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パニックwwwww

作者: 冬山


「なんじゃ、こりゃあああああああああ!」

 月曜の朝、ベッドのなかからスマートフォンで、一日に数十万人が利用するという匿名掲示板、『GOちゃんねる』を開き、最上正義もがみまさよしは絶叫した。

 鼓動は速くなって、額に汗が浮いた。

 正義が絶叫したのも無理はない。匿名掲示板の書き込みの一つ一つに、氏名、住所、性別、年齢が記されていたのである。


 慌てて、自分の昨日の書き込みを探した。

『うるせえ。黙れ。死ね。くそ。かす。べろべろばあのちんちん。』

 昨夜、スレッドに書き込んでいるうちに争いとなり、言い負かされそうになって、捨て台詞にそれを書きこんで寝たのだ。


 今思うと、なぜ、こんな園児のようなことを書いたのだろうと思うが、そのときには考えもしなかったのだ。

 この幼稚な投稿にも、やはり、氏名、住所、性別、年齢が付記されていて、それは正しく正義のものだった。

 正義は、頭を抱えた。


 正義は、高校ではクール男子で通っている。そのほうが女子にモテるような気がしたからだ。

 最近、どうやらそれは気のせいだと気づきはじめたが、いきなり、べろべろばあになるわけにもいかない。

 実際は、こんな奴なのかと知られたら、これから、どんな顔をして登校すればいいのか。


 正義は或ることに気づいて、違う掲示板にもアクセスした。

 そこは、『爆ワラ』と呼ばれる地域の掲示板で、利用者もそれなりに多く、ローカルな情報が、なにかと入ってくるのである。


 爆ワラには、好きな人に匿名で告白文を書きこむという気持ち悪いスレッドがあり、正義はずっと、小馬鹿にして眺めていたのだが、昨年、同じ高校の女子を好きになり、突き動かされるように、ついついそこに書き込んだのである。

 書いたはいいが、恥ずかしくなって、もう二度と見まいと誓ったのだが、確かめないわけにはいかなかった。


「うぐ」

 スレッドを開くと、これまでには無かった文字が列をなしていた。

「ここもか……」

 GOちゃんねるとおなじように、何者の仕業かは知らないが、やはり書き込んだ人物の氏名、住所、性別、年齢が表示されているのである。


 おずおずと画面をスクロールされていった。

 恥ずかしい告白文はすぐに見つかった。

『風紀委員長の愛子ちゃん、なんでそんなに可愛いのかよ。超大好き。好き好き大好き、愛してる。どうか僕と付き合ってください! 絶対、幸せになりますし、します!』

 読み返すと、顔から火が出そうだった。

 酔っ払っていたんじゃないかと思いたくなるが、酒はこれまで、料理以外では、舐めるほどしか口にしたことはない。


 告白文の下には、正義の四情報が、しっかりと記されている。

 再び、頭を抱えた。


 とはいえ、まだ正義は幸運だったのだ。

 或る事情から、そこに記された名前と住所は、大勢が知っている正義のものとは違っていたからだ。

 しかし、ずっと隠し通すのはとても無理だろう。


「正義、起きてるの」

 母の声が、一階から聞こえた。

「起きてるよっ」

 正義は八つ当たりするように怒鳴った。


 それから、ふと思い立って、風紀委員長の愛子こと、沢山愛子さわやまあいこの名と、詳しい住所までは知らなかったから市名とを、グーグルで検索した。

 氏名だけでは、同姓同名が出てきてしまうと思ったからだ。


 本人らしいものは何もヒットせず、正義はほっとした。

 どこかの掲示板に書き込んでいたとすると、正義や、他の不幸な人達のように、四情報が表示されているはずだから、検索でヒットするはずなのだ。

 試しに、正義の名と市名で検索してみると、案の定、爆ワラのあの恥ずかしい告白文も、GOちゃんねるの数百にも及ぶくだらない書き込みも、検索結果として表示された。

「あああああああ、なんでこんなことに」


 泣きそうになりながら、親友の暁明星あかつきめいせいでも検索した。

 真面目な奴だから、無いだろうと思いつつ、そういう人間こそ、裏ではすごいことを書いているかもしれないと暗い期待を抱いたが、いくつかヒットはしたものの、数学や物理のまじめな質問、読書感想文があるくらいだった。

