-2 『愛情という爆弾』
借金を返済するまでの寝床として、酒場の主人であるピカルさんに一軒家を紹介してもらっていた。
そこは酒場のすぐ裏手にあって、彼の妹であるデリカさんが管理している場所だった。ちなみに彼女はフサフサであり、体格はいいものの、包容力のある姉御肌な女性だ。
借金まみれの俺が逃げないようにという監視の意味もあるのだろう。だが比較的安価で間借りさせてくれるのは大助かりだった。
なにしろ今は、この世界に来る前のように六畳間に俺一人住めればいいってものでもないわけで。
「あれ。なんだか甘い香りがしますよ?」
すっかり住み慣れたマイホームに戻ってくると、ミュンが小さな鼻をひょこひょこ動かして言った。
たしかに、シナモンとかバニラエッセンスとか、そういうお菓子に使うような香りがしている。
「私のバースデーケーキでも用意してくれているのかな? 半年は先だが、気の早いせっかちさん美少女も私は嫌いではないぞ」
くだらないことを呟くマルコムを無視して、俺とミュンへと顔を出した。
そこに立っていたのはヴェーナだった。料理本を片手に持ったスクーデリアと一緒に、エプロンをつけて調理している最中のようだった。
「……うげっ」
俺たちが帰ってきたことに気付き、ヴェーナは慌ててエプロンを取り外す。手に持っていた調理器具をスクーデリアに押し付け、あからさまになんでもない風に口笛を吹き始めた。
いったい何を誤魔化そうとしているのか。
いやな悪寒がするのは気のせいだろうか。
「なにやってたんだ」
つい訝しげに眉をひそめて尋ねてしまう。
俺の命を狙ってくるヴェーナのことだ。クエストを繰り返す中でも何度、あいつに攻撃をされたことか。
地下の巨大アリの巣を駆除した時には帰り際俺だけ埋められそうになったり。スライムを掴んでは投げてきて窒息させられそうになったり。
ヴェーナの悪行には油断ならない。
だから警戒してしまうのも仕方のないことだろう。
「ふふっ。ヴェーナちゃんったら、勇者様たちがいない時に私のところに来て、急に料理を教えてくれって言い出したのぉ」
「わっ! わわっ! なに言ってるのスク姉!」
スクーデリアに言われ、ヴェーナは途端に顔を赤らめた。
この二人、随分と仲がいい。
どういうわけか勇者たちグループ二人もまじえて、パーティ五人でこの家に住むようになってからしばらく。
ヴェーナはスクーデリアのことをスク姉と呼ぶほどに慕っているようだ。
スクーデリアが長女、ヴェーナが次女。
末っ子にミュンといった感じで非常に仲睦まじい。
それはともていいことだ。
ああ、そうだとも。仲睦まじいのは素晴らしきことである。
ただ問題は俺とマルコムがその中から一人ずつに殺意を向けられていることだ。
なぜ俺の命を狙ってくるヒットマンと同居しなければいけないのか!
「ヴェーナさん。お料理でしたら私もお手伝いしますよ」
「い、いいってば。ミュンは洗濯物でも片付けておいてちょうだい」
「はーい。でも、何かあればいつでも呼んでくださいね」
「あ、ありがと」
にこにこと愛想を振りまいて庭へ向かったミュンを、ヴェーナが控え目に手を振って見送る。
微笑ましい姉妹のような光景。
しかし俺は、ヴェーナをいぶかしむような鋭い目で見ていた。
「いったい何を企んでやがる」
「た、企んでなんかないわよ!」
「嘘つけ」
「嘘じゃない!」
頑なに強く言い返してくるヴェーナ。
そんな彼女を朗らかに眺めていたスクーデリアが、からかうように言った。
「ヴェーナちゃん、ミュンちゃんにお料理を任せっぱなしにしているのを気にかけてたみたい。ほら、いつもあの子が家事全部をやってくれてるでしょ? それを見て、自分にも料理ができるようにならないかって思ったらしくて」
「ちょっとスク姉ぇ!」
慌ててヴェーナがスクーデリアの口を塞ぐが、もう遅い。
その話を聞き、ふと、じんわりと目頭を熱くさせてしまっている俺がいた。
まさかあのヒットマン少女からそんな言葉が出ていたなんて。
それで、俺たちがいないうちに隠れてこっそり練習していただなんて。
「ヴェーナ……お前……」
てっきりまたろくでもないことを企んでるのかと思ってたが、まさかミュンのために頑張っていただなんて。
「悪い。俺が間違ってたよ。そうだよな、今じゃもう、俺たちは同じ釜の飯を食べる仲間だもんな。ミュンの負担を減らすために陰ながらこんな頑張ってくれてたなんて……」
思わず涙がほろろんと零れそうだ。
ああ、俺はなんと醜いのか。
せっかくのヴェーナの好意を疑ってしまっていたなんて。
「ありがとうな、ヴェーナ。俺たちのために」
「べ、別にあんたのためじゃないわよ……」
りんごのように赤らんだ丸い頬をぷいっと背け、ヴェーナは口を尖らすように言ってくる。
あれ?
