37:戦う理由
針葉樹の林を抜けると、そこは広い平原だった。
林の中ではずっと誰もが無口で、大林は気が重かった。
恐ろしいドリルマシンに襲われ、命を落としかけた直後だ。この世界の住人―― 何も知らない彼らにとって、アレは理解しがたい物だっただろう。
「ミュートリア・ベネッヘとはどんな組織なんだ?」――そう訊かれるのはあたりまえで、一番詳しく知っているハルトキに意識はなく、大林の背中でぐったりとしている。
訊かれても、大林にはうまく説明できない。いや、するわけにはいかないのだ。
しかし「知らない」などと言っても納得してくれるはずがない。赤瀬はとくに、そうだろう。
そう思っていたので、沈黙を破った赤瀬の一言目に、大林は驚いた。
平原の向こうにある空へまっすぐに視線を伸ばして、言う。
「大林、お前が相手にしている組織が、とんでもないやつらだということは、よくわかった。何も訊くなと言うのなら、オレ達は何も言わねぇ」
背中を向け、大林に向こうとしないが、それは呆れているわけでも怒っているわけでもなく、大林の心中を察しての、決心の表れ。
「何も言い返せねぇからな。あんなもん見せられちまえば」
「……赤瀬……」
大林は申し訳ない気持ちだった。『田島弘之』のボスとして、幹部である彼らにさえ事実を伝えられないことに。
青島は何か訊きたそうにうずうずしていたが、赤瀬の言葉に打たれてあきらめたようだ。
「そうっすね。オレ達のことなら、気にしないでください」
「……すまない」
「謝るな。お前がオレ達を信用していないなどとは思っていない。よほどの事情があるということは、だいたいわかった。お前のその苦しそうな顔は、久しぶりだからな」
大林は自嘲する。心の内を隠し通せていなかったのかと。
「まあ、とりあえずボスも見つかったことですし、オレ達は帰りやす。ですが、何かできることがあればいつでも言ってください。オレ達は“仲間”ですから」
ニッと、男らしい笑みを見せる青島に、大林は「ああ」と返した。
そのいうやり取りを後ろのほうで愉快そうに眺めているミチル。
内容を理解しているのかいないのかは定かではないが、解決しておかなければならない問題がもう一つ。
「――そうだ、頼みがある。ミチルさんを、送り届けてくれないか? またニュートリア・ベネッヘに狙われかねない。ミチルさんが希望する安全な町まで」
そして大林はしっかりとミチルへ向き、頭を下げた。
「巻き込んでしまってすまない。キミの安全のためなら、オレ達は何でも協力したい」
その男らしい態度にミチルはうっとりとしていたが、その後、困ったように首をひねった。
「私は自由気ままな旅の途中なので―― 希望の町と言われても……」
「そうか……。困ったな」
すると、青島が提案する。
「ボス、それじゃ『田島弘之』の本部に彼女をかくまっておくというのは? 彼女の安全が保障されるまで」
「本部、ですか?」
「……うーむ」
大林は苦い顔をする。
名案と言えばそうではあるが、男のたまり場に女の子を放り込むというのは、いかがなものかと。
部下達を信用していないわけではないが、やはり彼らも男だ。そして不良だ。腹をすかせたオオカミに変わりはない。
“身の安全のために”それは避けたほうが良いのかもしれない。
却下しようとしたが、その前にミチルが、
「は〜い! 私、本部へ行きまーす!」
元気一杯に手を挙げた。
「え。ちょっと待てミチルさん。よく考えてから――」
「大丈夫です。私アレルギーとかありませんし」
「しかしなぁ―― いや、まあ本人がそう言うのなら。(……アレルギー?)」
「よし、決まりっすね」
何か嬉しそうに赤瀬の背中をポンポンと叩く青島。赤瀬はやれやれと肩をすくめた。
こちらも何か嬉しそうに幹部二人の横に並ぶミチル。好奇心からの選択なのか、大林にはさっぱり理解できないが、どちらにしろ深く考えるのはよそうと思った。本能的に。
「――それじゃボス、また“生きて会いましょう”ね」
グッと、青島が親指を向ける。
「ああ」
大林は力強く答えた。
「(生きて会いましょう、か……)」
青島達三人は去り、平原には風で木の葉がこすれる音だけが静かに舞っていた。
いまだ意識の戻らぬハルトキを横に寝かせ、大林は空を仰ぐ。
――生きて、また……。
その言葉で、昔の記憶がフラッシュバックした。
言われる立場になって、ようやく理解できることがある。部下の言葉に対し、今の大林には次に生きて会えると保証できる自信はない。自ら死へ踏み出して行く自分を制御できる自信も。
それでも大林は力強く答えた。
“あの人”と同じように……。
仲間に心配をかけたくないという理由と、何より、目前にある死への恐怖に対抗するため。あのときの“あの人”も同じ気持ちだったのだろうと、大林は理解した。
空に広がる青から、雨粒は落ちてこない。
だが、あの日と同じ空に見えた。
「(雨が降るのか)」
あの人がいつも言っていた言葉を思い出す。
『例え何があろうとお前は生きるんだ。生きて、仲間を守れ。大切な者を守りぬけ。お前にしかできないことだ』
――仲間……、大切な者……。
大林はハルトキに目をやる。
十六歳というまだ幼い少年は、大切な人を亡くしたあの頃の自分とそう変わらぬ歳だが、とても穏やかな表情をしている。たくさんの愛を知っているからだ。あの頃の自分はどうだったのだろう、人生で初めて出会った二つの愛を、同時に失った。
最愛の師と、最愛の親友を。
――もう一つの言葉を思い出す。
『忘れるなよ。何があろうと、人の道だけは、外れるな。決して』
あの日、『窪井賢』は死んだ。優しくて明るい、相棒であり親友であり兄弟でもあった窪井は死んでしまった。
完全に人として歩むべき道を外してしまった、かつての親友は今、大林のすべてを奪い去ろうとしている。
――だからと言って、自分は今の窪井を止められるのだろうか?
