6. 二人だけのパーティー
「うっ、うぇ……っ!」
僕は咽喉元から這い上がってくる息を、思わずそんな感じで吐き出した。すると同時に苦味と酸味か口いっぱいに広がった。
こ、これは飲めない……
僕は持っていたジョッキをつつーっとカウンターの奥へとずらして溜息をついた。
トモさんに連れられて店内に入り、カウンターに座らされて、どうすればいいのかわからない僕にトモさんは、取り敢えずこの飲み物、エールを注文した。
で、直ぐにエールが来たと思ったら「じゃ、また後で」という言葉を残し、トモさんは店の奥のドアへと消えていってしまった。
取り残された僕は、同じカウンターで談笑している隣の二人組を真似てグイッとエールを煽った訳だが、口に入れた瞬間に苦味と酸味が広がり呻いてしまった。僕はエールダメ、ゼッタイ!
んでも、一緒に頼んだ鳥肉の香草焼きは絶品だった。いや〜、こんな美味しい鳥のお肉は生まれて初めて食べた。
と、僕がカウンター席で鳥肉に舌鼓を打っていると、奥のちょっとしたステージの様な場所に椅子が用意され、程なくしてリュートを持った人がその椅子に座った。すると徐々に店内が静かになっていった。
そして、続いてトモさんが姿を現し、リュートの人の隣に立つ。トモさんの赤い髪がランタンの灯りに揺れ、先ほどの印象とはだいぶ違い、艶っぽく、そしてなによりとても綺麗だった。
リュートの調べに乗り、トモさんの声が店内に響き出すと、お客さん達はしばし談笑をやめてトモさんの歌に耳を傾けていた。
変わらずいい声で歌う歌は、トモさんと出会ったときにあの夕日の橋で聞いた歌だった。喜びも悲しみも、全部優しく抱いて歌う様な、そんなトモさんの声にみんな酔いしれている、そんな感じだった。
それからトモさんは何曲か歌い、沢山の拍手を浴びながらステージを後にした。その後、馴染みであろうお客さん数人と話した後、カウンターにやって来て僕の隣に座り、「ふぅ……っ」と溜息をついた。
「お疲れ様です、トモさん。とても素敵な歌でした」
「ありがとう、ノラ。あ、店長、あたしも彼と同じものを…… って何これ、ミルク?」
僕の飲んでるものを見てトモさんは驚くと同時に、少し呆れた様にそう言った。
「いや、あのエールは僕ちょっと飲めなかったので……」
僕がそう言うとトモさんは「あはははっ!」と吹き出して笑った。
「いいわ、あたしも彼と同じ、ミルクをちょうだい」
そんなトモさんの言葉にカウンター向こうの店長さんは、少し困った様に眉を寄せつつも、グラスにミルクを入れてトモさんに差し出した。
「さてと、ノラちゃん。再会を祝して乾杯といきましょう」
トモさんはそう言ってミルクの入ったグラスを掲げた。僕は少し照れながらも、同じくミルクの入ったジョッキを掲げ、トモさんの持つグラスに軽く当てた。
それから僕達はたわいも無い話をして時間を費やした。トモさんは最初の一杯はミルクだったが、その後はエールに変えて飲んでいた。そして話は自然と蒼天回廊の話になった。
「回廊探索は順調? 今はどれくらいなの?」
「到達階位…… でしたっけ? 今日ようやく八階を少し覗きに行った程度です。中々思う様に進まなくて……」
僕はトモさんの質問にそう答えて肩を落とす。トモさんのニ五階に到達するのはいつになる事やら……
「まあ、初めはそんなものよ。それでもノラは随分早い方よ。あたしだって二桁に到達するのにニ月近く掛かったもの」
「そうですか…… せめて前衛で戦ってくれる人がいると、もう少し効率が良くなるんですけどね」
そんな僕の言葉にトモさんは「……え?」と呟き、キョトンとした表情で僕の顔を見る。
なんだ? 僕、今何か変な事言ったかな?
「……待ってノラ。あんたのパーティーの編成を教えてくれる?」
パーティー編成……?
「あ…… え、えっと…… いえ、僕はいつも一人ですけど」
するとトモさんは目を丸くし、僕の膝に手を付いて、思いっきり顔を近づけて僕を覗き込んだ。
ト、トモさん、か、顔近い! 近すぎぃっ!!