なんか今日のお前、可愛くない?
まるで新婚生活を始めたばかりの新妻みたいで、もじもじと身をくねらせ、初めての手料理をふるまうことに恥ずかしくなっているような、そんなしおらしい可愛さが垣間見えてしまっている。
そう。ヴェーナだって顔は美少女。
こんな愛妻がいれば誰だって溺愛するだろうと思えるくらいには可愛いのだ。
これほどの美少女が俺の命を狙ってきているなんて、そんなのどう考えても冗談だろう。
ああ、そうだ。
今までのだって俺の勘違いだったんだ。
何故かダメージが入ってたけど、きっとドジや失敗のせいで、ヴェーナは悪くないんだ。
「スープを作ってたのか。どれ、ちょっと味見させてくれよ」
「ええっ?! イ、イヤよ。だって初めてなんだもの」
「いいじゃねえか。不味いとは言わないからさ」
「……ほんとに?」
上目遣いに窺ってくるヴェーナの破壊力たるや。
いつまでもこうであってほしい。
いや、今までは何かの見間違いだったのかもしれない。
「……は、はい」
小皿にスープをよそい、まだ躊躇いを持ちながらもヴェーナがこそっと手渡してくれる。
それを上機嫌に受け取ると、俺は一気に飲み干した。
まずかった。
いや、正確に言うと美味しいのだが、無警戒だったことがまずかった。
おそらく鶏がらのスープ。さらりとしていて飲みやすく、舌触りも良い。コンソメのような香りが鼻を抜け、その瞬間は旨みを堪能できる。
しかし問題は具。
なにやら小さな里芋のような固形物が入っていると思って噛み砕いた瞬間、俺の口の中が――爆発した。
文字通り、激しい爆発音とともに、ふさいだ口許から一瞬の明滅とくすぶった噴煙が漏れ出る。
明らかにそれは具材ではなく爆発物だった。
『ダメージ2 残りHP8』
しかも意外といいダメージ入ってるし。
「…………チッ」
かすかな舌打ちが聞こえ、俺はヴェーナを睨んで向き直った。
「おいヴェーナ! なんなんだよこれ!」
「なにって、あたしの気持ちがたっぷりこもったスープじゃない」
「殺意こめんじゃねえよ!」
「だって料理なんて初めてなんだし。うっかりってこともあるわ」
「うっかりで殺されてたまるか」
防御力がカンストしているおかげで軽微なダメージで済んだものの、他の人間なら大変な猟奇事件待ったなしだぞ。
俺の歯茎からはまだ煙が燻っているし、先ほどのスープの旨みなど一切消えて砂利のような苦味が広がっていた。
ああ、そうだった。
こいつはヴェーナだ。
俺の命を狙うヒットマン、ヴェーナだ。
一瞬でもときめいてしまった自分が情けない。
「そのスープいいわねぇ。私も勇者様に作ってあげたいから、後でレシピを教えてくれないかしらぁ」
「いいわよ。火薬ならまだあるはずだし」
「おい待てお前ら」
しれっと目の前で殺人計画を立ててるんじゃない。
当のマルコムはというと、自分の命が危機に迫っていることも知らず、美少女たちの語らいを眼福そうに眺めていたのだった。
「よきかなよきかな。女の子は尊いものだ」
「お前、食いもんには気をつけろよ」
「ん? 私は二週間前のご飯を食べてもお腹ひとつ壊したことがない。健康状態は心配無用だ」
「……そうか。それならいいんだ」
これ以上言及するのも面倒だった。