17:寒い、暗い、ヒマ
窪井の隠れ家。監禁室――
「大人しくしてろ、マヌケめ」
窪井の手下が、あざ笑いながら立ち去った。
「言い返す言葉がございません……」
エンドーは鉄格子の中で、冷たい石の床に正座している。
上のほうで、鉄扉が閉じる重たい音が痛く響いた。
――この監禁室は、母屋である広い建物とは別に建っている、監禁専用の建物だ。捕まった二人は、鉄の扉を開くとすぐ足元に現れた、地下へ続くらせん状の階段を乱暴に歩かされ、それ以上乱暴に牢にぶち込まれた。
エンドーは自分の悲運を嘆いていた。
――いや、このチーム割を、心の奥底から嘆いていた。
「――さて、と」
横でパートナーが、あくびをして床に横たわった。
エンドーのこめかみに血管が浮き出る。
「おい立てや、色黒男ぉ!!! 誰のせいでこうなったと思っとるんじゃぁ!!?」
グラソンはエンドーに背を向け、ひらひらと手首を動かす。
「あんたのせいだろ!!? あんたの勘に従ったせいで、こうもあっさりと捕まったんだろうがぁーーー!!!」
「……捕まったんじゃない。捕まってやったんだ」
「強がってんじゃねぇーーー!!! 完全にあんたのミスだよ!!!」
寝心地が悪いのか、起き上がってあぐらをかくグラソン。足に肘をついて話し始める。
「結果、ここが窪井の隠れ家であることを確信することができた。オレ達が敵に捕まっても、案内人が本部の宗萱達に知らせてくれる」
「あぁ〜、そういうことかぁ〜。つまり、捕まるのも計算のうちだった。そのおかげで情報の確信を得て、おまけに、無理なく内部に入り込むこともできたと。なぁるほどぉ〜。…………一発殴らせろや」
怒りを宿した目をグラソンに向ける。「そんなら初めから、そう教えておけ!」と。
「……悪かったな」
「あん? なんか言ったか?」
「ふん」
「…………」
エンドーは小さく息を吐く。吐いた息が、ろうそくの明かりの下で一瞬白くなった。
「寒い……」
「地下だからな」
「きっと、あんたがいるせいだ。この雪男」
――当然、手元に武器はない。捕まったさいに取り上げられ、今は鉄格子の外の保管庫の中だ。
さすがに衣服までは脱がされなかったが……。
エンドーの服装は、シャツが半袖になったという部分を除けば、前回、前々回と同じ、黒ジャケットと真っ赤なズボンだ。そんなエンドーでも、寒さで露出した肌をさすっているというのに、上半身ノースリーブ一枚だけのグラソンは平気な様子で腕組みをして、壁にもたれて座っている。
牢に閉じ込められて数時間は経った。もっとも、エンドーにとっては二日経ったに等しい。
中学生時代に入っていたスポーツ部の大会で、自分の出番はなく、応援席に座って退屈な競技を延々と眺めていたときは、一時間がとてつもなく長く感じられた。だが、今はそれ以上に最悪な気持ちだ。
寒い。薄暗い。おまけにパートナーは無口。
「(おっと……、腹も減ってる……)」
時間的には夕飯時だろう。が、ここの連中が彼らのために食事を用意してくれるという保証はない。
案内人でも声をかけてくれれば、少しは気が休まるだろうが、彼はいない。深夜近くになると、スリープモードに入るらしいが、まだまだそんな時間ではない。本部の宗萱達のところにいるようだ。
作戦のために捕まったことを、仕方がないな、と思い始めていたエンドーだが、腹の虫が鳴く声が、いよいよ悲鳴に変わり始め、自分を滅茶苦茶な作戦に引きずり込んだパートナーに対し、再びふつふつと怒りが湧き上がってきた。
エンドーの殺気に気付いているのかいないのか、グラソンは変わらず腕組み、静止状態。
――奇妙な男だ。
一日そばにいて、エンドーは何度感じたことだろうか。
そんな男に突っかかってもよいものか思案しているとき、上のほうで鉄扉がゆっくりと開く音が聞こえた。
「食事だ、食事だぞーっと」
パンが入ったバスケットを持って、手下が階段を下りてきた。
「ほらほら、腹減っただろうー? 焼きたてのパンだぞー」
