51:美しきかな
地面から突き出した多数の触手根は、すでに三人に狙いを定めている。
ヴァルテュラは木のモンスター。それ故にその場から動くことはできない。
しかしその防御は鉄壁だ。地面から突き出て動く根はまさにヴァルテュラの“腕”。自らの根を自在に操る“彼女”の攻撃パターンは無数に存在する。
最強のモンスターと呼ばれる所以だ。
「――しかし知能があり、根を自在に動かす特性を除けば、やつの構造は樹木と同じはずです。樹木の根は本体から離れるほど無数に枝分かれしますが、本体の周囲に存在する根はさほど多くはないはず」
その弱点をカバーするためか、触手根の半数を自らの周囲に盾とし、残りを攻撃に回している。
さっそく何本かの触手根が三人を挟むように左右から押し寄せる。
宗萱は左を、マハエが右を防御する。
宗萱の刀が鋭い風を帯びて根を斬り、マハエの槍が衝撃を放って根を打ち砕く。
「――!!」
二人はとっさにアオバを押してその場から逃れた。
「思った以上に固い根だ……」
「数が少ない分、硬度と強度は今までの根とは段違い。魔力の消耗も激しくなりそうです」
――どうにかして本体までの壁を崩さなければならない。“アオバの一撃”のために。
「頼みますよアオバさん」
マハエは『壊波槍』の力を増すべく、さらに魔力を注ぐ。
「あんたらこそ、頼りにしてるよ」
アオバはベルトに挟んでおいたダイナマイトに手をそえた。
硬度のある根を、攻撃に魔力を上乗せして破壊するが、先端が切断されくらいで根の動きは止まらない。 痛みを感じているとすれば少しのスキはできるものだが、“彼女”にその感覚はないらしい。根は短くなっても、その長さ分地面から伸びてくる。一つの森を丸ごと呑み込んだモンスターだ。蓄積されたエネルギーは尽きることを知らない。
一つだけ、ヴァルテュラを沈黙させる方法は本体を破壊すること。人の姿をし、言葉を発する中枢部分を。そのためにはまず、根の猛撃を突破しなければならない。
接近戦で本体を叩くのはほぼ不可能だ。だが盾に穴を開けて爆薬を投げ込むことができれば、相当なダメージを与えられる。
成功させるためにはシラタチの力と、アオバの“本物の戦士”の勘が重要となる。
プログラムによって備わった勘ではなく、修行や実戦の中で自然と備わっていった勘。それは他の何者にも劣ることはない。
そして何よりも、仲間を信じることで成功する作戦と言える。
「おおおおりゃあっ!!!」
力を凝縮して研ぎ澄ませた『壊波槍』の刃が、まっすぐ向かってきた根を縦に切り裂き、振り払う。
本体に近づくほど攻撃は激しさを増す。
同時に二つ以上の攻撃を放たれれば対処は困難に。
右の根を切り裂き、即座に左の根を。そして正面から向かってくる根――
「――っ!」
それに宗萱が捕縛され、高々と持ち上げられた。
しかし慌てる者はいない。すぐにマハエがその根を切断し、解放された宗萱は重力にしたがって落下する。
「桜舞灯―― 『降風』」
宗萱の刀が帯びた魔力は、空気をかき回して真空を作り出す。
空中で刀を振り、魔力をヴァルテュラへ放つと、細かな真空の刃が風とともに降り注ぎ、盾の根に無数の傷を付けた。
膝を曲げて着地した宗萱の周りをヴァルテュラの葉が舞う。
「この程度の攻撃では、盾を崩すには程遠いようです」
ひるまず向かってくる根を刀身で止め、それをマハエが切り落とす。
「でも、やつも焦り出したみたい」
彼らとヴァルテュラ本体との距離は約十メートル。
攻撃は激しいが、その分攻めの的確さが劣ってくる。
「相手が焦り出せば必ずスキが生じる」
アオバが言う。
二人の魔力の消費も著しいが、相応の威力は発揮している。
いくらでも伸びてくる根だが、さすがに限度はあるようで、短くなったものから地中へ戻っていく。
「桜舞灯―― 『這風』」
膨大な魔力をまとわせた刀を、宗萱が地面へ振るうと、三日月形の真空を発生させて、地を割り空中の根をも破壊しながらヴァルテュラ本体へ突き進み、盾の根にぶち当たって消えた。
その威力は大きく、盾にはザックリと深い傷が。――それでも、それを破壊するには力不足らしい。
ヴァルテュラが反撃する。
生き残った攻撃の根がまとまって一本の根となり、その太い柱のような“腕”を軽々と振り回す。
さすがにコレに対して防御は無意味だ。姿勢を低くしてかわしながら攻撃のチャンスを待つ。
太い触手根が一振りされるたびに、ブォンという低い音と風が全身をかすめる。
地面に叩きつけられれば大きな音と振動で身がすくみそうになり、後に残る大きな溝を見ればその巨大な鈍器の威力に目が眩む。
食らえば半分不死身な肉体と言えど、ひとたまりもないだろう。
「(……あれ食らってまだ再生できたら、オレ逆に死にたくなるよ……)」
違う意味でも恐怖を覚えるマハエ。
ブォンと音が横から接近し、慌てて突っ伏す。
「斬灯―― 『灯柱』!」
タイミングを見て宗萱がしかける。
目にも留まらぬ素早い一振り。縦に伸びた光の柱が、太い触手根を切り裂く。
完全に斬りおとすには程遠いが、根はそれに弾かれるように空へ急上昇した。
