15:信じる
宗萱チーム、大林チームが本部に帰還したのは、正午を少し回った頃だった。
全員そろって、町の食堂で昼食をとるが、グラソンは侵入者の話を一切しなかった(あの後、男は城から逃げ去ったと報告が入った)。いつもどおりに振舞うグラソンを見て、エンドーもそれに合わせる。
なぜ言おうとしないのか、エンドーにはわからない。グラソンにとって―― 『シラタチ』にとって、今は窪井に関わる情報以外はどうでもいいことなのかもしれない。どうでもいい出来事に振り回されている余裕がないからかもしれない。一応報告しておくべきだと彼は思うが、グラソンがそうしないのなら、勝手なことをするわけにはいかない。
それに、今、目の前にある情報は、『シラタチ』にとって、とても重要なことなのだ。
「『ネーベル山』か……」
食事を終えたグラソンが、一息つく代わりに言った。
「急ぐべきだと思う。情報を吐いた三人が隠れ家にもどれば、警戒強化される。予告の期日は残り三日。時間的余裕もない。乗り込むのは、できるだけ早いほうがいいだろう」
「そうですね……」
[今日ならまだ時間はありますよ。どうするんですか? 早いほうがいいのなら――]
「いや、それでは焦りすぎだ。……オレの考えでは―― 乗り込むのなら明日がいい。この情報がおとりだという可能性も踏まえて、時間は残しておきたい」
グラソンが、パンにかじりついているエンドーに目を向ける。エンドーは口をもぐもぐさせながら見返した。
「オレと京助が、これから周辺の調査に向かおうと思うのだが?」
「ふぉえお?(オレも?)」
動かす口を止め、エンドーは目を丸くする。
「人数は少ないほうがいい」
「…………」
宗萱は思考を巡らしているように、すぐには何も返さない。
彼が何を考えているのか、マハエはわかっている。『グラソンを信用したい』そんな気持ちとは裏腹に、拭いきれない不安がある。――ちくちくとする胸をぎゅっと握った。
「……いいでしょう。調査は任せます」
宗萱は言った。
大林も、うなずいて一言。
「気をつけろ。すきを見せると噛み付かれる」
「忠告か?」
「あいつは、あんたらが思っているほど、甘くはないってことだ」
「……気をつけるとしよう」
フーレンツの南西にある、目的の『ネーベル山』へは、港町よりも、本部から出発したほうが時間は短縮される。
それでも徒歩でやすやすと行ける距離ではなく、馬が必要になる。一台だけだが、『シラタチ』が馬車を所有していたおかげで、それは解決。二頭立ての馬車で、グラソンとエンドーはさっそく本部を出発した。
屋根のない馬車は三人乗りで、後部には二人用の椅子が備えてある。馬を操るグラソンの後ろで、エンドーは椅子の真ん中を陣取って、青空を仰いでいた。
呼吸のたびに、木や葉の香りが鼻腔を満たす。
「夕飯までに帰れるか?」
「今日は適当な町で宿を取ろうと思う。明日、その町でみんなと合流だ」
それを聞いて、エンドーは不満そうな顔をする。
今夜は友人二人とトランプでフィーバーするつもりだったのに、なぜこんな馬が合いそうにないやつと、ともに過ごさねばならないんだ? そう、顔に書いてある。
が、前方ばかりに目を向けているグラソンが、そんなエンドーに気付くはずもなく。
エンドーは思いっ切り不満な顔をしてやった。
「それにしてもよぉ、馬車まで操れるとはなぁ……。弱点なしか、あんたは」
「なに、簡単なことだ。お前も覚えておくか?」
「けっこうです。オレはこうやって、のんびりしているほうがいい。……それより、あまり飛ばさないでくれよ、オレ乗り物酔いするからよ。ただでさえ揺れる道だってのに」
「林道だから、しかたない。広い道に出たら容赦なく飛ばす」
「……今のうちに寝とくかね……」
それが得策だと思い、エンドーは一つ息を吐いて目を閉じた。
――パカパカ、ガタガタ
二頭の馬がしきりに地面を踏む音、車輪が転がる音。しばらく、それだけが続いた。
エンドーは座ったまま、じきに眠り、小さないびきをかいている。
それを確認し、グラソンは案内人に声をかけた。
「おい、案内人、いるんだろ?」
[……はい。どうしました?]
