87:バケモノの強化
大林の渾身の拳が、窪井へ放たれた。
窪井は身をそらせて拳を回避。ぎりぎりをかすめたその攻撃の重さに、窪井は一瞬たじろいだ。
今までの中途半端な攻撃とは違う。ケンカなどとは比べ物にならないパワー。
窪井は拳から大林へ目をもどし、すかさず反撃に移る。大林の側面から、頭部へ手刀を打つ。だが大林はそれを腕で止めた。
「それでも本気か、窪井、オレを殺すには、到底力不足だ」
「……そう思うか?」
大林は右ストレートを窪井にかわされた直後、左腕で攻撃を防いでいる。
窪井の強烈なひざ蹴りを避けられる態勢ではない。
――膝を脇腹にくらった大林は、床で一度転がり、足を踏み込んでとどまった。その状態から蹴り出し、窪井へ跳ぶ。それから大きな振りで回し蹴りを繰り出した。
窪井は後退してかわし、スキのできた大林へかかとを振り上げる。スピードは人としての限界点だろう。しかし落とされたかかとを大林は両腕で受け止め、その足を掴んで背中から床に転がり、自らの片足を窪井の腹に上げて、それを軸にして投げ飛ばす。
窪井は床を転がって即座に態勢をなおすが、彼の目の前に大林はいない。
投げ飛ばした勢いを利用し、窪井が起き上がる前に大林は立ち上がり、すでに窪井の頭上へ舞い上がっていた。
落下の勢いで窪井に両足の蹴りを食らわし、着地。しかし休む間もなく、転倒した窪井へかかとを落とす。その攻撃を窪井は倒れたままの蹴りではじき、間髪入れず起き上がると身体の回転を加えた拳を大林の側頭部に叩きこんだ。
大林は力なく床を滑って、機械の残骸に背中を打ちつけた。
「…………」
ぼやける視界の中、大林は追撃に移るはずの窪井を探した。しかし窪井は変わらぬ場所に立ったまま、動かない。
「……『威嚇』、『威力』、『意表性』、だったな」
くちびるの血を手で拭いとって、窪井は言う。
「田島流。窪井、お前との闘いでは、できるだけ意識しないよう心がけていたが」
大林も頭の血を拭った。
「本来は“ケンカ”のための闘い方だからな」
視界も回復し、大林はまっすぐ窪井を見る。
「しかしオレは、『田島』としてお前と闘うことに決めた。それが、“人”としての大林鷹光だから」
「……ならばオレも、窪井賢という『田島』を抜けた“人”として、この決着がつくまで闘い抜こう」
窪井は拳を構え、大林は足元に力を込めた。
先に大林が間合いを詰める。
窪井はその場を動かず、接近した大林へストレートを放つ。大林は首を動かして拳を回避し、勢いを弱めずに窪井の首元を掴み、腕の力で押し倒す。窪井は大林の力に乗り、その場で宙返り。首を掴む手を振りほどき、姿勢を落として足払いを掛けた。だが大林は前方へ跳んで両腕を軸に床を一回転し、床で向きを変えるとふたたび窪井との間合いを縮める。姿勢を落としたままの窪井へとび蹴りをかます。窪井は顔の前で両手を構え、その足を受け止めると、自分の肩へそらす。攻撃を外した大林の腹へ拳の一撃を入れた。歯を食いしばってひるんだ身体を蹴り上げた足でふっ飛ばし、立ち上がる。
床に倒れる大林を見て、窪井はひとつ息を吐いた。
――だが自分に放たれている鋭い眼光に気付き、窪井は目を下に向ける。
大林は少しも止まっていなかった。すでに窪井の真下からまっすぐに足を蹴り上げている。
「くっ……」
身体を反らすように伸ばして攻撃をかする程度に避けたが、反撃の態勢に入ったころにはすでに大林は窪井の目の前に立っていた。放たれた拳を腕ではじいて、窪井も肘を放つ。
大林は片手で止め、窪井の身体をねじって彼の首に腕を回す。
「前よりもずっと強いな……」
窪井は後ろの大林に言う。
腕に力を込めて首を固定し、大林は耳元に喋りかける。
「一つ訊いておくことがある」
「何だ?」
窪井は大林を背負い投げ、彼と間合いをとる。
投げられた大林はゆっくりと立ち上がって、言った。
「……なぜオレを殺さなかった?」
「…………」
一瞬目を閉じただけで何も答えず、窪井は攻撃を再開した。
回し蹴りを大林はかがんでかわし、頭部への蹴りを放つが、窪井は首を傾けてかわした。窪井は姿勢を落として腹へ肘を食らわせにかかるが、これも大林は後ろへ下がって回避した。
そんな闘いを続けるうちに二人の疲労は溜り、身体を動かし続ければ、それは積み重なっていく。
