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5. はじめての酒場

「ねえノラ君。さっきから口ずさんでるそれって…… なんの歌?」


 ふとお師さまからそう声を掛けられ、僕は叩き棒の手を止め、口を覆っていた手ぬぐいをずり下げて師さまを見る。


「ぼ、僕、今歌ってましたか?」

「うん。てか、お掃除初めてからずっとね」


 全然自覚がなかった……

 昨日聞いたトモさんの歌がずっと耳に残っていて、無意識に歌っていたみたいだ。まあ、歌うと言ってもサビぐらいしか覚えておらず、後はメロディをハミングしていただけなのだけれど……

 因みに今日は塔には行かず、家でお師さまのお部屋の片付けとお掃除をしている。

 フェイスレスさんが手配してくれた家に引っ越して来て、早三週間程経っており、生活に必要な荷物の片付けも終わって、だいぶ使い勝手に慣れてきたのだが、お師さまのお部屋の荷物だけは、運び込んだ日とほとんど変わらない状態…… いや、確実に環境が悪化している。

 その他の荷物は僕が全て片付けて、僕が塔に行っている間にお師さまがご自分で片付けると張り切っていたのだけれど、結局全く終わらずに僕が片付ける事にした。お師さまは片付けが苦手だ。

 いや、片付けに留まらず、基本的に家事全般が苦手…… というかスキルが無い。

 お師さまは「私は魔法に特化しているから」と、なんだか言い訳のようなコメントをしていたけど、僕と出会うまでどうやって生活してきたのかと不思議に思ってしまうレベルだった。

 因みに、僕がお師さまの部屋の片付けをしている最中、当の本人は座って本を読んでいる。

 まあ、一般的にこんな状況にツッコミを入れたくなる人もいるだろうけど、コレはコレで正解なのだ。

 言い難いことだけど、お師さまは、こと家事では全くの役立たずどころか、故意に邪魔してるんじゃ無いかと疑いたくなる程危険だ。僕はお師さまと暮らすようになって、割と早い段階で何か壊すか、怪我する前に手伝ってもらわないほうが安全だと判断しました。

 そもそも、僕的にはお師さまは何もせず、僕の近くで可愛くしててくれればOKなのです。余計な事は全て僕がやるんで。うん、無問題。

 で、僕は昨日のトモさんとの出会いの件をお師さまに話した。


「なるほどね、それでその美人さんに影響されたノラ君は、その歌を歌っているって訳だ。ふ〜ん……」


 ページをめくりながら、お師さまはそう答えた。


「別に影響って程じゃ無いですけど……」


 僕はそう言いつつチラッとお師さまを見る。

 なんだ、その…… ヤキモチとかで少し拗ねたり、ちょっびり機嫌が悪くなったりしないかなぁ……と淡い期待を抱いたのだが、お師さまは椅子の上で、まるで膝を抱えるようにして手にした本を黙々と読んでおり、一ミリも興味を示されていないご様子だ。へ、凹むなぁ……


「読了っと…… はい、ノラ君、コレはその左の一番上の棚に仕舞っておいてね」


 お師さまはそう言って読んでいた本を僕に手渡した。その振る舞いにいつもと変わったところは微塵もない。僕は逆に拗ねたくなりながらも、手渡された本を何気なくパラパラと数ページ捲った。

 数字と記号、それに意味不明な単語がびっしり並んでいて軽い目眩を覚えて本を閉る。座って目を通したら、きっと数分で瞼が閉じるだろう。

 きっと難解な魔術式か何かの本だろう、なんて思っていたら、お師さまがクスッと笑って教えてくれた。


「その本は魔法とかの本じゃ無くて、私のお勉強用の本だよ。ディオファントス方程式の研究論文集」


 あ、ああ、ディ、ディオファン……ね、あ、あれ甘くて美味しいですよねーーーー


 嘘ですごめんなさいさっぱりわかりません……


「電子版しか持ってなくて、こっち用に本としてオブジェクト化させたの。私の場合、リアルよりこっちで本にした方が視覚で読めるし使い勝手が良いから……ね」


 だ〜 か〜 ら〜 

 そげな可愛く「……ね」とか言われても、言葉も意味も通じてませんってばよ!

