平成アマノジャク
タイトルは友人の持っていたゲームを見てこうしました。ゲーム自体はやったことないです。
語感がいいですよね。二次創作のラインって言われたら変えるか、削除します。
アマノジャク。
漢字に直すと天邪鬼。
そんな化け物にある日突然、なってしまったと言ったら、いったい何人が私の言葉を信じてくれるだろうか。こんな平成の、電線とコンクリートのビル群に覆われた空が広がり、鉄の塊である飛行機が飛ぶ現代で。
私はアマノジャクになってしまった。
妖怪、怪物、怪異。数多の呼び方あれど、総じて化物である異形のものたち。私はそんなカテゴリーの中にある日突然放り込まれてしまった。
そんな奇々怪々な、突拍子もないことになった私がまず最初に思ったことは、何故アマノジャクになったのかという至極真っ当な疑問ではなく、どうしてアマノジャクなのかという疑問だった。
私も子供の頃はヒーローや魔法少女、カッコいいロボットや可愛い人形に憧れや羨望の眼差しを送ったことはあるが、アマノジャクになりたいとは一度も思ったことがない。それにどちらかと言うとなりたかったのは、妖怪だったら一旦木綿。怪物だったら吸血鬼。怪異だったら触り猫になりたかった。
それにしてもいったい全体どうして私はアマノジャクになってしまったのだろうか。
学生の頃、こっそり飲酒したせいだろうか。つい出来心で知り合いのペンを盗ったからだろうか。気に入らない上司の女性関係を、さらに上の上司に密告したからだろうか。
一瞬やはり気のせいかもしれないと頭を掻いてみたが、髪の毛の中に小さなツノのような物があるような、ないような気がする。やはり私がアマノジャクになったのは変えられようのない事実なようである。いやはや、こんな摩訶不思議な出来事があるものだ。
生まれて物心ついてこの方、出る杭は打ち付け砕かれるの精神の下、社会や世間に怯えひたすら打ち付けられない杭になろうと、ひたすら体を縮こませて生きてきたが、それももう不可能だろう。
何せ私は社会のはみ出しもの。化物という、普通ではない、何か得体のしれないしろものに変わってしまったのだから。
さてさて、こうなってくると考えなくてはならないのが身の振り方だ。私はいったいこれからどう生きていけばいいのだろうか。
今まで通り、異物だとばれないように生きていくか。
でもそうやって諦めて生きていくのは簡単だ。諦めて諦めて、ただひたすらに諦めて変化した自分も目に入れず、その変化に周りの反応が変わったことにも無視して、独りでに死ぬか殺されるまで諦める。
いやもういっそう衆人観衆の前に飛び出して、「私はアマノジャクなんです!」と宣言して見せようか。
もしかしたら世にも珍しいバケモノとして、動物園の檻の中の珍獣のように、一生を狭い檻の中で過ごすことになるかもしれない。はたまた身体中を切り開かれて、科学という尊い学問の犠牲になるか。
まぁ一つ言えるとすれば、どちらに転んだところで私には地獄になるということだ。
人間って生き物は、人間以外の人種を全て滅ぼして今の時代を築いてきた。そんな彼ら人間は、自分たち以外の人種に酷く排他的だ。例えば今では身近なロボット。ロボットはあくまで機械だが、そのロボットを限りなく人間に近づけていくとある一線を超えたとき、動きが酷く気持ちの悪く見えるときがあるという。
命を持たない機械ですら人間は嫌悪感を抱くのだ。ましてや元人間である私なんて、さらに酷い嫌悪感を持たれることだろう。
やはり世間から身を隠したほうが良いとして、次に考えるのは自分のことだろう。今までのことも十分自分のことについて考えるので間違いないが、今度はアマノジャクという妖怪についてだ。
アマノジャクとはそもそもどんな妖怪なのだろうか。漢字で書くと「天邪鬼」とあるように、鬼の一種であることには間違いない。鬼とは妖怪の中で上位に位置する存在だ。その力は山を砕き、その体は軽い攻撃など弾き返してしまう。
だが私の体にはそんな様子は一つもない。試しに拳を電柱にぶつけてみたが、血がにじんで手首を痛めてしまった。数分間その場に悶絶していて分かったが、どうやら私の体は人間の頃と対して変わっていないらしい。
次にアマノジャクにはどんな能力をもっているかということだ。
例えば吸血鬼ならコウモリや狼に変身したり、血液を操ったり。その変わり十字架、聖水、にんにく、日光が弱点であったりと、とても特徴的で有名な話があげられるだろう。
だがしかし、アマノジャクとなると話は違ってくる。
天邪鬼。それは果たしてどんな妖怪なのだろうか。まず考えられるアマノジャクの話として、言った言葉の反対の言葉を返すという話がある。上と言ったら下。熱いと言ったら冷たい。速いと言ったら遅い。そんなふうに常に反対のことを口走る妖怪。
元は仏教だったか、人間の煩悩を示す悪鬼として、四天王に踏まれる存在だったような気がする。
そんな妖怪。それしか出来ない妖怪。そしてそんな妖怪になってしまった私。
どうしろというのか。もし私をアマノジャクにした存在が、もし仮に存在するのであれば、一体全体どういう意図を持って、アマノジャクなんてマイナーな妖怪に私を成らせたのだろうか。いや、意図なんてないのかもしれない。本当に運悪く、多くの妖怪の中からたまたまアマノジャクに選ばれただけなのかもしれない。
おお、神よ、どうして私にこのような試練をお与えになるのですか。
