67:心の力
包帯男―― モフキスは、包帯の隙間から笑いに歪んだ黄色い目を覗かせて、大林を凝視していた。
大林もその目へまっすぐに返し、一瞬たりとも逸らしはしない。
「ずいぶんといい眼だ。そうでなくてはな、大林鷹光。それでこそ、鬼の眼だ」
大林は大剣を抜こうとはせず、モフキスを捉えたまま、すでに見えなくなるほど遠ざかったハルトキ達の気配を感じた。――それから口を開く。
「……オレはなぜお前を恐れていたのか、ようやくその理由に気付いた。お前のその声、間違いなく聞き覚えている、あの野郎の声だ」
「ククク……。思い出したから、得体の知れない恐怖を感じなくなったってのか? ……そうか、それは嬉しいねぇ」
「少し違う。思い出したから恐れないんじゃない。お前を恐れる理由がないことに気付いたからだ」
「……何を言っているのか、オレ様にはわからないぜぇ?」
大林は口の端を吊り上げた。
「すぐにわかる」
大剣を抜いた。濃い紫色の魔力があふれ出し、蛇のように刀身を巻く。
一振りで、魔力は燃える炎のようにモフキスへ襲い掛かり、素早く身を後ろへ反らせたモフキスの包帯を焼いた。
「ククク……」
黒い炭となって落ちる包帯。その下の顔があらわになる。
モフキスは炎を恐れる様子もなく、ただ笑っていた。まるでそれを望んでいたかのように。
コバルトブルーの髪を短く刈り込み、顔はいかつく、狂喜に歪んでいる。
「アレモフ・キース」
ギリッと、大林は歯を擦った。
「お前は死んだはずだ。キース」
「ククク……。そう、死んだよ、アレモフ・キースはたしかに死んだ。二年前に、お前に殺された。……ところで、オレ様を恐れる理由がないと言ったが?」
「ああ、お前の言うとおり、得体の知れない恐怖があった。だがそれとは別に、お前はオレの大切な仲間を殺した。だからオレはお前を殺した。――そんなムナクソ悪い記憶を心の奥に閉じ込めていたんだ。それを思い出すことを拒絶していただけだと気付いた。だが今のオレには、そんな過去も記憶も、すべてを切り裂くことができる」
大林は大剣の切っ先を突きつけた。
「オレは、そのために“信念”を捨てた」
ゴォッと、大林は紫の魔力を全身から発する。
「信念? クク、人であることを捨てたことがか? 面白い。オレ様は本気の貴様と闘いたかったのだ!」
「……何者だ、お前は? 本当にキースなのか?」
「今はそんなこと、どうでもいいだろう?」
モフキスは左手で剣を横へ払った。
「楽しませろ! 大林鷹光!!」
足の動きは素早く、地面から離れたかと思うと一瞬でモフキスは大林との間合いを鼻が付くほどに迫っていた。モフキスの剣が振られ、大林の“残像”を貫く。
大林はモフキスの背後へ移動していた。紫の魔力をまとった大剣が振り下ろされると、それに合わせてモフキスは体を回転させて跳び、距離をとる。しかし炎のような魔力はモフキスの腕をかすめていた。
「いいぜ、最高だ! これこそ闘い、それでこそ燃える魂!」
「ごちゃごちゃと、わけのわからないことを」
大剣は振られるたびに刀身から魔力を放ち、追い討ちをかける。横払いを後ろへ跳んでかわした後、モフキスは魔力の炎を片手剣で切り払う。
「おらぁ!!」
「…………」
――大林は大剣を左手に持つ。
モフキスの剣が大林の首元をかすめた。――そして静止する。
剣を右手で掴み止めた大林は、大剣をモフキスの武器とは逆の右腕へ振り下ろした。
「おおっと!」
ギリギリで避けたモフキスの右腕は、炎に焦がされた程度で、大剣が直撃した地面のほうは大きく割れ、土の塊が高く跳ね上がった。
「恐ろしいねぇ、ククク、だがそう簡単には、オレ様の心臓はえぐれねぇ!」
大林の腹に蹴りをかまし、剣を奪い取ると即座に間合いを取った。
――しかし大林のほうが早かった。
目を見開くモフキスのすぐ正面では、間合いを一瞬で詰めて迫った大林がすでに大剣を振り上げていた。
とっさに片手剣を横に構えて防御の体勢を取ることしか、モフキスにはできなかった。
――それもまったく意味を成さない。
ひと太刀で片手剣はもろく砕かれた。
「……っ!」
モフキスは体を回転させながら素早く引いた。
「…………」
彼の左腕は無い。剣とともに斬りおとされていた。
「やるねぇ……」
痛みを感じていない様子のモフキス。大林もそれを不思議とは思っていない。
「てめぇ、オレ様を殺す気はないのかぁ?」
「殺す? そうしてやるさ。二度とオレの前にもどってこれないようにな。……だが、その前にいくつか聞きたい」
「質問だと? それにオレ様が答えることを期待しているのか? ククク」
血が流れ落ちる左のわずかに残った腕など少しもかまわず、モフキスは笑う。
「こんなことでオレ様を戦闘不能にさせたつもりか? あいにく、オレ様は両利きだ。左に武器を持っていたのは、単に相手を迷わせる手の一つであっただけのこと。武器のスペアも、本部にもどればいくらでもある。ここで殺らなけりゃ、オレ様はまた貴様の前に姿を現すぜ?」
「そうか、それは困るな。それならその助言どおり、ここで終わらせる」
「……まあ待て。焦ることじゃない。いいだろう、質問に答えてやる。貴様が訊きたいのは、『お前は何なんだ?』――そんなところだろう?」
「…………」
大林は両肩を持ち上げて先を促した。