 ますます、正義の立場が悪くなった気がした。


「正義、遅刻するわよ」

「わかってるよっ」

 着替えながら、母の名前でもやってみる。当然、出てこない。母はネットに全く触れない人なのだ。


 父の名前でもしてみる。父と言っても、実父ではなく、数日前、母と再婚したばかりの義父である。

 検索結果がずらずらと出てきたときには、少しだけ嬉しくなった。

 匿名掲示板のものが多く、スレッドはすべて風俗関係だった。

 最新の投稿は――。

『駅前に先月開店した人妻物語のみゆちゃんという新人が、ものごっつ可愛い。感動レベル。おっぱいぽろんぽろんの、おしりぷりんぷりんです。』

 正義の父親になるにふさわしい男だと思った。


「正義!」

 母親の声が怒気を帯び、正義は叫んだ。

「今、行く!」

 怒らせるのは得策ではない。母はレスリングの世界大会で二年連続チャンピオンになったことのある女なのだ。


 ダイニングではおしりぷりんぷりんが、平然と新聞を読んでいた。

「マサ」

 義父は、正義をそう呼んでいた。

「もっと、早く起きて、朝飯はしっかりと食べないとダメだぞ」

「でも、食べすぎて、おしりぷりんぷりんになっても困るし」

 義父の読んでいた新聞に穴があいた。飲んでいたコーヒーをすごい勢いで吹き出したらしかった。

「な、何を言っているのか、お前は」

 新聞の穴から引きつった顔がみえた。


 正義はいつもの習慣で、テレビをつけた。

 当然、こうなっていると予想すべきだった。

 掲示板、SNSの投稿者の名前が開示されたことで、すでに大騒ぎになっていた。

 どのチャンネルでも、その件を取りあげていた。


 あるチャンネルでは、多党の悪口を書きまくっていた政治家がいたと伝えていた。


 あるチャンネルでは、掲示板で中学生の買春をしていたことが発覚した小学校の校長が、インターホン越しに「でたらめだ」と怒鳴っていた。


 あるチャンネルでは、大物芸人がトイッターのサブアカウントがバレて、不倫問題を追求されていた。


 あるチャンネルでは、外食店のレビューを書き込む有名サイトで、ライバル会社による組織的な工作が明るみになったことを話していた。


 あるチャンネルでは、おっはーと元気に挨拶していた。


 ぽかんと口を開き、テレビを眺めていた義父は、慌ててスマートフォンをいじりだし、やがて、顔を真っ青にした。


 正義は、トーストを一口齧っただけで、家をでた。

 母が、しっかり食べなさいと叫んでいたが、のんびりしているような心の余裕など無かった。

 バス亭までの通りの雰囲気が、いつもとは違う気がした。

 人通りも少ない。

 ゴミ出しの主婦は辺りをちらちらと窺っていたし、スーツの会社員は背中を丸め、肩身が狭そうに歩いていた。

 女子高生は足もとに視線を落として足早だった。


 ネットの書き込みに、名前が記されただけで、世界の雰囲気が変わってしまったのだ。

 バスのなかもそうだった。乗客は少ないし、誰もが無口だった。


 正義はスマートフォンで、いくつかのサイトにアクセスしてみた。

 GOちゃんねる、トイッター、熟女ちゃんねる、フェイスハガー、ミーチューブ、フウイヌム掲示板、それならば、爆ワラ、お袋……どこも同じ状況だった。


 一体、何者の仕業なのか。

 しかし、こんなことが人間にできるとは、とても思えなかった。

 ウルトラスーパーハッカーみたいな人物がいて、巨額の資金を与えられたら、或いはIPから辿って、プロバイダの契約情報から、個人情報を盗み取ることができるのかもしれないが、そうではないらしいのだ。

