63:避難、そして
避難所、『グロス・トーア寺院』――
エンドーは続々と避難してくる町の住民達を待機場所へ誘導する。
グラソンは、エンドーが寺院周辺のモンスターを片付け終わった後に遅れて到着し、「モンスターに足止めを食らった」と言っていた。
一言二言の文句はあるが、それは後回しだ。
初めに『ゾンマ』の人々が寺院に到着。寺院には二つの主な建物があるが、高い建物は鎖で厳重に封鎖されているため、機能するのは大聖堂だけである。大聖堂は巨大な建物だが、数百人もの人々が夜を過ごすには狭すぎる。さいわい寺院は高台にあり、周りを高い壁で囲まれているため、モンスターや黒猫が敷地内に侵入するのは困難だ。大きな門を二つ閉じてしまえば、防衛は容易。
――しかし……、とエンドーは考える。
「(何かがおかしい)」
だがそれが大きな疑問なのかどうかがわからない。よくよく考えてみるより先に、混雑を解消してしまわなければならない。すぐにでも『港町』と『ヘルプスト』の住民達が到着するはずだ。
敷地内にはいくつもの松明が焚かれている。寺院は軍の管理下ということで、剣を持った軍人が何人か突っ立っているのが見えるが、彼らはシラタチと協力してこの騒ぎを収めようなどとは思っていないようだ。
そんな軍の態度にも腹が立つが、エンドーはたびたび門のところへ走っては港町からの行列が見えないものかとそわそわし、その到着が遅いことに言いようのない腹立たしさを覚える。
「おーい、エンドー!」
マハエの声が背後からかかった。
「マハエ、無事だったか」
マハエと宗萱、それとエンドーは見知らぬアオバが、並んで歩いてくる。
「何とか、『ゾンマ』は完了だ。あと警戒するのは、新型対SAAPだけど――」
「そうか……」
どこか上の空のエンドーに、マハエは首をかしげる。
「わたしは寺院周辺の警戒へ当たります」
言うなり、踵を返す宗萱。アオバも「もうひと仕事だ」と言って、その後に続いた。
「どうかしたのか、エンドー?」
「……あ、ちょっと」
エンドーは近くにいたSAAPを呼び止め、尋ねる。
「港町の避難民ですか? 出発したばかりですので、彼らの足ではあと三十分近くかかるかと」
「…………」
腕を組んで、エンドーはすでに到着している避難民達を見た。
誰もが混乱しながらも、とりあえずの安堵を見せている。
「どうされました?」
「……いや」
SAAPに「もういいよ」と手を振り、港町とヘルプストからの避難民が入ってくる予定の門に目を向けた。それから離れた場所でSAAPに指示を出すグラソンをチラリと見て、門へ向かった。
「おい、どうしたんだ?」
マハエが後に付いて訊くと、エンドーは、
「マハエも来てくれ」
と言って、説明もなしに足を速める。
[どこへ行くつもりですか?]
すかさず案内人の声が降る。
「……お前の“目”を忘れていたぜ」
[グラソンさんから、今夜はあなた達、とくにエンドーさんから目を離すなと、言われていたので]
「やれやれ」
案内人を追い払うことはあきらめて、代わりに思いつく。
「そうだ、頼みたいことがある。ヨッくんは今、港町か?」
[ええ、吉野さんもすぐにでもこちらへ]
「いやそうじゃない。港町にいるヨッくんへ伝えてほしい」
寺院の長い階段を急いで下りながら、エンドーは言う。マハエも後を追いながら、耳をかたむける。
[何でしょう?]
