるが、この街――マムバラッドではそんな光景はまず見られないだろう。
喫茶店やカフェがないとは言わないが、マムバラッドのそれらに居座るのはハンターではなく、もっと別の、何か特殊の事案を抱えた者達だったりする。一度喫茶店で依頼を受けたことはあるが、納めて欲しいと依頼されたのは『腕神経叢が過不足なく接合された状態のサファイアフィッシュマンの右腕』だった。依頼主は片腕の無いご老体だったのだが、くっつけるつもりだったのだろうか。
「ジャンクのところに顔出してるってのはガセじゃなかったんだな」
昼間彼から紹介されたハンターは、オズワルドが店を訪れた時にはすでにテーブルの一角を陣取っていた。入るとすぐに名を呼ばれ手招きされたが、面と向かった顔にはどれも見覚えがない。
「初対面ですね。初めまして、オズワルド・マクスウェルです」
「俺はギリアンだ。こいつらの頭領をやってる」
いかにも頭領といった巨漢がこちらを見下ろす。
周囲には部下と思しきハンターの男達が控えていた。ギリアンは自分をみて全く怯む様子を見せなかったこちらに興味を示したのか、上機嫌な様子で陣取っていたテーブルに腰かける。すでにテーブルの上には話片手につまめるような軽食が並べられていた。
(3000ガルのオープンコースメニュー、か……安く見られたな)
「あんたがうちに入ってくれたら、それ相応の報酬を用意してんだ。頼むぜ?」
「それは楽しみですね」
促された対岸の椅子に腰かけ、懐から眼鏡を取り出し掛ける。手渡された膨大な資料は彼らなりに魅力的な言葉を並べつらねた自信作なのだろう。早速目を通し始めたこちらを、余裕の表情で眺めながら酒を飲み始めていた。
案の定、ギリアンの要件とは自分たちハンターの専属解体屋になって欲しいというものであった。
ハンターによって構成される組織、その通称を【リヴァリ】という。
正式名称は「ハンターによるハンターのためのハンター団体」であり、その通称は初めて結成された団体名が【リヴァリ・アルトマーレ】だったことにちなむ。
ギリアンを頭領とした【リヴァリ・シューミット】は、元々は道端で金持ち貴族の靴を磨く底辺層だったがそこから実力で這い上がってきたという過去からなのだ、と頭領は語った。
「レアものリスト、見せてもらえます?」
彼の話半分に、提示された資料に目を通していく。「解体屋マクスウェルは手付金に五月蠅いと聞いてるんでな」と切り出した金の話では、依頼で発生するものとは別に、採取が難しい“レアもの”について追加料を支払うという条件をちらつかせた。その条件自体はかなり魅力的だ。
素材の採取の困難さにはいくつかあるが、大抵はその魔獣の討伐が困難であるか、或いは素材の採取が技術的に困難かという点にある。
前者では滅多に人目に触れることのない低遭遇率の魔獣であったり、人の手に負えない接触禁忌リストに名が挙げられているような魔獣であったりするが、そういった魔獣が相手の場合だ。解体屋は依頼に同行するが、魔獣討伐の成功の是非はハンターによるところが大きい。その魔獣を倒すためにどこに向かうか、何を必要とするか、どれだけの人員を同行させるか。それらをすべて決めるのは、ハンター側なのだ。
一方、解体屋の技量が試されるのは後者である。魔獣との遭遇及び討伐が然程困難でないにもかかわらず、レアもの素材となる素材は意外にも存在する。素材自体が欠けやすく剝離が難しい、腐敗スピードが速く採取後の保存処理に技術を要する、魔獣の体を切り開いてまで取り出せるかという忍耐力、などなど様々な要因がある。
兎に角そういうわけで、こちらとしても技術を売りにしている以上は安売りするつもりはないのだ。それ相応の働きには見合った報酬を貰って然るべきである。だから、ギリアンが提示してきたレアもの素材別途支払い条件は、こちらの考えに沿うものであった。
ただし、問題はそのリストの中身だ。
「話になりませんね」