 正義の家のプロバイダ契約は、母の名でされており、そのやり方では、正義の名が表示されるはずがないのだった。


 テレビもそうだが、ネットは蜂の巣をつついたような騒ぎで、今回の件に関して、あれやこれやと考察がなされていた。

 それによると、VPNを使った書き込みも、Torを使ったものも、プロキシを使ったものも、付記される住所氏名は、ちゃんと書き込んだ本人のものになっているというのだ。

 そうなると、到底、人間にできることではない。


 それにしても――。

 正義は、GOちゃんねるを眺めながら思った。

 一つのスレッドを複数の人格を使い分けて、ほとんど一人で消費していたり、三〇代の二児の母を名乗って、女性専用掲示板で、井戸端会議をしている藤浪庄司、五十三歳がいたりするのだ。自分の書き込みに自分でレスをつけて、褒めたり、貶したりしている四十代、男性もいた。

「闇が深い……」

 思わず、つぶやくと、バスの乗客全員が、正義をぎろりと睨んだ。


 その頃、正義の高校では、風紀委員長の沢山愛子が怒っていた。

「なんなの、これは!」

 愛子が壁の落書きを指差すと、悪いわけでもないのに、委員の一人が頭を下げる。

「すいません、すいません、すいません」

「この学校で、愛子と言ったら、私しかいないじゃないの! この正義というのは誰なの!」

「三組の最上君じゃないかと」

「どういう人!」

「えーと、かっこ悪いくせに、クールなふりをして、モテようと頑張ってるけど、やっぱりモテないって感じの人で、なぜか、あの暁くんと仲良しみたいです」

 暁くんと言うときだけ、委員は目をキラキラさせた。


 愛子はぎろりと委員を睨んでから、壁の落書きをもう一度指さした。相合い傘に、愛子と正義の名前があるのだった。

「それが、どうしてこんなことになってるのよ!」

「すいません。すぐに消します」

「証拠を消してどうするの! 犯人の筆跡よ。コーンを立てて、ロープを張って立入禁止にして、写真も撮っておきなさい!」

「わかりました」

 愛子は腕組みして、壁の落書きを眺めていた。


 正義は、いつものバス停で降り、学校にむかう生徒たちの流れに入っていった。異様な雰囲気は、ここでも変わらなかった。

 いつもとおなじように、おしゃべりしながら歩いていく連中もいるが、半分近くが俯き加減で足早だった。

 前者は、きっと事態を知らないか、後ろめたいところのない、或いは、もはや恥も外聞もない連中なのだろう。

 後者は明らかに、事態を知っていて、疚しいところがあり、それがバレないかとビクビクしているのだ。


 正義は、後者ではあるが、彼らほどは絶望せずにすんでいた。

 表示されたものが、知人たちが知る住所氏名ではない為だが、はたして、いつまで隠し通せるものか。

 まるで蛇の生殺しである。

 いっそ、すぐにもバレてしまったほうがいいと思わなくもなかったが、べろべろばあはともかく、愛子ちゃん好き好きは、なんとしても隠さねばならない。


 教室に入ると、数人がひそひそと話していて、もうバレたのかと冷や汗を垂らしたが、どうやら別のクラスメイトの話だったようだ。

 正義を見つけて、話していた連中がやってきた。クラスで成績上位にいる男子三人だった。

「クール正義、さすがだな。お前の名前、検索してみたけど、なにも出てこなかったぞ」

 鈴木が言った。


「ああ、なんか、例のやつか」

 正義は内心ドキドキしながら、クールに答えた。

「すごい騒ぎになってるぞ。ネットではもう一覧ができてる」

「一覧?」

「芸能人、スポーツ選手、政治家とかの一覧。誰がなにをしていたか」

「なるほどな」


「カフェオレの矢沢が、未成年を買春しまくってたらしい」

 カフェオレは、有名なお笑いコンビだった。

「矢沢って左側のやつだっけな」

「どうだっけ。いや、そんなこと、どうでもいいだろ。あと、スパイシーカレーの岡田、同業者の本に低評価つけまくってたらしいぞ」

