50:ただ一つの命
枯れ木群――
森の奥はもはや地獄。
すべての木々は枯れ、中には黒くなってボロボロと崩れるものもある。
木、草、花、水。――そこに本来の森をイメージさせる物は何もない。
かつてその場所に生息していた動物達の残骸がそこかしこに散らばって、モンスターの根がその一つ一つにしゃぶりついている。
「なんてやつだ……!」
歩きながらも、アオバは周囲に広がるその光景から目を背けたくなった。
魚が泳いでいた小さな水溜りも、今はただの浅い窪み。
すべてをしゃぶりつくす強欲なモンスターに対し、湧き上がるのは恐怖以上に激しい怒りだ。
「許さない……」
小さくつぶやいたアオバの言葉―― そう思うのは誰でも当然のことだが、宗萱とマハエには、彼の怒りが、ただ人が殺されたというより、もっと重い憎しみから湧き出ているように感じた。
「ちゃんと訊いていませんでしたね。あなたが単独でこの森に潜入した理由を」
「…………」
アオバは若干のショックを表情に表したが、すぐに平静にもどる。
本人にとって話したくないことだと、質問した宗萱もマハエもわかった。しかしそれをはっきりさせないわけにはいかない。――ともに行動する以上は。
それを承知しているのか、歩調をそのままに、アオバはしぶしぶ話し始める。
「オレがこの件の情報を耳にしたのは、昨日の朝だ。軍はこの件を『シラタチ』に依頼する決定を出した。しかしオレは黙っていられなかった。――一昨日の夜ことだ、オレのところに知り合いの女性が相談に来た。その人の娘が二日前に姿を消し、行方が分からないと。ちょうど近くのゾンマという町でも、同じように行方不明者が出ているという話を耳にして、知り合いは不安になったそうだ」
「あなたはその母親の依頼で?」
「いや、実はその行方不明になった娘というのが、オレの幼馴染で、二つ年下だが、子供の頃はよく一緒に遊んだ、友人だった。ここ何年かは、たまに顔を見るだけで交流はなくなっていたが、心配になったのはオレも同じで、『シラタチ』にすべてを任せるという決定に、オレは反抗した。だが、上層部の意思は変わらない。仕方なく休暇を取り、独りでこの森へ」
「それで“個人的な事情”ですか」
「で、その幼馴染は――」
マハエは慌てて口を閉ざした。
答えはわかる。
「……見つかったよ。あんたらと別行動しているときに。骨で顔はわからなかったが、遺体が着けていた珍しい形の首飾りには見覚えがあった。彼女の母親が同じ物を着けていた」
表情は平静だったが、それが装いだということは一目でわかる。
泣きたいのだろう。だが人の前では決して涙は見せない。
マハエは胸を打たれた。何があろうと冷静さを見失わない彼の強い心に。
「カタキを討ちましょう」
宗萱が言った。
アオバは黙ってうなずき、その意志を宿した強い眼を行く先へと向けた。
戦う力があろうとなかろうと、三人の闘志は微塵と変わらない。
――そして必ず生きて帰ろう。
三人の心は一つだ。
それから数分歩き、三人は一度立ち止まる。
「あと少しです」
魔力でモンスターの気配を探った宗萱が言う。
「ところで、おかしくないか? オレ達が本体に近づいてるっていうのに、向こうは全然攻撃をしかけてこない」
マハエが首を傾げる。
「我々がここまで進攻してくるとは想定外だったのでしょう。ほとんどの勢力を外へ向けていて、対処が遅れているということです。つまり、チャンスは今。ですがあなどってはいけません、やつの知能は人並みです。完全に無防備でいるとは思えません」
「それなりの抵抗を覚悟しておけってことだな」
そう言うマハエの心に恐怖はない。
仲間の、自分の力を信じれば、必ず勝てると思う。
「アオバさんの装備は?」
「コンバットナイフの他は、投げナイフが一本に爆薬が一つ」
「となると、基本我々は接近戦タイプということです。危険な戦いになるでしょうが、互いにフォローしながら攻めればどうにかなるでしょう。――と言っても、相手の出かた次第ですが」
「作戦は任せるよ」
と言うアオバと、マハエも同じく。
宗萱はすでに何パターンか考えているようで、表情には自信がうかがえる。
とりあえず緊張を和らげるには、それだけでも十分だ。
しかしそのとき、三人とは別の声が頭上から降りかかる。
