前編
息抜きで書いたものですが、暇潰しにでも読んで頂ければ幸いです。
2017.08.11 加筆修正。
切っ掛けは何でもない日常のひとコマ、一つ下の妹に絵本を読み聞かせていた時の事。本の内容は何処にでもあるありふれたお伽噺だけど、読み進めるうちに妙な違和感に囚われた。
これってこんな話だったっけ……と、初めて読んだ筈なのに、ザリザリと砂を噛んだような違和感に顔が歪んでしまう。お陰で僕の表情が可笑しい、と絵本の内容そっちのけで妹はケラケラ笑っていた。
遣ること成すこと違和感や既視感だらけで、その度に一つ、また一つと拾うように思い出していく。
それは『前世』の記憶だった。それも異世界で生きた人間のようだ。
ふとした事でこの世界ではまだ発見されていない知識や技術が脳裏に浮かび上がり、あちらの世界では空想の産物でしかなかった事象に驚き、風習や常識には不和感を覚える。それらを一つ一つ頭の中で整理するのが僕の日課になっていた。
そしてとある物語に関する記憶を拾った時、僕は愕然とした。
僕の名前、家族の名前、国の名前を何故か『前世』は記憶していた。異世界の事であるにも関わらず、それは奇妙な程に僕を取り巻く世界と一致している。
その記憶によれば、僕達の住むこの国は遠からず戦乱が巻き起こる。
前世がどんな人物だったのかはよく分からないが、彼はその物語を『ギャルゲー』とか『シミュレーションRPG』と呼んでいた。
物語は主人公の選択と戦いの経過次第で国王になったり、仲間たちと国を出て世界を旅したりと結末が変わるらしい。
その中で妹は将来『聖女』と呼ばれる稀有な存在になるそうで、ルート次第では主人公と結ばれる。
しかし僕の最期はどのルートでも変わらない。何故なら僕は聖女の存在を利用して反乱を起こし、それを主人公が鎮圧することで妹がパーティに合流するからだ。
今の僕には到底信じられないが、物語の僕は何もかもが疎ましく、あの無邪気な妹をも憎悪していたらしい。
ありえない。何かの間違いだ――そう否定しようとしても、成長と共に浮かび上がる既視感はまるでパズルのピースを嵌めるように物語へ続く道筋を埋めてゆく。
六歳の時、両親が激しく口論していたのを聞いた。
我が家は侯爵という高位貴族で、家督は長男が継ぐのが定例だ。僕には側室が産んだ腹違いの兄が居り、正妻である母は僕に侯爵を継がせたいが為に兄を廃嫡しろと詰っているようだった。
母の要求を父は頑として聞き入れず夫婦間の空気は悪くなり、僕と兄も疎遠になっていく。例の反乱の火種を自覚した瞬間だった。
八歳の時、婚約者だという女の子を紹介された。
紫色の髪が緩やかに波打つ、整った顔立ちの綺麗な子。眦がややつり上がった目は僕を見定めるようにじっと見つめ、可愛げよりも気の強そうな印象が際立っていた。
物語では僕を真っ先に裏切って主人公のハーレムメンバーに加わっていたのを思い出してしまい、なんか白けた。
九歳の時、妹が聖女の資質を見出された。
本来ならば国外の大神殿に引き取られる筈だったのだが、両親と妹が激しく抵抗したので領内の神殿に通って修練を行うことになった。その経緯も記憶にある通りだった。
そして十歳。僕は物語が始まる前に退場することを決断した。
「ふーむ……中々どうして、良い出来ですなぁ」
「お世辞はいいよ。所詮、素人の手習いさ。家族でもなければ貴族のご令嬢サマに贈る品としてはありえないよ」
「世辞なんざ苦手だってのは坊が一番ご存知でしょうが」
馬車の対面に座る巨漢、専属護衛のロックが苦笑いを浮かべながら小ぶりなブレスレットをこちらへ寄越す。
少し大きめの蒼玉と小さな閃亜鉛鉱を嵌め込んだ銀の台座を鎖で連ねたシンプルなブレスレット、僕の手作りだ。
以前、紫水晶をあしらった自作のチョーカーを婚約者殿に贈ったところ、妹のセラフィーナが羨ましがったので新しく作って誕生日にプレゼントすると約束したのだ。