 それは、ライトノベルの人気シリーズのタイトルだった。 


「でも、一番の特ダネはあれだ。うちのクラス委員長が」

 鈴木と、後ろの二人がクスクスと笑う。

「丸尾か?」

 丸い眼鏡を掛けた真面目な奴だった。

「他に誰がいるんだよ」

「丸尾がどうかしたのか」

「あいつさ、アイドルなんか興味がないみたいな顔してるじゃん。それが、グッドアフタヌーンのファンらしくて、休みには一日中、掲示板に書きまくってた」

「へ、へえ」

「ちいちゃんはオナラなんかしない! とか書いてるんだぜ。笑っちゃって」

 物音がして目をやると、戸口に丸尾が立っていた。

 話を聞いていたらしく、青い顔で震えていたが、奇声を発して廊下を走っていった。

「あちゃー」

 鈴木は困ったように頭をかいた。


 丸尾と入れ替わりに、一人の女子が泣きながら教室に入ってくる。

 数人の女子が集まって、尋ねると、彼氏がトイッターの裏アカウントで、別の学校の複数の女子とも関係があることを、武勇伝のように語っていたと言う。

「男なんて他にいくらでもいるから」

「いないもん。よっちゃんは桜井くんに似てるんだもん」

「似てたっけ……」

「似てるもん!」


 号泣の声の響くなか、副担任である新任の若い女性教諭が入ってきて、担任の佐々木先生はお休みですと告げた。

 鈴木が、またクスクスと笑う。

「佐々木さ、佐藤先生のことが好きだったらしくて、GOちゃんねるで卑猥な妄想を垂れ流してたんだぜ」

「先生、お尻のイボは大丈夫ですか」

 一番後ろの席から、お調子者の宮本が叫んだ。


 すると、副担任はみるみる泣き出し、逃げるように教室を出ていった。

 どうやら副担任は、イボの悩みをどこかの掲示板に書きこんでいたらしい。

「今のはよくないよ、宮本くん」

 一人の女子が抗議すると、宮本は不機嫌そうな顔で、スマートフォンを見て朗読をはじめた。

「私は、竹内さんのことが好きでたまりません。どうしてこんなに好きなのか。ベッドのなかでも、いつも彼のことを考えてしまいます」

 すると、今度は、その女子が、顔をトマトのようにしたかと思うと、わっと泣きだした。

 宮本が読み上げたのは、その女子の投稿だったらしい。


 教室中が大騒ぎだった。

 女子が何人も泣き、何人も怒っていた。

 男子は激しく言い争い、掴み合いをするものもいた。

 地獄だった。

 暁が入ってきて、問うように正義を見た。

 正義はただ首をふった。


 十五分ほど経って、やっと、半泣きの副担任による授業がはじまったが、そのときには生徒の数は半分になっていた。

 休み時間には皆、いつもの何倍も疲弊していた。

 正義が机に突っ伏していると、暁がやってきた。

「正義は運がよかったね」

「しーっ」

 慌てて、人差し指を鼻に当てる。

 暁は、詳細こそまだ知らないが、正義の住所氏名が変わったということは知っているのだった。

「迂闊なことを言うな!」

「ごめん」


「最上くんはいる?」

 そのとき、一人の女子が教室に入ってきた。

 その声に、正義は弾かれたようにふり返る。

 鼓動が速くなった。

 風紀委員長の沢山愛子だった。

 愛子が、正義の教室に入ってきて、しかも、最上くんと名を口にしたのだ。


 正義は平静を装い、気だるそうに手を上げた。

「俺だけど」

 愛子が隣まで来て、正義を見下ろした。

 いい匂いがして、顔がとろけそうだったが、なんとかクールを保った。

「あなたが、最上正義くんね」

「そうだけど?」


「これを見てくれる?」

 机に置かれたのは一枚の写真だった。

 壁の落書きのようだった。

 よく見ると、相合い傘に名前が書かれていて、正義、愛子とある。

 顔が熱くなった。

「これ、あなたが書いたんじゃないでしょうね?」

「ち、ちが……そんなわけないだろ」


「この学校で、正義はあなただけ。愛子は私だけなのよ。心当たりはない?」