――それでも攻撃を止めるわけにはいかない。片方が膝を着くまでは。攻撃のキレ、速度、威力、それらを少しでも弱めるわけにはいかない。
大林は身体を反らせて拳の横振りを避け、大きく一回転させた大ぶりの拳を窪井の腹へめりこませた。
「……!!」
窪井は声もなく口を開き、前に崩れかけるが、それでも歯を食いしばって踏みとどまる。
機械の残骸が固まっている部屋の端。大林は連続で窪井の胴に蹴りを放ち、最後の強烈な蹴りを打ち込んで止まった。
抵抗なく、窪井は残骸の中へと倒れる。
――大林はふり返って足を進め、床に刺さった聖剣を掴んで、引き抜くと同時に飛び上り、その刃に魔力を込めた。
残骸の中に横たわる窪井に、魔力の刃を振り落とす。
――ドズンッ!!!
という轟音が部屋中に響き渡る。
魔力が爆発したように、残骸はさらに形を失ってとび散り、壁や天井で跳ね返って落下する。
立ち込める煙の中、大林の瞳は紫色に染まっていた。
何もかもを塵へと変える魔力の一撃。たとえ変身した窪井であっても、これに耐えられるわけはない。
一撃で吹き飛んだ。
「勝負は終わりだ、窪井。オレの勝ちで……、終わりだ……」
大林は胸の痛みを手で握った。そのまま、剣を動かすこともできずに、固まった。
煙が消えていく。
そこに窪井の姿はかけらも残っているはずはない。
「――そうだな。“人”としての勝負は終わりだ。ここからはバケモノ同士の闘いといこう」
窪井の声が、煙の中で、振り落とされた剣の下で聞こえた。
「これは……」
――信じられない。大林は一撃に魔力を凝縮させていたはずだった。
その威力を受けて窪井が生きているはずはない。しかし今、その剣を右の片腕一本で止めているのは窪井だ。ほとんど無傷で、ダメージの一つも受けてはいない。
片腕だけが異常に赤く、太い。たしかに重たい剣の一撃ならば彼の筋肉は受け止めるだろう。しかし魔力を込めた聖剣の一撃を受け止められるはずがない。
自分の目を疑った。
大林がこの状態の窪井の力に勝てるはずはない。彼と対等に―― それ以上の力が必要だったから、魔力を手にした。魔力さえあれば、力を十分に補うことができる。
もう一度、大林は剣に魔力を込めた。
――しかし窪井の怪力を腕の力だけでは抑えきれない。刃に魔力が満ちる前に、窪井は上半身を起こしていた。
「……!」
大林は彼の腕に装着されているものに気付いた。――黒い金属、右腕の肘から下を覆うように、指先まで黒一色の鎧。
剣を前へ押しながら、窪井は左腕を残骸に突っ込み、両腕に鎧を装着し終えた。
大林が魔力を放とうとしたとき、脇腹に重い打撃を感じる。鎧の重さもプラスされた強烈な腕の一振りに、綿人形のようにたやすく吹っ飛ばされ、天井近くの壁で跳ね返って落下した。
「……っ!」
体中の内臓が潰れたのではと思う衝撃。大林は倒れたまま動けなかった。
ガシャン、と窪井が残骸の中で立ち上がる。彼の全身には、真っ黒な鎧が装着されていた。頭だけは外に出しているが、それ以外の防御は完ぺきらしい。なにしろ大林の一撃を完全に防いだ金属の鎧だ。普通の金属などよりも比べ物にならないほどの強度だろう。
それを機械の残骸の中に備えていたのだ。
「何だそれは……、窪井……」
床に肘をついて、離さなかった聖剣を床に突き刺し、それを杖に立ち上がる。
口から流れ出た血を手で拭きとりながら、大林は窪井ににらむような目を向ける。
「『Rey-MAX』……。デンテール様が開発を進めていた超強化金属の鎧だ。いかなる攻撃でもこいつは破壊できない。――ただ、重量もとてつもなく、オレにしか扱えない代物だがな」
窪井は鼻を鳴らし、自分の身体に目を向ける。
「オレのこの身体も、こいつを扱うために改良されたものだ。デンテール様の薬によってな」
金属の装着された手を力強く握る。
「これがオレの切り札だ。さあ、お前のその力が、このオレを越えられるか?」
「……ほざけ。すぐに叩き割ってやるよ、そんな鎧」
大林は突き刺さった聖剣を握り、魔力を込める。そしてそのまま大きく振り上げると、魔力が蛇のようにくねりながら床を割り、窪井へ突き進む。――同時に大林は自らも走った。
ふたたび聖剣に魔力を込め、高く跳び上がる。
窪井は床を割って迫る魔力を、両手を交差させて受け止め、力ずくで払いのけた。それから頭上の大林を追う。
――ガシィンッ……!!!