「オレ様は、モフキス。アレモフ・キースなどではない。ああ、違った存在だ。しかしまったく別というわけではない。オレ様の中には、アレモフ・キースの血が流れている。わかるか? ククク……、我が頭領、窪井賢は、とある人物の研究を引き継いだ。その人物が残していた薬によって、オレ様は生まれた」
「薬だと?」
「遺伝子を変異させる薬らしいが、さっぱりわからないことだ。だが、それによって、オレ様はアレモフ・キースの遺伝子ってやつを埋め込まれた。二年前から保存されていたものだろう。お前が殺した、その人の一部だ」
「…………」
「ククク……、わかるまい」
大林は顔をしかめた。理解しようなどとは思わない。だが彼には十分だった。
「お前はアレモフ・キースではない。――それでいい。もやが晴れたぜ」
大剣をモフキスへ向け、大林は微笑した。
「ククク、次はオレ様を殺すか? ……いや、どうあっても殺したいらしいな。それほど憎んでいた男か……」
「……憎んでいただと? オレのすべてを奪った男をか?」
大林の周囲に轟く魔力の帯が、突然激しさを増した。
「憎しみなんて言葉で片付けられては困る」
大林は大剣を地面に突き刺し、唱えた。
「這 イ 回 レ 隠 ノ 影」
大林の周囲から大剣へ魔力が伝い、大きく上へ振り上げられると、魔力が蛇のようにくねりながら地面を割っていく。
モフキスは背後の木へ大きく跳び上がり、枝に着地。魔力はおかまいなしに木を切り倒したが、モフキスはもう一度跳び上がって逃げ去った。
「待て! キース!!」
大剣を横へ払ってから大林は足を動かしたが、途端に力を失い、前のめりに転倒した。
「……くそっ!」
受身を取ることもなく突っ伏した。――全身が動かなくなった。
遠ざかっていくモフキスの気配を探ることも、今の彼には難しい。
『お前の心はそんなものか?』
少年の声が頭の中に響いた。
『お前の大切な人を殺したのは誰だ? 思い出せ』
「…………」
『心を染めろ。仇を討つときだ』
大林は手元の土を握りしめた。
「うるせぇよ」
マハエ達は寺院の長い階段のもとへ到着した。
「この上が避難場所だ。全員無事だな?」
エンドーが人数を数えて満足そうにうなずいた。
「もう少しだ」
ジンと、歩けるまでに回復したサーヤを先に、その後ろから子供達、最後にマハエ達三人が階段を登り始める。
「やれやれ、これでひと安心だな」
マハエはほっと息を吐いたが、エンドーはその言葉に眉をひそめた。
「ずっと気になってた。これが窪井のやりかたなのか?」
「どういうことだ?」
「たしかにSAAPに数人の犠牲は出た。けどオレ達は生きている。……窪井なら、もっと徹底的に攻めると思わないか? 窪井はオレ達の力を知っている。そんなやつが、あの程度でシラタチを殲滅できると考えたと思うか?」
「……まあたしかに、そうだな。一理あるが、それなら窪井の目的は? これじゃあ向こうは戦力に大きな穴をあけて、町を空っぽにしただけだぞ」
「…………」
ハルトキが足を止めた。マハエとエンドーもつられて止まり、上から怪訝な顔で子供達が見下ろした。
「そうだよ、窪井の目的はそこにあるんじゃないかな?」
「どこだって? 町から住民を追い出すことが?」
「違うよマハエ。よく考えて、“今”その住民達はどこにいる?」
マハエは階段の上へ親指を向けた。
「そう。そして本来の窪井の目的は?」
「ウィルスを町に放って――」
「あ。」と、マハエとエンドーは同時に気付いた。
「そういうことだよ!」
「マズイな……」
エンドーはしかめた顔でハルトキを見た。
「……どうしたんだぃ?」
数段上でジンも顔をしかめていた。
「何でもない。オレ達にかまわずに行ってくれ。門の向こうなら安全だ」
「…………」
ジンは一度首をかしげたが、そのままサーヤと子供達と寺院へ上っていく。サーヤはその中で心配そうにエンドーを見ていた。
マハエがあごに手を当てて、
「……ウィルスはほとんど破壊した。残りのウィルスで複数の町を感染させるのは不可能だと、グラソンは言ってた。……けど、その標的である住民達を一つの場所に集めてしまえば話は別だ」
窪井の目的はシラタチの殲滅ではなく、標的の住民達全員をこの場所へ集めること。シラタチは窪井の計画のうちに見事はまってしまったわけだ。
「まだ決まったわけじゃないけど、一応宗萱達に報告しなきゃ。それと、住民達は――」
「みんな、たった今避難したばかりだよ。それをまたかき乱すことができると思うかい? それこそ大混乱だよ。……ボク達で止めるしかない」
マハエとエンドーはうなずく。が、彼らは窪井を見つけ出す術を知らない。
「そういえば……」
ハルトキは『暗視』と『望遠視』を重ねて西の空を見た。それからその下の小さな山を。
薄雲の中で光が瞬いているのを見つけたマハエが空へ目を凝らす。
「あんなところに……。何だ?」
雲の中に何かが潜んでいるようだ。
「そういえば微かに何か低い音が聞こえる気が……。――待てよ、オレは知ってるぞ、この音……。たしかデンテールの飛行船に乗り込んだときにイヤというほど――」
「…………」
三人は顔を見合わせてニカッと笑った。
「異論はないな」
マハエが突きつけた短剣に、ハルトキとエンドーの短剣がかち合った。
「行くぞ」