 正義をからかうために、誰かが書いたのかもしれないと思ったが、正義の愛子への気持ちを知るのは暁しかない。

 暁がやるとは思えなかった。匿名のネットでさえ、読書感想文しか書かない男なのだ。

 それとも、知らず知らずのうち、正義が好き好きオーラを出してしまっていて、誰かに気づかれたのだろうか。

「あるわけないだろう」


 写真を返そうとしたとき、指が触れた。愛子は手を引っ込めながら怒鳴った。

「触らないでくれる!」

 正義は頭のなかで、愛子ちゃんの指つるんつるん、愛子ちゃんの指つるんつるんとくり返しながら、落ちた写真を優雅に拾い上げた。

「ほらよ。わざと触ったわけじゃねえだろ。騒ぐなよ」


 愛子はなにも言わず、すたすたと教室を出ていった。ちょっと怒った後ろ姿さえも可愛いかった。

「正義、風紀委員長に嫌われてるのか」

 暁が言った。

「なんで」

「彼女、すごい嫌そうだったからさ」

 そう言われてみると、確かにそうだった。


 愛子とはじめて話し、有頂天だった正義は、天国から地獄の気分だった。

 その日は、午後の授業がなくなり、昼で帰宅となった。

 噂によると、校長が児童ポルノを買っていたことがわかって、教師たちで対策会議をするらしかった。

 もう何を信じていいのかわからなかった。


 暁と、しばらく町をぶらついてから、家に帰った。

 暁は、人間というのは馬鹿な生き物だと呆れていた。どうして、バレたら困ることをするのだろう、と。

 確かにその通りで、正義はなにも言葉を返せなかった。バレないと思うと、ついついやってしまうのだろう。


 ファストフード店のトイレに入ったとき、卑猥な絵と、電話番号と女性の名前、値段が書いてある落書きがあった。

 こんなところに本人が書くはずがないから、たぶん、その女性に恨みを持つものか、いたずらで書かれたものだろう。

 匿名掲示板のことを以前、誰かが便所の落書きと言ったが、まさしくそうなのだと思った。


 家に帰ってからは、テレビとネットで過ごした。当然、騒ぎは全く収まっていなかった。

 というよりも、さらに拍車がかかっていた。

 続々と著名人の問題が露見し、その度、メディアは大忙しのようだった。

 司会や、コメンテーターが変更されている番組が幾つもあった。おそらく、彼らにも都合の悪いものが見つかったのだろう。


 夕食のとき、十二時間ぶりに会った義父は、五キロは痩せたような顔をしていた。

 母は不機嫌ではなかったから、書き込みがバレたわけではないようだ。バレるかもしれないという心労からだろう。

 八時頃、今朝、テレビで取りあげられていた政治家が、謝罪会見をしていた。

 他党の配信番組のチャットで、『ババア、死ね』などと、党首を罵倒していたのがバレたのだった。

 彼は、深々と髪の薄い頭を垂れていた。


 会見を見ながら、正義は何故だか物寂しい気持ちになる。

 今回の事件で、これまでの価値観が壊れてしまったような気がした。これまでなら、決して起こるはずのないことが起こっていた。


 翌朝、朝食のときには、組織的にライバル企業の商品を貶める書き込みをしていた会社の社長と役人が、永遠と思えるほどの長い時間、頭を下げ続けていた。

 混乱の極みだった。

 社会から、信用というものが消失してしまっていた。


 そして、その混乱は、二週間経っても終わらなかった。

 著名人の関わる問題行為が、次から次へと出てくるのだ。

 テレビでは毎日誰かが謝罪会見を行い、それを報じるワイドショーや、ニュース出演者の顔ぶれは、以前とは全く違うものになっていた。


 混乱がもっとも顕著だったのは政界で、例の開示による不祥事の露見で、六人の政治家が辞職に追い込まれ、与野党は互いを攻撃し合い、重要法案の審議は放置されつづけていた。


 身近なところでは、近くのアパートに住む四十代の独身男性が、十代のアイドルの悪口を書きまくっていたことがわかって、一時、ファンがそのアパートを取り囲む事件が起こった。

