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ポケットマンスター  作者: キヨタカ
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第四章 サムライしょうじょのちょうせん!

 あれから三日が過ぎても、とらは蛹のままだ。夏休みでも美術部の部活があるらしいのだが学校にも行ってないらしい。それどころか食事もお花摘みもできないから本当に生きているのかすら不明だ。

「……とらさんはいつ羽化するんだ?」

 隣を歩いている聖に尋ねる。俺達は今、群馬の南部までやってきている。県内にあるという濡美ジムを目指しているのだ。

「決まってるだろ」聖は両手を頭のところで組み、周りの景色を眺めながら、「進化したら、だ」

「進化?」

 進化って一回だけじゃないのか。

「当たり前だろ、蛹のまま終わられてたまるか。なんなら今は最終進化までの準備期間ってところだよ」

「早く見たいなぁ~」

 俺の左隣を歩いている亜衣が言う。

「チョウチョ姿のとらさん、きっと素敵なんだろうなぁ」

 火影はいない。相変らず彼女が普段何をしているのか不明だ。彼女が聖にとってのなんなのかもまだ聞けていない。謎の多い美女である。

「光宙くん」

 と、亜衣がこちらをじいっと見つめている事に気が付く。

「……なに?」

「今、火影ちゃんの事考えてたでしょ?」

「……」

 確かに考えてはいたが、亜衣がなぜそんな怖い顔をするのかがよくわからない。どうも彼女達はとらの家に行った時からあまり馬が合っていないようである。誰とでも仲良くなれる亜衣なら火影とだって友達になれそうなものだが。この原因も俺は聞けずにいるし、聞いたらいけないような気もする。

「……聖、とらさんはどうやったら進化できるんだ?」

 亜衣が「あーっ無視したっ」と言っているが気にしない。

「そりゃおまえ、経験値を積んだらだよ。とらが蛹に進化した理由、わかるか?」

「……」

 それはなんとなく理解できる。とらは三日前、鳩山と戦った。激闘の末とらが勝利し、その直後に進化したわけだ。

 聖が「経験値を積んだらだよ」と言っていたがそれが正しいとすると、とらは鳩山に勝利した事で経験値を手にし、その結果進化できたという事か。となればまた誰かと戦い経験値を獲得すれば蛹から羽化してチョウチョになれると。

 疑問は残る。

「……あの状態でどうやって戦うんだ?」

「それなんだよな~」

 聖もわかってないらしい。

「ま、なんとかなるだろ」

「……」

 小学生らしい短絡的な思考である。以前から気になっていたが、こいつは肝心なところで何も考えていない。このままではいつか痛い目を見る。というより、聖が痛い目を見る事により俺が巻き添えを食らうだろう。そうならない為に今ここで一言言ってやる必要があるかもしれない。

「あのなぁ……」

 そう思って口を開きかけたが、突如聞こえてきたあいつの声で邪魔をされた。


「出合え出合えーっ!」


 あいつこと青山実和は、今日も元気に俺達の前に現れた。

 格好は毎回変わらず袴に法被にハチマキ。真剣を持っているところも同じだ。

「拙者、姓を青山名を実和を申す! 赤田聖殿に挑戦しに遠路遥々馳せ参じた! いざ尋常に勝負勝負ゥ!!」

 セリフも一緒だった。

「……」

 聖を見る。聖もこっちを見ていて、その視線には明らかに呆れの色が見えて取れた。今は彼女の気持ちもなんとなくわかる。この三日間で学んだ事だ。

 俺達は頷き合うと、

「やあやあ我こそは現代の侍なり! 今日こそは観念し拙者と勝負勝……あれ」

 まだ何か言っている青山実和を無視して、彼女の横を通り過ぎた。

「いいのかな?」

 亜衣が小声で聞いてくる。彼女は優しい人間だから、無視するという行為に引け目を感じてしまうのだろう。

 だが、時には無視しなきゃいけない人間もいる。

「あんなのに関わってる暇ないだろ」

 俺の代わりに聖が言う。

「それはそうかもだけど……」

「いいから黙っていくぞ」

 無視して当然のような態度を取る聖を見ると、きっと今まで数え切れないくらいアレに対応してきたんだなと思わされる。て事は青山実和も蒼同様、聖の幼なじみなのかもしれない。しかしあんな時代錯誤の子が幼なじみか。聖も大変だなと俺は思う。

「待つでござる!」

 俺達の冷たい対応にも青山実和は諦めない。

「聖殿、何故拙者と勝負してくれないのでござるか! 聞けば蒼殿とは勝負をしたとの事。ならば拙者とも一戦交えてほしいでござる!」

 よく見ると青山実和の瞳は潤んでいた。今にも泣き出しそうである。痛々しい格好をしているのでメンタルは強いのかと思ったらそうでもないらしい。

「……なんであたしとおまえが戦わなくちゃいけないんだよ」

 いかにも面倒臭いという風に頭を掻きながら、聖が答える。

「だいたいおまえ今更出てくんなよ。物語で言ったらもう折り返し過ぎてんだよ」

「どこで登場しようが拙者の勝手でござろう!」

 そうは言うが聖の言ったように出てくるにしてもそのタイミングというものがある。俺達は既に濡美ジム戦へ向けて気持ちを高めているし、他の事に構っていられる場合ではないのだ。

「……」

 聖はともかく俺までウンザリしているのには理由がある。

――出会え出合えーっ!

 三日前、とらが進化して蛹になった直後に青山実和は現れた。思えば初めて会った時からタイミングがおかしかった。

――え、今?

 あの時は俺も彼女の事がわからなかったので、今は試合をできる状態ではない事を懇切丁寧に説明してあげた。その時は青山実和も納得してくれ、立ち去ってくれたのだが。

 翌日。

――出会え出合えーっ!

