32:赤い雪
勉強会が終わり、宿へ向かっていた三人は、途中でふと進む方向を変えて港へやってきた。
夜の港には波の音しかない。近くの民家からもれ聞こえる人の声もあるが、楽しげな団欒を想像すると胸の中が空っぽになっている気がして、マハエはむなしくなった。
「オレ達がこっちの世界に来て、一週間になるか」
「ホームシックかい? マハエ」
と、そう言うハルトキも、いつもと様子が違い、しんみりとしている。
「園長やみんな、心配してるだろうね。学校もあるのに……。前回は三人そろって風引いたってことにしてたらしいけど、さすがに一週間はマズイね」
苦笑いをまじらせてハルトキが言う。
いくつも並んでいる木の桟橋の一つを、コトコトと歩いて先まで行くと、三人は月明かりでキラキラと輝く海を遠くまで眺めた。漁船の電灯も見当たらない、自然界の闇と光がそこにあった。
「よく施設を抜け出して、夜の海を見に行ったよな」
エンドーが腰を下ろす。
「ああ、部屋の窓からロープ使って外へ出て、一時間かけて海まで散歩する。海眺めて、浜辺歩いて、雑談して……。楽しかったなぁ」
マハエとハルトキも腰を下ろすと、しばらくは無言で闇と光の海を眺めた。――穏やかに揺れる波の音で、故郷を思う気持ちと戦いへの不安を洗い流すように。
「……あっちの世界に帰ったらさ、また見に行こうよ」
ハルトキが言った。
その提案にうなずきながらも、少ししてマハエはポツリともらした。
「……帰れるのかな、オレ達」
「…………」
マハエからすれば無意識に出た言葉だった。だがハルトキとエンドーの厳しい視線で、その言葉の残酷さに気付き後悔した。
いつもなら「バカなこと言ってんじゃねぇ」とどつくはずのエンドーでさえ、口を閉じて表情を暗くしている。
「……悪かった。すまん」
「いや、いいんだよ。無事に帰るためにも、がんばらなくちゃいけない。こっちの世界のボク達には、頼りになる仲間もいるんだから」
ハルトキのはげましにマハエは笑ってうなずいた。立ち上がって大きく伸びをすると、反対を向いて歩を進める。
「海を見に行く前に、園長のメガトンゲンコツから生還しないとな」
ハルトキとエンドーは「あぁ……」と頭を抱えた。
「ずっとこっちにいるのもアリかも?」
「アリだね」
二人が重大な選択に悩んでいる後ろで、マハエは足を止めて空を見つめていた。
「おい、あれ見てみろ」
マハエにならって空に視線を向けた二人は、あんぐりと口を開いたまま立ち上がった。
黒い空を背景に、ゆっくりと舞い降りる赤い光の玉。――それは一つだけではない。次々と、いくつも、いくつも舞い降りて、遠くの森にしみ込むように消えていく。
「雪? なわけないよね……」
「赤い雪って……、不吉だなぁ」
「…………」
またマハエの一言が重くのしかかった。
――何かが起こる。と、三人は思った。
舞い降りていた光の玉がすべて見えなくなっても、彼らの視線は空にとどまったままだった。
そのころ、ヘルプストの町にある小さな公園の木の下に、密会する怪しい三つの影があった。
「おいおいおいおい、どうするつもりだ? このままじゃオレ達マズイだろ」
紫に染められた髪が風に揺れた。
「あれから何日経ったと思ってんだー? 頭領もきっと許してくれるはず」
二つ目の紫髪が風に揺れた。
「そうだよ、だいたいオレ達に期待する頭領にも非があるの、さ」
三つ目の紫髪がキラリと風に揺れた。
「何が『の、さ』だ。このナルシスト野郎が……! 誰のせいでこうなったと思ってんだ!? “リート”!」
「落ち着きなよ“ゴトー”君。近所迷惑だよ」
「んだと!?」
『ゴトー』と呼ばれた紫髪と、『リート』と呼ばれた紫髪。二人の言い争いに、もう一人の紫髪が仲裁に入る。
「はいはい、そこまでにしよーぜー。どっちも悪ぅございましたってことでさー」
「てめぇはどういう立場なんだ!? “ツッキー”!?」
火に油を注いだだけだった。
ゴトー、リート、ツッキーという三人の少年。彼らはヘルプストヘ向かう『シラタチ』一行へ奇襲をかけた窪井の手下三人組だ。
