48:死の世界
死臭が強まる。
同時に、敵の気配も数を増している。
薄暗い中に目をはしらせると、いたるところにヒトガタの姿が。
「ここがあいつらの繁殖場所か」
アオバがひそひそと言う。
「ここで気配を悟られたら、かなりマズイよ……」
だから足元の枝を踏まないよう要注意だ。ヒトガタに聴力があれば、だが。
「それにしても嫌な臭いだ」
マハエは鼻を押さえる。
これが人の死が放つ臭いなのか。だとすれば、この場所に相当な数の死体が転がっているということだ。――そうでないことを祈る。
ここの薄暗さ―― 光をさえぎっているのは木々の葉だけではなかった。葉や枝に混じって、赤い根がそこら中に張り巡らされている。
この道の入り口から、五十メートルほどの場所。ほぼ直線の道で、奥へ行くにつれ、少しずつ闇は深まる。
まるで根の洞窟だ。真っ赤な洞窟……。
「腰の短剣は使わないのか?」
いつ襲撃に遭うかわからない状況下で、持っている武器を装備しないマハエに疑問を持ったアオバが訊く。
アオバはコンバットナイフを右手に持ち、瞬時に戦闘へと切り替えができる態勢だ。ナイフが得意分野らしい。
「ナイフ系は苦手なんで……」
マハエは答える。
慣れない武器を持っていても邪魔になるだけだからだ。アオバの前で『壊波槍』を使うわけにはいかない。
“不思議な力”に気付かれないよう、戦闘時は魔力を抑えて。
――正直、マハエはアオバをさほど頼りにしていない。
これほどの強大なモンスターを相手に“生身の”人が立ち向かっても歯が立たないことは分かりきっている。どれだけの戦闘技術を持っていようと、いくらここまで生き延びていようと、これ以上踏み入れば真っ先に餌食となる。
闇に目が慣れ、戦闘に支障が出ないほど視界に光がにじむと、道が少し前方で行き止まりになっているのが見えた。
そこには人ほどの大きさはある細い根の塊が、横たわっていたり、宙吊りになっていたり、視界に入るだけでも五体。
「すごい臭いだ……」
マハエは悪臭に鼻を押さえる。その場所の死臭は尋常ではない。
アオバが近くの塊に寄り、舌打ちをする。
「これ全部、死体だ」
「…………」
目眩を堪えるマハエ。
「白骨化しているようだ。くそっ、ヒドイことを……!」
アオバはナイフを握る手に怒りを込め、絡み付いている根にナイフを向ける。
斬りかかればモンスターは二人の存在に気付くだろう。
だが彼の危険な行為をマハエは止めることはしない。いや、気付いてすらいない。マハエが目にしているのはたった一つ。一番奥にある、横たわった塊だけ。
その塊から、黒い服の一部がはみ出している。
「宗萱……」
マハエは風呂敷がずり落ちていることも気にかけず、その塊へ駆け寄った。
――すぐに周囲が変化する。
根の天井が蛇のようにうねり、ヒトガタの気配が集まる。
「おい、真栄!」
その事態にアオバが叫ぶが、マハエは知ったことではないと、黒服に絡み付いている細根を両手でこじ開ける。
「今助ける!」
「急げ! 時間がない!」
アオバは天井から伸びてくる触手根をナイフで切り払い、マハエを援護する。
力ずくで細根を剥ぎ取るマハエの手が止まった。
「どうした、早く――」
「…………」
腰が抜けたように、マハエは地面に尻をつく。
塊の中には、すでに白骨と化した死体があるだけだった。
「そんな、バカな……」
――遅すぎた。
宗萱なら耐えていると思っていた。絶対の自信があった。
だが今、こうしてパートナーの死を目の前にし、それがいかに愚かな期待であったのかを知った。
頭が真っ白になる。
「あああああああっ!!!」
絶叫した。
――悲しみ、怒り、憎しみ、不安……。
さまざまな感情で頭が破裂しそうになる。
狂ってしまいたい衝動。今すぐ敵を破壊したい。自分からパートナーを奪った憎いカタキを。
「――くっ! キリがないぞ!」
ヒトガタがアオバに触手根を伸ばすが、彼は体勢を低くして避け、その体勢のままヒトガタへ飛び込み、ナイフで切り裂く。
――一体倒しても二体倒しても同じことだ。
次から次へと数は増える一方。
――逃げなければ死ぬ。
そう判断し、マハエに声をかけようとしたとき、天井から伸びた触手根がアオバの左腕を縛り上げた。
「しまった!」
待ってましたと、一体のヒトガタがアオバへ攻撃をしかける。
接近し、両腕を振り上げる。
――ドグンッ!
