70:根性三倍の潜入
飛行船は少しずつ速度を上げていく。
満月の下、地上にその巨大な影を落として。
「だぎゃああぁあぁあぁぁ!!! 落ちる落ちる!!!」
ハルトキはいつになく激しく悲鳴を上げていた。
そんなハルトキにしがみつくマハエとエンドーも悲鳴を上げていた。
――飛行船は動き出している。
グラソンも宗萱も手を出せぬまま、またもシラタチの前からその姿をくらまそうと。
しかしそうさせまいと、根性で飛行船を追う三人がいた。――飛行船とマハエ達三人を繋ぐ縛連鎖。ぶら下がるハルトキはそれを両手で握りしめ、ひたすら落ちまいと魔力を込め続ける。
ハルトキにしがみつく二名は、
「風が冷たい! 足が浮いてる!」
「こらぁヨッくん! その鎖、大丈夫なんだろうなぁ!? 三人もの体重支えられんのか!?」
「股がすーすーする!! うわっ! 手が滑る!」
「ヨッくん! ベルトはしっかり締めてんだろうなぁ!? このズボンずり落ちねぇよな!?」
「ぎゃー! 揺れるー!!!」
「うるっさいわあぁぁ!!! 集中できないでしょうがあぁぁ!! ズボンはベルトが支えんじゃないの!! 全部ボクの骨盤が支えてんの!!! ――てかなぜキミらまで付いてきたあぁ!!!?」
「オレら、いつでも一緒だろう?」
エンドーが言った。照れつつ。
「だあぁぁ!!! 反論できないボクがいる!!!」
「てかさぁ、オレはこれ以上の別の世界までお前らと行動を共にするつもりはないよ。それよりヨッくん、早く飛行船に乗り込もう」
「う……、わかってるよマハエ、ちょっと待ってて」
鎖を巻き上げるように、ハルトキは意識を集中する。
「……! ヨッくん、あれを!」
エンドーが地上を見て叫んだ。
――飛行船がちょうど寺院の真上を通過する。
大林は高い塔の頂上に立ち、濃い紫色の瞳を光らせて飛行船を見据えていた。
「窪井……」
大林は背のソードホルダーから大剣をゆっくり引き抜くと、切っ先をまっすぐ飛行船へ向けた。
「駆 キ 貫 ケ 呻 ノ 鳴」
大剣が濃い紫色の魔力を放出し、切っ先で塊を成す。その凝縮された魔力は空間を波打たせる。
――そして放った。
はじけた魔力の塊は細い矢となり、一直線に飛んだ。
飛行船の後部で爆発が起こった。
大林が放った魔力の矢は飛行船の装甲を一部吹き飛ばしたのだろう。しかしハルトキ達はその揺れすらも感じない。――巨大飛行船はその程度のダメージで落ちるようなことはないのだ。
「無茶するなぁ、大林さんは」
ハルトキ達に当たっていれば微塵に吹き飛んでいたことだろうが、大林は彼らに気づいていない。
大林の瞳が遠くへ見えなくなったのを確認すると、ハルトキは再び縛連鎖に集中した。
「どこ向かってんだ?」
足のずっと下を通り過ぎていく地上の風景から、エンドーは飛行船の進行方向の先へ目をやった。
鎖はゆっくりと縮んで、三人はようやく飛行船に乗り込んだ。開け放たれたままの貨物室の搬入口から。
よじ登って首を回し、しばらくしてエンドーが言った。
「ああ……、オレここ知ってる」
「そういえば、前回ここで頑張ってたらしいね」
「懐かしいねぇ……。ここ、モンスターがたくさん積み込まれてたんだ」
エンドーは歩いて奥のドアまで行くと耳を当てた。
「何も聞こえないなぁ」
「飛行船経験者で内部情報に詳しいキミの意見が聞きたいね」
「……あまり内部は行かないほうがいいな。ドア一つ開けるにも、細かい圧力調整が必要なんだ」
「そうか。でもたぶんこの飛行船は窪井の本拠地へ向かってる。そこへ到着するまでずっとここにいるわけにはいかないね。ここがなぜ開け放たれたままなのか、たぶん――」
突然、飛行船の速度が落ち、停止した。
「何だ?」
