86:田島とあの頃
マハエ達三人とSAAP、そしてゴトー達三人は、地下牢の階段から上階へ上がった。
「出たんなら、付き合え。どこで窪井と会ったのか、その場所へ案内してもらう」
「まあ、助けてもらった借りは返すよ」
エンドーにリートは素直に言う。
ゴトーだけは、気が乗らないという感じでマハエ達に付いてきている。やはり彼も命は惜しいのだ。しかしこれはシラタチに協力している形ゆえに、頭の中で葛藤しているらしい。
に対し、リートとツッキーはダンスでも踊りだしてしまいそうなノリ。マハエ達はその二人に訊くことにした。
ゴトー達は、並んで歩くマハエ達の後ろ。その後からSAAPが付いてくる。もっとも安全なポジションに立つ真ん中の三人は、とくに警戒もせずに、ただ道を教えるだけ。
「ところでシラタチって、みんな面白い技を使えるの?」
ツッキーが軽い調子でマハエに訊く。
「もしかして、オレ達のことよく知らなかったり?」
「……統領が言ってたような気がする」
うなだれるマハエ。
一階は手薄のようだった。闘技場にあれだけの人数がいれば当然のことだろう。
「道は覚えてるのか?」
マハエが訊くと、
「ばっちりです」
という二人同時の答え。
「でもかなり上階だよ、オレ達は昇降機で上ったんだけど、動くかはわからない」
と、リート。
「まあそこまで案内してもらえれば、後はオレ達だけで行く」
エンドーは両脇のマハエとハルトキの肩に手を置いた。
そこでハルトキの顔色に気付いて、首をひねる。
無言でずっと何かを考えている。
「……ちょっといいかな」
そしてリートとツッキーを、というよりも、ゴトーに声をかける。
「さっきの話、もう少し詳しく教えてくれる?」
「話? オレは何も言ってないよ」
ゴトーは顔をそむけるが、
「地下牢での話さ。窪井のこと」
「…………」
表情も言葉もないゴトー。シラタチと話をするのは気が進まないらしいが、ハルトキが再度、昔の窪井のことを問うと、間をおいて話し始める。
「昔の統領は、たしかに優しかった。この組織じゃまだ新米だったオレ達にも、あの人がどれほど凄い人なのかは理解できた。レッドキャップと呼ばれ恐れられていた、かつての凶悪組織を、ここまで“まとも”に育てなおしたんだ。そして飢えに苦しんでいたオレ達のような子供に食べ物と家族を与えてくれた」
マハエ達三人は眉をひそめていた。ゴトーが話す窪井像から、今の彼は想像できない。やはり大林やゴトーが言っていたとおり、窪井は変わってしまったのだ。
「デンテールと出会い、力を手に入れ、変わってしまった、か」
ハルトキは対峙する大林と窪井を思い描いた。大林が闘っているのは、かつての親友か、それともデンテールの残した脅威の一つか。
「ニュートリア・ベネッヘは……、オレ達にとってゆいいつの帰る家だった……」
ゴトーはうっすらと涙を浮かべているようだった。
そんな彼の様子に、リートもツッキーも何も言わない。いつものおちゃらけた彼らとは違って真面目にゴトーを気遣っているようだ。
「ちょっといいか、シラタチ……」
突然リートが重く光る瞳をマハエ達に見せた。
「あんたたちは、統領を、ニュートリア・ベネッヘをどうするつもりだ?」
「…………」
マハエ達は三人の視線に貫かれているようだった。ツッキーもリートも窪井に救われた一人として、三人にすがる気持ちもあるのだろう。
「……窪井をどうするのか、それは大林さん次第だよ。それにニュートリア・ベネッヘは、もう放っておけるものではない」
「だよな……」
リートは肩を落とすでもなく、ハルトキのシラタチとしての言葉を素直に受け取った。ツッキーは口を開かないが、とくに反論を言うわけではなく、ゴトーだけは二人とは少し違って表情をより暗く落とした。
シラタチに助けを求めても、めちゃくちゃになったニュートリア・ベネッヘはもうもどってこない。そう頭では理解していた。
ハルトキは胸を握りしめた。彼らの闘いが止められないのなら、大林には勝ってほしい。しかしそれでも、大林には止まってほしいと願って。