そんなふざけたことを思ってみたが、私は人間だった頃、特に特定の宗教を信仰していたということはなかった。むしろ日本という国であれば、そういう無宗教家のほうが多かったのではないだろうか。だが何も全く信仰していなかったのかと聞かれれば、私は神道を信仰してきたと言えるかもしれない。
八百万の神々といった、様々な現象や物にも命があるという信仰。何故私がそんなふうに物を考えるようになっていたのかと言えば、そう考えた方が人生が楽しくなると思っていたからだ。不思議なことや、理解不能なことが起こったとき、それを頭から否定するより、あるかもしれないと思ったほうが楽しいと考えていた。
そういった考え方のせいで、こんなことに巻き込まれてしまったのかもしれない。あるかもしれない、あったほうがいいな、そんなふうに思っていたから、アマノジャクになったのか。
さて、そんな感じに言い訳を並べ立てても何も変わらないということは分かっている。じゃあ何か前向きなことを考えようとしても、あまり良いことなんて浮かばないのだ。アマノジャクとして生きていこうという決意のようなものはある。だがそうなってくると、アマノジャクには何ができるのかと言われると、やはり問題になってくるのだ。
できることと言えば、反対のことをするというイタズラくらい。それだけの妖怪にいったい何が出来るというのか。……いや反対のことをするということは、様々な事柄を反転されることができるということなのではないだろうか。上を下に錯覚させ、熱いのを冷たいと誤解させ、速いのを遅いと幻覚させる。そのような力を使い、アマノジャクは悪事を働くのではないだろうか。
そうと分かれば話は早い。私は試しに簡単なイタズラをしかけてみようと思い、町の繁華街へと足を向けた。とは言ってもそんな大掛かりなイタズラをしかける気はない。やったのは温かい飲み物を冷たくしてみたり、水道の水の出るスピードをゆっくりから早くしてみたりと簡単なものだ。こんな子供じみたイタズラをしかけるだけで、何か体の内側に満たされたような気がするのは、私が化物になった証明なのだろう。
イタズラを成功させたときの達成感の後に訪れる、幸福感。それは私の体に力を満たすように広がり、今までの人生の中でも感じたことのない特別な感覚だった。そうしていると不思議と空腹もあまり感じず、気力が満ち満ちていくようだ。どうやら妖怪のアマノジャクは、こうしてイタズラをすることで生きる糧とするらしい。
そうして町を巡っているとき、気がついたことがある。それは町の中に私と同じような、妖怪たちの気配を多く感じたのだ。町の路地裏や、陽の光の当たらない暗がり。はたまたコンビニの中などと言った以外な場所にまで、妖怪たちの気配を感じたのだ。
だが残念ながらその姿を確認することはできなかった。何故か気配のする方へ近づいてみても、そこにはただの路地やコンビニがあるだけで、妖怪の姿など跡も形もない。私の探す努力が足りていないのか、同族の姿を確認することは残念ながらできなかった。
こんなにも妖怪や怪異といった化物たちが、人間たちの世界に寄り添うように存在していたのかと、私はとても嬉しいような、感動したような複雑な気持ちになった。それは私の人間だった頃に夢に見ていた理想とする世界だったからだ。現実の世界ではありえず、本や漫画の中にしか存在が許せれていないと思われていた人ならざる者たち。
そういった者たちが、私以外に存在していたと知れただけで、私はアマノジャクになって良かったとさえ思ってしまった。社会に暮らしながらも、ストレスのはけ口として想像していた世界が、確かに存在していたのだと。だがやはり気配だけで姿は見ない。姿がはっきりと確認できたのは、アマノジャクになった私だけだった。
そうして町を歩いていき、ひたすら同族の姿を探していると分かったことがあった。
彼らは怯えているのだ。妖怪たちが人間に。
最初は分からなかったが、彼ら妖怪・怪異といった化物たちは人間を避けるように動いているように見えた。そして気配だけしか感じることのできなかったのではなく、気配しか感じることのできないほど彼らは弱りきっていたのだ。
現代の人間は幻想を信じず、科学を信じて論理を立てる。
それによって彼らは私のように実体を現すことができず、気配だけのあやふやな存在に落ちぶれてしまっていた。では何故私だけがこんなにもハッキリと実体を持って、アマノジャクとして世界に存在していられるのだろうか。
残念ながらそれはいくら考えても分からなかった。それは私が何故アマノジャクになったのかという理由が分からないのと同じで、その理由を聞くにはそれこそ神にでも聞かないと分からないのではないだろうか。
私だけがこうして存在する訳。それはただこうして、イタズラをするためだけではないだろう。人間に怯えて、ただ消えるのを待つだけの他の妖怪や怪異たち。それらの存在を何とかしてやりたいという思いが、私の中にも生まれていた。
私であるアマノジャクの力は、反転や逆転させる力。上を下に錯覚させ、熱いのを冷たいと誤解させ、速いのを遅いと幻覚させる。それは、強者を弱者にすることも可能性なのではないだろうか。
即ち、妖怪たちによる人間への下克上。
それが私がアマノジャクとなった理由であるのではないかと、幻想に強い憧れを抱いていた私に課せられた使命なのではないかと、私は思った。強者である人間たちに目にものみせてやろうではないか。弱者へと落ちぶれた妖怪たちの逆転劇を。
さぁ下克上の始まりだ。
続きはたぶんないと思います。