30:少女の心
「あの子達が笑った顔、ほんと久しぶりに見たわ」
胃袋を満たしたおかげか、厳しかったサーヤの表情はすっかり和らいでいた。
並んで座るエンドーとサーヤの目の前を走り回る子供達は、元気な笑顔を見せている。これが本来あるべき子供の姿なのだと、エンドーは満足そうにうなずいた。
「ところでサーヤ、あの帽子かぶったやつが見当たらないが?」
「ジンのこと? あいつは夜まで帰ってこないわ。どこかでドロボーしてるか、ギャンブルしてるか……。テキトーなやつなの。あいつはこの廃工場の中で一人だけ、自分からこの生き方を選んだ“家出者”なのよ」
呆れたように言った。
「孤児院とかはないのか? 身寄りのない子供を保護する施設とか」
「いくつか、軍が管理する施設があるらしいわ。でも、保護された子供は軍に属する運命。幼い頃から訓練を受けて、未来の兵士として育成される。……そっちのほうが、私達みたいな汚れた生活よりはマシかもしれないけどね……」
「……軍の施設か」
エンドーはこの世界の『守民軍』とやらが気に食わなかった。もともと、縦社会の上いる大人にろくなやつはいないと思っていたのだが、その話を聞いて軍への不信感が強まった。つまり軍は、かわいそうな孤児達を利用しているのだ。――果たしてそれが彼らにとって幸せなのか……。
鼻で笑うエンドーに、サーヤはツンとして、
「あんたみたいに、温かい家で生まれ育った人に、私達の気持ちなんて一つも理解できないわよ」
短くため息をついて、そっぽを向いた。
「……ところで、何者なの? キョースケさん?」
向こうを向いたままサーヤが尋ねる。その声色は低く真面目で、変わらずエンドーを警戒していることを表している。
本当のことを教えるわけにはいかないと、エンドーは肝に銘じている。自分の好奇心で彼女や他の子供達を危険にさらすわけにはいかないから。
「ん? んー、オレは―― タビビト」
「ふーん、そんなところだと思ったわ。旅人は物好き―― そして、楽な人生に飽き飽きした人ほど旅に出るの」
トゲのあるサーヤの言葉は、まるで「心底バカらしいわ」と言っているようだ。
それでもエンドーは心の中で歓喜していた。まさか彼女がここまで打ち解けてくれるとは思っていなかったから。さすがにまだ警戒心は残っているようだが、それは微々たる問題。――初めて会ったときに見せた彼女の強気な印象から、この廃工場に再び足を踏み入れた時点でケツを蹴られて追い出されるというパターンも想定していた。――それよりはずっと、はるかにマシだ。
少し間を置いてから、エンドーは本題に入ることにした。
「そろそろ教えてもらえる? キミの―― あの力について」
途端に、横顔からだが、サーヤの顔色が厳しいものに変わったのがわかった。それは予想通りの反応で、エンドーは臆すことなく彼女を見つめる。
またヒステリーを起こされては万事休す。――だが、サーヤは何度か深呼吸をして、冷静にそれを抑え込んだらしい。
数十秒、エンドーは待った。そしてようやくサーヤは話し始める。
「あの力のことは、私にもよくわからないの。……感情が高ぶったときとか、たまにああなるの。体のどこかから腕を伝って電流が流れる」
「今は出せる?」
「どうやって出してるのかさえわからないのよ。それに、できたとしても絶対にイヤ」
口調に怒りがにじみ出た。
「私はこの力が大嫌いなの。あなたに見せてこの力が無くなるのなら、いくらでもやってあげる。でもそうじゃないでしょ?」
「何でさ? 昨日だってその力に救われたんじゃないか」
「わかったふうな口利かないで! あんたに何がわかるのよ? ……何の力もない人にわかるわけないわよね。あんた達にとっては変わった力がうらやましいと思うかもしれないけど、この力のせいで私は……、私の人生はめちゃくちゃよ」
首を振って肩を落とすサーヤに、エンドーは「ゴメン」とあやまった。軽い調子で言ってしまったのが悪かった。まだ幼さの残る少女が、未知の力を恐れうっとうしく思うのは仕方のないことなのだ。
だがサーヤが魔力を嫌う理由は、それだけではないらしい。
「……この力を初めて使ったのは七歳の頃―― その頃は私にだってちゃんとした親がいた。父さんがいて、母さんも……。ある日、友達とのささいなケンカでこの力は現れたわ。私は友達に怪我を負わせてしまった。その光景を見ていた人が何人かいて、すぐに噂は広まって、たちまち私は化け物あつかい。父さんもその内の一人だった。でも、それでも母さんだけは必死に私を守ってくれたわ」
いったん、サーヤは口を閉ざした。
辛い過去を思い出しているのだ。エンドーは話題を変えたほうがいいかなと考えた。少女の心の傷痕をこじ開けるようなことは絶対にしたくなかったし、こんなことで苦しむサーヤを見たくもない。それにバカな自分を責めるのもイヤだから。
サーヤが再び口を開くが、エンドーの心配はよそに、吹っ切れたような落ち着いた声だった。
