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25:もう一つの心

 グラソンと宗萱は専用の馬車で。マハエ達四人は乗合馬車でと、別れて帰路に着いた。

 それから四人が港町に帰り着いたのは夜。宗萱らは直接本部へ向かったのだろうが、そこへ寄る元気は彼らにはなく、宿へ直行した。


 ――地下の浴場はさながら小さな銭湯のようなもので、広い湯船が一つと洗い場とに別れている。

 壁に埋め込むように置かれている数本のロウソクと、天窓から入る月の光で、ムードとしては最高の薄暗さだ。

 混浴なので、若いカップルが語り合う場としては最適だろう。


 そこに男三人で入ってきたマハエ、ハルトキ、エンドー。すでに慣れているせいか、その雰囲気をぶち壊すように「ひゃっほ〜!」と湯船へダイブする。

 この騒がしい三人の他に入浴者はいない。もっとも、人がいれば迷惑この上ないことだが……。


「ふぃ〜〜〜」


 と、三人いっせいにため息を吐く。

「良い湯加減ですこと」

 タオルを頭に乗せたエンドーが鼻歌を歌う。

 その横で、マハエとハルトキは真剣な顔で話を始めた。

「ヨッくん、あの後グラソンが言ってたこと、どう思う?」


 ネーベル山ふもと町で、グラソンはみんなを励ますように言った。

『――ウィルスの八十パーセントは破壊した。たったの二十パーセントじゃ、効果の及ぶ範囲はたかが知れている。頭のいい窪井なら、そんなムダなことはしないはずだ。ウィルスをもとの状態に増やすにしても、少なくとも数週間はかかる』と。


「……うん。グラソンが言うのなら、それは正しいと思うよ。ボク達には時間ができた」

「あとは、その時間内に窪井を見つけ出して阻止しなきゃいけない、か」

 マハエは壁に頭をあずけて天井を眺めた。

 そのとき、誰かが浴場の階段を下りてくる音を耳にし、二人は顔を見合わせて話をやめた。


 ――下りてきたのは大林だった。

 腰にタオルを巻き、湯船に足を入れる。

 これまで大林と風呂で会ったことはない。初めて見る彼の体は、三人とは比べ物にならないほど、がっしりと引き締まっている。年の差たった三つとは思えない。

 だが彼の体に目立つのは、卓越した筋肉だけではない。


「…………」


 三人は唖然とした。

 ローブとシャツの上からではけっしてわからなかった、無数の傷。

 鎖骨の下あたりから横腹へ伸びる一番大きな切り傷の縫い痕。その他にも肩、腕、背中と、小さな傷をふくめれば、一目では数え切れないほどだ。

 視線に気付いてか、大林はすぐに体を沈めた。

「大林さ……」

 ハルトキはつい傷痕のことを訊きそうになり、慌てて言葉を変えた。

「オツカレ様です……」

「ああ。ハル達こそ、今日は疲れただろ」

 大林は天井へ向かって息を吐いた。

 薄い明かりに照らされた大林の顔は、まるで泣いているようだ。表には出さず、心の中の、奥底で……。


 ――まるで、三人に助けを求めてここへ来たかのよう。


「かまわず騒いでくれてもいいぞ。オレのことは気にするな。……そうしてもらえると助かる」

「…………」

 三人は顔を見合わせた。

「いえ、オレ達もさすがに騒ぐ元気はないですよ。……これからのことも、考えなくちゃいけないし」

 マハエが言った。

「時間があるって言ってもよ、相手は大悪党だぜ? ウィルスを放たないにしても、何をするかわからないぞ」

 エンドーの言葉を聞き、大林は微かに苦笑した。

「大悪党か……」

 大林は目を閉じて首を横に振る。

「あいつは……、窪井はあんなヤツじゃなかった」

「……?」

「昔の話だ。オレと窪井は同じ不良集団にいたんだ」

 三人は息を呑み、黙って聞く。大林はうつむいて揺れる水面を見つめたまま続ける。

「オレと窪井は、その集団のリーダー―― その人を慕い、彼の右腕としてともに生きてきた。心から信頼できる、オレ達にとっては兄のような存在……。そしてオレと窪井も、同じように信頼し合える親友だった」

 少しずつ声が小さくなる。三人にではなく、まるで水面に映った自分自身に話しかけているようだ。

 大林も自分がわからなかった。なぜこんな話をするのか―― だが悪い気持ちはしない。溜まっていたあらゆる感情が勝手にあふれ出しているようで、彼はただ、そんな自分に身をゆだねていた。

「……ところがある日、窪井はとある組織から勧誘を受け、オレ達のもとを去っていった。その組織は『レッドキャップ』といって、金のためには人をも殺す極悪集団だ」


 大林の頭には、そのときの記憶が鮮明に浮かんでいた。



 ――ケン! お前正気か!? 『レッドキャップ』といえば、最悪の殺人組織だぞ!


