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第30話 胆嚢粘液嚢腫

今日は祝日なので10時と18時に投稿しています。

 戦の準備が着々と進んでいたけど、こっちに来て、かなり頭を悩ませる症例が現れた……


「……ラックさん。貴方は胆嚢粘液嚢腫という病気にかかっています。

 それと、甲状腺機能低下症というホルモンの病気にも、特に胆嚢粘液嚢腫に関してはすでに症状が出てしまっています。緊急の胆嚢摘出術をお勧めします」


「手術すれば大丈夫なんですよね?」


 来院したコリーに似たラックさんの病気は二種類。

 甲状腺機能低下症。文字通り甲状腺という内分泌器官、つまり体内のホルモンを産出する臓器の働きが弱く、必要なホルモン量が足りていない状態が続いている。

 そして、もう一つが胆嚢粘液嚢腫。

 肝臓の付属機関である胆嚢という臓器の内部に粘液が充満してしまい、胆嚢としての機能を発揮することが出来なくなってしまう。さらに、粘液を分泌するために、胆管という肝臓から胆汁という消化酵素を消化管へと分泌する管を閉塞させてしまう。

 この胆管の閉塞が起きると非常に危険だ。

 肝臓から消化管へと流れるはずの胆汁が肝臓へと逆流、うっ滞してしまい、肝機能を著しく低下させる。さらにはその停滞した胆汁に細菌感染などが起きれば非常に危険で致命的な状態を引き起こす。


「……万が一、胆嚢破裂などの合併症が発生した場合、手術を行っても4~7割の致死率がある」


 俺は、あえて事実をはっきりと伝える。


「さらに、ラックさんの胆嚢と胆管は内科治療でのんびりとやっている時間はない可能性が高い」


「せ、先生……俺、妻と、子供……うっ、なん、なんで俺なんだよ……」


 目頭が急速に熱くなるのをぐっとこらえる。

 

「俺を信じてもらえるか? 俺は全身全霊君を助けたい。

 たとえ危険な手術でも、やらなければいずれ致死的なことが起こる。

 手術もリスクはあっても、やらなければ助けられない。

 当たり前だが、俺は全力を尽くす。

 俺を信じてほしい!」


「先生!! 俺は、先生を信じるよ!!

