52:トップの一つ下
もう一人、この森で生存していた人物が三人に歩み寄る。
「よう、生きてるか?」
大柄の中年男だ。どこか貫禄のある顔にアゴヒゲをたくわえ、クセのかかった黒い長髪をかき上げて、鋭い眼光を覗かせる。
単独のようだが、この森で生き延びていた割にはしっかりと精神を保っている。
「やはりあなたでしたか!」
アオバが真っ先に男の前に出て、敬礼する。
「シマ、無事で何よりだ」
男はアオバの肩に手を乗せ、ゆるく笑いかける。
威圧感のある男だが、笑えば悪くは見えない。
アオバの態度から軍の関係者であることはわかるが、男の服装からそれを判断できる要素はない。
上半身は袖なしの革ジャケット一枚というラフな格好で、背には大きな弓を背負っている。軍関係者よりも狩人と呼ぶほうが、じつにしっくりくる。
アオバが男を紹介する。
「この方はレオン副司令です。副司令、こちらが『シラタチ』のお二人です」
マハエに肩を借りながら、宗萱は重たそうに頭を持ち上げる。
「このような状態ですみません……。直接お会いするのは初めてですね。シラタチの宗萱です。――それと部下の小守真栄」
「よろしく。わたしはレオン・R・ロードだ。気軽に『R』と呼んでくれ」
「…………」
「冗談だ。『ロード』と呼んでくれ」
そう言って、口の端で笑う男―― ロード。
マハエは小声で宗萱に尋ねる。
「副司令って、『イチリン』の?」
「いえ、『守民軍』の、です……。つまり軍のトップが総司令、その一つ下の階級が副司令です」
「……軍のナンバー2?」
凍結した首を、ギチギチとロードへ向ける。
「この人が?」
疑いの眼。
それもそうだ。狩人のような服装や髪型やヒゲは別に置いておくとして、自ら武器を持って戦いの場へ単独乗り込んでくるナンバー2がいようか。少なくとも大勢の部下を動かす力を持つ人物が取る行動ではない。
「(まあ、一番軍服姿の似合わなさそうな人ではあるけど……)」
「よう少年、よく頑張ったな」
突然、笑顔のロードに話しかけられ、マハエの凍結モードは一瞬にして吹き飛んだ。
「い、いえこちらこそ助けていただきありがとうございました……」
「緊張するな。見事な戦いぶりだったぞ」
「え、あ、ありがとうござい…… ってええ? 見てたんですか?」
マハエがギクリとした表情で宗萱を見ると、彼もあきらめたように首を振った。
しかし平然と接するロードから、シラタチの力に気付いた様子は見受けられない。
「いやぁ、しかしまさか“手品”を戦いの中で活用するとは、驚いたな」
「…………」
――天然さんで助かった。
シラタチはホッとした。
「ところで副司令、なぜこの場所へ? オレ達、軍はこの件に深入りしないはずでは――」
「散歩だ」
「散歩ですか」
納得した。
「(大丈夫か? 守民軍……)」
マハエの疑いの念はさらに深まった。
「まあ、というわけで、わたしがここへ来たことは秘密にしておいてくれ」
ロードはアオバに言って、長髪を掻き上げる。黒い長髪を――
マハエは少し考える。
この世界ではどこへ行っても黒髪を見かけなかったから、珍しいなと思ったのだ。
するとロードもマハエの髪に気付いたようで、
「おお少年、キミも黒髪ファンか? 黒い髪はすばらしいよなぁ、つやつやとしていて高級感がある。キミも染めたのだろう?」
「……いえ、地毛です」
「なに!? そんな……。うらやましい……」
「…………」
マハエはもう一度宗萱に尋ねる。
「この人、副司令?」
「驚きですね」
「黒髪と言うのは珍しいだけではないのだ。昔から語り継がれる伝説が――」
「副司令、雑談は後にしましょう」
アオバが止める。放っておけば黒髪長編伝説話を延々と語るのであろう。
「む? ん、そうだな。では、わたしは応援を呼ぶとしよう。シラタチ諸君、モンスターの討伐、ご苦労だった。あとは我々、守民軍にまかせてくれ」
背を向けて左手を振るロードの手首で、それまで気付かなかった銀色のブレスレットがキラリと光った。
「……変わった人だったなぁ」
マハエがつぶやく。
「それでも、あの人はすごいよ」
ロードの後ろ姿を見つめるアオバの瞳は、尊敬の色にあふれている。
「まあ、腕はすごいよな。人は見かけによらないって言うけど」