 更にまた翌日。

――出会え出合えーっ!

 そして今日。

――出会え出合えーっ!

「……」

 毎日毎日付き纏われてはウンザリするのも仕方のない事だろう。

「まあまあ、落ち着いて」

 唯一青山実和に優しく接してあげている亜衣が、聖と青山実和の間に入った。

「勝負したいって言うんなら、してあげたらいいんじゃない? 蒼ちゃんとはしたじゃない」

「そりゃあ、そうだけどさ……」

 亜衣の言葉に頷くが唇を尖らせ、不満そうだ。

「それにポケマン勝負なら、ジム戦の前の良い練習試合になると思うの。でしょ?」

 それは確かに一理ある。聖に勝負を申し込むという事は即ちポケマン勝負だろう。ジムリーダーともなれば強いポケマンを用意しているはずだ。となれば、ここで経験値とやらを上げとくのも悪くはない。

「じゃあやろう、ポケマン対決っ」

 笑顔で手を打ち有無を言わせず試合を決定する亜衣のその姿に俺はリーダーの素質を感じる。やはり亜衣は素晴らしい。可愛いだけではなく決断力もある。田際の森美術館での一幕を思い出してもわかるとおり、彼女は見た目にそぐわず積極的な性格なのだ。

 ともかくこれで今日もポケマン対決が決定した。

 あとは青山実和がどんなポケマンを持っているかだ。

「あの」

 視線を向けた矢先に青山実和が手を挙げる。聖も亜衣も彼女を見る。なにか提案をするつもりなのだろうか。としたら、提案する内容はポケマン対決の事だろう。対決のルールでも決めるつもりだろうか。俺達は彼女の言葉を待つ。

 果たして、彼女は言った。

「拙者、ポケマン持ってないでござるよ?」



 翌日、俺達は雨が降り出しそうな空模様の中、群馬県内を北上していた。


「出合え出合えーっ!」


「もうそろそろ濡美市に着くらしいぞ」

 ポケマン図鑑を眺めながら聖が誰ともなしに呟く。覗いてみると、図鑑の画面には群馬県内の地図が表示されていた。

「……地図なんて入ってんのか」

 考えてみれば小学生が群馬県の地理に詳しいはずもない。こういう風に地図を図鑑に入れてやればわかりやすい。

「ねえ聖ちゃん」亜衣が反対側からひょいと図鑑を覗き込みながら、「濡美に入ったらすぐに挑戦しに行くの?」

「当たり前だ」

 つまらない事を聞くなとばかりに、ぶっきらぼうに答える。

「あたしは観光に来てるわけじゃない。早くジムバッジを集めて、四天王をバッタバッタと倒し、関東最強の称号を手にしなきゃいけないんだ。それに蒼に先を越されちゃたまらねえ」

 聖の見ているものはいつだって変わらない。目的に向かって一直線に進んでいる。彼女のその姿勢は評価したい。

「そういう事じゃなくてね」

 亜衣はなぜか心配げな表情だ。

「濡美ジムには光宙くん、火影ちゃん、それにとらさんの三人で挑むんだよね?」

「そりゃそうだな」

 結局この四日間でとら以外のポケマンは捕まえられていない。

「光宙くんは電気タイプ、火影ちゃんは炎タイプ、とらさんは虫と飛行タイプ。そうだよね?」

「見りゃわかるだろ」

 聖が答えずとも、俺や火影やとらの戦いを亜衣も見てきたはずだ。俺は亜衣の言葉の真意がわからない。


「で、出合え出合えーっ!」


「タイプだよ、光宙くん」

 とある方向にいる人物が少し気になる俺に亜衣は人差し指を立て、

「電気タイプは水と飛行タイプに強い。炎タイプは草と虫と氷タイプに強い。虫タイプは草と超能力と毒タイプ、飛行タイプは草と格闘と虫タイプにそれぞれ強い」

 相変らず無駄に詳しい。彼女は一体どこからその情報を仕入れているのか。

「それがどうしたんだよ」

 尋ねたのは俺ではなく聖だった。俺も彼女と同意見だ。

 俺と火影ととらなら、だいたいのタイプを網羅しているように思える。ポケマンのタイプが全部でどのくらいあるのかわからないけれど。

「質問があるの」

 亜衣は大真面目だった。

「濡美ジムのリーダーの所持ポケモンのタイプは何?」

「濡美ジムの?」聖は半笑いだ。「わからん。知ったところでどうなる?」

「重要だよ?」

 亜衣が聖の顔を覗き込む。


「出合え出合……ぐすっ……」


「……」

 そろそろ興味を持ってやってもいいんじゃないかという気もする。

「……これ、使いな」

 俺はポケットの中からハンカチを取り出し、そっと青山実和に渡してやる。

「ありがど、ござりまずる……」

 俺達に無視されて辛かったのか、青山実和は鼻水まで垂らして泣いていた。俺から渡されたハンカチで思いきり鼻をかむ。まあいいけど。

「でも、もう諦めなよ。せめてポケマンを捕まえてから勝負しに来な」

「てーかおまえ、あたし達と一緒にポケマン貰いに行っただろ」

 亜衣の視線に耐えられなくなったのかはたまた違う理由か、聖も俺達の話に乗ってくる。

「あの時なんで貰わなかったんだよ」

「あの時?」

 気になって口を挟む。あの時ってどの時だ。俺を捕まえる以前の話だろうが。

「旅に出る前、大鬼怒博士の研究室に行って最初のポケマンを貰ったんだよ。俺が火影、蒼の奴がかめるをさ。で、実和もその場にいたはずなんだけど……」

「不思議だね」亜衣が変なイントネーションで会話に加わる。「貰わなかったの?」

「うぅ……」

 一旦落ち着いたように見えた実和の涙腺がまた緩む。俺としては火影が大鬼怒博士から貰ったポケマンだったってのは気になる。結局聖と彼女はそれだけの関係なのか? しかしそれなら火影があんなに言いよどむだろうか。