シラタチの本部は静まりかえっていた。
ほとんどのSAAPは寺院を護るために出払い、ニュートリア・ベネッヘの基地へも付いて行っている。おかげで本部に残ったSAAPはほんの数名で、全員が本部の警備に付いている。
一階の“仮”医務室で、クリング・レックは動けない身体をずっとベッドに預けていた。
彼は目を覚ましてから、ろくに眠っていない。
窪井と闘い、負けて、気を失う最後に覚えていたのは、窪井を追っていく大林の背中だった。二日前の朝に目を覚ますと、治療されてベッドの上にいた。ここがシラタチの本部だと知ったのは、そのときこの医務室に顔出した、グラソン、宗萱と名乗る二人の説明から。その中で、大林がシラタチと協力関係にあること、大林が重体でもどってきたということを知った。
「……無茶なやつだ……」
レックは天井を眺めたまま、ボソリと口を動かす。
そして無茶をしたのは自分も同じかと、レックは包帯に巻かれて固定されている左腕を見た。それでも大人しく窪井に従えばよかったとは思っていない。客に武器を売るのが武器商であり、窪井の場合はそれとは違う。商人としての誇りだけは守らねばならなかった。
あまりにも人離れした窪井の姿がよみがえって、レックは顔を歪める。――たしかに殺す気で闘うべきだった。彼が見慣れないただの賊ならば、そうしただろう。しかしどうしても、窪井に対してそれができなかった。恐ろしかったわけではない。ただ、窪井を殺したくなかったからだ。
――腑に落ちない。
レックには、どうしても理解できなかった。
そのとき、医務室のドアが開いた。
昨夜からSAAPの出入りが極端に減っていた医務室だったので、突然音を立てたドアに、反射的に傷の痛みも忘れて振り向いた。
「いて……」
痛みに顔をしかめたレックが目にしたのは、ドアから入ってくる『田島弘之』の幹部、青島と赤瀬だった。
「よう、意外と元気じゃねぇか」
赤瀬がニッと下手に笑い、サングラスを外す。
「お久しぶりっす、レックさん」
その横で青島が自然な笑みを見せる。
「あんた達か。メシの時間かと思って期待したじゃないか」
案内係らしいSAAPは一礼して静かにドアを閉じた。
医務室にはレック、青島、赤瀬の三人。青島と赤瀬は近くの椅子を移動させてきて腰を下ろした。
「あんたが大ケガを負ったと聞いて、寺院から危険な道を突っ走って来たんだ。わざわざ、な」
「危険な道?」
「ん? 知らねぇのか、またフーレンツにモンスターが出やがった。……いつものあんたなら、絶対に逃さねぇ情報だろうが……」
「……残念だ。悪いタイミングでこんなケガを……。と言っても、オレの商売道具は全部奪われちまったけどな」
レックはため息を吐く。しかし悔しそうな様子はない。
「知ってる。窪井だろ?」
「まあ、オレはあいつに負けた。ただオレに力が足らなかっただけだ」
「…………」
赤瀬はレックから顔をそむけて天井を見た。
そのまま黙ってしまった二人の顔を、青島は目の端で交互に見る。
レックは『田島弘之』が昔から世話になってる武器商人であり、その関係は商売人と客という以上に親密である。田島慎治も、レックとは友人関係だった。『田島弘之』という不良集団ができたのは七年前。田島、大林、窪井、赤瀬の四人がつくりあげた集団だ。
同じ時期に単身で旅を始めたレックが、武器商を始めたばかりのころに彼らは出会った。と、青島は聞いていた。
「慎治が死んでから、『田島弘之』は変わっちまったなぁ……」
レックは言った。
「田島さんがなぜ『田島弘之』という集団を築いたのか、大林は忘れてるのかもな……。まあ、その頃のあいつは幼くて、ただ田島さんの背中を追いかけているだけのガキだったからな……」
「……昔話っすねぇ。オレにはわからねぇ」
肩を持ち上げて首を振る青島。
「たしかに田島さんは、オレ達を救ってくれた。あの頃の『田島弘之』はもっと笑い声にあふれていたが、ボスが組織を継いだことには何の不満もねぇ」