やはりまだ、大林の心の中には親友、『窪井賢』が生きている。最愛の師を殺した張本人ではあるが、憎みきれてはいない。それがいかに危険なことかは承知している。
中途半端な覚悟で闘っても死ぬだけだ。
「いや、違う」と、大林は首を振った。
「(憎しみなんて必要ない。復讐のために戦うんじゃない、仲間を守るために戦うんだ)」
――もう誰一人として、仲間をソウシの二の舞にさせない。
仲間を救うためなら……。――青島にはああ言ったが、自己犠牲の精神は大林の中で静かに、だが確実にその炎を盛らせていた。
「…………」
そんな事を考えて勘が鈍っていたせいか、暗い木々の陰で光る、いくつもの眼光に狙い見されている気配を、大林は感知できていなかった。
同時刻――
港町の西、町に程近い場所にある小さな山の山頂に、大小二つの人影があった。
背の高い男と小柄な男は、真新しい切り株の上で、語り合うでもなく、ただそこから見渡せる範囲の景色を望見している。
木が伐採されてできた、ちょっとした広場になっているその場所は―― 切り株と放置されたままの倒木を気にしなければの話だが―― 町と海を眺めるには絶好の展望スポットと言える。
ちょうどそのふもとには広い敷地を有する寺院。象徴らしく高々とそびえる細長い建物の黒瓦が日光を浴びて美しく輝いている。
だが彼らの目的は娯楽ではない。
“そのとき”が来るのを待っているのだ。
背の高い男が体を揺らすと、髪が金色にきらめく。その男が身につけているのは、青い服と緑のマント。肩にかけている大きな皮袋から、一見すれば旅人のよう。対し、小柄なほうの男は、これまた対SAAPのような全身黒装束。一見してもニ見しても怪しい人物。
姿は何もかも正反対な二人で、並んでいると特に異様だ。
この場に人が来たならば、その異様さに恐怖を覚えることだろう。そして物音を立てぬよう、この場を逃げ去るに違いない。人の本能が、彼らが垂れ流している黒々としたオーラから“同種”ならざる気配を感じ取るだろう。
小柄な男が長身男を見上げ、キンキンと甲高い声を発す。
「おい“ハクト”。そろそろ正午じゃねぇか? オイラぁ、動きたくてしょうがねぇゃ」
ハクトと呼ばれた長身男は、目の端で男を見下ろし―― いや、“見下し”、すぐに視線をもどす。それから少し間を置いて言う。
その口調は、彼を見下した冷たい眼とは反して、弟に話しかける兄のよう。
「そうだな、“クチバミ”。そろそろ向かったほうがいい」
「やれやれ、あんときハクトがミスらなきゃこんな――」
「…………」
「――何でもねぇゃ。そんじゃぁ後はオイラに任せときな」
「…………」
灼熱の殺気を熱光線のように放つハクトの眼光に送られながら、それに気付いているのか、いないのか、クチバミと呼ばれた小柄な男は平然と背を見せて歩み行く。
「急げ、一時間以内だ」
「へーへー」
後ろへ適当に手を挙げるクチバミ。それまで中腰体勢でいたのか、一瞬前よりもいくらか身長が高くなっているようだった。
ガササッと雑草を踏む音を最後に、“小柄だった”男の気配は完全に、溶けたように消えてなくなった。
「…………」
――ドゴンッッ!!!
突然振り落とされたハクトの拳は、クチバミが立っていた切り株の中央をその下の土中まで深く貫いた。きれいな円形に開いた穴の周りは黒く焼け焦げて、穴からはケムリと異臭が吐き出されていた。
その八つ当たり一発でハクトは満足したのか、ゆるりと拳を解いて腕を下ろすと、地上へ目を向けた。
――地上で巻き起こっている悲鳴と咆哮。
モンスターが人を追いかけ、襲いかかっている。
あわれ凶暴なツメやキバの餌食になる者、運よく町へ逃げ延びる者……。
どちらにしても、そこは地獄。
――大きな何かが動き出した。