習い事や修練の合間に作っていたものだけど、子供の工作にしては結構作り込んでいる方じゃないかなと自分では思っている。
でも婚約者殿は表情も変えずつまらなそうに見ていたので、そのクオリティは推して知るべしってところ。自分的にはそれまで作った中では一番の出来だっただけにちょい凹んだ。
……今更だけど、アレを貴族の令嬢に贈ったって事実が恥ずかしくなってきた。取り消したい、あの時に戻れるものなら思い留まれと自分を諭したい。
今日は剣術の師匠を訪ねるべく東の山間を進んでいる。
我が侯爵家は東の大森林と国を隔てる山地と裾野を治めており、主な産業は鉱業と林業だ。それだけに山と領都を繋ぐ街道は十分整備されている。ブレスレットに使用している蒼玉はこの鉱山の一つから産出されたもの、侯爵領の特産品の一つだ。
衛兵も定期的に巡回しており、山賊などが住み着こうものなら訓練よろしく速やかに討伐されるため、治安は国内でも比較的良い部類に入るそうだ。だから僕の護衛もロックの他には馬に乗った一人くらいで行き来できる。
「ま~正直に申し上げれば、儂ぁ女物の良し悪しはよう分からんのですな」
「そんなことだろうと思ったよ」
「ともかく。こういう贈り物は出来よりも篭められた真心が大事ゆえ、自信を持たれよ」
「……そうだね」
がっはっは、と豪快に笑う大男からブレスレットを受け取った僕は、口の端が釣り上がるのを自覚する。それに気づいたロックは「いけませんなぁ」と苦笑を浮かべた。
「そういう表情をするにゃあ、坊はまだ幼ない」
「自分じゃどんな顔してるのか分からないんだけど」
「疲れきった旦那にそっくりと言ったら分かりますかな?」
「それは、嫌かな」
脳裏に浮かんだのは書斎で一人、酒をちびちび飲んでいる父の姿だ。哀愁漂うその姿は前世の記憶でも苦いものと重なってしまうのであまり思い出したくない。
前世の自分が経験してきた挫折や世間の世知辛さを追体験してきたせいか、十歳にしては達観しているというか、おっさんじみているのは自覚している。でも正真正銘の草臥れたおっさんである父にそっくりとは納得がいかない。
そう言うロックも見掛けと口調がおっさんだけど、実は二十半ばの若武者だ。せめて髭を剃れば年齢相応に近付けるのに、全く聞き入れやしない。
ブレスレットを小さな化粧箱に収めて懐へ仕舞おうとしたその時――凄まじい衝撃に突き上げられ、強烈な重圧が全身に瞬時に圧し掛かった。
高圧縮されたエネルギーが一気に解き放たれたような爆発音と空気を切り裂く雷鳴の如き破裂音が辺りに轟き、尻を押し付けた座席から、いや馬車全体が破滅的な軋みを上げる。
重圧はある瞬間から浮遊感へと転じた。
悲鳴も呻きも上げられない僕を剛腕で抱えたロックがキャビンのドアを蹴破る。と、そこにある筈の森深い景色は無く、目が映すのは抜けるような青い空。
ロックは勢いを殺さず、一瞬の逡巡も無くステップを踏み越えて外へと飛び出す。
僕達が乗っていた馬車は四方八方へ破片をばら撒きながら宙を飛んでいた。爆発をモロに受けた車輪はへしゃげて原型を留めず、吹き飛ばされた無数の石礫が木製の車体を叩き、穿って破壊する。御者は前方へ放り出され、ハーネスに拘束された馬は衝撃と石礫になす術なく蹂躙されながら落下していく。
もう一人の護衛は欄干を乗り越えた先を、全身がズタボロになった馬と共に血を撒き散らしながら放り出されていった。
前述した通り、この街道は整備が行き届いている。橋も重量級の荷馬車が通れるよう幅が広く、山間の急流にも耐えられるよう頑丈な石橋が掛けられている。
その頑丈なはずの橋桁には今、大型馬車も飲み込めそうな大穴が開いていた。
「なんとォ――――ッ!」
ロックは目一杯腕を伸ばし、穴の縁から飛び出た石材を片手で掴んで辛うじて落下を免れた。
しかし馬車の破片や爆発で撒き上げられた瓦礫が僕達に襲い掛かる。しっかり抱え込まれた僕だったが肩に背中にと強い衝撃が幾つもぶつかり、ずるりずるりと落ちていく。