めくっていたページから手を離し、わざと盛大な溜息をついて資料を置いてギリアンの方へと寄せた。さらには掛けていた眼鏡を外し、懐へと仕舞う。これ以上読むつもりはない、その意図を汲み取ったのかギリアンから余裕の表情は消え、焦りに一変した。彼の部下も同じようにどよめき始める。
状況がまるで分かっていない彼らに、オズワルドはこれまでとは打って変わって早口でまくし立てた。
「これ、いつの素材市場を参考にしているんです?ヒールボアは確かに第3次ボアブームで乱獲された影響で素材は高騰しましたけど、それも数年前の話です。今では保護団体が動き出して、その数は戻りつつあります。彼らの繁殖力は極めて強いですから」
「じ、じゃあそのリストからは外して通常料金で…」
「人の話は最後まで聞くように習いませんでしたか。見当違いも大概にしてください。その後ヒールボアは『素材としての毛皮は採取禁止』になったんです。ボンドレイ条約、改正されましたよね。ちゃんと読んでますか?あれは貴方達ハンターにとっても絶対厳守の法度のはずですよ」
ボンドレイ条約、そう名をあげればギリアンはうと声を漏らした。
全てのハンター、解体屋、素材工房、職人、武器商人、……素材を扱う全ての者が従うべき礎のご法度、それがボンドレイ条約だ。守られるべき、というより知っていて当たり前、知らずは恥じとさえ言える基礎知識。「ボンドレイ条約、まさかご存知でない?」と言われるのはハンターにとって暗喩の侮辱なのだ。であるから、当然ギリアンは酒で赤くなった顔をさらに濃くして反論してくる。
「し、知ってるに決まっているだろう!」
「なら答えられますよね。何故素材としての毛皮は採取禁止になったのか」
「そ…それは、毛皮は一生生えてこねえから…」
「確かに他の素材、踵や小角は一度採取しても生えてきます。彼らは伸びすぎて困った挙句、樹木に頭をこすりつけたり岩肌で踵を小突いて削るくらいですからね」
「ええいまどろっこしい!一体何が正解だってんだ!」
「寄生虫ですよ。彼らの毛皮には寄生虫がいた。それもヒールボア特有の寄生虫で、他のブーム毛皮には見られなかった種類です。加熱処理をしても冷凍保存をしてもハーブ系殺虫液に漬け込んでも衰弱のすの字も知らない奴らで、生存本能から強力な毒を分泌する。体長は1ミリと比較的大きいですが、体が軽く風に巻き上げられやすい。間違って口に入ろうものならあっという間に毒が回り、我々は死に至ります。
第3次ボアブームでヒールボアの毛皮が流行し、特に貴族たちには純白のネックファーがトレンドアイテムになりました。彼彼女らは茶会で自慢の毛皮を同業他社に見せては自らの権威を主張していましたが、その茶会で次々と突然死が起こる。死因は皆猛毒を摂取したこと、一時期は貴族に不満を持つ平民の仕業だとの声が上がりましたが実際には」
「いい加減にしねえか!てかいつまで喋ってやがんだオメェ!」
「あなた達が分かるまでずっとですよ」
面と向かっているギリアンは顔を真っ赤にしたまま歯ぎしりをしており、そんな頭領を見かねて部下たちがわらわらと怒声を上げる。
店内の一角で勃発しそうな騒動は、他の街では知らないがマムバラッドではよくある光景だ。店主はカウンターに陳列してあるワインボトルを片付け始め、店員は料理の配膳のついでに周囲のテーブルが巻き込まれないよう離し始める。周囲の客も気にしないフリをしつつ酒を片手に観戦モードである。
「あのね、他の解体屋がどうかは知りませんけど、俺は一応あなた達ハンターを信用して解体をしてるんです。俺一人じゃあ、せいぜいが初雨で浮かれたアメズキガエルを不意打ちして倒すことくらいしかできませんからね。素材を得るにはあなた達の協力が必要だ」
「だったらオレたちハンターの言う通りにしてりゃいいじゃねえか!魔獣がどうかなんて解体屋がしゃしゃり出てくんじゃねえよ!」
「魔獣を解体したとき、それに毒があったらどうしますか!」
