生きながら死んでいる話
馬鹿の一つ覚えのように首に縄をかけて、締め上げて。
締め上げながら、思う。
どうせこうやっていたとしたって、自分は死ねやしないのだと。
死にたい、消えてしまいたい。
そんな風に思っているくせに、最後の踏ん切りがつかなくて、こうして無様に生き恥を晒しているだけ。
死にたい。
そう思うたび、依存している友人のことを思い出す。
自分以上に死にたがりの子。
彼女が死んだら、自分は確実に空っぽになってしまうだろう。
泣きはしない。否、泣けないことは分かってる。
泣かないかわりに、嘆くんだろう。
空っぽになりながら。
彼女は以前、自分に依存しているといった。
自分も彼女に依存している。
もし、自分が死んだら、彼女はどうなってしまうんだろう。
自分が想像した、「彼女が死んだときの自分」のように、空っぽになってしまうんだろうか。
そう考えてしまって、こうして手が緩んで、死なないまま。
昔から、首を絞めるのがくせだった。
自傷行為の定番はリストカットだけれど、それだけはしなかった。
彼女がしていたから。
リストカットは明らかに痛いと、知っているから。
目盛のように赤い線のついた腕を、見たことがある。
謝って、その腕を掴んでしまったことがある。
明らかに、リストカットは痛いもの。
だから、しない。一度だけ、それっぽいことはしてみたことがあるけれど。
あれはぴりぴりと痛かった。明らかに痛い、というよりも、じわりと熱かった。
リストカットはしない。痛いのは、嫌だから。
そのくせ首を絞めるのは、矛盾に思われるだろう。
痛みと苦しみは違う。だから自分は首を絞める。
苦しみは、後からやってくる。
首を絞めて最初に感じるのは、痛みでも苦しみでもなく、痺れだ。
首の太い血管が絞められたことで血がうまく回らなくなり、痺れる。
上手く力が入らなくて、ふわふわとする。
きっとそのまま締めていれば、死ぬことだって容易いだろう。
けれど、自分はいつだって痺れて、頭の中が少しだけぼんやりするまでしか、締められない。
せいぜい首の一部に軽く後がつく程度。
本当に死を望んでる自殺志願者から見たら、遊びみたいな行為。
死にたいくせに、行きたいと願ってるが故の、無様な生存確認。
それが、自分にとっての首を絞める行為。
痺れて、苦しくなって、そこで自分が生きていることを実感する。
あわよくば、首の後を見て、誰かが自分を認識してくれればいいと思っている。
馬鹿げた行為。誰もこちらのことなんて見ていないのだから、気付くわけないのに。
昔は、気付いてもらえたから。
きっと今でも気付いて欲しいとなんて思っているんだ。
首の痕は、SOSのサイン。
結局、どれだけはっきり痕が残っていたとしても、本当に気付いて欲しい人には気付いてもらえないのだけど。
それでもこれを繰り返すのは、未だに、気付いて欲しいからに違いない。
くるりと首を一周するように痕が付いていたのなら。
首にはっきりと浮かび上がるぐらい、濃い痕であったなら。
かぞくはわたしにきづいてくれただろうか
人を傷つけることも、人に傷つけられることも怖くて、だから人と話すことも、目を見ることも、自発的に言葉を出すことも出来ない愚か者には、こんなかたちでしか表せないのに
誰にも気付いてもらえない者は、本当にここに生きているといえのだろうか