「はぁっ!? あんた下位魔法しか使えなのにソロで八階まで行ってるの!?」
そう声を上げるトモさんの超どアップに、僕は少し仰け反りつつも、心臓の鼓動が跳ね上がる。トモさんのいい匂いの中に少しアルコールの臭いが混じっていた。
「は、はい。だってこの街に来て間も無いし、し、知り合いもいない……から」
「そ、そーかもしれないけど、普通しないわよ、そんな無謀な事。前衛戦力が全くいない下位の魔導士のソロ探索なんてセラフからみたら餌よ、えーさっ! 自殺行為の何物でも無いわ」
トモさんはそう言って席に座り「今までよく生きてたわね、まったく……」とこぼし、額に手を当てながら大きなため息をついた。そして「しゃーない……」と呟き、僕に向き直った。
「よし、おねーさんが一肌脱いだげる」
トモさんはそう言うと、ジョッキに残ったエールを一気に飲み干した。
「ノラ、明日は探索行くの?」
「え? ええ、行きますけど……?」
「それじゃあ、明日の朝日の出前にミカイールゲートの前に集合ね」
へ? 集合……?
惚けている僕に、トモさんはにっこり笑ってこう宣言した。
「ノラは私とパーティーを組む。決まりね!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
キンッ!!
と金属がぶつかり合う甲高い音は、こういった天井の高い通路には良く響く。少し薄暗い空間に数状の瞬刃が煌めく度にそんな音が鳴り響き、何かがぱたぱたと地面に落ちる。
――――っ!?
刹那、黒い影が一陣の風となって疾走し僕の前に躍り出た途端、正面に居たイエローパック二体が音も無く崩れ堕ちた。
しかし、黒い影はそれでは止まらず、少し距離を取って矢をつがえていた三体目に向かってトンボを斬り、その回転の勢いを使ってイエローパックを頭から両断した。
実際に瞬きする間に三体のイエローパックを倒す、中級塔頂者の実力を見せつけられ、僕は唖然としていた。
すっげ……っ!!
ここまで来る間に数回セラフとの会敵があったが、僕の出番はほぼゼロだ。
刀を左右に振って刃に付着した体液を飛ばし、スッとその刀を背中の方に回した鞘に戻して僕の方に振り返るその人は、赤い髪を後ろで束ね、真っ黒の装束に身を包んだトモさんである。
振り返ったトモさんは僕に向かって微笑んだその瞬間、トモさんの頭上からバサッと何かが落ちた。一瞬回避が遅れたトモさんは、前に向かって飛び込み受け身を取って地面に転がったが、上から落ちてきた物がそれに反応して直ぐに追撃に入る。
確かカムフラスパイジーという大きな蜘蛛に似た怪物で、壁や天井に張り付き、身体の表皮色を変化させて擬態し、気づかずに近づく得物に襲いかかる。牙には猛毒が有り、得物にかみついて毒を注入し、弱らせて捕食するというやっかいな相手だ。
マズイっ、回避できないっ!!
「ト、トモさぁーーんっ!!」
僕の中で何かが膨れ上がり、次の瞬間、僕は思わず駆け出していた。
「バ、バカっ! 飛び出すなぁっ!!」
トモさんはそう叫ぶが、僕はその声を無視して直ぐさま杖を向けて魔法の発動に入る。それと同時に身体の中がカッと熱くなった。
「フレイヤぁっ!!」
無詠唱発動
呪文名を叫ぶと共に放たれた火球が、鋭く高質化した足の先端でトモさんに襲いかかろうとするカムフラスパイジーの胴体中央にある口に直撃する。そして耳をつんざく鳴き声を放ち、カムフラスパイジーは何故かその場で爆散して仕舞った。
「あ…… あれ?」
爆散したカムフラスパイジーの破片がパラパラと床に振る中で、僕はそんな間抜けな声を出した。
明らかにおかしいサイズの火球だった。それにそもそもカムフラスパイジーがレベル一の火炎攻撃呪文である『フレイヤ』程度で一撃で倒せる訳がない。その証拠にトモさんも僕と同じように目を見開き驚いた表情で僕を見ていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ…… 何なの、今の? あんなフレイヤ見た事無いわ。かといって『メガフレイヤ』じゃないし……」
そう言うトモさんに、僕もわからず首を振った。今まで何度か使った魔法だけど、こんな事は初めてだ。
「わかりません。別に何か特別なことをしたつもりもないですが……」
「そ、それに今、詠唱無しで魔法を放ったでしょ? ノラ、あんた本当にレベル一なの?」
トモさんの質問に僕は「ああ、それは……」と答え、右手に持つ奇妙な形の杖をかざした。
「このお師様の杖のお陰なんです。この杖には魔法式を二つまで記憶する機能があるんです。無詠唱発動って言って、予めこの杖に魔法式を記憶させておけば、詠唱無しでその魔法が発動できるそうなんです」
「キャストゼロ……」
トモさんは目を見開いて僕の杖を凝視する。良くわからないけど、その態度から察するに、たぶん相当珍しいアイテムなのだろう。大事に使わさせて貰います、お師さまぁっ!