「……信用ないみたいだな、オレは」
[何が、です?]
案内人の疑問符に対し、「わかってるんだろ?」と言うように短く笑うグラソン。
「お前は監視役ってところだろう? オレは『シラタチ』に信用されていない。当然のことだ、デンテールの手下だったオレを、信用できるはずはない」
[…………気付いていたんですか]
「合理的なことだ。オレも、自分は信用されるべき存在ではないとわかっている」
[あ、勘違いしないでくださいよ。宗萱さんはあなたを信用しています。もちろん、他の誰だって。……ただ――]
「人は感情だけで人を信用できる生き物ではない。わかっている」
――車輪が小石を踏んで、大きく揺れた。
衝撃で横に倒れたエンドーが、ゴツ。と鈍い音で頭をぶつけたが、変わらずいびきをかいている。
[やめましょう、この話は]
「ふん。“兄弟”を疑うっていうのは、気が引けるか」
[……気分が悪いです]
「忘れてくれ。お前は、オレの話を聞かなかった」
[そうします。……ただ、これだけは、もう一度言わせてください。――宗萱さんは、あなたを信用しています。わたしも、あなたを信用します。ですから、あなたもわたし達を信用してください]
「……ふっ」
グラソンはうなずく代わりに、笑ってみせた。
三時間、馬車を走らせ、ようやく『ネーベル山』のふもと町に到着した。
「うあー、腰が痛い……」
あくびをし、腰を叩きながらエンドーが馬車を降りる。
固まった全身の筋肉を伸ばそうと、ぐぅっと身体を反らしたとき、深緑の木々が目に入った。
「あれが、例の山?」
「そうだ」
『ネーベル山』は、首を傾けて見上げるほど大きな山ではない。だが敵はそのどこかにいる。そう思うと、山の周囲を黒い霧が取り巻いているように見え、エンドーは身震いした。
そして、今二人が立っているのは、その恐ろしい山を背景にする町の入り口。
町は小さく、その分、人の気配も少ない。だが食事処や宿はあるらしく、一瞬、山中での野宿を想定したエンドーは、心の底からほっとした。
グラソンがさっさと歩き出して言う。
「ここで待ってろ」
「え、どこ行くんだよ?」
「寝袋買ってくる」
「は!!?」
「冗談だ。宿を探してくる」
「……笑えねぇ……」
グラソンがもどってくるまで、数十分かかった。その間、エンドーは馬車の座席で眠りこけていた。
馬車が動き出した振動で目覚め、前の席で手綱を握るグラソンに開口一番、
「遅い」
「すまんな。情報収集だ。町の連中に、山へ入るためのルートや、登山道について尋ねていた。迷うのは嫌だろ?」
「たしかに。――ところで、明日本部の連中はどうやってここまで来るんだ?」
「乗合馬車が、地方をいくつも走っている。朝早く、港町から乗り継いで来る予定だ」
「そうか。それなら寝坊しても平気だな」
「あれだけ寝て、まだ寝坊する自信があるのか?」
「まだまだ寝るぞオレは」
エンドーはふんぞり返った。
――馬車は町中を走り、宿の前で停止。
宿の主人らしい男に馬を預け、二人は山へ向かう。
「見張られて……、ないよな?」
エンドーが左、右へと顔を向ける。
「さぁな。そうだとしても――」
「オレ達は行くしかないってか? あぁ……、今握っている紐の先が、大吉か大凶のどちらか、とはな……」
「ふん。大凶でも、大吉に変えればいいだけのことだ」
気を引き締めろ。と言って、グラソンは足を速めた。
「そういう考え方も……、あり、かな?」
不安をものともしない人物がパートナーだと、じつに落ち着く。不満は残るものの、このチーム割は悪くないと、ようやく思えるエンドーだった。