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8. 白夜城の聖女

 城塞都市メタトロン。蒼天回廊と言う古代の超巨大な塔を持つ世界最大の都市。

 この街は世界の各地から人が訪れ、同時に世界中の文化が混じり合う。当然、様々な商いが街の至る所で営まれており、経済の中心に相応しい賑わいを見せていた。

 しかし、塔を境に街の西側はひっそりとしており、人の往来もまばらで、街の他の場所と比べても明らかに人が少ない。

 だが通りに軒を連ねる建物は、実に様々な国の様式を用いた異国情緒たっぷりの外観をしているものばかりである。その色使いも赤や桃など華やかなものであった。

 この様な見目麗しい絢爛な建物ばかりが目立つ通りで、昼間なぜほとんど店が開いていないのか……? 直ぐにピンと来る者も多いだろう。

 そう、ここは昼と夜が逆転する場所。陽の高いうちは閑古鳥が鳴いているが、陽が落ちれば、通り沿いの建物からは色のついた声が客を誘い、昼の大通りの様な賑わいを見せるだろう。

 ここは城塞都市メタトロン最大の歓楽街にして、世界最大の遊郭。一夜の淡い幻を買いに訪れるその場所を、人々は『幻像宮殿ミラージュパレス』と呼んでいた。


 閑散とした昼の幻像宮殿ミラージュパレスを、フードを深めに被った人影が一つ、足早に通りを歩いている。

 夜遊びが過ぎ、陽が高くなってから目が覚めて人目を忍ぶ様に顔を隠してそそくさと帰る客はここでは珍しくなく、帰るのを忘れた八咫烏に忍笑いする者はあっても、フードを被って歩く人を不審がる者はいなかった。

 だがその者の向かう先は家路ではなく、幻像宮殿ミラージュパレスの奥へと向かっていた。そして通りでも一際大きな洋館の門の前まで来ると、被っていたフードを脱いだ。トモエである。

 その大きな洋館は金持ちばかりの常客を持つことで知られる、パレスでも指折りの高級娼館であった。

 トモエはその洋館の門をくぐり、続いて洋館の扉を叩く。すると中から女が顔を出し、二言三言言葉を交わした後、建物の中に入った。

 トモエは建物の中を、入り口で会った女の後ろについて歩く。そして、ある部屋の前まで案内された。

 扉の前で、ここまで案内して来た女を横目で追いつつ、トモエはその扉をノックした。すると中から「どうぞ」という声が掛かった。トモエは扉を開け部屋の中へと入っていった。


 部屋の中は、品のある家具が並ぶ、少し落ち着いた感じの内装をしている。その部屋の奥の窓際に、ブラウンの長めの髪を風に揺らし佇む、美しい女性がトモエに振り返った。


「よく来てくれたわね、トモちゃん」


 まるで聖母の様な優しく暖かい笑みを浮かべ、その女性はトモエにそう声を掛けた。それを見慣れているはずのトモエでさえ、一瞬心を奪われる。


(こんな場所でも、この人の美しい笑顔は少しも曇らない……)


 そんな事を思いつつ、トモエは羽織っていたローブを脱いだ。


「あ、そうだ。お客様にいただいた良い葉があるの。今用意するから座っててちょうだい」


 するとトモエは慌てて駆け寄る。


「あたしがやりますから、マキ姉様こそ座っていてください」

 

 そんなトモエの言葉に、マキと呼ばれた女性は眉を寄せ、僅かに頬を膨らます。それは妹であるトモエでさえ、庇護欲を擽らせる可愛らしい仕草だった。マキは時々こんな少女の様な仕草をする。生来の美しい容姿に加え、そんな子供っぽい可愛らしさを併せ持つ事も彼女の魅力である。その為、彼女がこの館に入ってからは客の指名率はウナギのぼりで、一気にパレス一の高級娼婦として数多の娼婦達の頂点に座る事となった。

 今では彼女のご機嫌をとる為に、貴族や豪商達がこぞって貢ぐ始末で、彼女の一言が街の経済に少なからず影響を与えるほどになっていた。

 