「拙者だって貰いたかったでござる……」

 なんとか涙を押し止めた実和が喋っている。

「でも、貰いに行った時、博士に言われたんでござる」

「なんて?」

「キミにあげる予定のポケマンは今世界一周の旅に出てるから、日本に帰るまで呼び寄せる事はできないって……海外からではマンスターボールでは呼び出せないって……」

 そう言って、哀しげにマンスターボールを見つめる実和。一応ボールは貰ってきてるんだな。てか海外からは呼び出せないって、携帯電話かよ。

「ならそいつが帰ってくるまで三更で大人しくしてればいいじゃねえか。なんで飛び出してきちゃったんだよ」

 そりゃそうだ。肝心のポケマンがいないのでは旅に出ても意味がない。

 すると青山実和が真剣を聖に突き出す。

「拙者はジムバッジも、ポケマン集めも興味ないでござる」

「なら尚更出てくるなよ」

「拙者が興味あるのはただ一つのみ!」

 聖のツッコミを無視して、青山実和が言い切る。

「聖殿との勝負、それだけでござるっ!」

 彼女の瞳の中で炎が燃え盛っている。物凄い執念だ。ポケマンもいないのにここまで追いかけてくるくらいだから、よほどの理由があるのだろう。

「……おまえ、こいつに何かしたのか?」

「そんな覚えないぞ」

 聖の目は嘘を言っているように見えない。しかし悪意というものは大体の場合無自覚で向けてしまうものだ。聖が気付いていなくても、何かのタイミングで青山実和を傷付けてしまったのかもしれない。

「……なあ、実和って呼んでいいか?」

「もちろんでござる」

 実和が鼻水をズズッと啜る。

「実和はなんでそこまで聖との対決にこだわるんだ?」

 理由があるならここで聞いておきたい。濡美ジム戦を前に迷いがあっては困る。

「拙者が聖殿と対決したい理由。それは聖殿が……」

 ゴクリと唾を飲み込む。実和からの返答を、俺も聖も亜衣も待つ。一体全体、彼女の中にどのような恨みがあるのか。それを聞いたところで俺達がどうかしてやれるのか。それはわからないが、聞いてやるだけ聞いてやりたい。

 そして、実和がゆっくりと口を開いた。


「聖殿が……拙者と唯一友達になってくれたからでござる!!」


「……友達になってくれたから?」

 聞き間違いかもしれない。とりあえず聞き返してみる。

「然り」

 だが実和は、しっかりと頷いた。

「……ごめん、何言ってるか全然わからないんだが」

 友達に対して勝負を仕掛ける意味がわからん。憎いならわかるが、まったく正反対の感情を持っているという事だろう。愛憎という可能性もあるが、小学生がそんな感情を持っていたら引く。

 一方実和はお構いなしに、

「そう、あれは拙者と聖殿が同じ保育園に通っていた時代……」

 勝手に回想に入る。


 拙者と聖殿は同じ年に同じ街に生まれ、同じ保育園に通って申した。

「……」

 当時の拙者は引っ込み思案で侍魂にも目覚めておらず、友達も当然いなかったのでござる。

「今もいないけどな」

 拙者はよく男の子に苛められてたでござる。毛虫を持って追いかけ回されたり、スカートを捲られたり、拙者にとっては恥辱の日々だったでござる……。

「男の子ってそういう事するよね~。光宙くんはしなかったけどねっ」

 その日も拙者は男の子に苛められてござった。保育園中を追いかけられて、園内の隅っこに追い詰められて、ぶるぶる震えていたでござる。その時でござる!

「何指差してんだよ」

 聖殿が助けてくれたのでござる!

「あたしが? 覚えてないけど」

 聖殿は拙者の前に敢然と立ちはだかってござった。そして男の子に「あたしの前で騒いでんじゃねえよ」って言うと、瞬く間に男の子を蹴散らしてくれたのでござる。

「……それ単に騒がれてウザかっただけなんじゃ」

 それ以降、拙者は強くなる事に決めたのでござる。強い侍になる事で、聖殿と並び立つ存在に成る! 拙者はそう心に誓ったのでござる。

「どうして侍なの? 強くなるなら侍以外でも良かったんじゃない?」

 ……。

「……理由がなかったらないでいいぞ」

 とにかく、拙者は強くなったんでござる。あの時救ってくれた聖殿と勝負し、勝利する事で、弱い自分を克服したい! だからどうしても手合わせ願いたいのでござる!


