54:崩れる心
バンッ! とドアが開いた。
宿の部屋で眠っていたマハエとエンドーはその音で目覚め、呼吸を荒くして踏み入ってくるハルトキに目を向ける。
「…………」
二人は目を擦る。
外はまだ薄暗い、早朝。だがハルトキの様子からただならぬ事態を予想する。
「どしたの?」
マハエが訊く。
「大変なんだ、すぐに来て!」
「まず落ち着け。何があった?」
エンドーはすでに起きてジャケットを手に取っている。
「……大林さんが、いない」
ハルトキ、マハエ、エンドー、宗萱、グラソンは、本部『医務室』で無人のベッドを見下ろしていた。
「あんな体でいったいどこへ?」
宗萱は呆れていた。
「ボクが起きたときにはもういなかった。部屋を出て行く気配なんてなかったし……」
そのとき、案内人の声が。
[記録を調べたところ、深夜にテレポート装置が作動していたみたいです。転送先は、『ソレィアド地方』]
「ソレィアド? 大林さんが窪井と戦っていた?」
マハエが言うと、ハルトキは脱力して膝をつく。
「まさか窪井を追ったんじゃ?」
「あり得るが、あの雨で痕跡はすべて消えている。SAAPの捜索でもお手上げだったんだ。――もっとも、あいつならそんなことお構いなしに行動するかもしれんが」
[連れ戻しますか?]
「放っておけ。ムダに戦力を欠くわけにはいかない」
グラソンは冷たく言い放つ。
たしかにこの忙しいとき、別のことに気をとられている場合ではない。
「おい案内人、お前ならすぐに見つけられるんじゃねぇの? オレ達の居場所もすぐにわかるんだからよ」
[残念ですが、前もって登録済みの人物―― つまりあなた達五人や一部SAAPの位置情報しか調べられないのです]
「そうか。期待はしていなかった」
[…………]
――グラソンの言葉で納得するハルトキではない。しかし彼は考える。
「ボクは……。信じるよ、大林さんを。無茶をする人だけど、あの人が決めたことだから」
「いいのか?」
マハエが訊くと、ハルトキはすぐにうなずいた。
「あの人の過去とか、あまり知らないけどさ。あの人の強さならよく知ってるから」
「…………」
グラソンは口元で笑うと、宗萱を伴って仕事にもどる。
「お前らは待機だ。指示を待て」
港町の端っこ、廃墟地の中にひっそりと存在する廃工場。
――もともとこの廃墟群は、十数年前に津波の被害に遭った場所で、たくさんの人が死んだ。残った町民はその記憶から、この場所を嫌い、以来放置され続けてきた。
『存在しない子供達』と呼ばれる孤児達が生活する廃工場も、その一例だ。
「じゃあ、大人しくして待っててね」
サーヤは子供達に手を振って、廃工場の門を出る。
笑って「いってらっしゃ〜い!」と送ってくれる子供達を、サーヤは気持ちよく眺めていた。
この廃工場にエンドーが訪れたのは一昨日のことだ。
彼のおかげでサーヤや子供達は生きる気力というものを少しでも取り戻した。
子供達も、当然サーヤ自身も、「また来る」と言っていたエンドーの言葉に期待し、翌日にでも訪れるものと思い待っていたものの、現れず、サーヤは少しばかり気落ちした。
――反面、ほっとしていた。
サーヤが嫌う自分の力のことを、あまり詳しく問われたくはなかったから。
しょせんは彼も興味本位で近づいてきただけなのだろうと、サーヤは思うが、なぜか彼のことが気になって、一昨日の夜は眠れなかった。
不思議な気持ちだった。同じ異性であるジンにも決して抱かなかった感情であることは間違いなかった。
――また会いたい。
いつの間にかそう思うようになっていた。
この日は、何ヶ月ぶりの買い物。ジンがギャンブルで稼いだお金の分け前(すずめの涙ほどだが)で少ないまでも食料を調達するのだ。ボロボロの買い物かごを持参して。
もとがスリやドロボーで得た汚いお金ではあるが、子供達が生きるためには仕方がない。