助けてもらわなければ危ないところだったのだ。もう少しまともにお礼を言うべきであったと、マハエは思うが、ロードとの縁はまだ繋がっている気がした。
「とりあえずここから出て、どこか喫茶店で休憩したい」
マハエが言う。力のない宗萱を担いで本部までもどるのは大変だ。
「ありがとう。シラタチ」
アオバは二人に一言言うと、すぐに背を向けた。彼は涙を流している。友人の死に。自分の手で仇を討てた喜びに。――それだけではない。一番は生きているという安堵から。
――一人の命だけでも救えた。それこそが自分達の戦う理由なのだと、マハエは実感した。
ヴァルテュラの―― 女の死体を一瞥してから、三人はその場を後にした。
二人が帰路についたのは、日が沈みかけた時間。
軍の馬車に揺られ、本部である城へ。
――たった半日ほどの時間で、森の外は大きく変化していた。町から出ればモンスターがうろつく危険地帯。家々の明かりもほとんどなく、人の声一つない。
馬車の周りには、護衛の兵士が数人、馬にまたがり歩調を合わせている。
モンスターからの護衛―― 本来ならばシラタチの役目であるが、宗萱がいまだ本調子ではなく、ロードの親切に甘えるほかはなかった。
死の森の影響か、それとも無理が過ぎたのか、魔力の回復が遅々としている。
「あれから案内人の報告がないけど、大丈夫かな?」
「彼のことです。忘れているのでしょう」
「だね」
マハエはやれやれと息を吐いた。
今回の件は、ただ単に“シラタチの任務”というだけではなかった。
ヴァルテュラが遺した言葉が、ずっと二人の頭に謎として残って消えない。
「大いなる存在……、大いなる生命、か……」
考えても解決しないことを、いつまでも引きずるのは無駄な労力だ。
別の事―― できれば楽しいことを考えようと、馬車の窓から外を覗く。すると、西の空に真っ赤な夕日が見えて、また不可解なことを思い出す。
「……赤い雪……」
昨晩見た赤い雪のような光、そして翌日に出現したモンスター。その二つは繋がった出来事なのか――
宗萱に話すと、彼も腕を組んで考え込む。
「問題は山積みですね……。ですが、現在の最優先とすべきは、窪井の活動を阻止すること。グラソンの話では、ミサイル攻撃に必要な量にウィルスを増殖させるには、少なくともニ週間以上はかかると。どうにかしてそれまでに窪井を見つけ出さなければなりません」
「……そうだな」
すべての物事や謎が一つにまとまれば良い。しかしそれが期待できない以上は――
「頑張るしかない、な……」
――馬車がガタンと揺れた。
マハエは仲間の顔が恋しくなった。共に戦ってくれる友人達の笑顔を見れば、きっと勇気も湧いてくるに違いない。
『シラタチ』の本部である城に到着した頃、外は闇に呑まれていた。
――そんな恐怖をにじませる表現が、今はとてもしっくりとくる。
暗闇の中で、バケモノが襲い掛かってくる。――そんな想像に恐怖した小学生時代を思い出して、マハエは真剣にバケモノに恐怖するのも久しぶりだと、懐かしい気分になる。
そしてそんなことを考えられるほど余裕のある自分を笑ってやりたくなった。
――恐怖に慣れすぎている。
馬車は城の正門前に止まった。
二人は兵士達に礼を言い、彼らが見えなくなるまで見送ってから、静まり返った城内へ。
「ああぁぁー……」
ようやく帰ってこられたー、と、全身の力を解放してロビーの冷たい床に寝そべりたい衝動に駆られるマハエだが、そこで待っていた二人の人物を目にしたおかげで、それはおあずけとなる。
「おかえり」
グラソンが静かに言う。
一緒にいたエンドーが腕を組んだまま強張った表情で、マハエに一言「よう」と声をかける。
「……ただいま」
期待していた友人の笑顔などとは程遠い雰囲気だ。
それにエンドーがわざわざ出迎えてくれる珍事。すぐにただならぬ何かを察した。
「何かあったのですか?」
代表で宗萱が尋ねる。
何かを言いづらそうにしているグラソンとエンドーだが、それを伝えるためにわざわざここでマハエ達の帰り待っていたのだ。
「任務の報告は、後で聞こう。帰還早々、悪い知らせだ」
「…………」
マハエは不安の眼をエンドーに向けて、何事かと訴える。――目をそらして、エンドーは残念そうに首を振った。
再びグラソンに目を向けるマハエ。
「実は、大林が……」
重々しい。
言葉が、空気が。
「……大林さんが、どうしました?」