降り注ぐ瓦礫の雨を全身に受けたロックはぶら下がるだけで精一杯のようで、ずり落ちる僕を留める事ができない。多大な水飛沫と破砕音を上げて馬車と石橋の残骸が急流に飲み込まれた頃、僕はロックの脚にしがみついた格好でぶら下がっていた。
「坊!」
上からロックが呼び掛けてくるが、引き上げるような力は残っていないだろう。こちらへ伸ばされる手からは血が筋を作って垂れ落ちている。
それでも無理を押して僕を引き上げれば、彼は力尽きて川に飲み込まれるに違いない。川幅は然程ではないがとにかく流れが速く、ここらで水運を営む者たちからは深みで転落すればほぼ助からないと聞いている。
ましてやロックはそれなりに重い装備を身に着けている。落ちればまず助かるまい。
対して僕はどうだ? 剣術の訓練のために動きやすい服装を選んではいるが、やはり泳げる格好ではない。やっぱり落ちたら命はないだろう。
ではどうする? 道理的には主人の息子である僕の命を優先するのが護衛たるロックの役目。僕がなんとしても生き延びねば、彼の立つ瀬は無くなってしまう。だが――。
「ロック、僕の代わりに生き延びろ」
――僕は敢えて彼が生き残る道を選んだ。
「は? 何を言っておるか!」
「このままじゃ力尽きて共倒れになる。それはお前が一番分かっている事だろう?」
「馬鹿な事を! いいからさっさと儂の身体をよじ登れいッ!」
「聞けッ! もう時間が無い!」
僕の勢いに呑まれたのか、ロックはギリッと歯を軋ませながらも黙ってくれた。
「この爆破は僕を狙ったものだ。でも生死はどちらでも良い」
「どちらでも良い、とは?」
「僕が生きて帰れば事件の糸を引いているのは兄上だと、兄上には僕が関与を疑っていると唆して兄弟の仲違いを決定的なものにする。死んだ場合は母上とクロスベリルのお爺様を焚き付けて兄上との対立を煽る。これはそういう策なんだ」
ついさっき思い出したんだ。物語の僕が有象無象にすら憎悪を撒き散らすようになる切っ掛けを。
正に今みたいに命を狙われる事件が多発し始めるのだ。
そして護衛をはじめ気心の知れた人々を犠牲にしながら命を拾う度、ある人物から囁かれる。
誰が僕の命を狙っているのか、と。
どうすれば安寧を手に入れられるのか、と。
思い返せば、その兆候はもう既に起こっていた。具体的には妹が聖女認定されて間もなく、あの男は僕に兄上の動向を何くれなく伝わるよう仕向けていた。四年前に聞いたあの夫婦喧嘩、アレもあいつが母を焚き付けたのだろう。
今回の手口は土系の魔術を橋桁に仕込み、馬車に何か符号のようなものを埋め込んでそれが上を通ったら爆発するような仕掛けがされていたのだろう。
だけど橋には大抵保護や補強の術式が施されている。巡回兵も居るので、悠長に保護術式を解除して地雷を施すような余裕は普通に考えれば無い。だからこそあの男の仕業でなければ説明がつかない。
「首謀者はザリエル・ガンスレイ、奴の狙いは王族を殺してを国を奪い取ることだ」
「ザリエル、家宰のザリエルか!? 彼奴はもう五十前のおっさんではないか!」
「おっさんになっても野心はあるんだよ!」
確か遠縁ながら王族の血を引いているだか、そんな設定があった筈だ。自分に流れる青い血に歪んだ執着を抱き続けていて、どうすれば玉座を『奪還』出来るのかと幼少の頃から妄想していたらしい。
そのための足掛かりとして王都から離れた東の辺境に座し、国内有数の勢力基盤を持つ我が侯爵家に目を付けた。
使用人として入り込み地盤を固めて家宰にまで上り詰め、状況を作り上げて当主に謀反を唆す。そして挙兵した後に頃合を見て、当主の座を掻っ攫う腹積もりだったのだろう。そして物語の僕はものの見事に踊らされた。
僕が斃れた後、奴は表舞台に姿を現す。
味方面して主人公率いる義勇軍に接近するや聖女を拐い、彼女を旗頭に掲げて反乱軍残党を糾合すると王都へ攻め入るのだ。