「助けた事とか全然覚えてないんだけど……」

 実和の回想が終わり、聖が困惑の表情で頬を掻く。

「……でも友達なんだろ? 仲良くなったキッカケがそれなら覚えていてもいいんじゃないのか?」

「う~ん」聖は首を傾げ、「いつの間にか実和に懐かれてるな~とは思ってたよ。でも実和を苛めから守ってやった事なんてあったかな~。あたしはいつも男子と喧嘩してるから……」

「……そうか」

 まあ、いかにも男子と喧嘩してますって性格してるけど。

「お願いし申す!」

 実和が両手と両膝を地面に着き頭を下げる。土下座だ。四日前にも見たからあまり新鮮味はない。

「拙者と手合わせ、お願いし申す!」

「……だってよ」

 ここまでの熱意があるのなら何を言ったとごろで聞かないだろう。俺は説得を諦め、聖に判断を委ねる事にする。聖はしばらく腕を組んで悩んでいたが、

「……しょうがねえ」

 観念したという表情で、頷いた。

「一回だけだからな」



 三十分後、近くの広場に俺達は集まっていた。

 聖と実和は向かい合って立っている。俺と亜衣は少し離れた場所で見守っている。

 そして、もう一人。

「……なぜ私が呼ばれたのでしょうか」

 蒼もこの場にいた。

「審判が必要なんだよ」

 聖が呼んだのだ。対決が決まった直後、彼女はポケットから携帯電話を取り出し蒼にかけ、ここへ来るよう言っていた。というか携帯電話持っていたんだな。

「実和」蒼は呆れたといった思いを隠す気もない声で「あなたは昔から変わりませんね」

「それほどでもないでござるよ~」

 照れたように実和が笑う。まあ鈍感でないとコスプレのような格好で堂々と街を出歩けないよな。

 とはいえ女の子同士が戦うというのもあまり見ない光景だ。ポケマン対決というならともかく、どちらも普通の人間。少しは興味をそそられる。

「亜衣ちゃんはどっちが勝つと思う?」

「え? わかんない」

 亜衣は果てしなく興味がなさそうだった。

「だってこんなの全然ポケモ……くしゅっ! ポケ……くしゅん! ポ……くしゅんくしゅん! ……じゃないんだもん」

 夏風邪にご注意。

「準備はいいでござるか?」

 実和が真剣を構える。

「ああ」

 聖が拳を構える。

 両者睨み合い、今に戦闘が始まってもおかしくない雰囲気。だが俺はその光景にどこか違和感を覚えていた。何かおかしい気がする。凄くアンフェアなような。二人は意に返していない。勝負する当人達が何も不満がないなら俺はそれでいいんだけど。

「では私の合図で始めてください」

 不承不承ながら、蒼も審判をやる事に決めたようだ。手を挙げ、今か今かと待っている二人を制する。

「気絶した時点で勝負終了とします。引き分け再試合はありません。また、時間制限もありません。無制限一本勝負で行います」

 相手を気絶させたら勝ち。俺は日光を浴びて光っている切れ味鋭そうな実和の真剣を見る。あれで斬られたら気絶どころでは済まなそうな気はする。一方聖は怖がっている素振りも見せない。彼女の肝っ玉の太さには感心させられる。それとも単に舐めているだけなのか。秘策があるのかないのか。

「それでは――」

 聖の頭の中が読めぬまま、勝負が始まろうとしている。

 この戦いは一体どのような展開を見せるのか、俄然興味が出てくる。

 亜衣は早速興味をなくしてGAME BOYで遊んでいる。

 広場に静寂が訪れる。

 そして数秒の後、蒼がゆっくりと手を水平にし――、


「――始めっ!」


 先に動いたのは、実和だった。

「チェストオオオオオォォォォォオォッッッッッ!!」

 雄叫びを上げ、真剣を振りかざし聖へと突進していく。先手必勝、瞬く間に勝負をつけてしまおうという腹だ。そこで俺は気付く。

「……あっ!」

 聖は素手だ。

 徒手空拳で真剣を持つ実和に挑んでいるのだ。

「聖!」

 思わず俺は叫ぶ。このままでは彼女が危ない。今すぐにでも駆けつけてやりたい心境であるが、肝心の聖は逃げようとしない。それどころか、不敵に笑って突進してくる実和を迎え入れようとしているようにすら見える。

 無謀だ。

 俺が昨日危惧していた痛い目を見る可能性が、今日ここで形となってしまう。

「――どえりゃあぁぁあぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁっっっっっっっっ!!」

 だが時は待っちゃくれない。実和は勢いよくジャンプすると、真剣を真上に構えたまま聖へと襲いかかっていく。もう助けに行く時間はない。聖自身がなんとかするしかない。俺は生まれて初めて神に祈る。この場合どの神様に祈ればいいのかはわからない。祈っている間にも時は進む。

 実和がとうとう、真剣を振り下ろす。

 真剣はまるで吸い込まれるかのように聖の肩へと接近していく。

 その瞬間聖はといえば、左肩を上に、右肩を下にと不自然な形で身体を捻っていて。

 そして。


 弾丸のような速さで繰り出された聖の右拳が実和の顎を打ち砕いた。


「……おお」

 嘆息したのは俺で、実和は殴られた瞬間、何も声を出さなかった。

 実和は不恰好に寝転がっている。顎を殴られた後大きく飛翔し、そのまま崩れ落ちたのだ。真剣も近くに転がっている。彼女が起き上がる気配はない。

 パンチ一発。

「試合終了!」

 蒼が聖に近寄り、右腕を掴み、力強く上げる。

「勝者、聖!」

 正式に勝負が決まる。聖は喜んでいる様子ではない。当たり前のようにそこに立っていて、気絶した実和を見下ろしている。総合格闘技の王者の風格。

「ま、当然だな」

 本当にこの決着が当然であるかのように、聖が呟いた。

「聖ちゃん勝ったんだ。おめでと~」

 亜衣はGAME BOYから目を離さぬまま、聖を祝福する。

「……大丈夫か?」

 亜衣の傍から離れ、実和の様子を確かめに行く。まともに食らっていたように見えたから、もしかすると顎を骨折しているかもしれない。女の子でそれは非常に忍びない。

「実和なら大丈夫だよ」聖が言う。「丈夫だから、こいつ」

「……丈夫だからってなあ」

 しかし聖の言葉通り、実和は気絶しているだけでなんともなさそうだった。漫画のように目を回して眠りに就いている。

「昔からなんですよ」

 いつの間にか蒼が俺の隣に立っている。

「実和は保育園の頃からずっと聖に勝負を挑み続けてるんです。その度にこうやって負ける。それでも懲りないんですよ彼女は」

「……そうなのか」

 聖の落ち着きには理由があったのか。しかし何度も何度も真剣で挑んで負けるんなら、もう侍やめた方がいい気もするが。

 とにかく勝負は決した。次はポケマンが海外旅行から帰ってきたら勝負を挑みに来てほしいものだ。実和は近くのベンチにでも放置して濡美ジムに行きたい。聖も同じ気持ちだったようで、お互い頷いた後に気絶した実和を起こそうと近寄った。