大林が悲しみを乗り越えて残された『田島弘之』のためにがんばってきたことは、青島も赤瀬もレックも知っている。だが赤瀬やレックから見れば、大林は無茶をしすぎている。
「レッドキャップが潰れたという話を聞いたとき、オレは驚いたよ」
赤瀬もレックの言葉にうなずく。
「大林が一人であの連中を片づけるとはな……。たしかにあいつの能力はオレ達の中でもずば抜けていた。年上のオレすらもかなわねぇほどにな」
しかし赤瀬に、少しも大林をほめるという様子はない。
「あいつは田島さんや窪井がいれば、いつでも笑顔を絶やさない、ガキらしいガキだった。その二人が突然、一瞬にして自分の前から消えたんだ。まさに、壊れちまってたんだな。――でなきゃ、一人であの凶悪組織を潰そうなんて考えるわけがねぇ。何より、人を傷つける闘いなんて教わっちゃいなかったんだからな」
苦笑いをまじらせて、赤瀬は息を吐いた。
「……すまねぇな。見舞いに来たってのに、しんみりさせちまった」
赤瀬は頭をかいてレックを見た。
「オレも寝てばかりでヒマだったから、ありがてぇよ。……それよりな、もう少し話をいいか?」
レックは先ほど考えていた、理解できない疑問を赤瀬に問う。
「窪井の身に、いったい何が起こった?」
「……あいつの、異常な肉体のことっすか?」
「いや、それも理解できないが、一番は中身だ」
レックは自分の腕に巻かれた包帯に目を向けた。二人も彼のケガに目をやる。
「……たしかに、あいつも大林のように、田島さんにくっついて笑っていた。同じガキだ、とばかり思っていた……」
「けど、慎治を殺したのは窪井だ。レッドキャップで何があったのかは知らねぇが、あいつは自分の大事な人を切り捨てた。それがわからねぇ」
「なぜ殺したのかが?」
赤瀬は笑い飛ばすように言う。
「レッドキャップを潰した大林が、その後どうなったのか、それを今まで誰にも話してはいない。大林にもな」
レックが言うと、赤瀬は、
「どうって、あんたがあいつを保護して治療したんだろ? 一ヶ月後にオレが迎えに行った」
「そうだ、だがあいつは自分の足で歩ける状態ではなかった。それどころか、何日も目を覚まさなかった」
「どういうことだ、じゃあ誰があいつをあんたの所へ?」
口を閉じて、レックは鋭い眼で赤瀬と青島を見た。二人の目を見つめながら、はっきりと重い口調で言う。
「窪井だよ」
「…………」
二人は口を半開きにして、その意味を理解しようとした。しかし彼らの頭は、なかなかそれを認めようとはしない。
「あいつはオレに泣いて頼んだ。『頼むから大林を助けてくれ、死なせないでくれ』と」
「…………」
顔を見合わせる二人。
「窪井が……、ボスを助けたって、言ってんすか?」
「あいつはオレにいきさつを話してくれた。――窪井は何人かの仲間と、買い出しのために本部を離れていたらしい。そしてもどったやつらが目にしたのは、血の海に染まった光景だった。大林が殺したキースの手下達が横たわり、扉が突破されていた。窪井はとっさに剣を取り、キースのもとへ走ったらしい。するとそこでは、ぼろぼろの大林が立っていて、キースが剣を振り上げていた。大林はもうほとんど意識のない状態で倒れるところ、すぐにでも殺されただろうな」
青島も赤瀬も、微かにも口を動かすことなく、話を耳に入れていた。
「窪井は手に持った武器で、キースを斬り殺した」
レックは深呼吸をして、
「キースを殺したのは窪井だ。だが、なぜ慎治を殺したあいつが、大林を助けた? オレのところに大林を担いできた窪井は、とても必死だった。泣きながら頭を下げてまで、オレに大林を任せたんだ」
「…………」
二人は何も言えなかった。
「オレがこのことを誰にも話さなかったのは、あいつ自身の希望だったからだ。オレには複雑な事情はわからねぇ。だが、あのときの窪井は、大切な人を殺せるようなやつには見えなかった。オレやあんたらがよく知る、優しい、仲間思いの窪井賢だった」
「……ケン……」
赤瀬はつぶやいた。昔、彼が窪井をそう呼んでいたように。
――思い出していた。昔の窪井賢を。
彼は優しくて、とても仲間思いだったのだ。