42:血に濡れた日
――何かがオレを染める。
――オレを染めるのは、熱いしぶき。
――オレを染めたしぶきは冷たくなって、死の色に変わる。
――また、しぶきがオレを染めた。
「田島さん……、オレはどうしたら……?」
――気が付くとオレは、そこへ足を運んでいた。
オレの意思なのか、それとも何かに導かれていたのか……、ただ、オレの頭の中は黒く、黒く染まっているようだった。
「なっ……! あ、あいつ、バケモノか!?」
「おい! 早く頭に知らせろ! コイツはヤバ―― ぎゃあぁっ!!!」
――オレは斬った。
「何なんだ!? 何なんだ!!? まさかあいつ、田島の―― うぎゃあっ!!!」
――また、オレは斬った。
「うわああぁぁ!!! ぐあっ!!」
――何を斬った?
――オレが斬った、人の形をした“物”は何だ?
オレはおたけびを上げる。
「うおおおおおぉぉぉぁぁ!!!!」
――“これら”は田島さんと仲間のカタキだ!!!
「オレは『田島弘之』幹部、大林鷹光だ!! レッドキャップの頭領、アレモフ・キースを出せ!!!」
オレは叫ぶ。
そのとき、後ろから誰かがナイフで斬りかかるが、わずかに斬られながらも、オレも剣を振ってそいつを斬り捨てる。
――田島さんが殺された日から数週間、情報屋の知人から聞きだした情報をもとにレッドキャップの隠れ家を探し出し、オレは独りでそこへ乗り込んだ。たった一本の剣を手に。
何度も斬られた、その度に斬り返した。何人も何人も……。
そのうち、一つのドアにたどり着く。
「ど、どうします、頭!? あの大林とかいう男、正気じゃない! もうじきここへ――」
「わめくんじゃねぇ!! んなやつ、てめぇらでどうにかしやがれ!! やつも不死身じゃねぇんだ!!」
「しかしもう何人も――」
声のするドアを蹴り開け、そこにいたキースの手下を躊躇なく斬る。
「はぁ……、はぁ……。見つけたぞ、キース」
オレは男に剣を向ける。
目の前はかすんでいた。だがここで倒れるわけにはいかない。
返り血と自分の血で真っ赤に染まったオレを見て、キースは嘲笑する。
「お前が大林か。ククク……! 何人殺した? さすがにお前も死にかけてるな。どうだ、最後はオレ様に斬られて死ぬか? ククククク……」
キースは剣を取って抜き、オレの剣と交差させて向ける。
「黙れよ……。オレはわざわざお前を殺しに来たんだぜ? 大人しく命差し出せよ……」
「ククク、ふらふらじゃねぇか。おいおい、ちゃんとオレ様が見えてるかい?」
「……はぁ、はぁ、ああ、しっかり見えてるぜ……。ところで、窪井の姿が見えないが……、まあいい、まずは、お前から、だ」
「クククク! やめとけぇ、お前にオレ様は斬れねぇ。てめぇも田島んとこへ送ってやるよ」
キースが剣を振り上げた。
オレは―― 動けなかった。
急に意識が遠のき、力が抜けていく。
「(こんなときに……)」
キースは笑っていた。
あざ笑っていた。無謀なオレを……。
――笑っていて、それが、
突然悲鳴に変わった。
「…………」
最後に見たのは、血を吹き倒れるキースの姿。
――ああ、どうにか斬ることができた。そう思った。
さすがにオレもここまでだと、あきらめた。
「田島さん……」
でも、またあの人に会えるのなら、これでいい。
怒られるかもしれないが、それでもいい。
――冷たい雨が身体を打つ。魂を地の底へ沈める無数の刃のように。
――じわりじわりと沈められていく感覚が数分、数十分続いた頃、ふと声が聞こえた。誰かの声が。
魂を呼び戻す熱いしずくが降り注ぐ。
「…………」
大林の瞳に、微かな光が戻った。
視界はあやふやで、ゆいいつ鮮明に働いたのは聴覚。その耳が少年の声をはっきりと聞き取る。
「大林さん!!!」
雨の中、ハルトキは泣いていた。
ぬかるむ地面に膝を埋めて。
無理もない。目の前で壊れかけているのは、彼が兄として慕っている男だから。
「目を覚まして!! お願いですから!!!」
熱い涙を流して、必死に大林の名を叫び続ける。
――それに答える、かすれた声。
「ハ……ル……」
「大林さん!」
見えない目でハルトキを探し、辛うじて動く左手をゆるゆると伸ばす。
あまりにも弱弱しく、頼りない大林の手を、ハルトキはギュッと握った。
これがあの大林だとは、信じられない。――いや、今ここで死にかけているのが大林だとは、信じられるわけがない。――死ぬわけがない、大林は最強の男だと、ハルトキは何度も心の中で繰り返す。
口元を震わせながら、大林は言葉を絞り出す。
「ハル……、すまない……」
一言だった。
「大林さんっ……!」
そっと、ハルトキの肩に後ろからエンドーが手を乗せる。
「ヨッくん……」
涙を流しながら、すでに力のない大林の手を握り続けているハルトキに、エンドーは何の言葉もかけられなかった。
「どうすりゃいい……? なあエンドー、ボクはどうすりゃいいんだ!?」
拳を地面に叩きつける。何度も、何度も。
「…………」
エンドーはとても苦い雨の匂いを、いっぱいに吸い込んだ。
――なぜこうなったのか、わからない。大林がハルトキを背負って本部へもどってきたのは、ほんの二時間前だ。その後、医務室の前で言葉を交わして、ほっと表情を緩めていた彼が、今ここで破れた人形のような姿で、動かない。
「オレ達は、無力だっ……!」
エンドーの頬にも涙が伝った。
力があったって、死にかけている人の一人も救えやしない。
目の前で命が消えてゆくのを見ているだけ。
――そして、その命にすがって泣いている友に、励ましの言葉の一つも、かけてやれない。
感情のままに涙を流すことくらいしか……。
「(オレまで泣いてどうするんだ! 今、オレがしっかりしなくてどうする!)」
――涙を堪えようとまぶたを閉じたとき、エンドーは感じた。
とっさに目を開く。
今、ここにはハルトキとエンドーの二人しかいない。だがエンドーが感じたそれは、誰かが誰かを呼ぶ声だった。
「(声を感じた? 違う、これは……)」
魔力が、何かに共鳴したのだ。
わめき続けているハルトキは、共鳴に気付かなかったのだろう。今は、エンドーも何も感じない。あの一瞬だけだ。
――誰かが、誰かを、呼んでいた。