「ある場所へ行ってみてほしいんだ」
港町――
ヘルプストの避難民は港町と合流後、数分間の休憩を入れている。すぐにでも出発したいところだが、充満する極度の緊張のせいで、避難民の疲労は激しい。
出発を待つ間、ハルトキと青島と赤瀬は民家の壁にもたれて表情を固くしていた。
「……シラタチか」
赤瀬が微かに鼻で笑った。
「まさかアニキが、そんな組織の一員だったとは……」
青島は感心しているようだが、表情は別だった。どういう反応をしてよいのか、困っているようだ。
――彼らはミチルを無事本部まで連れて行った後、やはり大林が気になり、すぐに引き返してきたと言う。モンスターが現れてから不安の一つが、彼らの安否だったのだが、無事でよかったとハルトキはようやく安心していた。
そしてほんの少し前、青島、赤瀬はハルトキからある程度の説明を聞いた。
自分達が因縁があり、窪井を追っていることやそれに大林が協力していること。それと――
「…………」
三人はしばらく言葉をなくす。
――それと大林が窪井にひどくやられたこと、もう戦うことができないこと、今は行方をくらまし、おそらく窪井を追ったということを。
青島はもちろん、赤瀬までショックを隠しきれていない。こげ茶のオールバックをかき乱し、不安を振り払っているようだ。
「……しかしまあ、ボスなら大丈夫!」
無理矢理に明るく言う青島。ハルトキも無理矢理にうなずくしかなかった。
大林が窪井を追ったとして、まず見つけることはできないだろうと、ハルトキは考えた。あのケガでは、普通ならばそこで野垂れ死にでもおかしくはい。しかしそこは青島の「大丈夫!」という言葉どおり自信はある。だがもしも、大林が再び窪井と対峙していれば、今度こそ命はないだろう。
そこでハルトキは自分がマハエに言った言葉を思い出した。
――キミなら殺せる? ボクかエンドーを。
なぜ窪井が大林の死を確認して去らなかったのか。もしくは、わざと生かしたとすれば、それは昔の親友としての心が残っていたのではないか。
「……そう、あいつはくたばらないさ」
とても小さく言った赤瀬の言葉を、ハルトキは聞き逃さなかった。
――出発の号令。
伸びをしたり、深呼吸をしたり、しっかりと子供の手を握ったりと、全員が移動に備えている。
ぞろぞろと行列が動き出す中、ハルトキと青島と赤瀬はそのままの場所で最後尾を待った。
「オレ達は最後尾を守ればいいんですよね?」
「うん。ごめんね、巻き込んじゃって」
「いや、このくらいどうってことないっすよ! ねえ赤瀬!」
「……ああ」
赤瀬は乱したオールバックを整えながら答えた。
そのとき、案内人の声がハルトキの耳に入る。
[吉野さん、エンドーさんからの伝言です]
「ん? ちょっと待って」
幹部二人から離れ、民家の陰に移動する。
「エンドーが?」
[ええ、あなたに廃工場を見てきてほしいと]
「廃工場?」
[東の廃墟群にある廃工場です]
「……ああ、あの子供達が居た?」
マハエと一緒にエンドーを探してたどり着いたボロボロの工場を思い出す。そしてそこにいた子供達と女の子を。
[エンドーさんはその子達のことをとても気にかけています。もしかしたら避難民に加わっていない可能性もあると]
「……そうか、わかった。行ってみるよ」
[お願いします]
ハルトキはため息を一つついて頭をかいた。それから青島と赤瀬のところへもどって言う。
「悪いけど、ボク急用ができたので、先に寺院へ向かってください」
「急用? オレ達も手伝いやしょうか?」
「待て青島、オレ達は三人で最後尾を守る予定だったんだ。しかたない、オレ達が二人でこいつの分まで働くしかない」
「すいません」
頭を下げて、ハルトキは町の東側へ駆け出した。
その後で青島が言う。
「おい赤瀬、今回は珍しく乗り気じゃねぇか」
「……ふん、馬鹿なことを。――ぐずぐずするな」
青島は軽く返事をして、先に行く赤瀬に続いた。
そんな二人の様子を背に、ハルトキは走る。
急いで廃工場を確認し、誰もいなければそれでよし。もしも子供達が居たなら、急いで連れてここを離れなければならない。そう遠くない場所から発せられるモンスターの咆哮を耳にし、そう思った。
――一度踏み入った廃墟群を、ハルトキは再び目にした。
そこは夜になるとさすがに不気味で、おっかない噂話の三つや四つは明らかにあると思われ、間違いなく有名な肝試しスポットだろう。本来ならば人が住めるような場所ではない。
ハルトキは踏み入る前に何度か深呼吸をした。
「肝試しなんて何年ぶりだよ? うわぁ……」
……なかなか足が前に進まない。