 俺と、家族の未来を預けるよ!」


 ぐっと腹の底に重みを感じる。

 命に係わる処置に触れることも少なくない。

 それがさらに目の前に生活が見えている状態だと、ここまで重いのか……


「人の医者はすごいな……」


 手術準備と指示を出しながら思わず口からこぼれる。

 前の世界、ペットは家族だ。

 もちろん軽い気持ちで手術をしたり治療をしたことはない。

 それでも、患者の家族の事や、子供のことを考える機会は今よりは少なかったといえる。

 もちろん飼い主さんという別の存在はいたが、重みのベクトルが違う気がする。


「寝て醒めたら、腹は痛いかもしれないが、健康に向けての痛みだ。任せてくれ」


「先生、頼む」


「先生、夫を頼みます」


「せんせー、パパを助けてー」


「せんせー」「せんせい」「ぱぱー!」


 皆の想いが俺の肩に乗っかる。それを力へと変えていく。


「行きましょう」


 こちらにきて、最もシビアな手術、戦後の処置でもここまでハイリスクな症例はなかった。


 麻酔が効いて挿管されベッドに横たわり消毒をされている患者を見つめる。


「お腹は激しく押さないように気をつけて消毒してくれ、ドレープはつけるから優しくね」


 緊張している時こそゆっくりと丁寧に指示を出す。

 手術器具を確認しながら手順をいろいろと考える。

 胆嚢周囲の外科手術は、症例ごとに千差万別、しかも術前の評価を覆すことも少なくない。

 血液検査に異常もなく、臨床兆候もない症例が、激しい癒着を起こしていてとんでもない苦労をすることなんて珍しくない。

 胆嚢に関しては甘く見てはいけない。俺の親父からの教えの一つだ。


「それでは、胆嚢摘出術と肝臓の状態の把握のための開腹手術を開始します」


「お願いします」


「メス」


 助手がたくさんいるというのは素晴らしい。

 麻酔や周囲のことに気を配らずに手術だけに集中させてもらえる。

 メスで皮膚を開き、丁寧に皮下と腹壁を剥離して白線と言われる左右の筋肉のつなぎ目の膜をしっかりと出す。

 胆嚢をいじるときは切開創は大きくなる。

 動物の場合は人間のように腹腔鏡を用いた手術が主流ではない。

 もちろん状態がとても良い場合はその選択肢もあるかもしれない。

 しかし、ラックさんは違う。

 白線を切開して腹腔内へとアプローチする。


「危なかったな……」


 胆嚢はどす黒い色に変化してパンパンだ。

 周囲の肝臓の変性は肉眼上には少ない。

 総胆管を確認すると、著しい拡張はなく最悪の状態ではないことが示唆される。

 まずは胆嚢の切除を優先させる。


「胆嚢の上部の癒着がそこまで酷くないので先に先制結紮から入る」


 胆嚢の起始部を胆嚢の外膜を薄く剥離しながら一周させるように道を作っていく。

 この際、内膜を傷つけてしまうと内容物があふれ出てしまう。

 慎重に剥離を進めていく。

 うまく肝臓から胆嚢上皮を一枚残して剥離すれば結紮を行う。

 非吸収糸で結紮を行う。


「よし、これが出来ればだいぶ楽になる」


 この作業の間でも、視野が見やすいように臓器を抑えてくれたり、必要な道具を的確に出してくれる周りのスタッフの働きに感謝しかない。


「次に肝臓から胆嚢を剥離していく」


 肝臓は非常にもろい臓器で、普通に胆嚢を剥離すると微細な出血を大量に起こしてしまう。

 そこで、胆嚢の外壁を薄く剥離して肝臓側に残して胆嚢を剥離していく。

 こうすることで肝臓自体の組織に触れることなく胆嚢を剥がせる。

 もちろん先ほどのと一緒で内側に行き過ぎれば胆嚢を損傷して腹腔内に胆汁をばらまくことになる。

 さらに、胆嚢粘液嚢腫の胆嚢は胆嚢壁がボロボロで脆いのでさらに神経を使う。

 丁寧に丁寧に剥離をして肝臓から胆嚢をフリーにさせる。


「よし、胆嚢を切除する。膿盆ください」


 取り出した胆嚢を助手に渡す。内部の粘液は細菌培養の培地に植える。


「次に総胆管と小腸開口部の確認を行います」


 肝臓から小腸に向けての総胆管に細いカテーテルを挿入して小腸側に閉塞が無いことをしっかりと確認する。この時に肝臓内へ逆流を起こさないように細心の注意を払う。


「モニター変化があったらすぐに教えてね」


 カテーテルに手ごたえはない、そっと生理食塩水を入れていくと抵抗なく小腸内へと流れ込んでいる。


「よし、閉塞は極軽度だったみたいだ。これなら吻合は必要ないな。このまま肝臓の採材を行って確認後閉腹します」


 肝臓の一部を結紮離断で材料を回収して、全体の出欠確認、他の場所の炎症を確認する。

 特にすい臓と胆管の腸管内への開口部は同じ位置なので、丁寧に確認する。

 ここで膵炎などがあると非常に予後が悪い。


「よし、大丈夫だ。洗浄してドレーン設置して終わりにしよう」


 ドレーンというのは腹腔内にたまる漿液などをお腹の外に排出させる管だ。

 手術は必ず侵襲を伴うのでその炎症から漿液などが出ることがある。

 それを確認するために設置する。

 腹壁を丁寧に縫合して皮下組織をきちんと寄せて皮膚は皮内縫合でできる限り綺麗に仕上げる。

 

「非固着性のガーゼを当ててテープして終わり。ドレーンはガーゼで漿液を毎日確認。必要なければ早いうちに除去しよう。術後も点滴は継続して、夜にもう一度チェックしていこう。

 お疲れさまでした。家族への説明するから患者さんを入院室へ運んであげて」


「お疲れさまでした」


 マスク姿のラッテが微笑んでくれる。

 俺がこれだけ楽に手術できるのは助手であるラッテや周りのスタッフのおかげだ。

 今日の夜は何か御馳走しよう。


「ありがとうラッテ、君がいてくれてよかった」


 俺は家族の方々へと説明しにオペ室を後にする。

 手術は大成功だ。この瞬間は、何物にも代えられない。

 もちろん、予後はまだしっかりと診なければいけないが、会心の手術というのは存在する。


 家族の明るい笑顔、これがあるから頑張れるんだよね。

明日は18時に投稿いたします。

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