[宗萱さんマハエさん、報告があります]
「案内人――」
マハエはアオバに目をやり、咳払いをする。
[そのまま聞いてください。先ほどなのですが、突如フーレンツの各所にモンスターが出現しました。すぐにSAAPを送りましたが、現時点でも被害は拡大しているもようです]
「そうですか、わかりました。こちらはまだ終わりそうにありません。どうにかそちらの戦力で間に合わせてください」
[ええ、健闘を祈ります]
――報告終了。
「……モンスターか。どうしていきなり?」
「わかりません。ですが、今はこちらに集中しましょう。あちらにはグラソンもいますし、大丈夫でしょう」
加え、ハルトキとエンドーもいる。戦力が二人欠けたくらいでさほど支障はないだろう。
「――どうしたんだ?」
ひそひそと話す二人に、アオバは眉をひそめている。
「何でもないですよ。さあ、気を引き締めて行きましょう」
「……?」
――フーレンツにモンスターが出現したという事実をアオバは知らない。父親をモンスターに殺された彼がこの状況でそのことを知れば、きっと戦いに油断が生じる。だからあえて、今は何も伝えない。もっとも、なぜそのことを『シラタチ』の二人が知り得たかというのが不思議なことでもあるから。
それからまた数分後、――枯れ木群、中央の広場。
広場と言えば聞こえは良いが、そこは養分を限界まで吸い取られ、姿が保てなくなった木々の墓場だ。
ただ、その中で一本だけ、生き生きと葉を茂らせた木がある。直径五十メートルに及ぶ墓場の中心に。
一番高い枝の先まで、ほんの五メートル。倒した根のクモのように、根が塊となったようないびつな姿だが、広げた枝から茂る緑の葉に、降り注ぐ日の光が反射して輝き、つい見とれてしまう美しさがある。
「ヴァルテュラ―― 姿は“木”そのものですが、れっきとしたモンスターです。ようやくここまで来ましたね。こいつが、この森を蝕むモンスターの正体です」
「魔木……」
マハエは目を見開き、まばたきすら出来なくなっていた。
モンスターとは思えない美しい輝きに圧倒されている。
それは生命の、力の圧倒とも言える。
「恐れを抱けば、そこで終わりですよ」
「わかってる」
流れ出る汗を噛み砕くように、マハエはニッと笑ってみせる。
アオバが言う。
「本体はただ突っ立てるだけだ。攻撃はできても、その場から動くことはできない。攻め続ければ勝てる」
コンバットナイフを顔の前に構える。
すると、その言葉に反応するように、ヴァルテュラの枝がざわついた。
「勝ツ? ソウ言イマシタカ」
葉が揺れ、枝が揺れ、幹が揺れる。
「何だ?」
それから続く地面の揺れ。
そしてヴァルテュラの幹がパックリと開き、人の顔が覗く。
「女?」
アオバは目を細めた。
木と同化した人の頭。その茶色い顔には、女の面影がある。
「私ヲ倒スツモリ?」
顔がしゃべった。
「あなたは何者ですか?」
一歩踏み出る宗萱。
「私ハ、ヴァルテュラ」
薄ら笑いを浮べて三人を見、それ以上は何も言わない。
「モンスターですか? それとも人ですか?」
「…………」
何も答えない。
代わりに「フフッ」と嘲るように笑うと、幹が閉じ、再び木の姿に。
「倒シテミナサイ。私ガ、オ前タチヲ呑ミ込ンデシマウ前ニ!」
そして笑い声が響き渡る。
「何なんだ、あいつは!? 人なのか!?」
「アオバさん、落ち着いてください。今のあれはモンスターです。少なくとも、倒すべき対象に違いありません」
宗萱は刀を鞘から抜いた。
マハエも『壊波槍』をスタンバイ。アオバもナイフを構えなおした。
再び地面が揺れ、ヴァルテュラの周りに多数の触手根が出現する。
「作戦は?」
マハエが宗萱に訊く。
「アオバさんが言ったとおり、やつはあの場所から動くことができない。となれば、我々を近づけないよう、根を使って身を守るはずです。おそらくは攻撃よりも防御を第一に」
「そうか。やっぱり攻めれば勝てる」
「いえ、やつも甘くはないでしょう。何と言っても、この森のすべての領域がやつの攻撃範囲内です。本体に近づくほど的確な攻撃を仕掛けてくるはず」
「どうすればいい?」
アオバ、マハエもその答えを求める。
宗萱は彼らに微笑を向ける。
「アオバさん、今からわたしと真栄さんはあなたの“盾”になります」