「案内人〜? …………うう……、いないし……」
松明でも持ってくるんだった、とハルトキは泣きたくなった。
「……ん? 待て待て、バカだなボクはー、こんなときのための魔力じゃないかー」
こんなときのための魔力ではないのだが、ハルトキは仲間や自分の命を救ったときと同じくらい、力の存在に大いなる感謝を示した。
「ははは。『暗視』を発動させたぞ、これでもう恐く―― いやいや、暗闇で迷わずにすむ」
ぶつぶつと言いながら、ようやく廃墟群へ踏み入る。
前回の記憶を頼りに廃工場を探すうち、それらしき崩れかけの壁を見つけ、今度は門を探した。
「おじゃましまーす……。誰かいますかー……?」
『暗視』状態で工場の入り口と壊れた窓を注意深く見回す。すると、こそこそと動く影を見つけた。まだ幼い男の子と女の子が、じっとハルトキのほうを見ている。
満月の下、夜中の廃工場に幼い子供―― 十分すぎるほどのホラー要素だ。しかしハルトキには、それが生きている人の子だとわかった。前回訪れたときに見た顔が、続いて現れたからだ。
「……誰?」
サーヤが恐る恐る工場から出てきた。
好奇心でその後ろを子供達がくっついてくる。
「えーと、ボク、遠藤京助の友人で、吉野春時。……覚えてる?」
「……あぁ」
エンドーに跳び蹴りを食らわしたうちの一人だと、サーヤは気付いたらしい。――と言うより、汚い自分に頭を下げた“珍しい人種”の一人として覚えていたのだ。
「どうして残ってる? 町のみんなはとっくに避難してるんだよ?」
「……避難?」
サーヤは首をかしげていた。
「……あれ?」
どうやら『シラタチ』の避難勧告はここまで届かなかったらしい。
「シラタチさんのミスですか……」
ハルトキはガクッとうつむくが、沈む気持ちを抑えて、サーヤに向き直る。
「すぐに逃げよう。モンスターが来る前に」
ハルトキは彼女らに手を伸ばすが、相手は一歩も動かない。
「何してるんだい!? はやく町の人達のところへ避難しよう!」
「…………」
――町の人達のところ。その言葉が、サーヤを一歩後ろへ引かせた。
恐れている。襲い来るモンスターなどよりも、町の人々を。ハルトキはそれを薄々感じ取った。
「あの、だから……、あのさ、向こうにはエンドーもいるから――」
「嫌よ!!」
「え?」
はっきりと表れた激しい怒声に、今度はハルトキが引く。
「嫌よ、あんなやつ……!」
顔を背けるサーヤは、離れた位置のハルトキでもわかるほどに、わなわなと悔しそうに唇を噛んでいた。
「(ははぁん、ふられたな、エンドーちゃん)」
などとニヤついている場合ではない。どうにかして彼女達をここから動かさなければならないのだ。
「……町の人達が恐いのなら、近づかなければいい。少し離れている場所で、外が安全になるまで待っていればいいだけだよ。ここにいるのは危険だ!」
「…………」
しかし動かない。彼女の目は強く訴えている。
――死んだほうがマシだ! と。
「…………」
――困った。そんな表情がハルトキの顔に表れる。
時間がない。――モンスターの咆哮がすぐ近くで聞こえた。
足音と荒い鼻息が、ほんのすぐ近くで聞こえた。
「あちゃ……」
ハルトキはゆっくりと門を振り返る。
ドスドスと音を響かせ、微かに地面を揺らしながら、獲物の臭いをかぎつけたドラゴンが、ハルトキらを見つけた。
しぶしぶ、短剣を抜くしかなかった。
子供が恐怖で騒ぎ、工場へ駆け戻っていく。しかし、サーヤはまだ動かなかった。
「逃げるんだ!」
と叫んだハルトキの言葉で、我に返ったかのように、恐怖の呪縛が解けたようにサーヤも工場の中へ引き返した。
しかし、ハルトキはみんなの視線を感じていた。
廃工場を守らなければならないのに、ここでは魔力で戦うことができない。――それに現れたドラゴンは妙だ。
現在、見当たるのは一体だけだが、そのドラゴンは見覚えのあるものよりも若干大きく、眼光もキバも鋭い。全身は血のように真っ赤で、明らかに通常よりも凶暴で力の強いことがわかる。
「(金縛り、ならどうにかごまかせるかな)」
ハルトキの魔力は、“見えない”というところが強みだ。『暗視』に『動体視』を重ね、ハルトキは短剣をぐっと構えた。
心の中でマハエとエンドーに助けを求めたが、彼らの到着を期待するほうが時間の無駄だ。
「赤でも何でも、言ってみれば大きなトカゲさ。しっぽをつまめば、切って逃げ出す」
エンドーならきっと一人でも倒す。それなら自分にもできないことではない。ハルトキはそう考えて自分を勇気付けた。どうしても彼女らを守らなければならない。他でもない、親友の頼みならば。