「リート! お前があのとき大林に情報をもらしたおかげで、オレ達は頭領のもとへ帰れないでいる! 空腹に耐えながらこの公園で野宿するハメになったのも、全部お前のせいなんだよ!」
「いいじゃんか、ゴトー。野宿楽しいしー」
「お前は黙ってろツッキー。発言するな」
ゴトーにきつくにらまれ、口をとがらせてそっぽを向くツッキー。
「今日耳にした噂では、つい先日、ネーベル山で原因不明の爆発があったらしい。シラタチの仕業に違いないんだ。――まあ、頭領ならきっと逃げ延びているはずだが、それでもたぶん、きっと、いや絶対にオレ達を許すはずがない!!」
頭突きをかます勢いでリートと顔を突き合わせる。だがリートはしれっとして、
「それなら帰らなければいいじゃないか」
サラリと言う。
うんうんと、うなずくツッキー。
「何言ってんだ、そんな恩知らずなことができるか! オレは頭領がいなけりゃ、野垂れ死にしていたんだ。あの人には、一生かかっても返しきれない大きな借りがある!」
「わかりましたよ、やれやれ。つまり頭領の機嫌なおしのために、胸張って帰られるような手柄を取ればいいわけだね。やれやれ」
ため息と同時に大きく肩をすくめるリート。そのとなりでツッキーも同じように肩をすくめる。
「なぜ、すべてオレの責任みたいな話になっているのかわからんが、そういうことだ。やれやれ二回もいらなくね?」
「シラタチへ乗り込む計画を立てよう。まずゴトー君が敵を引きつけ、そのすきにゴトー君が組織の中枢に侵入する。最後にゴトー君とゴトー君が敵の主要をバッサバッサと――」
「あいにくオレは一人しかいない。お前らも協力しやがれ」
そう言われると、リートはツッキーと肩を組んで、
「オレとツッキーは忙しいんだよ。キミのカンオケをつくらなければならない」
「最初っから何も期待してねぇじゃねぇかぁ!!!」
パシンパシン! と二人の頭を叩く。
無言で頭をさするツッキーと、ふところから手鏡とクシを取り出して乱れた髪を整え始めるリート。ゴトーも頭痛で額を押さえた。二人とチームを組んで以来、何百回と繰り返される、すでに慣れきった頭痛だ。
「オレ、来年には死ぬと思う……」
それを聞いたリートとツッキーは悲しげな顔をして、並んで合掌する。
「お前らのせいだよ!!!」
「わかったわかった、そう怒るなよ。別に悪気はないんだ」
「余計たち悪いわ!!!」
ツッキーがゴトーの肩をつつく。右手を腰に置き、左手を突き出して親指を立てている。ニッと笑った口元に八重歯がのぞく。
「(心配するな。オレはいつだって悪気全開だー)」
「お前はいっぺん地獄へ落ちろ」
「――えーと、つまりゴトー君? せめて大林だけでも倒すことができればいいのだね?」
「……やっと真面目な話をする気になったか。そう、せめて大林だけでも―― って、それができれば苦労しねぇよ。やつはオレ達の殺気を感じ取る。奇襲はムリだ」
そのとき、二度目ツッキーが肩をつつく。
「隊長ー、発言の許可をー」
「……何だ?」
「あれを」
ツッキーが指差したのは公園前の通り。そこを横切っていく一人の少女がいた。
大きなバッグを背負った栗色の髪の少女は、はたと立ち止まると、乙女チックに手を合わせて月を見上げた。
「月明かり降り注ぐ夜の旅立ち―― う〜ん、絵になってるわ〜、私。あぁ、さよならヘルプスト〜、この地の思い出、一生わすれませんわ〜」
独りにも関わらず、くるくると踊リ出すミチル。
木の陰から頭を出してのぞき見ている三人に気付かないミチルだが、見ている側のゴトーは、見覚えのある少女をどこで見かけたのかを思い出した。
「……あれはたしか、“大林の”女だ」
「大林は一緒じゃないみたいだね」
「こんな夜中に何してんだろーな?」
と、視線に感づいたのか、ミチルは突然注意深くあたりを見回し始めた。
三人はさっと頭を隠し、恐る恐るもう一度顔をのぞかせる。
勘違いだと思ったようで、ミチルは首をひねって、再び歩き出した。
「……オレ、いいこと思いついちゃったー」
ツッキーが言うと、ゴトーもうなずいて、
「奇遇だな。オレもだ」
三人は「ふふふふふ」と肩をゆすって笑った。