46:勘は本能の羅針盤
マハエと宗萱は森の奥へ奥へと進んでいく。
ランタン油で松明の炎を維持しながら。――そのおかげで“根”の襲撃はまぬがれているものの、一時間歩いてもまだ枯れ木群は見えてこない。
だがその場所は確実に近づいていることを二人は感じる。強まる殺気と、死の世界のような沈黙の“気配”を。
――この先の森は、すべての生命が吸い尽くされているのだろう。
完全にモンスターの領地。そんな中で戦わなければならないのだ。モンスターが『ヴァルテュラ』でないとしても、昔の人がこんな状態の森を丸ごと焼き払った気持ちも理解できる。
「オレから離れないでね? くれぐれも」
「心配しなくても大丈夫ですよ。あなたなら独りでも」
「あ、小さな励まし……」
――まだ余裕はあるらしいが、数秒後、その余裕も消え去る。
「……宗萱さん、これは?」
マハエは地面を見下ろす。
「白骨死体です」
すぐさま答える宗萱。
道の真ん中で、根に絡まれた人の骨。松明の炎を近づけると、根はスルスルと地中へもどっていった。
「この遺体は成人男性ですね。行方不明者の一人でしょう」
「人って、そんな簡単に白骨化するの? 道の真ん中で」
「これが、この森に巣くうモンスターの脅威です。最後には骨も残りませんよ」
「……他の行方不明者達も……」
「…………」
宗萱は無言でその場から足を進める。
「残りは八人です。“救出”しますよ」
「……ああ、そうだったな」
人の死を目の前にしても、まだ一握りでも冷静さが残っていたことに、マハエは感謝した。
深呼吸をすると、心は平常にもどった。この世界の、戦いの空気に慣れてきている自分に気付く。
「(それとも、このパートナーに感化されたかな?)」
どちらにしても、彼にとって悪影響ではない。……好影響とも言えないが。
さらに数十分、歩き続けた二人。
途中の急な坂道を登り終え、一息つく。
「――枯れ木群はこの先でしょう」
おそらく人が踏み固めたであろう道はここで終わり、そこからは代わって、新しくこじ開けられたような道が続いていた。
なぎ倒された木々と、大きく直線にえぐれた地面。
そんな道がまっすぐ薄闇へ伸びて、闇の奥から二人の顔面に死臭が吐き出される。
「誘っていますね、獲物を」
「悲しいよね。その誘いに乗るしかないなんて」
「いえ、真栄さん。我々は獲物ではありません。ハンターですよ」
宗萱は微笑む。つられてマハエも微笑んだ。
――あと少しだ。とマハエはやる気を絞り出す。
こじ開けられた道に踏み入る前に二人は周囲を確認する。
二人が通ってきた道に異常はなく、火を恐れないヒトガタの気配もない。背後は崖で、モンスターは存在しようがない。
「よし」と前へ振り返った二人には、ほんの瞬間だけスキができていた。
闇の奥から勢いよく伸びてくる“触手根”に気付いたときには、それを避ける余裕はなく、松明を弾き落とされて身体を絡め取られた。
先に宗萱が捕獲され、マハエにもその根が伸びる。しかし寸前に宗萱が彼を蹴飛ばしたため、根はマハエを捕らえ損ね、脱したマハエは後ろに跳んで追撃から逃れる。
「――うわっ!?」
だが背後の崖をわすれていた。
足を滑らせたマハエは、悲鳴を上げながら七メートルある崖下へ転げ落ちた。
「……痛ってえぇぇえなチクショーッ!!」
数回バウンドしながら転がり、地面で最後一度跳ね、全身打撲。
悪態を吐いた後、沈黙した。
――数分後、ゆっくりと起き上がった彼の体に傷は一つも見当たらない。
「……傷は癒えたけど、寿命は縮んだな」
マハエは崖を見上げる。
……音はない。
自分の身を引き換えにして彼を救った宗萱の声も聞こえない。
すぐに助けに行こうと崖を登り始めるが、あいにくロッククライミングのスキルなど持っていないマハエに、急な崖を乗り越える力はない。
とにかくすぐにでも助けなければ――
マハエは道の真ん中で白骨化していた死体を思い出して焦った。