 周囲に騒音が響き渡ったのは、その時だった。

「……なんだ?」

 騒音というよりは爆音に近い。改造しまくった結果のような低くて重いエンジン音。広場の入り口から、何台ものオートバイが乱入してくる。ざっと数えても十台以上はいるだろうか。

 しかも俺達の方へ近付いてきて、取り囲むように集まった。

「なんだてめえらは!」

 四方を取り囲まれても強気の聖は、突如現れたバイク集団に向かって吼える。しかしバイク集団は聖など見向きもせず。

 見ているのは、俺だけ。

「……俺に何か用か?」

 怖い人達に絡まれる謂れはないのだが。

「――久し振りだな、電気野郎」

 向こうは俺の事を知っているようだった。ノーヘルで登場してきたので顔は最初から見えているが、典型的なヤンキーというイメージっていうだけで見覚えがあるかといえばあまりない。

 だが「電気野郎」と呼ばれた記憶ならなくもない。

「……あ」

 一回だけ、ヤンキー集団に絡まれた事が確かにあった。

 俺が聖のポケマンになる前の事だ。

「あの時の借り、返しに来たぜェー?」

 他の男が言う。その口調にも覚えがあった。

 間違いない。俺をカツアゲしようと路地裏に連行した奴らだ。

「あの時は自己紹介してなかったな」

 バイクに乗って取り囲んだまま俺達に話しかけてくるその姿は、嫌が応にも威圧感を感じざるを得ない。

「俺達の名は“孤威禁愚”!」

 全員、一斉にバイクを吹かす。

「俺が族長の古泉」赤毛の男が言う「俺が湖池」とさかのようなモヒカンを持つ金髪男だ。「俺が小石だぜェー?」たらこ唇に、左右の髭が特徴的。

 おそらくメイン格なのであろう三人が、それぞれ名乗ってくる。こいつらそんな名前だったのか。別に知りたくもなかった名前だ。

 そういえば、誰か一人足りない気がする。こいつらの兄貴分的な男がいたはずだ。その男は今ここにはいない。

「俺達と勝負してもらうぜ。拒否はさせねえ」

 向こうはそんな事を気にもしていないようだった。もしかして俺の記憶違いだろうか。聞いてみてもいいが、今はそういう雰囲気でもない。

「……断ったらどうなる」

 男は俺一人。残りは女の子で内二人は小学生だ。多勢に無勢。まさか奴らも女の子を攻撃する事はなかろうが。

 孤威禁愚の族長古泉は、ニヒルに笑う。

「言ったろ? 拒否はさせねえって」

「どういう事だ」

 その意味はすぐにわかる。

「こういう事だぜェー?」

「きゃあ!?」

 甲高い声を上げたのはもちろん俺ではない。

「亜衣ちゃん!」

 亜衣が小石に担ぎ上げられていた。GAME BOYに夢中で敵の接近に気付かなかったのか、筋骨隆々な小石の肩の上でバタバタと暴れている。

「この女を帰してほしけりゃ濡美まで来な!」

「濡美?」

 奇しくも俺達が目指している場所だ。

「そうだ。濡美の外れにある廃工場で待ってるぜ!」

 孤威禁愚達は一斉にエンジンを吹かす。不快な轟音が俺の耳をつんざく。そして断続的なエンジン音とともに、全員広場を出て行ってしまった。

 肩に担いだ亜衣とともに。

「……どうします?」

 置き去りにされた俺に、蒼が尋ねる。

「そんなの、決まってるだろ」

 答えたのは聖だ。多分おまえに聞いたのではない。だが聖同様、俺の腹も決まっている。

 このまま亜衣を放っといては男が廃る。

「……助けに行く」

 ポツリと一言呟いた後、俺は走り出す。濡美の空き倉庫。俺はそこに行かねばならない。他人を巻き込むわけには行かない。ましてや小学生などは。

「おまえらは着いてくんな!」

「うるせえ!」

 だが、当然の如く聖と蒼も走ってきていた。

「亜衣はあたしの友達でもあるんだよ! 友達を見捨てておけるか!」

「聖の言うとおりです。それに、孤威禁愚について気になる事があります」

「気になる事?」

 蒼が頷く。まあそれは走りながら聞けばいい。今優先すべき事は、一つ。亜衣の救出だ。

 そして俺達は濡美へと向かう。

 実和を置き去りにして。



「気になる事なんですが」

 数十分後。俺達は濡美の外れにある廃工場が見える場所までやってきていた。

 周囲には不気味なほどに誰もいなかった。周囲が山か森だからかもしれないが、それにしてもいなさすぎである。おそらくは廃工場の中で俺達を待ち受けているのだろう。

「……なに?」

 茂みの中から顔を出しつつ、俺は隣に隠れている蒼に返事する。

「光宙さんは、孤威禁愚の方々とお知り合いのようでした。どちらで出会われたんですか?」

「あぁ……」

 そういう事か。確かに気になるかもしれない。俺は事のあらましを説明する。ポケマンに目覚める前にカツアゲされそうになった事。自覚してなかった能力で撃退した事。

 だが蒼の「気になる事」とはそれではなかったようで。

