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73:満月の下

 グロス・トーア寺院はようやく静けさのうちへ戻った。

 避難民達は敷地内の定められた場所で、それぞれじっと寝袋にくるまっている。

 高い塔の頂上に満月が重なって、地上に大きな影が映る。そこから少し外れた場所、本堂の石段に座り、月を見上げていた青島は、隣に立っている赤瀬の顔を見たかと思うと、また空へと目を戻した。

「……何だ、さっきから」

「ははは……。赤瀬がいつになく、表情を暗くしてるからよ」

「…………」

 同じく空を見上げた赤瀬のサングラスに月明りが白く反射した。

 座る青島からは、微かに照らされた赤瀬の目元がうかがえる。――胸のざわめきを押し殺している強い眼差し。

「ボス……」

 ため息とともに溜った心労を吐きだす青島。大林を心配する気持ちは二人とも変わらない。

 ハルトキの前では「ボスなら大丈夫だ」と自信を持っていた青島ですら、静けさに包まれていると、その自信に影ができてしまう。

 風が落ち葉と砂利を転がした。


「――よう、元気だったか?」


 赤髪の男が二人の前に現れ、ニッと笑いかけた。

 青島はあわてて立ち上がって目を丸くした。

「ボス! 帰って来てたんですか!」

「少し前にな。お前達こそ、なぜまた?」

 幹部二人の前に立つと、大林は赤瀬に向かって口の端を吊り上げた。

「お前まで。青島アイボウを独りにさせたくないってのか?」

「……無理やりだ。それに、オレに相棒なんぞいねぇ」

 赤瀬は鼻を鳴らして顔をそむけた。

「でもボス、本当に、また顔が見られてよかったです。アニキはボスが大ケガしたって言ってやしたから……」

「たいしたケガではなかった。今はこのとおり、いつもと変わらん」

 右、左の素早いストレートを放って見せる大林。それをサングラス越しに、赤瀬は鋭い眼差しで見つめた。

「……いつもどおり、ねぇ?」

 ――大林の背中で、聖剣がガシャリと揺れた。

 大林は青島のとなりに腰を下ろすと、戦い後の静けさに浸るように目を閉じた。

 窪井の飛行船を逃がしてしまったことを悔いる気持ちはない。ハルトキ達が飛行船に潜り込んでいて、今も窪井の本拠に身を潜めていることを案内人に聞かされていたから。三人の身を心配する気持ちよりも、逆に安心できた。彼らならよい隠れ場所を見つけているはずだと。


 ――そして決戦は明日の早朝。


 つい先ほど案内人が報告してきた。

「(……落ち着かない)」

 静けさで頭を冷まそうと試みた大林だが、目を閉じれば過去の出来事が次々と頭をかけ回り、どうしても雑念を追い払うことができない。

 ――困ったことに、蘇るのはどれもが楽しかった頃の幸せな記憶だから、腹立たしかった。

 田島慎治と出会って、人生に希望を持った。田島、窪井、そして自分の三人で結成した『田島弘之』。あのときほど充実した人生はなかった。金はなく、空腹で倒れそうなときもあったが、田島と窪井がともにいてくれたからこそ、それすらも幸せに感じていた。

 田島に教わった戦い。少しでも彼に近づきたくて、必死に訓練を重ねた。それから窪井との手合わせ。勝負がつかない戦いも多かったが、しだいに大林が窪井を越えるようになった。


『互いが高め合っていたんだな……』


 ソレィアドの闘いで、窪井が言っていた。その言葉がはっきりと聞こえたようだった。

「(たしかにそのとおりだ)」

 大林は悲しげに顔で笑った。あの頃は、真に闘いを楽しんでいた。そこに誰かへの憎しみなど、ほんの少しも存在していなかった。ただ、窪井を負かしてふんぞり返って、「よくやった」と尊敬するあの人にほめてほしかった。――そのあとに田島は、倒れている窪井に手を差し出してこう言うのだ。「もう少しだ」と。