「オレが助けるまで死ぬなよ!!」
聞こえているのかわからないが、崖の上のパートナーに向かって叫ぶと、すぐにマハエは走った。
松明はどこかに無くしてしまったが、幸い、荷物の入ったバックパックはマハエが持っている。
――宗萱を捕らえた触手根は炎にも臆さず向かってきた。ということはヒトガタのように本体とは分離した存在だということだろう。
彼を助けにもどるまでに炎以外のモンスター対策も考えておかなければならない。
――そんなことよりも今の状況だ。このまま炎なしで根から逃れ続ける自信はない。
走りながらバックパックをあさり、使えそうな物を探す。松明の代わりになる物が何かないか。
火付け道具や油だけでは役に立たない。ランタンの小さな炎ではモンスター対策としてはあまりにも力不足だ。
「(非常食―― 腹は減ったけど、食べている場合じゃない! 救急箱―― かさばるだけだ! 唐草の大きな風呂敷―― ……何に使えと?)」
パンパンに膨らんだバックパックに、今すぐ役に立つ物は一つもない。
「だああああぁぁぁ!!!」
とりあえずマハエは走った。
――同時刻、どこからかこだまする少年の絶叫に振り向く人物がいた。
木の陰を音もなく移動しながら、反響する声に耳を澄ます男。
それからそっと背中の弓に手を伸ばし、構え、弓を引く。
バシュッ! と放たれた矢が、道をうろつくヒトガタの頭部を射抜いた。
「……厄介な代物だ」
男の眼がギラリと鋭く光った。とても冷たく、まるで感情のない眼だ。
倒れたヒトガタが動かないことを確かめて、腰の矢筒から一本矢を抜く。
そして歩く向きを変え、歩調を速める。
聞こえた声の方向へ――
マハエは落ち着いた。
松明にピッタリの太い枝を見つけ、それに救急箱の包帯を巻いて簡単な松明を完成させた。
「やれやれ、どうなることかと思った」
油をかけて着火すると、とても心強く炎が燃え上がる。
しかしもたもたしていては、せっかくの松明もただの焦げた棒と化す。
まずは宗萱と通った道を探さなくてはならない。
「…………」
――のだが……。
「ここはどこだー???」
迷子。
走っているうちに方向もわからなくなり、どう走ってきたのかさえも忘れた。
――完全なる迷子だ。
一見万端に思える持ち物の中に『コンパス』という気の利いた(というより、もっとも必要と思われる)アイテムは入っていなかった。
そんな状況下で、あまり時間もかけられない。立ち止まったままでは危険。どうやって進むか?
このとき、平静を装った彼のパニック寸前の脳みそは、すばらしい一つの方法を――
「勘で行こう!」
――はじき出した。
が、馬鹿だったとマハエはつくづく思う。
勘で進むのはまだいいとして、バックパックの中の『鉤爪付きロープ』というアイテムの使い道を思い出して目眩を覚えた。
これを使えば、あの崖くらいがんばって登れたかもしれない。
――後の祭りだ。
いつでも冷静さを失わないようにと、あれほど宗萱が言っていたのに、とマハエは自分の頭を叩く。
「(んなこと言ったって、オレは完璧な人間ではない)」
数ヶ月前まで普通の高校生、だったのだ。
「(とは言っても、この場に頼れる人なんてオレしかいないじゃん!)」
普通と違うところは、モンスターのように恐ろしく、たくましい“おっさん”を育ての親に持っているという点。
「(園長ならどう切り抜けるか。……たぶんオレが百年修行を積んでも修得できないくらいの離れ業で突き進むんだろうな……。こんな森、五分でクリアーだ)」
――どうでもいい。
マハエも戦いに関して素人ではないが、前回の戦いでは基本的に誰かのサポートがあってピンチを切り抜けた。独りで行動し、自分の判断に自分の命を預けなければならない状況には慣れていない。しかも今回は仲間の命もかかっている。
「がんばれよ、オレ!」
両手で頬を叩き、マハエは再び走り始めた。
勘で。