サーヤはこれまで、昼間の町へ出ることを避けていた。それは言うまでもなく、嫌われ者の中の一人であるから。
だが―― これもエンドー効果かもしれないが、何となく気持ちが軽く、昼間の町に挑戦してみる気になったのだ。
モンスターが現れても、港町の活気は変わらない。
できる限り表通りから目立たない路地を通り、町の中心へ来た。
目を閉じて、深呼吸をして、サーヤは人のにぎわう商店通りへ歩み始める。
――視線が気になったが、気付かぬふり。
傷みやすい肉や魚はあきらめ、パンを求めてパン屋へ行く。
「一番安いパンを買えるだけ……、ください……」
パン屋のおばちゃんに、買い物かごを差し出す。
「…………」
『存在しない子供』でも、商売人にとって金を持っている者は客だ。何も言わずに要望どおりのパンを、要望どおりの数だけ、かごに入れる。ただ、その待遇は雑なものだ。たった一言も会話を交わしたくないのだろう。終始黙って、また、スキあらば商品を盗られるのではないかと、常に警戒している。
「(やっぱり町の連中は嫌いだ)」
サーヤも必要なこと以外は言葉を発さず、お金を渡すと足早に店を去った。
ちらりと振り向けば、パン屋のおばちゃんが店の前に出て、ホウキでその場所を掃き“清めている”姿が視界に入った。
「…………」
嫌われても仕方がない。最近ではそう思うようになっていた。
汚くて、残飯をあさって、ドロボーをする(実際ドロボーをしているのはジンだが、彼も廃工場の仲間に違いない。そのおかげでたった今もパンを買うことができたのだ)。
それだけあれば理由は十分だ。自分が裕福な生活をしていれば、同じような目で見ただろう。
しかし悪いのは自分達ではない。
自分達を捨てた大人が、手を差し伸べてすらくれなかった大人達が悪いのだ。
――いや、サーヤ自身は少し違う。
「こんな力さえなければ……」
これまで何度繰り返したか分からない言葉を、またつぶやいた。
町を歩く若い娘は、みんなおしゃれな服を着て、首や腕にきらきらのアクセサリーを着けている。髪だってサラサラでツヤツヤだ。
鏡など見ないサーヤだが、彼女達と自分がどれほど違っているのかはよく分かっている。
服はボロボロで臭くて、顔は泥だらけ。薄オレンジの髪も伸びっぱなしでぼさぼさ。
彼女も思春期だ。「だからどうした、そんなの関係ない」などと完全に自分をごまかしきれるものではない。
やはり周囲の視線が気になった。
そのとき、サーヤは立ち止まる。
人の行き交う表通りに、覚えのある顔を見つけた。
エンドーだ。
なぜか胸が高鳴った。
隠れてしまおうかと物陰を探したが、エンドーはサーヤのすぐ正面。真っ直ぐに歩いてくる。
一人だが、誰かと話をしているように、ぼそぼそと口を動かしながら。
「あ……、キョースケ――」
サーヤはエンドーの名を呼んだ。
「…………え?」
――しかしエンドーは、彼女の横を素通りしていった。
何も言わずに。
それどころか、完全に無視していた。
――どうして?
気付かなかっただけだろうか。しかし人が多いとはいえ、すぐとなりをすれ違ったのだ。それにサーヤの浮いた姿に目が行かないわけがない。
「…………」
――人前で私なんかと話をしたくないんだ。
突然、人ごみが恐くなった。
後じさりしたサーヤは、誰かにぶつかる。
とっさに振り向くサーヤを、ガラの悪い男が見下ろしていた。
「よぉ、また会ったなぁ」
いつぞやのピアス男だ。
逃げようとしたサーヤを、男の仲間が押さえつけた。
「そう恐がんじゃねぇよ、乱暴はしねぇからよぉ」
ウッヒッヒと気味悪く笑う男達。
サーヤは周りの人々に助けを求めたが、当然誰もが目をそむけ、中には楽しんで見ている者までいる。
ピアス男が言う。
「ちょいと、お兄さん達とお散歩しようや」