「ダメよ、トモちゃん。私が淹れてあげたいの。だから座ってて、ね、トモちゃん」


 幼い頃から、美しく、嫋やかで優しい物腰の姉であったが、意志が強く中々に頑固である事を知っていたトモエは、諦めた様に苦笑いをして椅子に腰掛ける。

 そんなトモエをながめながら、マキは優しく微笑み、そそくさとお茶の用意をし始めた。そんな姉の姿をトモエは遠い眼差しで見つめていた。

 没落して家が潰され、両親がいなくなり、姉妹が人買いに買われて連れまわされていたところを逃げ出し、二人でこの街に流れ着いたのは、姉が一五、トモエが一三の頃だった。

 空腹で我慢できず、トモエが店先の果物に手を出して捕まり、自分の代わりに折檻された姉を不憫に思ったのか、その場を収めてくれたのが、通りがかったこの娼館の先代の主人だった。

 その人に拾われ、そのままこの館で奉公し、年頃になった時点で客を取らされることになったのはやむを得ない事だった。

 嫌がり客を取れない妹の代わりに、自分が妹の分以上に稼ぐ事を主人に約束し、姉は自ら籠の鳥になる事を選んだのだった。

 元貴族で清楚であった姉が、娼婦としてやっていけるか疑問だったが、元来真面目だった姉は、娼婦という仕事も真面目に努めた。持ち前の優しさや嫋やかさで、きめ細かい心遣いを行い、客である男の心を癒し、いつしか『娼館の聖女』などと皮肉めいた名で呼ばれるようになり、やがてパレス一の娼婦となった。

 自分の身代わりとなった姉を、いつの日か必ず自由にする。鳥籠の扉を開け、姉を自由な空へ羽ばたかせ、妹である自分のせいで諦めなければならなかった何かをさせてあげたい……

 それが、トモエの生きる理由となったのだ。

 娼婦を自由にするには、身請けをする必要があった。それには大金が必要である。ましてや今やパレス一である姉の身請となれば半端な額ではない。普通に働いては到底払える金額では無い。

 そこでトモエはハイリスク、ハイリターンである『塔頂者ランカー』になる事を決意した。

 初めのうちは中々上手くいかなかった。しかし戦いを重ね、腕を磨き、次第に大きな稼ぎができる様になって行った。

 だが姉の身請けの金額には程遠かった。

 姉はパレス一の娼婦である。その人気も高く、言い寄る客も多い。身請けの話の一つや二つ出てもおかしく無い。実際に何件か話も出たというのも耳にした事がある。しかし姉はそのどれもを断っているらしかった。

 姉程の娼婦ともなれば、気に入らない客を袖にもできる。ある程度相手を選ぶ権利が与えられているが、娼館の名の手前、断り続ける事は不可能であろう。

 娼婦の身請け先はその妾が殆どである。自分を囲う籠の色が変わるだけだ。世間体を気にする名家の貴族などに身請けされれば、一生屋敷から出る事を許されないなんて事もある。そうなったら、もうこうやって会う事さえままならなくなるだろう。

 トモエは焦り始めていたのだった。


「また…… 『縁』があったのですか?」


 一口飲んだ紅茶のカップから唇をはなして、トモエはマキにそう聞き返した。『縁』とは身請け話の事である。トモエは姉の態度に隠れる僅かな違和感を正確に感じ取っていた。


「ええ、そうみたい。あまり詳しくは聞いていないけれど……」


 そう言って微笑む姉に少し呆れた。自分の身請け話の相手を詳しく聞こうとせず、まるで他人事の様に話す姉の心境を測りかねていた。


「そんな、まるで他人事の様に……」

「だって、詳しく聞いたところで、どうなるものでもないでしょう? 籠の鳥は籠の色が変わったところで気にはしないものよ」


 確かに姉の言う通りだった。囲われる場所が変わるだけの事だ。遊女に自由はない。故に気にしても仕方がないとマキは言うのである。


「でもまあ、先代様の恩もあるから、そうそう断っては、旦那さまの顔が立たなくなるのも申し訳ないのよね……」

「そんな……!」

 