「でも、あのフレイヤの威力は良くわかりません。魔法の効果を上昇させる…… この杖にそんな機能があるだなんて聞いてません。ただ……」
「ただ…… なに?」
僕は少し間をとって考え、それから再び話し始めた。
「杖のせいじゃ無いような…… そんな気がします。トモさんが危ないって思った瞬間、カァっとなって……」
「ノラ……」
そうだ。あの時そう思った瞬間、僕の中で何かが膨れ上がったんだ。
「僕は、大切なトモさんがやられて怪我したりするのは嫌だって凄い思ったから……」
「な……っ!?」
僕の言葉に、何故かトモさんは絶句した。そして僕と目が合うと慌てて回れ右をする。
「バ、ババ、バッカじゃないの? そ、そんなんでいちいち後衛が飛び出してたら命がいくつあっても足りないわ」
何故か動揺しているトモさん。背中を向けているのでその表情はわからないけど、探索中は割とクールでかっこいいトモさんがこんなに動揺するのは珍しい。
「そ、そもそもあたしは前衛職なんだから少しくらいダメージもらっても平気だし、下階のスパイジー程度の攻撃でやられたりしないわ。だからノラが出張って来る必要なんて無いの」
「そ、そうですか…… すみません」
どうやら余計な事をしてしまったようだ。僕がそう謝ると、トモさんは「べ、別にそんな謝らなくても良いけど……」と声を小さくして呟いていた。
「まあいいわ、もう少し進んだら休める場所があるから、そこでちょっと早いけどお昼にしようか」
そう言うトモさんに僕も「はい」と賛成した。
それからちょっと進むと、少し開けた場所に出た。四方に見通しが良く、確かにトモさんの言った通り小休止出来る場所だ。僕達は先ほどのトモさんの宣言通り早めのお昼にした。
「あ、そうだ、トモさん、良かったらこれどうぞ」
そう言って僕はカバンから取り出した包みをトモさんに渡した。トモさんは「……なに?」と首を傾げる。
「お弁当作ってきたんです。口に合うかわかりませんけど、良かったら食べてみて下さい」
お師さまのお昼を作り置きするついでに、二人分のお弁当を作ってきたのだ。と言っても、味を付けたお肉や野菜をパンで挟んだだけの簡単な物だけどね。
「……あ、ありがと……」
トモさんはお弁当の包みを膝に乗せ、キョトンとした表情で暫くその包みを眺めていたが、隣に座る僕が包みを開けて中身をパクつく頃には、トモさんもいそいそと包みを開け、お弁当を食べ始めた。
う〜ん、少し味付けが薄かったかもしれないなぁ……
そんな事を思いつつ、二つ目をパクつきながら隣のトモさんを見ると、トモさんは「美味しい……」と小さく呟きながら食べてくれているのを見てちょい安心した。これからも二人で探索に来る時は、お弁当作ってこよう。
「ちょっと不謹慎ですけど、楽しいです」
つい、そんな言葉が漏れた。
そんな僕の言葉にトモさんは「……え?」と聞き返した。
「僕、初めてなんですよ。こうやって誰かと出かけて、外で御飯食べるの」
トモさんは隣で黙って僕の話を聞いていた。
「両親は小さい頃に死んじゃって、お師さまと出会った一年前までずっと一人で生きてきました。僕、あまり他人と話すのが上手くなくて、お師さまに会う前に住んでいた村でも友達なんていなかったし。まあ、貧乏な田舎の開拓村だったから、その日を暮らす事に必死だったって事もあるんですけどね。で、口減らしでその村を追い出されて、彷徨ってるうちに轟龍に襲われて死にかけたんです」
「轟龍…… 良く生きてたわね……」
ホント、トモさんの言う通り、良く生きてたよな……
「その時にお師さまに助けてもらいました。それからはホント、色々な事を教えてもらいました。でも、お師さま以外の人とこんなに長く一緒にいるのはトモさんが初めてです」
「……そ、そうなんだ……」
「ええ、そうです。あんなに他の人と話すのが怖かったはずなのに、トモさんともこうして普通に喋れるし、今は楽しいです。だから、トモさんに愛想を就かれない様に頑張ります」
そう言う僕に、トモさんは俯きながらパンを齧りつつ「……うん」と小さく頷いた。なんだろう? いつものトモさんとちょっと違う気がするのは気のせいかな?
でもなんか良いな、この感じ。たった二人きりのパーティーだけど、仲間と一緒に冒険するってなんかワクワクする。お互い助け合い進んでいくって、なんか心強い。まあ、さっきは怒られちゃったけど……
でも、本当にトモさんがピンチの時、僕がトモさんの助けになれる様になりたいな。
いつでも仲間を助けられる様に、足手まといにならない様に。そしていつか……
僕は強くなりたいです、お師さま。