香ばしいパンの匂いに、煮え立ったお湯の火を止めたように、怒りは静まった。手下がバスケットを床に置く前に、カメレオンが舌を伸ばすが如く、エンドーの手が一瞬で温かいパンを口に運んでいた。
「おうおう、食い意地張ってんなぁ。敵が出す食事だぞ、もう少し警戒したらどうだ?」
「…………おえぇ……」
「吐くな吐くな! 毒なんて入ってねぇから!」
口の中の物をとりあえず飲み込んで、エンドーはほかほかのパンを見た。
「なんで、こんな親切な食事を?」
「頭領に言われてんだ。侵入者は“丁重におもてなししろ”ってな」
かっこうつけるように、ニヤリと笑うが……、
「いや、意味が違っ……」
ゴホン。と咳をして、言い直す。
「――美味い。不良のくせに、腕のいいコックがいるんだな」
「ふ……。そうか? オレが作ったんだぜ。実家がパン屋なんだ」
手下が自慢げに語る。
「へぇー。……なんで、帰る家があるのに……」
「オレは次男でな。店は兄が継いで、オレは居場所をなくした。……一年と少し前、頭領と出会って『ニュートリア・ベネッヘ』に入った」
そこでいったん口を閉じてから、独り言のように言う。
「居心地が良かったな……。昔は……」
手下は立ち上がり、「オレ達もメシの時間なんだ」と、手を振って去っていく。
「ここ寒いな。後で寝袋でも持ってきてやる。オレのパンをほめてくれた礼だ」
「マジで? そりゃ助かる」
ほっとした顔で手下を見送った。
どんなヤツにも過去はある。それはけっして否定してよいものではない。理由があって、今に至るのだ。
――早く終わらせたい。
このとき、エンドーは強く思った。
「……おい、グラソン。食わないならオレが食うぞー」
バスケットに残っていたパンを掴み、ためらいなく口へ持っていく。――エンドーの腕が氷に包まれた。
「――ッ、冷てっ!! 冗談! 冗談だって!!」
エンドーの手からパンを奪い取ると、グラソンは壁際にもどった。
しもやけになりかけた腕を息で温めながら、エンドーは尋ねる。
「ふー、冷てぇ……。さっきから何してんだ? ずっと黙ってよぉ」
「地上にある建物の気配を探っている」
「はあ? どうやって?」
「魔力は使いようによって、レーダーにもなる。集中すれば、敵の覇気から強敵がどのくらいいるのか知ることもできる」
「器用だな……。そんで、何かわかった?」
「さすがに地下からでは困難だ」
エンドーも同じように腕組みをして試してみるが、近くを駆け回るネズミの気配しか探れない。あきらめて横になった。
「早く寝袋プリーズ……」
固く冷たい床の上は、この上なく寝心地が悪い。
せめてパートナーがもう少しおしゃべりだったなら、会話で気を紛わすこともできただろうが……。
グラソンは、まるでエンドーなど存在していないかのように、ただただ自分の沈黙を守るだけだ。エンドーから話しかけないかぎりは。
「……グラソン」
「なんだ?」
「……自分は独りだなんて思わないでくれ。……みんな、仲間なんだからよ」
背中をグラソンに向けて、少し照れくさそうに言う。
「馬車での話、聞いてたのか」
「オレにはいまいち自覚がないんだ。オレ達がミスれば、この世界の紐は切れてしまう。……だから、簡単に誰かに気を許したり、スキを見せたり、しちゃいけないのもわかってる。けど……、どう強がったって、やっぱガキだから、理屈とかわかんねぇ。信じたいと思えば信じるし、そのときはそのときだ、って思ってる」
「……それが普通なのかもな」
感情のこもっていない声でグラソンは言った。
彼は造られた存在。普通の人とは違う。いくら頼りがいがあろうと、人生経験はエンドーのほうがはるかに豊富なのだ。
だが、グラソンの困惑に対し、先輩として何かを教えることも、相談に乗ることもできない。彼らにしか理解できない悩みなのだ。
「……ん?」
グラソンが何かに反応した。
「どうした?」
「……今、大きな覇気を感じた」