相手の怒声に重ねるようにオズワルドも声を荒げた。これは喧騒まっしぐらだな、なんて気にしてはいられまい。すでに周囲は店側の迅速な対応によってやたらと片付いており、周囲の客は明らかな観戦モードである。状況を飲み込めずきょろきょろしているのはおそらく観光客かなにかだろう。事態を把握している良心的な店員が慌てて奥の個室に避難させていった。
「身体を開かれた途端そこにいる全員を呪い殺すような魔獣だったらどうするんですか。半端な腕では、釣り合わないんですよ。俺だってこの腕一本で飯にありついている。あなた達ハンターがその腕で魔獣を倒して生活しているように、この腕で魔獣を解体いて素材を取り出しているんだ」
「半端な腕だって!?」
「半端もいいところですよ。討伐の技術はさておき、基礎知識がないのは明らかに怠慢でしかない」
黙って聞いていれば、そう怒号が聞こえたと思った次の瞬間には拳が飛んできていた。咄嗟に躱そうとして身構えても間に合わない。
だが、その拳が向かってきていた顔にぶつかることはなかった。
「っ、いてっ!」
自分でも間抜けな声が出たと思った。部下の男に殴られる直前に、見事に後ろにすっ転んだのだ。尻餅もつき、何と言うかとても痛いし、あれだけ豪語していた矢先後ろに一人で転んで羞恥がないかといえば勿論ある。「そうはならねえだろ」と観戦客から零れたように、殴りかかった部下も想像していなかったようで見事に空振りに終わった。
ただ助かったと息をつくのはまだ早いようだった。立ち上がろうとして手を床についたが、いつの間にか背後にいた別の部下に腕ごと捕まり羽交い締めにされる。それまで歯ぎしりこそ立てていたが口を閉ざしていたギリアンがゆっくりと席から立ちあがり、そしてこちらを見下ろした。
ハンターと直接やり取りをすることが多い解体屋だが、気を付けなければならないことがある。
――狩人を逆撫でするべからず。
師の口癖だった。腕の立つ解体屋がいても、腕の立つハンターにかなうとは限らない。どれだけ技術が優れていようとも、ハンターに力で屈服されようものならもうどうにも出来ない。そして往々にして、彼らは短気な者が多い。直ぐに腕に力を込め、すぐに足で蹴り上げることが出来るのは狩人として優れている証拠だが、その相手が魔獣ではなく生身の人間に向けられてはたまったものではない。
「新しく触れ回っといてやるよ。『解体屋マクスウェルは大口ばかり叩く金の亡者だ』ってな」
こちらを見下ろしていたギリアンは、今度はオズワルドの態度が気に食わなかったのかしゃがみこみ、髪の毛を無造作に掴み上げた。頭皮が悲鳴を上げている。
だがオズワルドには髪の心配よりももっと、ずっともっと懸念していることがあった。そしてそれは、今まさに起ころうとしている懸念でもある。
「何とでも…言えばいいですよ。それより早く腕を放して拠点に帰った方がいい」
「……なんだと?」
「“彼女”が怒っています」
ギリアンと部下たち、それから周囲の客も辺りを見渡した。けれども、どこにも『怒った彼女』は見当たらない。いるのは、ただ羽交い締めにされたままの青年だけだ。
「怒った彼女は俺でも手が付けられない。それから後が怖い」
「何言ってやがる。お前を助けようなんてやつはどこにも見当たらねえぞ。ホラ吹きだってのも追加しといてやろうか、なあ?」
髪を掴み上げていた手とは逆の手が、今度は乱暴に顎を掴み上げた。
「知りませんよ…俺はちゃんと忠告した」
「だから何を……――」
靴磨きの者達の頭領の声は、その先紡がれることはなかった。
カチリという音と主に店の照明が一斉に消える。店内の人々のどよめきを掻き消したのは、同時にあがった複数人の男達の呻き声とバタバタという足音。そして、空を切る鞭のような音。
しばらくしてまたカチリと音を立てて照明が戻ったころには、青年の周りには先程まで息巻いていた狩人達が皆同じように床に突っ伏していた。