聖剣と鎧の両腕が触れた瞬間、凄まじい衝撃波が広がった。
「……どういうことだ?」
ギリッと力で圧しながら、大林は、二度も魔力の刃を止めた鎧を見つめる。それから一度離れると、すかさず魔力をまとわせて、鎧の胴に一撃を打ち込んだ。
窪井は足を踏み込んで圧力に耐えているが、やはり鎧にダメージはない。
「ふんっ!!」
窪井の拳が迫り、とっさに構えた剣の側面にぶち当たり、その重みで大林はまたしても吹っ飛ばされた。
「この鎧は、デンテール様の開発途中の試作品だった。あの人は完成させる前に死んじまったが、それをオレが受け継いだのさ」
「…………」
大林は床で足を曲げたまま、静止していた。
「この金属、『Rey-MAX』には、『陰の石』が組み込まれている。……よくはわからないが、どうやらその効果もあるらしいな」
「…………」
『陰の石』は魔力を吸収する。つまり、魔力の攻撃は効果が薄れるということだ。
「……そういえばお前はオレにこう訊いたな。――なぜオレを殺さなかったのか、と」
窪井は部屋の奥へ歩いて行き、壁の隠しスイッチを拳で叩いた。
機械音が響き、窪井が立つ床の一部が上昇する。真上の天井には、その床と同じ大きさの穴が開いていた。
大林は立ち上がることができない。一度に魔力を消費しすぎて、回復するまでは剣を振り上げる力も出ない。
「オレがお前を殺さなかったのは、お前をオレの手下にするため」
窪井はローブの中から小さな球状のカプセルを取り出し、放るように落とした。
天井の上へ消えていく窪井は、表情のない顔を大林に向けていた。
大林は彼をにらみ続けるしかなかった。
また窪井に逃げられてしまう。と大林は悔しくてしょうがない。
――カプセルが床で跳ね上がる。
一度、二度、それから大林の右手側で転がりながら煙を噴きだした。
それが何なのかは、大林にもわかった。
――ウィルス。デンテールが残した、感染した者を洗脳し、統率者のしもべへと変貌させるウィルス。
このまま感染してしまえば、自分は仲間達をこの力で滅ぼしてしまうに違いない。かと言って、大林はその場を離れることができない。仲間とだけは戦いたくない。
倒すべきは一人だけ……。
「窪井……!」
しかし大林にはどうしても自分に理解できない部分があった。
胸の痛みが、まだ消えていないことに気付いた。――窪井にとどめの一撃を食らわせたときに感じた胸の痛みだ。
それがどうしてもわからなかった。昔の思い出がよみがえったせいかもしれない。田島さんと窪井との楽しかった思い出は忘れることなどはできない。
――過去も記憶も、自分自身も、覚悟はあってもその瞬間には切り裂けるものではないと。自分が生きてきたあかしだから。自分が生きているのは、田島や窪井がいてくれたおかげだから。
それでも窪井を野放しにしておくことはできないことも分かっている。
田島を殺したのも、仲間を殺そうとしているのも、窪井なのだから。
『そんなものか?』
少年の声が頭に響いた。
『力が足らないのなら、わけてやるぞ。もっと心を染めるのだ』
「…………」
『思い出せ、お前の敵を。仲間を殺そうとしている者を』