40:曇天の下で
大林は空へ昇る“のろし”を見た。
『ソレィアド』へテレポートし、まっすぐにレックのいた『オアシス』へ向かっている最中、まさにその場所から立ち昇った赤いのろし。
大林はすぐに走った。
――大林の仲間内で、赤いのろしは『SOS』。つまり、レックの身の危険を知らせている。
やはりモンスターの大群か……。
何があったのかはわからないが、あのレックが『SOS』を発するということは、よほどの事態に違いない。
「(くそぉ! レック……!)」
――無事でいてくれ!
切に願う。
空に少しずつ表れてくる陰りは、何を予兆しているのか。
不安は大きくなっていった。
もうそこから、夏の熱気は消えて、冷たい汗が全身から流れ出てくる。
――小さな『オアシス』の緑が近くに見えたとき、大林は気が遠のくのを感じた。
動かない友の姿がそこにあったから。
「レック!」
倒れたレックの手元でケムリを発する発煙筒。最後の力で助けを求めたのだろう。
「レック! おい、レック!!」
傷だらけのレックを抱き起こし、名を呼ぶが、反応はない。
だが、まだ息はある。
「なぜだ、くそっ……!」
辺りにモンスターの気配はない。
いや、彼の傷はモンスターやケモノによるものではない。
――打撲。
それも腹部や頭部―― 沈黙させるための急所を突いている。
「まさか……」
見ると、どこにもレックの馬車が無かった。
からの木箱が散らかっているだけ。武器は、レックの商品はすべて、馬車ごと何者かに奪われていた。
「…………」
大林はレックを木の陰にかついで連れて行き、そこに寝かせる。
「すぐにもどる」
そうささやいて、大林は地面に残った車輪の跡を見る。――それを追えばたどり着くはずだ。
誰に、かは決まっている。
キッと、鋭い視線をその向こうへはしらせた。
「大林……」
かすれたレックの声。
だが大林は振り返らずに足を進める。
「大林……、行くな……」
「…………」
「大林……」
「…………」
「行くんじゃない……」
「…………」
大林は前しか見つめていない。
それでもレックは、どうにかして彼を引き止めたかった。
そうしなければならない。
そうしなければ大林は―― 死ぬ。
身体が動けば、片腕と片足さえ動かすことができれば、手足にナイフを突き立ててでも彼を止める。――それができないレックは、届かない声で彼を呼び続けるしかない。
「……行くな……!」
痛みと涙でかれる声で必死に。
遠くなった大林の背中は、もはや誰の制止も受け付けない。
孤独な背中は決意に満ちていて……、とても、寂しげだった。
荒れた大地を馬車はコトコトと走る。
窪井は荷台に立って、進行方向と逆側を眺めて、その胸の内に虚しさとあわれみを宿らせていた。
「バカなやつだ」
つぶやく。
脅しをかけたところで、レックが大人しく従うわけがないことはわかっていたが、あそこまで本能を無視するやつだとは思っていなかった。
結果、瀕死の状態まで痛めつけることになったのは、とても残念であった。
この先―― 『シラタチ』を滅ぼし、計画が滞りなく進むようになれば、今よりも大量に武器が必要となる。その際、武器商人と協力関係にあれば事は楽に進むのが。
とくに、彼は昔からの知り合いだったから。
最初から馬車まで奪う計画ならば、五人も手下を引き連れるまでもなかった。財産をすべて失ったレックが商人として復帰するのは至難だろう。
――窪井は雲に覆われてすっかり暗くなった空に目をやる。
地には風も吹き始めていた。
「……雨か」
あの日と、同じ空だった。
――ふと、通ってきた道の、その先に目を凝らす。
「…………」
窪井は荷台から飛び降り、馬車の左右を小走りで付いて来ていた手下四人に指示する。
「先に行ってろ。野暮用ができた」
そしてもう一度、曇天を見上げる。
今にも雨が落ちてきそうで。窪井はもう少し待てと念じた。
――せめて“これ”が終わるまでは。
ゴロロ……、と雲が光った。
見上げたまま、窪井はゆっくりと、大きく息をする。
「……懐かしいなぁ、大林」
横から吹く風で、窪井の青い髪が揺れる。いつの間にか窪井の正面に立っていた男の、乱れた赤い髪も。
「……ああ、懐かしい空だ」
窪井と、大林。両者はしばらく視線を合わさず、ただ同じ空を見ていた。
「…………」
先に相手に視線を向けたのは大林。窪井と道を分かって以来、大林は初めて彼の姿をまともに捉えた気がした
。ようやくまともに、窪井を敵とみなすことができたおかげか。
あの頃よりもずっと大きくなっている。
ずっと強そうだ。
顔立ちも、変わった。
――悲しげな顔に……?
「一つ訊いていいか?」
そう言って窪井も大林を見る。
「これから始めるのは、ケンカか? 殺し合いか? ケジメのための闘いか?」
大林は答える。
「ケジメのための、殺し合いだ」
「……そうか」
迷いのない大林の眼。窪井は嬉しそうに眼を細めた。
窪井が一歩踏み出る。
大林も、一歩出る。
「始めようか。大林」
「窪井、ここで終わらせる。憎しみと悲しみのすべてを」
空がうなる。
二人の“殺し合い”を見守って、まるで楽しむように。
――両者は地面を蹴った。