「その時、何か気付いた事はありませんでしたか?」

「気付いた事?」

「思い返して気付いた事でもいいです」

 そう言われてもなあ。何かあっただろうか。ただカツアゲされただけ。ただ偶然電気の力に目覚めただけ。ただ孤威禁愚の奴らを脱糞させただけだからなあ。

 脱糞。

「……あ」

 俺は気付く。

「あいつら、気絶した後みんな脱糞してたな」

 脱糞する事くらい普通の人間にでもあり得るだろう。しかし、やられた後必ず脱糞するのはポケマン(男に限る)だけだと大鬼怒博士も言っていた。という事は、

「あそこにいる人達全員がポケマンでしょう」

「マジか!」

 俄然聖のテンションが上がる。

「だったらいつまでもこうしてねえでさっさと行くぞ!」

 勢いよく立ち上がり、走り出す。無鉄砲な奴だが今更の指摘をしても仕方がないので、蒼と苦笑いし合った後に聖の後を着いていく。

「やっとお出ましか」

 廃工場の中はがらんどうになっていて、いかにも不良の溜まり場という趣があった。奥にドラム缶が積まれていて、そこに古泉が座っている。他の連中はバイクに跨り、廃工場の至る所から俺達をニヤニヤしながら見ている。不気味である。

 亜衣の姿は見えない。

「……亜衣ちゃんはどこだ」

 もしかしたら俺達と戦う口実に捕まえただけで、もう逃がしてくれているかも……という淡い期待が湧く。不良は見た目に反して実は優しいというのがセオリーだ。薄暗い、緊張感漂う空間の中でそんな事を期待するのはただの現実逃避かもしれないが、この場にいないという事はその可能性もある。

 古泉が、腕を上げる。

 上を、指差しているように見える。

「あれを見な」

「……」

 この時点で猛烈に嫌な予感がするが、それでも俺は古泉の指差した方向を見上げる。


 そこには、宙吊りにされた亜衣がいた。


「……亜衣ちゃん!」

 両腕と両脚、それぞれを太い鎖でグルグル巻きにされている。地上十mはあろうかという高さに亜衣はいた。ツインテールは垂れ、頭も動かない。気絶しているのだろう。意識があれば自分の状況に怖がり暴れてしまうかもしれない。それだけがせめてもの救いだった。

「てめえ……!」

 聖が一歩にじり寄る。今にも襲いかからんとばかりの表情だ。いつもは冷静な蒼も古泉を睨みつけている。俺も二人と同じような表情をしているのだろう。

「おっと、俺はポケマン以外と戦うつもりはねえ」

 古泉の口から「ポケマン」の四文字が出る。

 こいつ、知っているのか。

「俺達はあくまでそこの電気野郎にリベンジしに来たんだぜ」

 古泉の一言を皮切りに周囲の連中が一斉にバイクのエンジンを吹かす。耳を押さえたくなるほどの騒音。怯えた表情を見せたら負けだと必死に耐える。俺は今からこいつらと戦わなければならない。

「嬢ちゃん達は帰んな!」

「嬢ちゃんだと……?」

 ギリリと歯を食いしばる音が聞こえる。聖の方を向くと、彼女は何かを握り締めている。

「ポケマンで戦えばいいんだよなあ?」

 マンスターボールだ。

「お気付きでなければ教えましょう」蒼もマンスターボールを取り出す。「私達は……」

 そして、さすが幼なじみとも言うべき阿吽の呼吸で、同じタイミングで声を出し、同じタイミングでマンスターボールを放り投げる。


「ポケマントレーナーだ!」「ポケマントレーナーです!」


 マンスターボールが地面に着き二個分の煙が噴出する。いや違う、三個だ。いつの間にか聖がもう一個投げている。すぐに煙は晴れ、その中からは

「光宙、また会えた」

 火影と。

「お呼びでヤンスか?」

 かめると。

「……」

 大きな蛹。

「勝負だ孤威禁愚ッ!」

 聖がビシッと指を差す。味方が増えたのは非常に嬉しい。火影もかめるも百戦錬磨だ。とらは呼び出す必要なかった気がするがまあ細かい事は気にしない。

「上等だ」古泉がニヒルに微笑む。「野郎ども、準備はいいか!」

 古泉の問いかけにエンジンで答える孤威禁愚。

「どちらかが全滅するまで戦う」

 そう言って、古泉はコインを親指の爪の上に乗っけ、弾く。コインは高々と舞い上がる。

「コインが地面に落ちたら喧嘩開始だ」

「……」

 俺は拳を構える。四方八方に敵がいる。油断は禁物だ。火影はいつもどおりボーッと突っ立っている。彼女に心配は無用だろう。かめるは瞳を輝かせながらウキウキで周囲をあっちこっち見渡している。彼女は火影を圧倒した過去がある。実力は申し分ないはずだ。とらは動かない。蛹だから当たり前だ。

「……よし」

 自分に気合いを入れると同時に、コインが地上に落下し――。

 音を立てて、地面に弾んだ。

「――先手必勝だぜェー?」

 開始と同時に、バイクに乗った小石が轟音を上げ突っ込んでくる!