「隠れよう!」
ハルトキはとっさに、貨物室の隅に見つけたもう一つのドアを示した。
――停止した飛行船は、次に高度を下げていく。
ガツン。と搬入口にカギ縄が引っかけられる音がし、誰かが上ってきた。
ドア越しに聞き耳で気配を探っていた三人は、話し声でそれが誰なのかを知った。
二人いるようで、一つは面にこもったような高めの声。
「ひどくやられたものだな」
「……くっ、なんと嘆かわしいことであろうか」
二番目は間違いなく紅丸の声だ。
二人の足音が移動する。三人はどうかこのドアへ来ないようにと願ったが、足音はまっすぐ、飛行船内部へのドアへ向かっているようだ。
そこでもう一人、搬入口から上ってきた誰かの足音。
「ククク……、無事で何より」
「包帯を取ったか、モフキス。何とも、不気味な顔だ」
「クク……、そりゃどうも。お前こそ、その面を取ったらどうだ?」
「余計なお世話だ」
マハエ達が知っている二つの声と、聞き覚えのないこもった声。ただ、そこにいるのが誰も強者であることは、雰囲気から感じ取れた。
「窪井殿に、どう知らせようか……。拙者がいながら、このあり様とは……」
「傷に響くぞ」
「構わん。この程度、じきに癒えよう」
ドアが開く音と、足音がその向こうへ消える気配。ドアが閉じられると、三人は安堵から脱力した。
「もうここから動けないね。紅丸とモフキスと、あと一人はおそらくあのドクロ面……。船内で、そんなやつらに出くわせばまず逃げられない」
「そうだな。……しかし、この部屋は真っ暗だ。明かりはないのか?」
マハエが壁に手を伸ばして明かりのスイッチか、ランプを探し始める。
「ボクが探すよ」
目を閉じて、ハルトキは『暗視』を発動させた。
「……ここは倉庫みたいだね。棚や木箱がたくさん置いてある。――あった、ランプだ」
カチッ。という着火音とともに、部屋は明るくなった。
その狭い倉庫には、棚や木箱のほかにロープや黒い布などが山積みにしてある。
「おい、見ろよ」
エンドーが黒い布を広げて見せた。見覚えのある黒マントだ。おそらく黒猫のと同じものだろう。
「ちょうどいい。あとドクロ面でもあれば最高だな」
「あるぜ、ちょうど三つ」
エンドーは黒い布の上に並べて置かれたドクロ面を拾い上げた。
「…………」
「…………」
「…………」
人が、寝ていた。
黒マントとドクロ面をかぶって、黒マントの、山の中に。
「…………えーっと?」
エンドーは助けを求めるようにハルトキとマハエを見た。
「んー……!」
面を取られたことに気づいたのだろうか。黒い布の山に埋もれた顔が目を覚ました。
三人はとっさにマントを頭からかぶり、フードで顔を隠す。
「あぁ……、寝すぎた、超美スクールに遅れてしまう」
起き上がった。
紫の髪、窪井の手下だ。
「おーい、起きろツッキー、ゴトー」
手下はとなりに埋もれているのであろうドクロ面の主をばしばしと叩いた。
「いてっ! やめろよリート、こっちは大ケガしてるんだぞー」
ドクロ面、ツッキーが起き上がると、続いてそのとなりのドクロ面、ゴトーも飛び起きた。
「いけね! 寝ちまったじゃないか! だ、大丈夫か!? まだ生きてるか!?」
面がポロリと落ち、頭と右目を包帯で覆われたゴトーの顔と、頭に包帯を巻かれてたツッキーの顔が現れた。
「……よかった、だれにも見つかっていないな。ふー、焦ったぁ……。っておい、明かり付けたのリートか?」
「いやぁ、オレではないよ」
「じゃあ誰が――」
ゴトー達三人は固まった。そこに立っている三人の黒マントを目にして、だらっと口を開いて。
そして叫んだ。――その場の全員が。
「ぎゃあああぁぁぁ!!!」
――飛行船は再び動き出していた。