設定資料集が発売されると侯爵家のバックストーリーが明らかになり、『義理ZERO』だの『吐き気を催す驚きの黒さ』だのと呼び親しまれ、中盤から終盤へのターニングポイントを担う要というインパクトも手伝って登場人物中でも絶大な人気を誇っていた。ちなみに前世の僕は『這い寄るロリコン』という渾名を気に入っていたようだが、至極どうでもいい。
「奴はセラフィーナの身柄を欲している。アイツは僕と兄上を殺して妹を娶り、侯爵家を乗っ取るつもりだ」
「然様な戯けた縁組、旦那も奥方も許す筈がないではないかッ」
「普通ならね。でも呪術や薬で操れば不可能じゃない」
言葉を詰まらせたロックの苦々しい顔を見上げ、僕は仕舞い損ねていた化粧箱をこちらへ伸ばされている彼の手に掴ませた。
「坊!?」
「僕に代わって生き延びて、セラを守れ」
「ふざけるでないッ! 妹を守るは兄の役目であろうが、貴様がやれぃ!」
「奴は狡猾で用意周到だ。僕が生き残ればどう足掻こうと駒として使われて、最後は結局殺される。年季が違うんだ、躱し切れる気がしない。でもロックなら、奴の警戒の範疇から外れるお前ならやれるだろう? ……これは頼み事じゃない、命令だ。抗命は許さない」
命令を強調するとロックは絶句し、また歯をギリリっと軋ませる。
「もうすぐザリエルの子飼いが僕の生死を確認しに来る筈だ。こいつらは全員殺せ、顔見知りがいても躊躇するな。一人でも逃して奴の耳に入れば、成す術はほぼ無くなる」
「何……?」
「この場を逃れたら侯爵家へは戻らず、クロスベリルのお爺様を訪ねろ。そして指示を仰げ。常に奴の先手打ち続けるんだ、いいな!」
握力が限界に達した僕の手はロックを離れ、身体は川へ落下していく。
ロックが化粧箱を握った手を伸ばしてくるが、届く距離じゃない。よしんば届いたとしても二人共に落ちるだけだ。
だけど、これでいい。
本来なら奴の隠れ蓑にされるだけで終わる僕だ、出来ることなんて高が知れている。
でも一手は打てた。これが無駄に終わるのか、それともバタフライ効果でも発揮して引っ掻き回してくれるのかはもう確認する術はないけど、何もしないよりはマシだったと思いたい。
満足には程遠いけど、微かな達成感に口の端が釣り上がる。
水面に叩き付けられ、瓦礫と共に急流に飲まれた僕はあっという間に溺れて意識も飲み込まれる。
こうしてウェルトリア侯爵次男、シリル・ロジャーズの短い生涯は幕を閉じた。
――――筈だった。
普通死ぬと思うじゃない?
恥ずかしながら生き延びちゃいました。
いや、実際殆ど死んでたらしいんだけどね? 何故かベストを尽くしちゃって助けてしまった人が居たのよね。見ず知らずの子供なのに、モノ好きだよねぇ。
でも代償は大きかった。
さっきも言ったけど殆ど死んでいたものだから、生命を繋ぐ為には色々と補う必要があったワケ。
その結果、どうなったかと言うと……。
「おはようムツキ、今日もいい乳だな。結婚しよう」
「おはようライナス、今日もあんたの頭は快晴のようね。死ぬがよい」
……女になってしまいました。
無駄に爽やかな笑顔で玄関口に立つ色黒イケメンへ向けて手持ちの工具でレーザーを放つが、野郎はヒラヒラと華麗に舞うように避けやがる。
ああ、睦月っていうのは前世の名前。シリルはあからさまに男性名だし、今の姿にはどうしてもそぐわないから改名したの。
前世が男女どちらでも通じる名前で良かったよ……まぁ、こっちで日本名なんて聞いたことないから、太郎でも一郎でも文句をつける人は居なかっただろうけどね。
「朝から騒がしいわねぇ。あらライナス、今日もムツキに求婚? 懲りないわねー」
「おはようメリッサ。ムツキへのセクハ、もとい求愛は俺の大事な日課だからな」
「おいてめぇ、今なんて言いかけた?」
放つレーザーを追加しても馬鹿は涼しい顔で避けまくる。そのうち野郎はアップライトスピンやらビールマンスピンを交え始めた。