「うわッ」

 慌てて転がる。というより、火影が俺の襟を掴んで引きずり倒してくれる。かめるは驚いているのか喜んでいるのかよくわからない声を上げ避ける。俺達が直前までいた場所をバイクは何の躊躇もなく通過する。

「バ、バイクは危ないだろ!」

 思わず叫ぶ。こんなの軽い事故だ。

「あーん?」小石は片眉を吊り上げ、「ポケマンの技を使って何がいけないんだぜェー?」

 嘘吐け。バイクで轢くのが技であってたまるか。

「ポケマンの技の一つだよ」

 小石を肯定したのは意外にも聖だった。

「撥ねる攻撃だ」

「……撥ねる」

 撥ねる攻撃て。

 そんなのアリ?

「まだまだ行くぜェー?」

 アリなものはアリなのだ。小石が向きを変え、もう一度俺達を撥ねようとバイクで突進してくる。今度は回避不可能だ。距離が短く、俺は体勢を立て直していない。このままでは轢かれてペシャンコである。

 俺は目を瞑る。

「キャオラッ!」

 そこでかめるの声が聞こえ、

「……あれ?」

 目を開けても俺は生きていた。

「なんだこれはだぜェー?」

 小石が驚愕の声を上げている。彼はすぐ傍にいた。バイクに乗り、今にも俺達を轢き殺さんとばかりにタイヤを回している。

 バイクは、そこで動いたまま止まっていた。


 巨大な茶色いリュックが、バイクの行く手を邪魔している。


「……なんじゃありゃ」

 呟いてみたがなんとなくわかる。俺の見える範囲でかめるがいない。目の前で俺達からバイクを阻んでいるリュックは、サイズは違うがかめるが背負っていたものと同じだ。ここから導き出される答えは一つしかない。

「かめるの防御技、殻に篭るです!」

 かめるの代わりに蒼が得意気に言う。

「かめるのリュックは伸縮自在、象に踏まれても壊れない硬度を持ち、防御には最適なのです。どのような素材で作られているかは秘密です!」

「……」

 多分聞いてもわからないだろうから別にいい。

「火影、今だ!」今度は自分達の番とばかりに聖が腕を振り回し、「切り裂く攻撃!」

「了解」

 命令された時には既に火影は跳躍していた。かめるのリュックを踏み台にし、高く跳んでから小石の胸元へ飛び込んでいき――。

「覇ッ!」

 両手で小石の胸に爪を立て思いきり良く肉を裂いた!

「ぐわぁだぜェー?」

 効いているのか効いていないのか判断しかねる声ではあるが、小石はバイクから転がり落ちる。胸を見てみると着ていたシャツがボロボロになっていて、血も滲んでいる。

 火影とかめるの連係が生み出した一つのプレーであった。

「やったでヤンスね火影ちゃんっ」

 小さくなったリュックを背負いなおしたかめるが火影に抱きつく。火影はされるがままになっているが気持ち嬉しそうな表情をしているように見えなくもない。仲が良いんだなと思う。

 だが喜びに浸っている暇はない。

「野郎ども、やっちまえ!」

 古泉の一声を皮切りに今まで手を出さなかった他のバイクが一斉に動き出す。四方を取り囲むようにしていたバイクたちがこちらに向かって来ているという事は、逃げ場がないのと同じだ。

「まずいでヤンス!」

 かめるが慌てているのは先程の防御技で庇いきる事ができないからだろう。

「私が守る」

 火影が一歩前に出る。彼女なら本気でやりかねない。言葉は少ないが、口に出した言葉は必ず守る女なのだと接していくうちに知った。

 だが女に守られては男が廃る。

「……」

 そうでなくてもさっきかめると火影に守ってもらったのだ。俺は何もしなかった。今回も彼女達に守ってもらうのか。それは嫌だ。俺は亜衣を助けに来たのであって助けられに来たのではない。今度は俺の番である。

 では、何か手立てはあるのか。

「……火影、かめる」一つだけある。「しっかり握れよ」

 そう言って俺は二人の手を握る。

「な、なんでヤンス?」

 かめるは困惑の表情で俺を見る。

 一方火影はといえば、

「……」

 何も言わず俺を見つめているが、頬が心なしか赤くなっている。今はそんな事に構っていられる余裕がない。

 バイクが迫りくる中、二人に言う。

「跳ぶぞ」

 そして俺は膝を折り曲げ――。


 跳躍した。


「うわわっ」

 かめるが驚くのも無理はない。俺が跳んだという事は、手を繋いでいる彼女と火影も一緒に宙に浮いているという事になる。バイクに乗っている男達の頭を軽々と越すほどの跳躍。

 しかしこれだけではない。

「――フンッ!」

 俺は走る。

 空中を。

「――!?」

 かめるが目を点にして声にならない叫びを上げている。リアクション豊かな奴だ。火影は何も動じていない。火影が動じるところなど見た事がない。俺だって自分自身驚いているというのに。

「こいつはたまげたぜ!」

 下で古泉が笑っている。

「なんて技だ!」

「電光石火だ」

 答えたのは聖だった。

「逃げ足の速い光宙の得意技さ」

 その通り。

 俺は、逃げ足が速いのだ。

 ただし空中を走れるとは思わなかった。身体を瞬時に動かす事ができる自分の特徴を応用しただけなのだが、試した事は今まで一度もなかった。というより試す場面がなかっただけなのだが、なんにしても俺はこれをやり遂げたわけだ。

「お、おいどけ!」

「ぐわぁっ!」

 下では俺達が逃げた事により、バイク同士の衝突事故が多発している。全員同じ方向に全速力で走っていったのだから当然の結果と言える。悲惨な状況に陥っている孤威禁愚の連中を尻目に、俺達は地上へと舞い戻る。

「凄いでヤンス、光宙さん!」

 瞳をキラキラさせながらかめるが賛辞の言葉を送ってくる。火影とはまたタイプの違う、活発な美人に褒められるのは男として正直嬉しい。こういう状況でなければ存分に味わっているところだ。