衝撃音とともにヒトガタが横へ消え、破片が散らばる。
「……これ以上、好き勝手させるかよ」
マハエだ。
アオバはほっと息を吐く。
彼が狂ってしまうのではないかと思っていたのだ。
父親を亡くした当時のアオバが半ばそうであったように。
「助かった」
一言言って笑いかけてから、アオバは右手のナイフで腕を縛る触手根を切断した。
――マハエは冷静だった。いや“冷静になった”。
宗萱の死に取り乱してしまえば、死んだ彼が悲しむに違いないと思ったからだ。
マハエの闘志に燃える眼差しを頼もしく見て、アオバは口の端で笑う。
「さて、まだまだこれからだ!」
ビッと、ナイフを横に払った。
「…………」
だが周りが静かになった。残った七体のヒトガタ集団、その動きがいっせいに止まった。
「……何だ?」
何かよからぬものを感じ、アオバは一歩下がる。
動きがあったのは天井の根。
ズズズ……。と動き、ぽっかりと穴が開く。
ヒトガタに警戒しつつも、二人は反射的にその穴を見上げて身構える。
――穴から何かが降りてくる。
「新手か?」
いつでも迎え撃てるよう構える二人の前に、黒い服の人物が触手根に吊られて降り立った。
「…………」
目を丸くしたのはマハエだけではない。
「……ようやく来ましたか、真栄さん」
「……はれ?」
マハエのアホ面を“宗萱”が力のない表情で見つめている。
しばらく宗萱と黒服の白骨死体を見比べ、大きく首を傾げる。
「……え、えー? 生きてたの? ――それじゃ、あの黒服は?」
「ただの黒服の人です」
「……えー……?」
呆然とするマハエ。
宗萱は微かに呆れた表情を見せたが、全身に力が見られない。まるで操り人形のように四本の触手根に吊られている。
「とりあえず、大丈夫ですか?」
とてもそうは見えないのだが、マハエは一応訊く。
「気力を吸いとられているみたいです……。それよりも気をつけてください、こいつ、わたしを利用するつもりです」
「利用って?」
――宗萱がうめく。
彼を吊るしている四本の赤い触手根が解け、宗萱を解放する。うつ伏せで落下し、宗萱はもう一度うめいた。
「大丈夫ですか――」
「待て、近づくな!」
「――!?」
アオバが宗萱の背中を指す。
彼の背には、人の頭ほどの根の塊が―― まるで脈打つようにドクドクと伸縮している。
「気を、つけて……」
宗萱が言う。
――ザワザワと周りの気配が変化した。
動きを止めていた七体のヒトガタ達が、いっせいに、溶けるように解け、蛇のようになって散らばる。そしてスルスルと動き出して、宗萱のもとへ―― 脈打つ塊へ集まる。
宗萱の身体にまとわって固まり、一つの形をつくり出そうとしている。
「何てことだ……」
アオバが小さく首を振る。それは恐怖を表す動作だ。
ヒトガタ七体分の根の“蛇”が、円形の胴、胸部、頭部、左右計八本の触手と、“姿”を形成していく。
――まさしく、巨大な赤いクモの姿を。
宗萱はクモの胴部に埋もれ、顔だけを背から外に出して苦しそうに呼吸している。
利用するという意味をようやく理解した。
――このクモを攻撃するということは、宗萱をも傷つけてしまうということ。
それはとても、モンスターごときが考え付くような戦法ではない。
「(モンスターが人並みの頭脳を持っているとでも?)」
できれば否定したい可能性だ。
捕食のために別の生き物を利用するというのは、生物界で珍しいことではない。これは進化の過程で得た遺伝子、モンスターの本能に刻まれた生き残るための知恵の一つかもしれない。
何にしても厄介なことこの上ない。
アオバが心を決めたように一つ息を吐く。
「――よし、オレがおとりになる。真栄はどうにかやつの弱点を見つけてくれ」
「弱点、ですか。……わかりました」
できるかどうか。そんな細かい考えはいらない。やらなければならない。
二人は互いの目を見てうなずくと、
――一、二、三!
の合図で左右に散った。