 隣の家の五十代のご主人は、差別発言をくり返していたことが露見し、依願退職に追い込まれた。

 正義の高校の校長は、児童ポルノの交換会に参加していたのが明るみになって辞めてしまったし、学級委員長の丸尾は、あれ以来、不登校だった。

 他にもクラスで数名、学校に来ていないものがいた。

 義父は、ついに風俗三昧がバレ、かつてレスリングチャンピオンだった母に、かなりフォールされたようだった。


 その日、いろいろと考えていたので、母が渡してくれた弁当を忘れてしまったことに、正義は学校に着いてから気づいた。

 昼は、焼きそばパンになりそうだった。


 校庭では、風紀委員長の愛子が壁への落書きに怒って、後輩の委員が小さくなっている。

 この間の、あの恥ずかしい落書きではない。新たにまた見つかったらしい。

 もともと、壁への落書きはときどきあったが、あの事件以来、増えているようだった。

 いつまた名前が出てしまうかもしれないネットより、壁に書こうという連中がいるのかもしれない。

 ファストフード店のトイレのものに似て、性的なものや、好きな相手なのか、ただ、人名が書かれているのを何度か見かけた。

 愛子の後ろ姿をずっと見ていたら、突然ふり返ったので、正義は逃げるように校庭を渡った。


 教室に行くと、今日も、鈴木が話しかけてきた。仲間だと思っているのだ。

 正義の場合、ただ、バレていないだけだというのに。

「見たかよ、これ」

 スマートフォンの画面を見せられる。

 真っ黒な背景に、真っ赤なフォントで、『本日、アップデート』と書かれていた。

「前回、やられたとこ全部、トップページがこれになってる」

「アップデートって、これ以上、なにが起こるんだ」

「俺が知るかよ。でも、本日って言うんだから、二十四時までにはわかるんじゃないか」


 昼になっても、それはわからなかった。

 無くなる前に焼きそばパンを買おうと急ぐ生徒たちのなか、二階の廊下を歩いていると、暁が隣にならんだ。

「人は馬鹿だね」

 暁は言った。

「自分が、人じゃないみたいな言い方だな」

「どうして、バレたら困るようなことをするんだろう」

 暁は、廊下の壁に書かれた小さな落書きを指さした。

 そこには、ペリーのような髪型の教頭の似顔絵が書かれている。実際の教頭の髪はふさふさだが、以前から、カツラの噂が絶えなかった。

「なんでだろうな」


「今回のことで、最も不可解だったのは、トイッターでアイドルに対して、悪口や脅迫めいたことを延々とレスしていた人物が、実は彼女の大ファンだったということだよ」

「そんなニュースもあったっけ」

「あれは本当にわからなかった」


「私、わかるような気がするわ」

 いつのまにか、後ろに風紀委員長がいたのだ。

「とにかく、好きな人に知ってほしいのよ。自分を。どんなことをしてでも」

「結果、嫌われてでも?」

 暁が訊いた。

「気づいてもらえないくらいなら、きっと、そのほうが」

 愛子にもそんな過去があるのかと思うと、正義は嫉妬を感じた。


「まさよし!」

 ふいに名を呼ばれ、正義はあたふたした。

 黒いジャージ上下という格好の母が、廊下に仁王立ちしていた。

「あなた、お弁当忘れたでしょう」

「いいよ、持ってこなくて!」

「ダメよ。お昼抜きなんて」

「いや、パン買うって!」

「パンはね。栄養偏るのよ」

 正義の胸に、弁当を押し付けてくる。

 生徒たちが、くすくすと笑いながら通りすぎていった。


「あら、暁くん、久しぶりねえ。おばさん、こんな格好で恥ずかしいわ」

 母は、暁のファンだった。

「どうも。お久しぶりです」

「こっちの可愛い子は誰なの」

「あ、えーと」

「風紀委員長をしています! 沢山愛子です!」

 正義が紹介するよりも先に頭を下げていた。同級生には見せることのない緊張した表情だった。

「あら、風紀委員長なんてかっこいいわね。おばさんの若い頃よりも、ちょっと可愛いし。まさか、暁くんの彼女?」

「違います!」

 愛子はぶるぶると頭をふった。


「そう、おばさん、ほっとしちゃった」

 ほっとする意味はわからなかった。

「暁くん、今度、また遊びに来てね」

「ありがとうございます」

