93:瞳に映した青き空
風が穏やかに吹き抜ける。
数分前までの闘いをつゆも知らぬかのように。または二人の心を冷ますかのように……。
「オレがデンテール様に初めて会ったのは、『レッドキャップ』が『田島弘之』を壊滅させたあの日……。キースは邪魔な要素であるオレを、とある任務に向かわせた。仲間を五人連れて、人を殺す武器を持たせて、だ……。それはフーレンツにある、とある道場で、多くの優秀なボディガード、賞金稼ぎなどを輩出するその道場は、『レッドキャップ』にとって障害でしかなかった……、といっても、それほど大きな存在ではなかったのだが、道場の焼き討ち、および道場主とその家族、門下生全員を討ち滅ぼすことが、その内容だった……」
大林は怒りを耐えつつ、その話に耳を傾けていた。
キースの残虐性は、窪井の言う通り人としての心など皆無だ。
そんな組織に、命を狙われていることなど、誰が思うものか。まして小さな不良集団のリーダーに、止められる相手ではなかったのだ。
田島は『レッドキャップ』が攻めてくると知ったその瞬間から、子分達の盾として死ぬ覚悟を決めていたのだ。
「……正直オレは、何もできなかった……。仲間が標的を斬り殺していくその中で、オレはつっ立っているだけしかできなかった……。感じたことのない恐怖だった。とても、恐ろし光景だったんだ……」
そこまで話をして、窪井は苦しみにうめいた。
魔力が体を蝕む中、話を続ける。大林に、かつての友へ、彼が伝えるべきことがあるからだ。
「……そんなとき、その場所に現れた男がいた。それが、デンテール。……ほんの一瞬の出来事だった。オレ以外の仲間全員が、たった一人に蹴散らされ、倒れた」
「たった一人だと……?」
「それは人を超越していた。頭がどうかしてるのかと思って……、オレはその場から逃げるしかなかった……」
「そして、『田島弘之』のことを知った……?」
「そうだ……。そして、数週間後、『レッドキャップ』は壊滅した……」
微かに、大林へ笑みを放つ窪井。彼に「ありがとう」とでも言うかのように。
「……デンテール様と再び会ったのは、その日のことだ。彼は自ら、オレの前に姿を現した。そしてオレに手を差し伸べて言った。『オレの仲間になれ』と……。オレは圧倒されたんだ、その人の強い眼差しに。そのときオレは、新たな“高み”を見つけた」
「“高み”か……。それは、田島さんを越えるものだったのか?」
「…………」
窪井はギッと歯を擦り、また涙した。
「田島さんを越える者など、いるわけがない……! あの人は、オレ達の恩人だぞ……! オレはすべてを失っていたんだ。師も友も、居場所も……」
「だから、デンテールの仲間になり、『レッドキャップ』を引き継いだのか?」
「…………」
窪井はうなずいた。
「……オレには仲間が必要だったのかもしれない。オレが欲しかったのは、力だ。お前達との絆を振り切って、“高み”を目指すための力が欲しかった……」
「それで手に入れた力が、それか」
「デンテール様の力は、何もその強さだけではなかった。オレ達が見たこともないような技術、そしてあの人の頭脳、すべてに圧倒されていた。これ以上の“高み”はないと思ったよ……」
そして窪井はまた苦しげなうめきを上げる。
「はぁ……、はぁ……、もう、そう持たねぇな……。まだ、話したいことはたくさんある、が……」
「…………」
大林は窪井から目を逸らして拳を握りしめた。
「すまない……、ケン……」
「……大林……、いや……、また昔のように……、『タカ』と呼ばせてくれ……」
「…………」
唇を震わせてうなずく大林。床に一滴、二滴……、涙が落ちる。
大林は膝から崩れてしまいそうになった。
自分の選択が間違っていたことに、はじめてはっきりと気付いた。――しかし、すでに遅い……。一番大切だったはずの親友は今、目の前でその命を終わらせようとしている。自分がそう願っていたから……。
「……自分を責めるな……、タカ……。この道を選んだのは、他でもなく、オレなんだよ……」
「…………」
「黒き魔物が“高み”で目にしたのは……、自分の理想などとは遠く、切ない世界だった……。自分自身も、真っ赤に染められていたんだ……。自分の周りのすべてが壊れていくことに、オレは気付いていた……。だから誰かに―― お前に止めてほしかったのかもしれない……」
「オレがもっと強い男だったなら……! 田島さんのように強ければ……、復讐なんて選択はしなかったはず……っ!」
