-6 『勇者、現る』
いきなりの声に俺たちが目を向けると、そこには一人の優男が立っていた。
赤の下地に銀色の胴当て。
腰には剣、背中には鉄の盾を背負った、冒険者然とした格好の男だ。
白肌で、くっきりとした切れ長の目に泣きボクロ。肩にかかるくらいの暗めな赤髪を後ろで一つにまとめている、美男子といった風貌だった。
「貴様、暴漢ではなかろうな。女性とは尊きもの。いかなる理由があろうと、私の目が黒いうちは、女性を泣かす悪党を許しはしない!」
男はそう言って、腰にすえていた鉄剣を引き抜いて俺へと掲げてきた。
また変なのが出てきたな、と俺は内心辟易する。
「違う。俺は別に襲ってたわけじゃない」
むしろ助けたほうだ。
ミュンも首を縦に振ってくれ、男は俺の言葉を素直に信じたようだった。
大人しく剣を収める。
「そうか。私の早とちりならいいのだ。クエスト斡旋所から、この山に不穏な気配があると聞いて駆けつけてきたものでな」
「斡旋所から?」
「ああ」
なるほど、この世界にはクエスト斡旋所なんてものがあるのか。
それにしても不穏な気配とはいったい。
不思議に思っていると、ミュンが手を挙げる。
「私もそこからお話を聞きました。町の斡旋所で、強大な魔力がこの山から検知されたから誰か調査をして欲しい、と依頼しているのを耳にしたのです。それで、私の師となってくれる強い人がいるのかも、と持って私もここに来たんです」
強力な魔力。
もし俺の先ほどの攻撃のことだとするには駆けつけるのが早すぎる。
だとすればヴェーナのことだろうか。
俺を召喚した時の魔法かもしれない。
見習い魔王と自称するだけあって、彼女の能力値自体はそれなりに高いようだ。
ミュンが攻撃力も防御力もせいぜい『10』程度なのにたいして、彼女はどちらの能力値も『200』くらいはある。
その差がその程度かはわからないが、決して低いとは言えないだろう。
少なくとも俺をこの世界に召喚するだけの力があるということだ。
ちなみに現れた男は攻防ともに『100』前後である。少なくともそれなりには強いらしい。
「おい、お前魔王なんだろ。調査依頼なんてされてていいのか?」
近くでぼうっと立って――おそらく俺を襲う機会を窺っていたヴェーナにこっそりと尋ねる。
魔王だなんてそこらへんにいる存在ではない。
果たして簡単に名乗り出ていいものなのだろうか。
面倒ごとはごめんだ。できれば避けたい。
心配がる俺に、ヴェーナはあっけらかんとした顔で答える。
「別に、隠すようなことじゃないわ」
「そうなのか」
「あたしは見習いだし。それに魔王なんて意外とそこらじゅうにいるもの」
それはそれでどうなんだ。
だが、こんな何もなさそうな岩山でこうも人に出くわす理由はわかった。
「なるほどな」
「万が一大変な魔物だったら心配なので、調査の依頼まででているくらいでした」
「私はその依頼を受けて調査に来たのだよ」
ミュンの言葉に男が頷く。
「もしもその不穏な力の正体が魔王であったなら、私がこの手で討伐してやらなければならないからな!」
そう言って、男は自分の剣を天高く突き上げ、かざす。
いや、ちょっと待て。
魔王を討伐と言ったか。
男が改めて俺たちに向き直る。
「自己紹介が遅れたな。私はマルコム・アイゼン。悪を挫く、勇者としてこの世界を旅している者だ」
「ゆ、勇者だと?!」
「そうだ」
いやいや、本当に待ってくれ。
もし本当にこのマルコムという男が勇者で、魔王を倒すためにここにきたのだとしたら。ひょんなことでヴェーナが殺されでもすれば、召喚された俺もついでに死ぬってことではないか。
それはさすがにまっぴらごめんだ。
「悪を倒し、正義を貫く。それがこの私、マルコム・アイゼンである」
「わかった。わかったから」
何度も言わなくていい。
「どうするんだよ。お前の命を狙ってるらしいぞ」
ヴェーナに耳打ちしてみるが、彼女はあっけらかんとした表情で言った。
「別にいいわ。それより、私はあんたの命が欲しいのだけど」
話の途中にも関わらず、ヴェーナが死角から短刀を忍ばせていることに気付き、俺は咄嗟にそれを受け止めた。
そうだった。こいつもこいつで危ない奴なんだった。
かといって俺が彼女を殺せるわけもなく、とにかくこの状況をうまく流すことだけを考えた。
「そういや山の上の方ででかい鳴き声が聞こえたな。大きいモンスターでもいるんじゃないか」
適当に話を作ってみる。
そんなものがいるのかなどまったく不明だ。
だが思ったよりも、マルコムは素直に信じてくれた様子だった。
「なに、そうか。モンスターであれば魔王ではないな」
「そうだよ。だからもう帰っていいんじゃないか」
「いや、モンスターであるなら害獣には違いない。いつ関係のない市民が襲われるかわかったものではないからな」
マルコムは表情を険しく据え、己の腰に収めた剣へ手を宛がう。
興味を失くさせてさっさと帰らせるつもりが、逆に彼の勇者としての感情をたきつけてしまったらしい。
ああ、面倒だ。
いっそこのまま、適当な言葉を並べてこの場を離れるべきだろうか。
「うん、そうだ。そうしよう」
頭の中でぴかんと電球が付いたように納得する。
そして思いついたが吉日とばかりに、
「じゃ、じゃあ俺たちは先に山から出るよ。化け物がいたら大変だし――」
そう言って逃げ腰になろうとした時だった。
「ぐおぉぉぉぉぉ!」
激しい咆哮が俺たちの耳を劈く。
何事かと見上げると、青天に浮かんでいた太陽が何かに遮られ、俺達の足元へと影を落とした。
「ド、ドラゴンッ……!」
腰を抜かして倒れこんだミュンが震えた声を漏らす。
俺たちの頭上には、まるで天を覆うように巨大な赤い翼を広げた、猛々しい竜が佇んでいた。