 トモエは身を乗り出してマキに顔を向ける。


「お姉様はこのパレスで、他の者の追従を許さない程の額を稼いでいるではないですか。それにこの『白夜城』の名前がこれ程になったのも、お姉様あっての事。もう充分に恩に報いています!」

 

 そう言うトモエに、マキは嫋やかな表情で首を横に振った。


「いいえ、先代様に拾われた時に私は、この恩に一生掛けて報いると誓ったの。それに、トモちゃんの事も許してもらえた。まだまだ、充分とは言えないわ」


 姉のそんな言葉に、トモエはテーブルの上で悔しそうに握り拳を固く握り締める。するとマキはその拳に自分の手を重ねた。


「トモちゃんのせいじゃないわ。私が自分で決めた事よ。だからトモちゃんが気にする事なんて、何もないの…… ねえ、もうやめましょう、この話は。それよりトモちゃんの話を聞かせてちょうだい。ほら、この前話してくれた魔法使いの男の子」


 自分の手を包む姉の手は温かく、罪に潰されそうなトモエの心を僅かに癒してくれている様だった。トモエは姉のリクエストに答え、ここ数日の出来事を姉に話した。


「ふ〜ん…… とてもお利口なのね、その子」


 マキはトモエの話を聞いてそんな感想を漏らした。


「ええ、見た目よりずっと賢い子でした。でも時々抜けてるところもあったり…… 普段は臆病なのに妙なところで凄く大胆だったり。頼りになるんだか、ならないんだか、さっぱりわからないんです。この前もあたしが…… あれ? どうかしましたか?」


 話しながらふと姉を見ると、彼女はクスクスッと笑っていた。トモエはそんな姉をみて怪訝な顔をする。


「トモちゃんは、その男の子の事が大好きなのね」

「な……っ!?」


 思わず絶句し固まるトモエにマキは尚も追い打ちを掛ける。


「だって、トモちゃんがその男の子の事を話す時、とても楽しそうに話すんですもの。トモちゃんのそんな顔、いつ以来かしら……?」

「な、な、何を言ってるのですお姉様! そ、そんな事ありません!」

「自覚がないのね。無意識に顔に出るほどの…… ウンウン、なるほどなるほど……」

「か、勝手に解釈して、一人で納得しないで下さい!」


 顔を真っ赤にしてそう反論するトモエに、マキは優しく微笑み眼を細める。


「トモちゃんは、可愛いね」

「う……」


 マキの一言に、もう何も言えず赤い顔を隠す様に俯いた。マキはそんなトモエを見つつ「フフっ」と微笑み「あ、そうそう、お菓子もいただいたのよ」と言いつつ席を立った。

 トモエは溜息を吐きつつ項垂れた。胸の中は複雑な感情が渦巻いていた。

 たわいもない姉妹のじゃれ合い。姉の言葉ではないが、本当にこんなやり取りはいつ以来だろう……

 そして自分の心がこんな些細な事で動揺するなんて思ってもみなかった。もう随分昔にどこかに置いてきた筈の感情。

 だが、それは同時にトモエを苦しめる刃となって心に刺さる。脳裏に浮かぶのは、自分に「トモさん」と笑いかける、羽織るローブの様に真っ白な心を持った魔法使いの少年……

 

(何を今更……)


 トモエは心の中で自分を笑った。今まで何人も死地へといざなった自分が、彼の隣に立つ事など許されるはずが無い。酒場の唄歌い『トモ』では無く、装備や金銭目当てに仲間を『トモエ』を知ったら、きっとあの澄んだ瞳は私を腐肉を見るようにその色を変えるだろう……


(だが関係無い。あの子の持つあの杖があれば、貯めたお金と合わせて姉様を自由に出来るだけのお金になるはず……!)


 トモエはグッと奥歯を噛み締める。この娼館『白夜城』にとっても良縁をそうそう断る訳にはいかない。金額によっては律儀な姉が最後の恩返しとして首を縦に振らないとも限らない。トモエには時間がなかった。


(ごめん、ノラ。全部事が済んだらあたしも追い掛ける。批難も怨みも罰も、全部あっちで受けるから……)


 そう心の中で少年に詫びつつ、トモエは最後の仕事を決心したのだった。

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