 にしても、あれだけ高位の魔法を操るお師さまでさえ勉強とかするんだ…… お師さまはやっぱり凄い、いったいどれだけの高みを目指しているんだろう?

 ぼ、僕も頑張らねば……っ!!


「さて、私はこれからフェイスレスと待ち合わせをしてるんだけど、ノラ君はまた塔に行くの?」

「え? ああ、はい。お師さまも勉強してるって知ったら、僕も頑張らなきゃって思って」


 僕がそう言うと、お師さまは「う〜ん……ちょっと違う気がするんだけどなぁ……」と呟きつつ、少し困った様に苦笑いをした。


「まあ、自分のペースで頑張って行けば良いと思うよ。無理は禁物だし息抜きも大事。ああ、そうだ、少し早めに探索切り上げて、そのトモさんとかいう人の歌ってるお店とかに顔を出してみたら?」


 そんなお師さまの優しい言葉に愛を感じながらも、それも悪く無いなと考える。


「はい、そうしてみます」


 僕がそう答えるとお師さまは「うん、そうすると良いよ」と優しく笑って頷いた。

 ああ、お師さま、優しい可愛いイチャつきたい。

 でももう少しヤキモチ的なものを感じてくれるともっと嬉しいのだけれど……


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 地面に倒れ伏した四人のランカーの死体から目的の物を拾い上げ、トモエはそれを天上から照らされる灯りに照らして確認する。それは思った通り魔法を帯びたナイフだった。

 しかも、刀身や絵の部分の細工は中々に凝っており、観賞用としても悪く無い。きっと高値で引き取って貰えるだろうとトモエは確信し、それを自分のポーチに仕舞い込んだ。

 次に動かした視線の先に、まだ若いランカーの死体が転がっていた。鎧の胸のあたりが大きく陥没している。強力なセラフの一撃は、下位防具など着てないのと変わらない。恐らく一撃だったのだろう。

 そう言えば彼は、妙な人懐っこさがあった。探索中事あるごとに笑わないトモエに冗談を言っては笑わそうとしてきた。トモエが笑わないと知っても、何度も何度も…… 


『クールだよなぁ〜 トモエさんは。全然笑わねーんだもん、凹むわ〜』


 そんな彼の言葉が耳に残る。

 

(笑い方なんて、忘れたのよ……)


 心の中でそう呟き、グッと唇の端を噛み、死体の荷物を漁る。硬貨の入った袋や消費アイテムなど、お金になりそうな物は次々とポーチに収めていく。

 私が殺したんじゃない……

 トモエはそう自分に言い聞かす。確かにパーティーメンバーを殺したのはトモエではなく、塔の怪物セラフだ。トモエは手を掛けてはいない。大きな稼ぎになると囁き、ここにいざなっただけ。

 底層に居るはずのないセラフの出現するこの場所を発見したのは偶然だった。それからトモエはここを利用する様になった。分不相応なレアで高価なアイテムを持つランカー(カモ)をセラフにけしかけ、全滅させる為に。

 こんなクズな行為に、抵抗を感じなくなったのはいつからだろう…… 

 それを思い出そうとしている自分に、トモエは違和感を覚えた。

 何故、今更……と。

 その時、トモエの脳裏に一人の少年の姿が浮かんだ。顔を赤く染め、恥ずかしそうに笑う、暖かなお日様の匂いのする魔法使いの少年。あの栗毛は、撫でたら毛並みの良い犬の毛の様に気持良さそうだった。

 心がざわめいた。胸がわずかに苦しさを感じている。そして、もしかしたら自分にもあったかもしれない未来を羨む。

 幸せだった過去はもう二度と帰ってこない。しかし大切な人だけは取り戻したい。自分の身代わりとなり、自ら籠に入った大切な家族を再び自由にする。それが今のトモエに残された、たった一つ生きる理由。その為には地獄に堕ちても構わないと誓った筈だった。

