04 暗躍する人影
閉園後のレッジャーノ動物園。
あたりは薄暗く、しんと静まり返っている。
そんな不気味とすら思える園の舎内に、どうやって侵入したのか、ひとりの怪しげな女の影があった。
「……こんばんはぁ。はじめましてぇ」
場所はバジリスク舎の舎内だ。
蛇の王が、床に伏せていた大きな首を起こす。
物陰から姿を現した女が、無造作にその怪物に歩み寄った。
バジリスクの視線には石化の力がある。
だがそれを気にした様子もなく、女はバジリスクと視線を交えた。
一見すると自殺行為にしか思えないその行動だが、女には特に変わった様子がない。
バジリスクが警戒して「シャー!」と警告音を発した。
「ふふふ……。いまぁ石化の力を使いましたねぇ? でも弱っているならともかくぅ、万全のわたくしにぃ、そんな魔眼の力は通用しませんよぉ? それより……」
女が口元に薄く笑みを讃える。
だがそれに反して、目元は全く笑っていない。
女がバジリスクの眼前に手をかざした。
「さぁ、わたくしのためにぃ、働いてもらいますからねぇ」
虚空に幾何学模様の陣が浮き上がった。
聖なる力が集束していく。
女はその力を、バジリスクに向けて解き放った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
深夜。
一時撤退した俺は、今度はリコッタの他に麒麟のオストも引き連れて、再びレッジャーノ幻想動物園へと忍びこんでいた。
もちろん目的はモツァレラの奪回だ。
今度こそ連れ帰ってみせる。
だがそのためには、あの労働契約書が厄介だ。
「お前たち。まずは園長室へ忍び込むぞ。そこで契約書を探すのだ! なければ事務室だ!」
こそこそと物陰に潜みながら移動する。
園長室のある建物前の広場までたどり着いた。
すると眩しいライトの明かりが、いきなり俺たちをぴかっと照らした。
「うおっ!? まぶしっ!?」
強烈な光に目を細める。
「お、おい、フォル! 僕たち囲まれているぞ!」
「た、たた、大変なのです! もう見つかっちゃいました!」
周囲から大勢の人間の気配が漂い始めた。
そのなかから、赤髪の女が歩み出てくる。
「おーほっほっほ! やはり忍びこんできましたわね! でも残念。あなたたちの行動は、全部お見通しですわよ!」
「くそっ……。パルミジャーノか!?」
昼とは違い現在は閉園後。
かつ深夜である。
あたりにひとの目はない。
つまりこいつらは、遠慮なく荒事に訴えかけてくるということだ。
暗がりから幾人もの黒服SPが姿を現した。
見ればやはり全員が武装している。
「さぁ、今度は逃がしませんわよ! あなたたち、ふん縛っておあげなさいな!」
命令を受けた黒服たちが飛び掛かってきた。
四方八方から同時に襲ってくる。
「わ、わ!? このひとたち、危ないのですよフォルさま!?」
「問答無用というわけか! リコッタは俺の後ろに下がれ! オストは戦えるのだろうな!」
「無論だ! ピンチだな! ははっ!」
楽しげに笑うオストに若干イラッとしながら、黒服たちを迎え撃った。
麒麟姿になったオストの一本角が、チリチリと微弱な電流を纏い始める。
「ぐおぉぉん! いかずちよ!」
空から雷が降ってきた。
稲光が辺りを明滅させる。
しかしその雷は、黒服たちが用意した避雷針に誘導されてかき消えていく。
「くそ! こいつら僕の雷に、対策を用意しているぞ!」
「だったらわたしが! これでも、くらえっ……なのです!」
リコッタが投げつけたくしゃみ玉が、炸裂した。
しかし黒服たちは冷静だ。
一斉にマスクをつけて、くしゃみを防いだ。
「おーほっほっほ! あなたたちのことは調べ上げていますわ! 観念なさい!」
「おのれ! 調子に乗るなよ!」
途切れることなく襲い掛かってくる黒服を、ちぎっては捨てる。
だが強気の発言で自らを奮い立たせたところで、多勢に無勢の現状は変わらない。
「おい、フォル! このままだと不味いぞ!」
「ええい、わかっておるわ!」
だがどうする?
どうやってこの窮地を乗り切るか?
ない頭をフル回転させた。
そのとき――
「キシャアアアアアアアアアアアアアアッ!」
甲高い叫び声が、夜闇を切り裂いた。
声のしたほうに顔を向ける。
ズルズルと巨大なものが地面を這いずる音が聞こえた。
なんだ?
一体なにが近づいてきている?
この場にいる全員が、争いを中断して注目する。
その怪物は、暗闇の中からぬるりと姿を現した。
新緑の鱗が月明かりを鈍く反射する。
王冠を模したような鶏冠が、巨大な頭部とともに夜空へと持ち上がっていく。
遥かな高みで鎌首をもたげたその蛇が、頭上から場に集った者どもを睥睨した。
「はわ、はわわわわ……」
リコッタが俺の背中に隠れて小さくなる。
「な!? こ、こいつは昼間に見た……!?」
突如として現れた闖入者は、蛇の王バジリスクだった。
「な、なんですの!? 一体どうして、バジリスクがここに!?」
パルミジャーノや黒服SPたちが、パニックに陥っている。
なんだ?
こいつらにも想定外の事態なのか?
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
バジリスクが大木のように太い首を、地面を攫うようにして振り回した。
黒服たちが薙ぎ払われていく。
これはどうしたことだろう。
仲間割れか?
ふはは!
ちゃんと躾けておかないからこうなる!
成り行きを見守っていた俺だが、ふいにある事に思い至った。
……これは、チャンスかもしれん。
騒ぎに乗じて園長室に忍びこんで、モツァレラの労働契約書を盗んじまおう。
チラッと横目で、パルミジャーノたちの様子を伺う。
「お嬢様! はやく、こちらへ!」
「え、ええ! わかりましたわ!」
パルミジャーノは執事に手を引かれて、混乱したこの場を離脱しようとしている。
ふふふ。
しめしめだ。
俺も園長室に忍び込むべく、ひっそりと踵を返す。
そのとき気が付いた。
バジリスクが、逃げていくパルミジャーノの後ろ姿を見つめている。
必死に駆けていく彼女たちは、自らが狙われていることに気付いていない。
「お、おい! パルなんとか!」
大きな声で呼び掛けるも、俺の声は彼女の耳には届かない。
バジリスクが大きな口を開けて、パルミジャーノに襲い掛かった。
「シャアアアアアアアアアアアッ!」
「ちっ! バカが!」
俺は疾風のように飛び出した。
「な、なんですの!? きゃあ!?」
振り返ったパルミジャーノが、襲いくるバジリスクにようやく気付いた。
金切り声をあげる。
耳をつんざくようなその悲鳴を浴びながら、なんとか間に割り込んだ俺は、パルミジャーノを大きく突き飛ばし……。
――その瞬間、全身を衝撃が襲った。
「ぐはぁ! ……か、かはっ」
思わず血反吐をはく。
吹っ飛んだパルミジャーノは、地面に激しく尻を打った。
「あいたぁ!?」
「いやぁああっ!? フォ、フォルさまぁああ!」
声と悲鳴が重なった。
視界の端に、リコッタが顔を青くして駆け寄ってくる姿が映る。
パルミジャーノを庇った俺は、彼女に代わり、バジリスクの毒牙に体を貫かれていた。




