77:弟の思い
大林チーム。
薄暗い廊下、ハルトキは大林のとなりを歩きつつ、ときどき彼の顔を目で覗いては心の中でため息を吐いた。
とても恐い表情。
となりを歩くハルトキやSAAPの存在など忘れているようだ。ただ彼の瞳には、窪井しか映っていない。
話しかけるなどとうていできるわけもなく、重たい沈黙の中でハルトキは大林の心中を思う。
「…………」
しかし、もうハルトキに大林の心を理解することなどできなくなっていた。
――大切な人の仇のために、親友を殺す?
ハルトキには考えられない。兄弟とも呼べる親友を殺すことなど、大林同様にそんな大切な“兄弟”を持つハルトキには。
「(でも、そんな半端な考え方じゃだめなんだ)」
大林と窪井の間にできた溝は、平和な世界で暮らしてきたハルトキには考え及ばぬほど深く、想像すらできないほどの暗黒にまみれているのかもしれない。
たった今、大林の心の中で渦巻く激しい感情は、やはり本人にしか理解できないものなのだ。
「負けないでください」
勇気を出して、ハルトキは声に出した。
大林は驚いたようにハルトキを見た。彼の、気持ちを抑え込む固い横顔を。
――ハルトキにはそれしか言えなかった。それでも十分だと思った。
「負けはしない」
大林は前に向きなおって答えた。
彼の表情が少しでも緩んでくれたなら、ハルトキには十分だった。大林という兄の中に、少しでも自分のことが残っていてくれるのなら。
窪井との闘いが終われば、大林には昔の彼にもどってほしい。ハルトキに心からの笑顔を向ける大林に。ハルトキが思う“兄”の姿に。
それは難しいことかもしれない。――それでも……。
「(負けはしない)」
ハルトキも自身にそう言った。自分に戦う力が足らないとしても。
――三人の正面で、大きな扉が左右へ開いた。
自動扉の向こう側には、横長の広場があり、天井のない屋外。
そこから見上げると、青い空へ向かって黒くて高い建物が。段を成して建てられた、城のような建物だ。明らかに、この基地で一番高く、基地の中枢を思わせる。
「――!」
大林が何かに気づいたように、目を見開いて建物を見上げた。
ハルトキも望遠視をそこへ向ける。
そびえる建物の中ほどにあるテラスに誰かが立っている。
見つめる大林の瞳が、濃い紫色に染まった。
「……窪井?」
ハルトキの眼は、ローブに身を包む窪井の姿を捉えていた。
ギリッ、と大林が歯を擦る。音が鳴るほどに拳が握られ、彼の体が紫の魔力をまとう。
「…………」
窪井も大林の姿に気づいている。冷たい目が見下ろしている。
何も言わずに窪井はそこから姿を消した。
「クボイ……、ケン……!」
大林の低い声が、歪んで放たれた。
刹那、大林の姿もその場所から消えた。
ハルトキはすぐに目を走らせ、建物を跳び登っていく大林を見つけた。
「…………」
ハルトキは表情なく大林を見送った。
――当然だ。大林は窪井と闘うためにここへ来たのだ。ここからは彼の闘い。
「(ボクは、見送ることしかできない)」
無表情のまま顔を下ろし、ホルダーから短剣を抜く。
「どうされます?」
SAAPの問いに、ハルトキは言う。
「もちろん、この先へ」
少し先にある扉を短剣で指す。
その表情に、微かな笑いが浮かんだ。
味方はSAAP一人だけだが、それほどハルトキに不安はない。
彼の魔力は他に比べて攻撃に劣る。しかし戦いは攻撃力で決まるものではない。
ハルトキは自分の魔力の頼もしさに身をゆだねた。――これまでと同じように。
扉へ足を進める。
「――そうはいかないよ」
誰かの声が反響した。
直後、ドアを蹴り開ける音とともに大勢の足音が広場を賑わす。
横長広場の左右にある蹴り開けられたドアから、何人もの手下が現れ、ハルトキとSAAPを挟んでいた。――ジャラジャラと、武器を手に。
「……目ざましの戦いには、少し多いかな」
動体視と縛連鎖を発動させるハルトキと、背中合わせに棍棒を握るSAAP。
「片方は任せます」
ハルトキの言葉にSAAPはうなずく。
「ぼこぼこにしちまえぃ!」
興奮のおたけびが響き渡り、手下達がいっせいに武器を構えて走り出す。
ハルトキは静かに目を閉じて、――くわっと開いた。
キィーン……、という高い音が魔力のこもったハルトキの眼から空間へ広がった。
魔力の鎖とともに、ハルトキは地面を蹴る。縛連鎖を振りかざし、手下達へ。
真っ暗な廊下には人の気配も音すらもない。
基地内部の複雑な通路の一つ。
――壁に足音が反響して、重なった音が奥へと響いた。
センサーが人物を察知したのか、決まった間隔で埋め込まれている壁の小さなライトが自動で点灯し、通路を照らした。
足音の主は迷うことなく道を選び歩き進む。
「この辺りか?」
男の声。銀色の長髪が、彼が足を動かすたびに揺れ、青い瞳が微かな明かりで光った。
歩みを止めた彼の手には、この基地の見取り図が。男―― グラソンは見取り図に目を落として、また歩き出す。
若干、足音が速度を増す。それから止まった。
「……ここだ」
グラソンは見取り図を握りつぶし、正面に目を向けた。
微かな喜びの声。そんな彼の笑いは、見えない場所にいる一人の者にも聞こえていた。
[グラソンさん……、あなたはやはり……]