そしてまっすぐに伸びたかと思うと、急降下していっせいに先端から分裂し、鋭い根が幾本もの槍の雨が如く、三人の頭を狙う。
「桜舞灯――」
『這風』よりもさらに膨大な魔力が刀に注がれる。
「『玉風』!」
突き上げられた刀から風が生じ、膨らむ。
マハエは苦しさを堪える宗萱の様子に気付いた。
風は直径二メートルの球体を成すと、高速回転する鋭い刃の塊となり、襲い来る根の雨をことごとく破壊した。
削られて散る細かな木屑。攻撃の根はすべて消滅した。
――直後、宗萱が膝を付く。
クモに縛られていたときの消耗が、まだ残っていたのだ。
瞬き一つで消えてしまいそうな意識を必死に保ち続ける。
「あとはオレに任せろ」
マハエは宗萱の背中をポンと叩く。
「おい、危ない!!」
「え?」
マハエがアオバの叫びを聞いたのは、ちょうど息巻いてヴァルテュラに目を向けたときだった。
――おかしい。
ヴァルテュラを囲んでいた盾の根が消えている。
――ふと足元を見た。
「うわああぁぁぁぁ〜〜!!!」
絶叫が舞い上がっていく。
「くそっ!」
手を伸ばすアオバの目の前で、マハエと宗萱が足元から出現した根に捕らえられ、空中へ持ち上げられた。盾の根を攻撃に切り替えていた。
アオバは間一髪、突き出す根を回避したが、道を開いてくれる二人がいないことには――
「……いや」
微かに笑うアオバ。
道は十分に切り開いてくれた。後は自分の役目だけだと。
捕獲にかかる根の気配を背後に感じ、アオバは走る。――ヴァルテュラの本体へ。
その手には火薬筒と火付け棒。
導火線に着火させると、本体の五メートル手前でブレーキをかけ、盾の守りのない本体へそれを投げつけた。
弧を描き、火薬筒は舞う。
導火線は残り半分―― ところが、途中で火は消えた。
「なに……!?」
突然地中から飛び出した根が、導火線をかすめたのだ。
爆発しないただの筒が、ヴァルテュラの根元に転がっただけだった。
ヴァルテュラの薄ら笑いが見えた気がした。背後から触手根に縛られ、アオバもシラタチと同じく。
「…………」
いや、そうではない。
薄ら笑ったのはアオバだ。彼の手には火の着いた投げナイフが。
「これで最後だ」
空中でアオバは狙いを定め、そして放った。
ナイフは火の粉を散らしながらまっすぐ飛び、妨害にかかる根をすり抜け、火薬筒に突き刺さる。
――アオバは女性の悲鳴をたしかに聞いた。耳をつんざく爆音の中で。
――大量の青い葉が、風にさらわれていく。
根から解放され、三人は地にもどった。
「やった……」
マハエは宗萱を助け起こし、ヴァルテュラを見た。
あの爆発だ。跡形もない――
「…………」
その木はそこに存在していた。
大部分をそぎ落とされ、焼け焦げ、みすぼらしい姿となってもなお、必死に生へしがみ付いているかのように。それでもまだ青い葉を茂らせて。
「……グッ……! マサカ、コノ私ガ……!」
潰れた女の声が微かに聞こえた。
削げ落ちるように“中枢部”を覆っていた幹が崩れ、女性の上半身が現れる。
髪はなく、全身茶色。身体を細い根のような物で縛られ、ところどころ肉体と同化している。
「マサカ……、貴様ラ如キニ……」
「お前は何者だ!」
牙をむくアオバを、『ヴァルテュラ』と名乗っていた女性は死人のような瞳で見つめる。
「私ハ道具……。貴様ラトハ、相反スル存在……」
「道具だと? 何のために――」
「ニュートリア・ベネッヘとは、関係ないのか?」
次はマハエが訊く。
「……何ノ話ダ? ソンナモノ、知ラナイ」
「窪井じゃないのか。――その姿……、あんた、もとは人か?」
「……人ダト? フフ、アノヨウナ物ト一緒ニスルナ。……私ハ大イナル存在ノ、ヒトツ」
地面が揺れる。
「まだ抵抗するつもりか……!」
マハエは『壊波槍』を振るう。
「……貴様モ私ト同ジ、大イナル生命ノ欠片カ……」
マハエを映したヴァルテュラの瞳が、ギラリと光を放った。
「……!!」
そこら中から鋭い根が顔を出す。
「貴様モ還ルガ良イ! 生命ノ御許ヘ!!!」
根はぐんぐんと成長し、横へ傾いて三人にその切っ先を向ける。
発せられる女の笑い声は、狂い、壊れていた。途切れることなく怒りや悔しさ、苦しみの感情が吐き出される。
その嘔吐に終止符を打つかのように、聞き覚えのある音がマハエの頭の横を通り過ぎた。
――ヒュンッ!
空間を貫いた一本の“矢”は、続いてヴァルテュラの眉間を貫く。
「…………」
ヴァルテュラ―― 女は涙を流していた。
あごからこぼれた透き通った粒は、紛れもなく人のものだ。マハエにはそう見えた。
「ファク、ト、リー……」
空を見上げ、見えない何かに手を伸ばし、女は静かに絶命した。
突き出ていた根は枯れて折れ、ヴァルテュラの木も黒くしおれる。葉も茶色に染まって次々と落ちゆく。
マハエの肩の横で、薄っすらとまぶたを開けた宗萱が、空を見てつぶやく。
「綺麗な光……。森の生命が、解放されてゆくようです」
澄んだ風が吹きぬけると、三人も緊張から解放される。
「ところであの矢、クモのときオレを助けてくれた――」
と、三人の背後で枯れ枝を踏む音がした。