完全におちょくられている。許すまじ。
「程々にしておかないと嫌われるわよ」
「安心して姉さん、最初から嫌いだから」
「はっはっは、照れ屋さんだなぁ」
「あんた……はぁ、もういいや」
こんな馬鹿野郎でも一応は恩人だ。何せこの野郎が川原に打ち上げられていた僕を発見し、この村まで運んでくれたのだから。
だが全身打撲の上に四肢は千切れかけて呼吸も怪しい、と何故こんな死体一歩手前を助けようなどと思ったのか分からない。
僕は姉さんことメリッサの研究所へ運び込まれたが、前述の通り身体の殆どが死んでいたため通常の手段での治療ははっきりいって不可能だった。
そこで施されたのが融合再生治療。別の生命体の組織を強引に融合させて欠損を補い、元の身体と馴染ませるという画期的な治療法だ。しかし生体融合技術という禁忌に抵触するため、世間に知れれば異端審問官が大張り切りでやってくるだろう事は想像に難くない。その際、僕がどのような扱いを受けるかは推して知るべし。
融合に使用されたのは生成中のホムンクルス、魔法生物の技術を応用した人造人間だ。
その素体はメリッサの卵子及び体組織から生成されたため容姿は彼女にそっくりで、性別は女性。元々は研究所で働かせる助手として作っていたらしい。
ホムンクルスに僕の身体を被せるような形で融合させたそうだが、ほぼ死んでいた身体は逆にホムンクルスに吸収されてしまった。結果、メリッサをベースに僕の面影が若干移った少女の『私』が誕生したという訳だ。
蘇生に成功した私はメリッサの妹として、魔境と名高い大森林深奥部の縁にひっそり存在するダークエルフの郷に迎え入れられた。
そう、人間ではなくダークエルフ。
倫理? 常識? ナニソレオイシイノ? を地で行くマッドでエキセントリックでハートフルな種族だ。人命救助とはいえ禁忌の業を一寸の躊躇いもなく施すメリッサの倫理観がこの郷では最も常識的と言えば、どれだけデンジャラスな連中か分かろうというもの。
人間とダークエルフベースのホムンクルスのキメラという珍妙な生物に生まれ変わった私は、郷のマッド共の興味をそそる研究対象だったようで身体の隅から隅、奥の奥まで徹底的に調べ尽くされてしまった。
あの時の恥辱たるや、思い出そうとするだけで心胆から震え上がる。解剖しようとか平然と言うな。
「卸す分はもう出来たの?」
「これが出来たら終わりだけど、馬鹿に邪魔されてる」
「酷い言い掛かりだ。俺はただ、郷一番の巨乳を愛でに来ただけだというのに」
「さっさと帰れ変態」
ギロっと睨みつけてやるが、セクハラ野郎は怯みもしねぇ。
人生の大転換から六年が経ち、幼かった私もそれなりに成長した。
滑らかな褐色肌は肉感を強調し、水に濡れると艶めかしく輝く。作業中は汗塗れになるもので、今も全身ぐっしょり濡れている。
成長したこの身体は無駄にボンキュッボンなセクシーダイナマイツなので、さぞ艶っぽいことだろう。特に胸周りはみるみる膨らんで、今や並ぶものなしの立派な駄肉となり果てた。動きにくいし視界が遮られるし、忌々しいことこの上ない。
作業台には金の薄板が固定されている。
その上に貼り付けた型紙に沿ってピックでなぞり、先端から極細レーザーを発射して金板に線を刻んでいく。雑にやると熱で金が溶け流れて変形しまうので、点描するように細かく慎重に。
そうして表面に幾何学模様が描かれた薄板を確認し、新しい薄板に交換して固定する。貼り付けた型紙には先程とは意匠の異なる模様が描かれており、それをなぞってまたレーザーで線を刻む。
「かーっ、相変わらず細かいねぇ。目、痛くなんないの?」
「ならない。昔から得意だし、こういうの」
後ろから覗き込んでくるライナスにぶっきらぼうに応えつつ、目は作業台から外さない。妖精族はとにかく視力が優れており、細かい模様や小さな文字もルーペ要らずではっきり見える。
