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41:死の拳

 ――大林の拳が空気を裂く。

 ――窪井の拳が空気を裂く。


 同時に放たれた二つの拳。


 両者が掌でそれを受け止め、防ぐ。


 すかさず繰り出される窪井の回し蹴りを、大林は姿勢を低くしてかわし、そのまま足払いをかける。――窪井はバランスを崩して背中から転がるが、すぐに首をバネにして跳ね上がり、体勢を整えた。


「バケモノにはならないのか?」

 と、大林。

「それでは面白くないだろ?」

 窪井は口の端で笑う。


 ――再び大林がしかける素早い足払いを、窪井は宙返りで回避する。その際、空中で両足を放ち、その蹴りが大林の顔面にヒットした。

 大林は仰け反って倒れ、窪井は反動で地面に転がった。


 ――すぐに立ち上がる二人。


「効いただろ?」

 窪井がニヤリと笑う。

 大林は血の混じったツバを吐き捨てる。

「まだまだ。昔から、オレのほうが強かったろ?」

「……昔は、な」


 ――巨大な太鼓を叩いたような大きな音と共に、空が激しく光った。風も強まってくる。


 窪井は表情をゆがめた。


「ちっ、降ってくるな」

「とっととケリつけようぜ」


 ――再び、両者が地面を蹴る。


 二人の拳と拳が衝突。

 脚と脚が衝突。

 同じ技で弾き合う。

 窪井は蹴り上げられた脚に手を着き、それを軸に大きく空中に舞うと、大林の背後に着地し、彼の後頭部へ拳を叩き込む。が、大林はかわし、その腕を掴んで一本背負い。

 背中を地面に叩きつけられた窪井は、転がって追撃を回避し、両足で大林を蹴り飛ばした。


 ――起き上がった窪井は思わず目を細める。


「(しまった! 向かい風が……!)」


 風上から、黒い物が飛んでくる。大林のローブが。

「くっ!」

 ローブが顔と全身にまとわり付き、自由がきかない。そこへ大林が手刀で、頭、喉元、鳩尾みぞおちを打ち、最後に回し蹴りで蹴り倒した。

「――っ!」

 ダメージは大きく、スキのできた窪井の喉元に大林は右足を置き、地面に押さえつける。いつでもトドメをさせるように。

 勝負はあった。一見すれば。――だが追いつめられても窪井は顔色一つ変えない。

 それどころか逆に、

「懐かしいな……、あの頃が」

 微笑する。

 大林は何も言わず、ただ冷たい眼で彼を見下ろしていた。

「昔のオレは負けっぱなしだった。お前に勝つために、毎日努力したものだ。だが、お前もオレと同じで、オレに勝ちを取られないよう、努力していた」

「…………」

「互いが高め合っていたんだな……」

「……今更何だ? 思い出話でオレを油断させようってのか?」

「……大林、お前もずいぶんと強くなった。いろんなもんを捨てたんだな」

 大林は足の裏に違和感を感じる。

 足の下にある窪井の首の筋肉や筋が、見る見る発達していく。シャツが破れて赤い肉体がむき出しになる。

 ――まずいと思い、体重をかけるが遅かった。

 その足首を、窪井の大きな手ががっしと掴み、太い腕が持ち上げる。


「――だが、オレのほうが、まだ強い」


 大林の体は軽々と放り投げられた。

 地面で受身を取ったが、大林は立ち上がれない。

 窪井に掴まれた足首が鋭く痛む。骨にヒビが入ったようだ。

「お前にはまだ、捨て切れていないものがある。すべてを捨てたオレに敵うはずがない」

「…………」

 大林は負傷していない左足を踏み込み、どうにか立ち上がる。今度は窪井がそんな彼を蹴り倒す。

「オレは何もかもを捨てた! 誰の手も届かない高みを目指すために!」

「――っ! 何が高みだ!? んなくだらねぇもん、真っ先に捨てちまえ! 大切なもの犠牲にしてまで目指す価値もないだろ!!」


 ――雨が落ちる。


「……たしかに、お前にとってはくだらないことだろうな。だがオレにとっては、たった一つの、道だ」


 ――また、雨が落ちる。


「だから大林……、オレの、邪魔をするなぁ!」

 窪井の大きな拳が襲う。

 大林はとっさに両腕を顔の前に構えて防いだ。

「ぐっ!!」

 ミシリと音が鳴り、激痛が貫く。

 右腕の骨が破壊された。

 常人ならば悶絶する痛みだが、大林は耐えた。

「……オレの命くらい、惜しみなく投げ出してやろう。だが、それはお前と刺し違えるためだ。窪井、お前はオレが殺す。必ずな」

 大林は立ち上がる。両足で、しっかりと。

 彼は苦痛に顔を歪めたりはしない。彼の中にあるのは憎しみと悲しみにまみれた闘志だけだ。


 空から激しい音が降り、地上が震えた。


 ――雨がたくさん落ちてくる。


「おおあああぁぁぁっっ!!!」


 大林は傷ついた足や腕を容赦なく振るう。

 筋肉厚い窪井の全身を打つ。猛攻する。

 己の苦しみ。――敵を殺す闘いに不必要なそれらの神経を遮断した今の大林は、まさに烈火の如き勢い。ヤケクソではなく、これが命を捨てた者の闘いなのだ。

「ぐっ! 大林、てめぇ……! 正気か!?」

 手刀が大林の首筋を強打する。

 ――大林は止まらない。

「窪井、今までオレは迷っていた!」

 強烈な膝が、大林の腹にめり込む。

 ――血を吐きながらも、大林は止まらない。

「――っ!! お前を憎んでも、憎んでも、オレはお前を殺すべき敵だと認めることに、迷っていたっ!」

 あばらが折れる。頭蓋にひびが入る。

 ――意識が薄れながらも、それでも大林は止まらない。

「田島さんの、遺言どおり……、お前を許す覚悟もあった!」

「……!」

 窪井の攻撃が止まる。

 ――大林は止まらない。

「自分に死ぬ傷を負わせた張本人を許せなんて……、あの人らしい遺言だが……」

「…………」

 ――大林は止まらない。

「お前がその覚悟を消してくれた……! そしてオレは……、お前を殺す覚悟を決めた!!」

 大林の、ぼろぼろで血まみれの右拳が、雨で濡れた窪井の胸ですべり、横へそれる。

 窪井は肘を叩き込み、その右腕にトドメを刺した。

「ったく、どいつもこいつも……」

 窪井がうなる。

「バカしかいないのか!」

 胸部への一撃。重たい蹴りで大林は叩きつけられるように、背中から倒れた。


 ――大林は止まった。


 血を吐き、苦しげな荒い呼吸をしながら、毛ほども闘志を失っていない瞳を、ひたすら窪井に向け続けて。

 まだ動こうと抵抗しているが、一度そがれた勢いはもう戻らない。

「……大林……、これは、殺し合いだったな?」

 窪井は大林の顔の上で足を振り上げた。

「お前がオレを憎いというのなら、オレもお前に憎しみを持とう。……二度目だな、死を受け入れたのは」

「…………」

「今度は、前のようにはいかんぞ」

「…………」

 大林は意識が消え行くまで目を逸らさなかった。少しずつ、すべてが闇へ沈んでいく中、最後に聞こえていたのは、何重にもエコーのかかった声。


「あばよ。これでまた、オレは“高み”へ近づく」


 痛みも何もなかった。

 死んだのかどうなのかも、彼には理解できない。


 ――ただ、冷たい雨に打たれ続けている。その感覚は残っていた。まるで魂を地の底へ鎮めていく、天からの無数の刃のように。



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