07 貸し借りはなしですわ
激しい戦いの終結からしばらくして、避難していたパルミジャーノが戻ってきた。
執事と黒服SPも一緒だ。
彼女は俺を見つけるなり、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「あ、あなた! 怪我は大丈夫ですの!?」
なんだ? こいつ、俺の心配をしているのか?
ふふん。
いけ好かないお嬢様かと思っていたら、可愛いところもあるではないか。
「ふん! 問題ない。あの程度、怪我のうちにも入らんのだ! ふはははは!」
高笑いをする俺を見て、パルミジャーノが胸を撫で下ろす。
乱れた呼吸を落ち着かせたところで、彼女が幼女姿のモツァレラに気付いた。
「……あなた、どうして邪龍舎から出ていますの?」
「妾は帰るのじゃ」
なんでも救出時に経緯を聞いたオストによると、モツァレラのやつは、ここレッジャーノ幻想動物園には、ちょっと遊びに来ただけのつもりだったらしい。
美味しいご飯をご馳走になったら、帰るつもりだったんだとか。
なのに邪龍舎に閉じ込められて困っていたところを、オストが解放したのだそうだ。
俺はモツァレラの不用心さに、小さくため息をつく。
まったく食い意地のはったやつめ。
そんなに飯が不満だったのか。
……仕方がないから、少しだけ食事の質をあげてやるか。
逸れた意識をパルミジャーノに戻す。
彼女は呆れ顔をしていた。
「……帰る? でも私が『はいそうですか』なんて答えると思っていますの? こちらには労働契約書が――」
「ちょっと待ったなのです! じゃじゃーん! 契約書はわたしが持っているのですよー!」
リコッタが羊皮紙を広げて、パルミジャーノに見せつけた。
得意満面だ。
「なっ!? あなた、それは!?」
「ふははは! 驚いたかこの間抜けぇ! さぁリコッタよ! そんなものは、さっさと破り捨ててしまえ! ふはははは!」
「合点承知なのですよー!」
契約書がビリビリに破かれる。
パルミジャーノが大きく目を見開いた。
みたか!
見事にやり込めてやったわ!
気分は爽快。
俺は高笑いを続けながら、得意気なドヤ顔で、悔しそうにするパルミジャーノを見下す。
「……く、……くぅ……」
「どうした、パルなんとかぁ? これでもう邪龍を縛るものはなにもない。大手を振って連れて帰ることが出来るぞ! ふはははは!」
完全勝利だ。
彼女は俯いて、わなわなと肩を震わせていた。
「……く、……くふ、……ふふふ……」
「ほぉれ、どうした? 悔しいかぁ? ふははは!」
「……ふふ。……ふふふ。……おーほっほっほぉ!」
パルミジャーノがいきなり笑い出した。
なんだ?
この女、気でも触れたか?
不気味な様子に軽く引き気味になる。
「おーほっほぉお! 爺!」
パルミジャーノが執事に手を伸ばして、なにかを受け取った。
羊皮紙っぽい。
どうやら書類のようだ。
彼女は勝ち誇った顔で、その書類を広げてみせる。
「教えてあげますわ! そこのお間抜けさんが破いた労働契約書は、真っ赤な偽物! 本物はこれですわぁ!」
「な、なにぃっ!? そんなバカな!?」
リコッタを見る。
俺と目があった彼女は、ぶんぶんと首を横に振っていた。
自分は知らないぞアピールだ。
「お、おいフォル! たしかにあれは本物の労働契約書だぞ!」
オストが言うなら間違いないのだろう。
一体どうなっている!?
「ふふん! 最初に言ったでしょう? あなたたちの行動なんて、すべてお見通しだと! だから偽物を準備しておいたのですわ! おーほっほっほ……ほげっ、げほ! ごほっ!」
くそぅ!
完全にしてやられた!
俺ともあろうものが、こんな笑い過ぎで咳き込むようなアホな女にやり込められるとは。
「お、おのれぇ……!」
ギリギリと歯噛みする。
悔しげに歯を鳴らす俺を、踏ん反り返って小馬鹿にしてくるパルミジャーノ。
しばらくそうして笑っていた彼女が、不意に高笑いをやめた。
「……ですが、これは、こう」
何気ない仕草で、労働契約書の端を両手で持ち直す。
パルミジャーノが契約書を、真っ二つに引き裂いた。
そのままビリビリと破いていく。
「お、おまえ!? 何をしているのだ!?」
彼女は無言で契約書を破く。
細切れになったそれを、最後は空中へと放り投げると、風が紙片をさらっていった。
「……そこの邪龍は、連れて帰りなさい。麒麟の件も、商工会議所には私が取りなしておきましょう。……これで借りはなしですわ」
「借り? なんのことだ?」
俺の問い掛けを無視して、パルミジャーノがくるりと背を向けた。
「爺! 行きますわよ!」
彼女が立ち去っていく。
「お、おい! パルなんとか!」
呼び止めると数歩歩いた先で、パルミジャーノが足を止めた。
俺を振り返る。
「……『パルなんとか』は、やめて下さいまし。私の名前はパルミジャーノ。特別にパルメさんと呼ぶことを許可しましょう」
パルメさん。
パルメか……。
再びパルメが背を向けて、歩み去っていく。
……と、思ったらまた足を止めて振り返った。
こいつ、なかなか去り際の悪いやつだな。
「ところで、あなた?」
「なんだ?」
「あなたの後ろに控えている、その深緑色の髪の女性。見覚えがないのですけど、最初からいましたかしら?」
「……む、無論だ。さ、最初からいたぞ?」
パルメが首を捻る。
「そうでしたかしら? まあいいですわ。そうそう。倒したバジリスクはどこに?」
「……あ、あっちの方に行ったかなぁ……」
頷いてから彼女は、黒服SPたちに消えたバジリスクの捜索を命じた。
再び背を向ける。
今度こそようやく、パルメは立ち去っていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
騒動の収まったレッジャーノ幻想動物園。
その上空に、ひとりの女の姿があった。
「……ふふ。……うふふ……」
ふわりと風に靡く銀の髪が、月明かりを反射する。
「……遂にぃ、……遂に見つけましたわぁ」
上気した頬。
潤んだ瞳。
聖国の法衣を纏うその女は、まるで情婦のように荒い息を吐いている。
「…………魔王」
女が舌舐めずりをした。
妖艶な唇が濡れて、ぬらぬらと赤く光る。
蕩けてた瞳が、ゆっくりとつり上がり、徐々に狂気を孕んでいく。
「……ふふ、うふふ……。ふふふふふ……、うふふふふふふふふふ……っ!」
常軌を逸した笑い声が、夜の闇へと溶けていった。




