47:クールな心
勘に任せて森を進むマハエは、近くで水の揺れる音を耳にし、その場所を探した。
宗萱の救出を急がなければならないことを忘れているわけではない。マハエは宗萱と坂道を歩いているとき、下のほうに沼を見かけたのをおぼえていた。
「あった……」
自分の勘はそれほど間違ってはいなかったと、安心する。
歪んだひょうたんのような沼は、さほど広くはないが、進むべき道は沼の向こうにあった。
沼の片側は木が密集していて、もう片側は地面が高く盛り上がっている。その上を歩けば向こうへ渡れそうだ。
木の密集地帯を歩きたくないマハエは、盛り上がった地面の上を行くことに決め、バックパックから鉤爪ロープを取り出した。
――ロープを振り回して、鉤爪を頭上の木の太い枝へ投げ放つ。
一発でロープは枝に固定された。
さっそく松明を口にくわえて、ロープをよじ登る。
バックパックの重量もあり、疲れは三割増だが、休憩時間はない。
魔力のおかげで多少は疲労も軽減されるのだが、精神的に叩かれる部分もあり、少しずつ芯に溜まっていく疲労は確実にマハエを弱らせる。
登りきり、深呼吸をして沼を見下ろした。
濁った水面には朽木や水草が浮いている。それからプカプカと、黒い岩が一つ二つ……。
「ん? 岩がプカプカ?」
岩が水に浮いて漂うわけがない。
目を凝らしてみると、ごつごつした岩はある生き物の背中だと気付く。
「あら、ワニがいるわ」
マハエは「あははー」と苦笑う。
「ん? でも何でワニは生き残って――」
――ガサガサ。
近くの草が動いた。
「何だ?」
とっさに松明を向けるが、音は一箇所ではない。
「まさか……」
右から左から、マハエの周りに茂っている草が、“そいつら”の接近を知らせる。
「やばっ」
――ヒトガタだ。
しかも相当な数。
松明を左手、短剣を右手に、『壊波槍』を発動させる。
『常に冷静に』
宗萱の言葉を思い出し、マハエは焦らず槍を構えたまま敵の動きを見る。
すべてを相手にしているヒマはない。最小限の戦闘で突破。実際、何体か倒さなければ先へは進めない。
――必要な撃退数は三体。――うち一体はすぐ近くまで接近している。――敵の攻撃範囲は広い。
「……よし」
一度まばたきをする。
目標以外のヒトガタが触手根を伸ばして攻撃してくるのを見た刹那、マハエは地面を蹴る。
――一歩目で近くの目標を槍の衝撃で破壊。
――二歩目は凝縮波で跳び、少し離れた二体目を蹴り飛ばす。
――三歩目は姿勢を落とし、槍を横に振る。波打った刃に魔力を集中させると衝撃が小さな振動を生み、固い根の塊も、たやすく切断する。
包囲を突破した。
――しかし、
マハエは地面に倒れ、手離された槍が転がり短剣の姿にもどる。
地中から突き出した真っ赤な触手根が、彼の足を捕らえていた。
「くそっ!」
ヒトガタが地中に根を忍ばせていたのだ。
必死に短剣へ手を伸ばすが、届かない。
そうしているうちに、周りのヒトガタもよたよたと近づいてくる。
「クールに、クールに……。落ち着け……」
呼吸が荒くならないように気をつけながら、冷静さを保つ。
――地中に根を忍ばせているのはどの敵か。探す。
冷静に。
一番近づいたヒトガタが、両腕を振り上げてマハエにトドメの体勢をとる。
「(見つけた!)」
一体だけ、動かないやつがいる。そいつめがけて、マハエは片足で『衝撃砲』を放った。
魔力のこもった蹴りにより、衝撃の加わった空気が振動、衝撃の塊が飛ぶ。
衝撃がぶち当たったヒトガタは、吹っ飛んで転がった。
足を縛る触手根も解け、マハエは目の前で両腕を振り下ろさんとしているヒトガタを両足で蹴り飛ばす。
すぐに起き上がって短剣を拾い、再び『壊波槍』を発動させた。
「来い。何体でもたたき斬ってやる!」
その言葉に答えるかのように、茂みの中から、木の陰から、続々とヒトガタが現れる。
「……やっぱり一体ずつにしません?」
どこから湧いてくるのか、これではキリがない。
さすがにマズイ。そう思ったとき、
「沼に飛び込め!」
男の声が聞こえた。
同時に、目の前の地面に何かが転がる。
「え?」
それは細長い筒で、導火線が伸びていて、火花がジリジリとジリジリと……。
「(ダイナマイト!?)」
それ以上を考える間もなく、「ぎゃー!」と悲鳴を上げながらマハエは沼へダイブした。
――ドゴォン!!