「あ、そうか。あのね、暁くん、ちょっとショックなお知らせなんだけど、おばさん、すこし前に再婚してね、住所変わったの。正義に聞いてるわね」

「ええ、でも、具体的には聞いてません」

 ショックなお知らせに内心突っ込んでいたせいで、母を制止するのが遅れてしまった。

「あら。名字が変わったのは聞いてるでしょう」

「なんとなく」

「なんで、ちゃんと言わないの、あんたは。……なになに、なんで押すのよ」

 必死に退場させようとしたが、母はびくともしなかった。レスリング世界選手権連覇は伊達ではなかった。

「あのね、山田に変わったの。だから、この子は山田正義」

 母は言わなくていいことを言い残すと、大きく手をふりながら去っていった。


 途端、暁、それから周囲にいた生徒たちまでもが、一斉にスマートフォンを手に検索をはじめた。

 通りがかった鈴木も、嬉々としてフリックしていた。

 鈴木はきっと、人が堕ちていくのを見るのが、楽しくて仕方ないのだろう。

 まもなく、生徒たちはべろべろばあと囁き合い、くすくすと笑った。

 鈴木は腹を抱えて笑っていた。


 暁は、スマートフォンの画面を、愛子に見せた。

 愛子は顔を真っ赤にする。今にも、頭から湯気が立ちそうだった。

 暁がなにを見せたのか、すぐに想像がついた。べろべろばあではないほうのやつだ。

 正義は絶望し、頭を抱えた。

「おい、見ろよ」

「え、なにこれ」

「アップデートってこれか」

 そのとき、突然、生徒たちが人だかりをつくって、騒ぎだした。何事かと駆けつけた生徒たちが、更なる人だかりをつくる。


 暁が、スマートフォンの画面を、今度は正義に見せた。例の黒い画面の赤い文字が、『アップデート完了』に変わっていた。

 さっきまで、人生の春を謳歌しているようだった鈴木が、人だかりのなかから泣きながら飛びだしていった。

 割れた人垣の間から覗くと、人だかりの中心には教頭の落書きがあって、そこに鈴木の住所氏名が、新たに加えられていた。


 風紀委員の女子が走ってきて、まだ顔を赤くしている愛子に伝えた。

「大変です! 突然、壁の落書きに名前が出て、それであの、あの落書きに……」

 愛子は赤い顔をみるみる青くすると、ちらと正義を見て、また顔を赤くして廊下を走っていった。


 まもなく、窓から校庭を走っていく愛子がみえた。

 壁のところどころに生徒たちが集まっていた。

 あの相合い傘の落書きの前には、一番多くの生徒が集まっていた。

 愛子はそのなかに突っ込んでいくと、委員と二人で、必死に壁の落書きを隠そうと手をひろげる。

「なにしてんだろ」

「隠そうとしてるんだろうね」

 暁が言った。

「どうして隠すんだろう」

「そこに、彼女の名前があるからさ」


 暁が何を言っているのかわからなかった。

「ファンが大好きなアイドルに書いていたという悪口が、彼女にとっては、あの落書きだったのさ。つまり、君らは相思相愛ということだ」

 やっと気づいて、正義は顔が熱くなるのを感じた。

「しかし、人間というのはわからない生き物だな」

 暁は、窓の外を眺め微笑していた。


 その頃、国会では、一つの特別法案が、与野党の全会一致で成立した。

 今回、突然、ネットの書き込みに追記された住所氏名は、真実のものも極一部にはあったが、ほとんどは誤ったものである。

 もし、誤った情報をもとに、無辜の市民が糾弾されるような事態となれば、社会は混乱し、結果経済は衰退、女性の社会進出を阻害して、さらなる少子化にも繋がるもので、敵国のつけ入る隙ともなる。

 であるならば、今後、この件への捜査などは一切行うべきではなく、マスコミによる報道もあってはならないとして、それを定めたのであった。

 そして、法案の成立と同時に、首相は解散を宣言、国会には、万歳三唱の声が響き渡った。


(了)





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[良い点] 悪ふざけの過ぎたネタ小説は──キライじゃないです。 [気になる点] ラジオで表現できるか微妙かも。 [一言] これ「なろう」も本名バレするんでしょうね。悪夢すぎ。
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