 なのに、あの少年と話していると、その決心がわずかに揺らぐ。もしかしたら、再びあちら側に戻れる様な、そんな錯覚さえ覚えてしまう。


『そんな筈ないだろう? もうとっくに引き返せない所まで来ちまってるじゃねぇか。今更戻れる通りがねえ……』


 トモエの鼓膜にそんな声が届く。トモエはハッとして視線を動かした。すると、足元の仰向けに横たわる若いランカーの目が、じっとトモエを見つめていた。そして、その恨めしそうな死に顔の唇が、ニヤリと歪む。


『どうせあいつだって獲物カモだろう? とびきり珍しい杖だったからな。俺たちのモンより、きっと全然高く買い取ってもらえるぜ?』


 トモエは口覆の奥で、ギリッと奥歯を噛む。そんな事は言われなくてもわかっている。もう戻れないことも、あの少年の杖が次のターゲットであることも……

 そう、あの杖はきっと高く売れるに違いない。ひょっとしたら、あれで終われるだけの額になるかもしれない。


「もう少し…… もう少しだから。待っていて、お姉さま……」


 トモエは絞り出す様な声でそう呟いた。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 お師さまが言っていた様に、僕はその日の塔の探索の後、トモさんが歌っていると言う『火吹鳥亭』へと足を運んでみることにした。

 昨日トモさんと出会ったあの橋を渡り、旧市街では比較的大きめの通り沿いにそのお店はあった。トモさんの言っていた通り、お店の外観はさほど大きくはないが、中を覗くと、まだ日が落ちてすぐだと言うのに、店内は結構混み合った感じで盛況といった様子だった。

 まあ普通のお客ならここで直ぐに店に入るのだろうが、正直僕はこういうお店に来たのはこれが初めてで、入るのに躊躇してしまう。

 てか、そもそも、露天で何かを買って食べたりした事はあっても、こんなお店に入って食事をした事なんて一度もない。

 以前住んでた村は超が付くほどのど田舎で、食べ物屋さんなんて無かったし、お師さまと住んでた村も二階が宿泊出来る小さな酒場が一軒あっただけ。しかも僕らの家は村はずれだったし、わざわざ酒場には足を運んだこともない。

 んまあ、生まれて初めて来た訳で、怖気付くのも無理は無いでしょう?

 僕は意を決して扉に手を……

 いや、ちょ、ちょいその前に窓から店内を覗いてみよう。事前に情報を集めるのは戦略の基本だしな。

 僕は窓の縁に手をかけて中を覗き込んだ瞬間、背中をポンと叩かれ飛び上がった。


「ああ、やっぱりノラだ。早速来てくれたんだ!?」


 振り向くとそこにはトモさんがいた。


「こ、こんばんは、トモさん」


 僕がそう挨拶をすると、トモさんは「堅いなぁ〜」と笑いつつも挨拶を返してくれた。


「あ、で、でも、トモさんはてっきり中にいるのかと思ってました」

「ああ、あたしの出番はもうちょっと後なのよ。ところでノラはこんな所で何やってるの?」


 そんなトモさんの質問に僕は「い、いやぁ、実は……」と訳を話す。するとトモさんは「あはは、なるほどねー」と笑った。

 うむむ、ちょい恥ずかしい……


「こんな所で怖気づいていたら、表通りの店なんて近寄れないわよ? ここは、たまに少しガラの悪い客もいるけど、あっち(表通り)より庶民的だからそんなに物怖じしなくとも大丈夫。男の子ならドーンといこう!」


 そう言ってトモさんは僕の背中をバシンっと叩く。その衝撃が思いの外強く、僕は思わず「ゴホッ!」と噎せてしまった。流石は到達階位タワーランク二五のランカーだ。軽く息が止まりましたよ、トモさん。

 それからトモさんはスルリと僕の腕に自分の腕を絡めてきた。


「さあ、とっとと中に入った入ったぁ〜」


 トモさんは嬉しそうに笑いながら、僕を引きずる様に店内に入っていた行った。僕の方はといえば、トモさんがへばりついてる方の肘に当たる柔こい感触に赤面しつつ、初めての酒場デビューを果たした。

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