更に手先も非常に器用で、細工物はお手の物なのだ。ルーペで拡大した小さなパーツとにらめっこをしていた幼い頃の自分が見たら、何だそのチートふざけんな! と拗ねていたかもしれない。もしかしたら怒り狂っていたかも。
五歳で未来を知って以降、破滅を回避する方法を探して色々と足掻いた。
あの未来から逃れる最も手っ取り早い方法は、『僕』が貴族籍を捨てて出奔することだ。でも後ろ盾を失った世間知らずのお坊ちゃんが裸一貫で生き抜くには世間の荒波は非常に厳しい。だからどの道でならやっていけるのかを考えた。
物語では中盤以降に出てくる指揮官ユニットでそれなりに高いスペックを持っていたから、腕っ節は全くダメということはないと思う。でも気性的に荒事は苦手だし、下手に名が通って何処ぞに仕官することになったらそれはそれで面倒なのでこの道は早い段階で捨てた。
同じ理由で文官や行政官のような道も無し。前世知識を活かした商売や農業には惹かれるものがあったけど、下手に実績を出してしまったら折角降りた家督レースに逆戻りさせられる可能性が出てきてしまう。
なお、謀略家とガチでやりあうという道は最初に捨てた。先代から仕えて長い期間を掛けてじっくり準備を進め、領内に勢力を浸透させた奴の基盤がどれほどのものか全く見当がつかない。余程の鬼札でも入手せねば盤上をひっくり返すのは侯爵である父でも困難だろう。つまりしがない次男坊では手も足も出ないということだ。
他に貴族教育や前世知識が活かせる職業は何かということで教師や料理人など試行錯誤した結果、相性が良かったのが細工師というなんとも地味な職人の道だった。
中でも物に魔術的な仕掛けを組み込む術式付与が面白くてハマった。侯爵家に居る時も入門書を読み込み、独学で色々と実験していた。
そして現在、怪しい魔導装置を数多く自作しているメリッサ姉さんに師事し、アクセサリ型の護符術具を製作して行商人に卸す仕事をしている。前世の知識を引き出せば図柄や意匠など、ネタに困ることは無い。
他人の褌? 遠慮無く使い倒しますが何か?
一番近い人里まで半月近く掛かるというド田舎なので購入した客の反応は見えないが、商人の話ではそこそこの評判を得ているらしい。
今作っているのはバングルに組み込む障壁術式で、小さな光の盾を任意の場所に出現させることが出来る。術式陣を刻んだ金板を重ねて立層式で実装しているので中々の強度を持っており、いざとなったら障壁でぶん殴るのも良しという攻防一体の自信作だ。
「ところで俺が来る度に毎回その格好ってことは、誘ってると思っていいよな?」
「良いわけないし! これ、ただの仕事着だし!」
今の私はチューブトップにショートパンツと思いっきり軽装だ。淡く輝くブロンドは頭巾で簡単に纏め、強い光と飛散物から目を守るために遮光ゴーグルを着用。手には火傷や切り傷防止のための木綿のグローブを嵌め、足元は尖った物を踏んでも怪我をしないよう厚底のサンダルを履いている。
なんでこんなに肌の露出が多いかというと、暑いのだ。
今、術式陣を刻むのに使っているこのレーザーピックしかり、細工に使う工具は作動させるのに魔力を使う。加えて術式を刻む作業は、描いた陣と呪文にも魔力を注がなければならない。
魔力を使うと体温が上がる。長時間、集中して使っていればそりゃもう暑くて堪らない。発熱量は魔力の総量に比例するそうで、姉さんが作業をする時は殆ど裸だ。私のベースだけあって姉さんも中々にダイナマイツな美女なので目の置き所に困る。
頓珍漢な事をほざくセクハラ野郎に怒鳴りつけ、至近距離からレーザー発射! しかしこれも避けられて、天井に小さな焦げ跡が付いた。
「あら、天井が焦げてしまったわねぇ」
「ちょっ、今の私が悪いの!?」
「大事な仕事道具で遊ぶのは感心しないわねー」
「遊んでないし! もーっ! 邪魔すんなら帰れバカー!」
ニヤニヤ笑っているボケナスを作業場から追い出し、私は作業を再開した。
ダークエルフってなんかエロいですよね。