という爆音が水中にまで伝わる。
水面に顔を出したマハエの周りに、焼け焦げた根の破片が降り注ぐ。
「んな無茶な……! さっきの声はアオ―― っつーかワニきたーーーー!!!」
そこからは死に物狂い。
マハエは“無事”、対岸へ泳ぎ着いた。
「…………」
地面に頬を密着させ、ゼーゼーと荒く呼吸するマハエを足元に、アオバは彼を見下ろす。
「大丈夫か?」
「……仮にそうだとしよう。だとすればオレは真っ先にあんたをぶん殴っている」
「大丈夫そうだな」
差し出されたアオバの手を、マハエは乱暴に引っ張って起き上がった。
「全身びしょ濡れだよ……」
「見ればわかる。すずしくていいじゃないか」
「だと思います? ……あんたはどうかしてる」
「助かったから文句はなしだ」
アオバは笑う。
マハエはため息を文句のしめにして、小さく礼を言った。
「アオバさん、なぜここへ? オレ達と合流するつもりでしたか?」
「……ああ、こっちの用事は終わった。あとは、あんたらのサポートだ。それより、厄介なモンスターが出てきたもんだな。炎が効かないとは」
マハエはうなずいて、はっとする。
せっかくの松明も水に落ちて使い物にならないことに気付いた。
「アオバさん、松明持ってます?」
「いや、こっちも火が消えた。つまり、二人とも無防備ってわけだな」
「……どーすんのよ」
頭を抱えるマハエ。
「そういえば、どうして沼のワニは捕食されてないんだろ? ここもモンスターの根に侵食されてるはずだけど……」
そう思い、考えて「そうか」と手を打った。
バックパックを背から下ろし、中から唐草のふろしきを引っ張り出す。
「何をするんだ?」
そう訊くアオバにマハエは、
「オレ達が“透明”になればいいんだよ。ワニみたいに」
満面の笑顔で答えた。
一度、宗萱とマハエが通った道。
マハエとアオバはそれぞれ大きな風呂敷に身を包み、足を急がせる。
「考えたな。これなら根もヒトガタも襲ってこない」
「濡れた布で全身を覆ってしまえば、体温を感知するだけのモンスターの眼には映らないってわけ」
「まさにやつらにとってオレ達は透明ってわけだ」
これで楽に宗萱の救出へ向かえる。
「モンスターに捕獲されたあんたのパートナー、シラタチのトップだって? 強いのか?」
「かなり」
「そうか。それなら、何とか耐えているかもしれないな」
「ああ、大丈夫だ。あの人なら」
マハエは自信を込めてうなずいた。
宗萱とはぐれてから一時間以上は経ったが、まだまだ彼がくたばるには早すぎる。
放っておいてももしかすると何日、何週間、生きているかもしれない。彼が力尽きる場面など、とうてい想像できない。
「アオバさんが助けてくれてよかったです……」
「お? どうした、怖いのか?」
「…………」
例え自分が力尽きたとしても、仲間だけは助けたい。この世界を救うため、なんていうことは関係ない。簡単なことだ。
――仲間を死なせたくない。
それだけ。
――根の襲撃もヒトガタの攻撃にも遭うことなく、二人は坂を上り、例のこじ開けられた道にたどり着いた。
この道をたどればモンスターがいる。そして捕らえられた宗萱も。
敵は相当手強い。高い知能を持っているらしい。力押しだけでは勝てない。
マハエはアオバを見てうなずく。アオバはコンバットナイフを抜き、前に構えてうなずき返した。
言葉は交わさず、二人は中へ踏み込む。
すでに死臭が二人の顔をなでていた。