「……タカ、それは違う……。お前がこうしなければ、オレは止まらなかっただろう……。お前やお前の仲間も、すべてを壊していたと思う……。だがオレはもう……」
窪井は目を閉じてほほ笑んだ。固まっていた精神が軽くなったように。
「……オレはお前を守らなければならなかったのに……っ! 親友だったのに……」
「……親友、か……」
窪井は目を開き、その瞳に青い空を映した。瞳の中に宿すように、この世界の最期の景色を……。
「あの世で……、田島さんに会えるかな……?」
「…………」
「タカ……、仲間を連れて、すぐに逃げろ……。オレが死ぬとこの基地は爆破されるようになっている……。お願いだ……。その前に逃げてくれ……」
窪井は目を開いていたが、もうその瞳は何も映していない。
それでも言葉だけは強く、大林にこう言った。
「精いっぱい、生きてくれ」
それから窪井は、笑顔のまま、まぶたを閉じた。
「ケン……」
大林の言葉が、窪井の名が、静けさの中に溶けて消えた。
大林は一度息を吐き、空を見た。
とても美しく、青く輝いていた。
「青空か……。お前らしい空だ」
大林は微笑した。
『警告。――爆破装置が作動しました。この建物から退避してください』
機械の女の声が、基地中に響き渡る。
「大林さん!」
ハルトキの声に、大林は振り向いた。
「無事でよかったよ、ハル、みんな」
階段で屋上まで駆け付けた仲間達へ、大林は笑顔を向けた。
ハルトキは涙を目に浮かべていたが、彼のいつもの、無事な姿を見て目を拭った。そして安堵の顔を見せる。
「決着がついたようだな」
グラソンが壁にもたれて息絶えている窪井に目をやる。それから、大林へ視線を向けると、じっと彼の顔を見据える。
笑顔の中にある悲しみを見透かされているようで、大林は顔を逸らした。
窪井の死に顔に、誰もが疑問を感じている。
――窪井のことは、あとでみんなに話さなければならないと、大林は思った。彼が悪党のままこの闘いを終わりにするのは、とても耐えられないから。
「さてと……、それじゃ、脱出するわけだけど……」
エンドーがグラソンと宗萱を見る。
「ここは屋上です。どうやって基地を出ますか?」
「……確実な脱出口は、もとのテレポート装置なのだが……」
「その前に爆発しちゃうと思うけど!」
マハエの言葉に、グラソンは腕を組んで考える。
「警告のあと、SAAPに基地内に残っている手下達の誘導を任せたのだが、やつらなら最短の脱出口を知っているだろう」
どちらにしろ、まずはこの屋上から階下へ向かうのが先決。
――そのとき、どこかからプロペラの轟音が聞こえてきた。
それは彼らの真下から――
屋上に風が押し寄せる。
真下から姿を現した巨大飛行船。格納してあった飛行船を、誰かが操縦しているのだ。
飛行船はゆっくりと上昇して、シラタチ一行の真上で止まった。
『恐えぇぇ!!! しっかり操りたまえよ、ゴトー君! さっき壁に衝突するところだったじゃないか!』
『うるさいなぁ、こんなもの、動かしたことないんだからさ』
聞き覚えのある二人の声が、外部スピーカーから響き渡る。
『おいシラタチ! 乗れ! 今はしごを降ろす!』
ゴトーが言うと、開きっぱなしの貨物室の搬入口から、ツッキーが顔をのぞかせて、縄はしごを放った。
「あいつら……!」
エンドーと、マハエ、ハルトキは飛行船へ向かって笑いかけた。
目の前に縄梯子が降りると、エンドーとマハエが手を伸ばし、先に登った。グラソンは宗萱へ、先に行くように顔で言って、窪井へ向かって立ちつくしている大林のとなりに立ち、彼も窪井の顔を見た。
「苦しいのか?」
大林へ、声をかける。
「……いや、もう、こいつに弱いところは見せない」
「そうか……」
上から宗萱の声が降る。
「ああ、すぐに行く!」
そう言って、グラソンはもう一度窪井を見て、言う。
「オレも、わかったことがある」
「……何を?」
「親友を失うということがどれほど恐いのか。失うと、どれほど悲しいか……」
グラソンの脳裏に、セレーネの最期の顔が浮かんだ。――窪井と同じように、笑っている顔が。
「初めて、自分の心というものを知った気がする」
「…………」
大林の肩に手を置くグラソン。
「行くぞ。お前を待ってるやつらがたくさんいるだろ」
「ああ」
グラソンの後から、大林もはしごへ向かう。――はしごの前で立ち止まると、もう一度、窪井へ顔を向けた。
「オレは生きるよ、お前や、田島さんの分まで……」
自身も、その言葉を胸に込めた。