 悔しい顔をしていた窪井も、田島の笑う顔を見ると、つられて笑っていた。大林も。


 ――腹立たしい。

 数時間後の戦いに備えなければならないというのに、これでは油断を見せるハメになってしまう。

 もう窪井は敵なのだと、自分に言い聞かせた。二度と親友にもどることはないと。

「……ボス、疲れているのなら眠ったほうが」

 青島の呼びかけに大林は目を開いた。

「そうだな。今夜はよく戦ってくれた。見張りはシラタチに任せて、お前達こそ寝ろ。オレもそろそろ、もどって寝る。二人の顔を見ておこうと思って、ここへ寄っただけだ」

 大林は立ち上がって門のほうへ戻っていく。

 青島は彼の無事な姿に安心して、明るい口調で赤瀬に喋りかけた。赤瀬も、大林の無事に安心していた。――しかし、彼には大林の姿が、これまでとは明らかに違って見えていた。

「……寝るか」

 去っていく大林から顔をそむけ、赤瀬は青島を置いて指定された就寝場所へ歩いていく。


「悲しいな、田島さん」


 後ろから付いてくる青島の文句も赤瀬には聞こえていない。

 ただ悔しそうにうつむいているのだった。


 ――SAAPに門を開いてもらい、大林は長い階段を下りはじめた。その途中で立ち止まり、段に腰を下ろした。

 もどって寝るといったが、単に幹部二人と離れたくなっただけだ。とくに赤瀬から。――彼は大林と古い付き合いで、田島とも友人関係だった。そんな彼に自分の弱さを見透かされていそうで。

 大林は満月を見上げて息を吐いた。


「眠れるわけないだろ……」


 ――なあ、ケン。

 言葉の後に続いて出てきそうだった名前を、心の中だけにおさめた。






 ――同時刻、ニュートリア・ベネッヘ本拠。

 窪井もテラスに出て満月を見ていた。

 まぶしいほどの月明りを、まばたきもなしに見つめる窪井。大林もこうして月を見ているような気がしていた。

「大林……、今のお前から、オレはどう見える?」

 月に呼びかけるが、返ってきたのは別の声。

「ここは風が冷たいでござるな」

 窪井の数歩後ろに、紅丸が立っていた。窪井は月から目を下ろし、紅丸に問う。

「紅丸、お前からはオレがどう見える?」

「……どう見える、とは?」

 窪井の後ろ姿に紅丸は問い返すが、どこかさびしげな背中は黙ったまま。また、窪井は月を見た。

「拙者にとって窪井殿は、忠を尽くすべき主でござる」

「そうだな。では、なぜお前はオレに忠義を?」

「……それは拙者が己の意思で決めたこと。正しいと思う者を背に戦うのが侍でござる」

 その言葉に、窪井はしばらく言葉を失った。月から目を離して、正面の深く黒い空間を見つめる。

「紅丸……、オレは正しいのか?」

「…………」

 紅丸は一瞬戸惑い、沈黙した。それでも言葉を返す。

「窪井殿は、己に正直なお方でござる。迷っておられるのなら―― いえ、それでも拙者の忠義は変わりませぬ」

「命に変えても、か? このオレのために」

「無論」

「オレを正義だと信じるのか。……紅丸、人という生き物のほとんどは、他人に造られた意思しか持っていない。何が正義で何が悪かを決める肝心な部分は、ただ周囲の波に合わせているだけ。それと異なる意思は見向きもされず、対立する意思は、すなわち悪。……オレは今、道の行き止まりで立ちつくしているのかもしれない」

 窪井は自分の手のひらを眺めた。

 雨の中、大林と闘ったときの拳をつくり、その拳と、大林に勝つべく必死になっていたかつての自分の拳とを重ねて見た。

「今のオレか……」

 ふと思い出された、楽しかった『田島弘之』。

 ――くだらない記憶だ。

 窪井はそう思う。ほんの二年と少し前の記憶がとても遠いものに感じ、今の窪井には心からそれを「くだらない」と言える。


「(だが、捨てきれない思い出だ)」


 ――腹立たしい。

 などとは思わなかった。

 窪井はもう一度満月に顔を向けて、顔をゆがめて笑った。



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