「当然、遊んでくれる友達はいなくなって、私は独りぼっちになった。悔しくて悔しくて、私は……、ただなぐさめてくれようとした母さんに、つい力を使ってしまった……」
「…………」
「怪我は大したことなかったんだけどね……。さすがに父さんもぶち切れちゃって」
「それで、追い出された?」
サーヤは微笑して首を振った。
「知ってた? 子供って、いい“商品”になるのよ」
「……商品? まさか、そんな……」
さもあっさりと言うものだから、初めエンドーはサーヤの冗談だろうと思った。人の子を商品と呼ぶなんて馬鹿なことはない。
「子供は奴隷として重宝するそうよ。“特技”を持つ子はなおさらね」
「マジな話?」
「当然でしょ」
「…………」
エンドーはショックを受けた。この暖かな平穏のある世界に、ある種の憧れを抱いていたから。これも時代の流れのほんの一部分にすぎないのだろうが、どの時代、どの世界でも平穏と悪夢はどこまでも絶妙に絡み合っているということを思い知らされた。
そんな彼の様子に、サーヤは眉をしかめる。
「……あんた、本当に旅人? 旅してる人ってもっと博識なのかと思ってた」
「…………いや、それより、その後どうしたの? 売られたキミが何でこんなところに?」
「逃げたのよ。私が生まれたのは東の『サラバック地方』。そこから、馬車でこの『フーレンツ地方』に連れてこられたんだけど、そのとき、休憩で馬車が止まったスキにね。……でも、それができたのも、この忌々しい力を使ったおかげ」
「(忌々しい、か……)」
サーヤが魔力をそこまで嫌う理由は、その力が人を傷つけてしまうものだと思い込んでいるから。友達を、母親を傷つけ、彼女からすべてを奪い、彼女自身にも深い傷をつくった魔力。
――そうじゃないんだ! とエンドーは言ってやりたかった。彼女の気持ちを少しでも和らげてやりたい。
「なぁ、サーヤ……」
ボソリと、ためらいながらエンドーは言葉を発した。
「あ、ちょっと待ってて」
突然サーヤは立ち上がり、工場の中へ入っていった。少ししてもどってきた彼女は、銀色の短剣がおさまった革のソードホルダーをエンドーに投げ渡した。
「旅人さんには必要な物でしょ?」
「よかった。売られたんじゃないかって、ヒヤヒヤしてたぜ」
短剣を引き抜いてかざしながらエンドーは言った。
「ジンならすぐにでもそうしたでしょうけどね。私が預かってたのよ」
「どうして?」
「それは――。……ねぇ、その剣って……、何?」
恐る恐るといった感じにサーヤが訊く。
「何って訊かれてもな……」
エンドーは頭をかいてから、咳払いを一つする。
「サーヤ、キミの力のことなんだけどさぁ……」
迷いつつも、エンドーは短剣を前に構えた。
グラソンや宗萱に起こられるかもしれない。しかし自分がサーヤの理解者であることを証明したかった。サーヤは独りぼっちなんかじゃないと。
今度ははっきりと、エンドーは言った。
「サーヤ、話しておきたいことがある」
柄をぐっと握り、短剣に意識を集中させる。
「おーい、エンドー!!」
短剣に魔力を注ごうとしたちょうどそのとき、後ろから彼を呼ぶ声に邪魔をされた。
マハエとハルトキが門の外から駆けてくる。
「タイミング悪すぎだなぁ、お前ら。何だよ、何の用――」
「うおらぁぁ!!!」
「んごふぅっ!?」
ダブルの跳び蹴りで、エンドーは五メートルほど吹っ飛んだ。
「てめぇ、オレ達の活動費まで前借りして何に使いやがったぁ!?」
「ま、待て待て! これにはちゃんとした理由が……」
「ほぉう? ちゃんとした理由? ここでバーベキューをしていた痕跡があるんだけど?」
ハルトキが火鉢の前にしゃがんで何も刺さっていない串を摘み上げる。
「このタレの香りは、園長特製の万能ダレだね。これのレシピを知っているのは他に遠藤君、キミだけのはず」
マハエとハルトキににらまれると、エンドーは顔をそらして小さく舌打ちした。
立ち上がってズボンの砂を払い、素直に降伏する。
「じゃあな、サーヤ。また来る」
サーヤに笑いかけ、ゆっくりと短剣をホルダーにもどすと、次の瞬間には風の如き素早さで走り去っていた。
「あ、逃げた」
マハエとハルトキは深くため息を吐くと、困惑しているサーヤと子供達に向かって頭を下げた。
「うちの京助が迷惑をおかけしました」
「え……?」
「待てやコラァー“ボクたん”ー!!!」
エンドーを追って去っていく二人の後ろ姿を、サーヤは不思議そうに眺めていた。
「あの二人、“私達に”頭を下げた……」
――変わった人達。
サーヤは心の中でつぶやいた。
三人の姿が見えなくなっても、まだそこには温もりが残っているようだった。あの三人から感じられたのは、サーヤの知らない不思議な温もりだった。
親友や兄弟のようでもあり、またそれとは違う温もり。――それぞれが力強く支え合って生きているような。
――少しだけ笑顔を思い出した気がした。