 ――オレはいつだって正気さ、タカ。“高み”を目指すためには、こんなちっぽけな不良集団なんぞに、いつまでも居座るわけにはいかない。


 ――てめぇ……! まだ“高み”なんてもんにこだわってんのか!?


 ――ああ。オレは平和ボケしたって、あのときのことは忘れやしない。お前もそうだろ?


 ――それは……。


 ――じゃあなタカ、いや大林。お前とオレは、まったく別の道を行く運命だった、それだけのことだ。……すまない。わかってくれ……。


 ――ケン! ……ケンっ!!!



「…………その瞬間から薄々わかっていた。いずれこうなることは……」


 話し終わると、沈黙がおとずれた。誰も微動だにせず、他の誰かが口を開くのを待つ。

 何秒かすると、大林が大きく深呼吸をして顔を上げた。

「悪かったな、変な話をして。忘れてくれ」

 そう言うと立ち上がり、湯船から出る。

 最後にもう一度深呼吸をすると、大林は浴場から出て行った。


 残った三人は、波の音が静まるまで、沈黙を守った。


 大林は自分の辛い思いを心の中に閉じ込めることで、他人に弱みを見せないようにしている。そのことには誰もが気付いていた。同時に、仲間に妙な心配をさせたくないという思いもあることも。

 だがすべてを完璧に秘めていられるほど、人の心は強くなどない。おそらく大林は、そこからにじみ出る感情が周りに伝わっていたことに気付いていなかったのだろう。

 三人は窪井と大林の間には敵対している以外の何かがあると感じていたが、彼の気に障るかもしれないと、気付いていないフリをしていた。だから彼が自分からその話をしたことが、とても意外で驚きだった。大林と窪井が親友同士だったという事実も。

 そして、少しでも内に秘めた辛さを明かしてくれたことが、仲間として嬉しかった。


「平気なわけ、ないよな」


 マハエがつぶやくように言うと、ハルトキがうなずく。

「人が自分から辛い過去の話をするのは、その人自身、やりきれない気持ちだから。たぶん、限界まできてるんだよ」


 ――親友が敵に……。その重みはどれほどのものなのか。


「でも、まだ何か隠してるな。黒猫騒動後の大林さんの眼、見たでしょ。本気で窪井を殺すつもりだよ?」

 そう言うマハエの目を、ハルトキが見つめた。

「キミは殺せる? ボクかエンドーを」

「…………」

 マハエはとっさに目をそらした。

 少しの想像だけで身震いしてしまう。


 ――殺せるわけがない。どんな過去があったとしても、親友の命を取るなんてこと、できるわけがない。


「ま、もしもマハエが吸血鬼に噛まれて襲ってきたら、オレは一秒のためらいだけで心臓に杭を打ち込んでやるけどなー」

 エンドーが「ふふん」と笑う。

「上等だー。オレもお前が墓場から蘇ってきやがったら、もう一度カンオケにぶち込んで海に沈めてやる」

「そしてボクは、そんなキミ達を生物学研究所へ売り飛ばす」

「一番ヒドイ……」


 ――親友を殺す。そんな選択、死んでもゴメンだ。


 三人は心からそう思った。そして大林にもそれをさせたくはないと。






 宿を出た大林は、夜の黒い海を眺めていた。

 ぬるい風でも、熱くなった体を冷やすには十分だ。

「何やってんだよオレは……。あんな話をするなんて」

 今の自分は、とうてい頼もしい男とは言えない。

 ――あの人はどんな気持ちだったのだろう? 窪井が『田島弘之』を抜け、外道の道へ進むのをただ見つめていたあの人は……。


「…………」


 満月に近い月を見上げると、見せたくない内の自分が照らされているようで、せつなくなった。


「やっぱりオレはお前を許せないよ、ケン。オレ達を裏切り、みんなを――」

 言葉がのどで止まり、一滴の涙が落ちた。


「田島さんを殺したお前を、許せるわけがないっ……!」



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