 だが同士討ちで減ったとはいえ、まだ敵は何人もいる。

「よくもやってくれたなぁ」

「まだまだ勝負はこれからだぜぇ」

 転倒したバイクから起き上がってきた孤威禁愚の生き残りが、狂気を孕んだ目でこちらににじり寄っている。それでも、三人で固まって戦わなければいけないような人数でもない。

「……火影、かめる」

 このまま三人で戦うのが良策とは思えない。

「ここからは個別で戦おう」

 孤威禁愚の生き残りは合計五人。こちらはまだ三人(四人)生き残っている。古泉はまだドラム缶の上から降りてこない。実質同数である。

「了解」「誰が一番倒せるか競争でヤンス!」

 二人も同じ気持ちだったのだろう。頷き合い、左右に別れる。これからは一人の戦いだ。気合いを入れ直す。自分で切り出した手前、恥ずかしい真似はできない。自分で頬を叩き、目の前にやってきた男に集中する。

「なかなかやるじゃないか」

 金髪モヒカン男、湖池だ。

「だが、簡単にやっつけられると思うなよ」

「……」

 身構える。湖池という男、名乗ってきた中では一番地味に感じていたが、こうして向き合うと体格は孤威禁愚の中で一番に思える。分厚い胸板、肩から首にかけて盛り上がっている筋肉、丸太のような腕と脚。どこを見ても日本人離れしている。

「行くぜ」

 湖池が腰を低く落とし肩を前に突き出す。この技は見覚えある。とらもやっていた体当たり攻撃だ。撥ねる攻撃でないだけ少しはマシかもしれない。バイクと違って人体だし。

 と思ったのが間違いだった。

「オラァ!」

 地鳴りを上げ湖池が突進してくる。凄い威圧感だ。だが体当たり攻撃は前にしか進めないはずだ。俺は咄嗟の判断で横っ飛びする。僅か数㎝の距離を湖池が掠める。良かった。ホッとしたのも束の間、湖池が直進したまま壁にぶち当たり、


 壁をぶち壊した。


「うわっ!」

 建物が揺れるほどの衝撃。鎖で吊るされている亜衣も振り子のようになっている。湖池にぶち壊された壁は粉々になり、地面に散らばっている。

「……マジで?」

 バイクどころではない。まともに食らっていたら命さえ落としていたかもしれない。滅茶苦茶なパワーである。

「まだまだァ!」

 湖池はそこらへんに転がっているドラム缶を片手で軽々と持ち上げると、俺に向かって投げつけてきた。俺は声も出せず転がって逃げる。湖池は構わず次々とドラム缶を投げてくる。空でも二十四㎏はあるという物体をまるでオモチャのように扱っている。これも何かの技なのだろうか。

「暴れる攻撃だ!」聖が叫ぶ。「今のそいつは危険だぞ! 逃げろ光宙!」

「……」

 恥ずかしい真似はできないとさっき自分に誓ったばかりだ。

 それでも足が勝手に後退してしまうのは、恐れの現れだろうか。

 その足も何者の手に掴まれて止まる。

「へへへ、逃げても無駄だぜェー?」

 小石だ。まだ気絶していなかったらしい。

「……離せ!」

「やだぜェー?」

 小石は足にしがみついて離れない。そうしている間に湖池が近付いてくる。絶体絶命のピンチだ。

 近付いてくるのは湖池だけではない。

「オメェにはたっぷり礼をしてやらなきゃならないんでなぁ」

 古泉がいつの間にかドラム缶から降りてこっちへと歩いてきている。火影やかめるには見向きもしない。最初から俺狙いなのだ。

「光宙」「今行くでヤンス!」

 それぞれ戦っている火影とかめるがそれに気付くが、孤威禁愚の残党によって阻まれてしまっている。自分で別れて戦おうと言っておいてこの結果は非常に情けない。だが現実は現実として受け止めなければならない。

「……やれるもんならやってみろ」

 古泉を睨みつける。

「随分と強気じゃねえか」

 古泉が目の前までやってくる。

「三人に勝てると思ってんのか!」

 湖池が俺を恫喝する。確かに三対一ではかなり不利であろう。この間倒せたのもただの偶然かもしれない。自分でもどうやって倒したかわからないのだ。二度同じ事は起こらない、普通はそう考える。

 それでも俺は勝たなければいけないのだ。

 声を絞り出す。

「馬鹿野郎お前俺は勝つぞお前!」

「言うじゃねえか!」

 いきなり古泉が俺の顔を殴りつける。視界に火花が飛び散る。更に湖池が俺の腹や胸を攻撃してくる。耐え難い衝撃。それでも歯を食いしばる。

「……!」

 電気ショックで応戦したいが、電気を拳に溜める集中力を古泉達は高めさせてはくれない。そう易々と敵に塩を送る悪党はいないだろう。なんとか打開策を見つけなければならない。そしてその時間は長くは残されていない。

「オラオラどうした!」

 楽しげに言いながら顔を殴り続ける古泉。もう意識も途切れ始めている。

 そんな中、視界にとある光景が目に入る。

「こいつ全然動かねえな」

 それは蛹化しているとらだった。孤威禁愚の一人が、蛹に近付いて様子を確かめている。あまりに動かなすぎて今まで敵として認知されていなかったのだろう。まあとらに関しては呼び出した聖の責任である。

「ハハハ、なんだこいつ!」

 孤威禁愚の一人が笑いながら蛹を蹴飛ばす。もちろんとらは蛹の中にいるので防御などできない。蹴られてもその場に止まる事しかできない。そういう意味では俺も同じだ。なんとかしてやりたいがこちらはこちらでやられる寸前だ。

 その時。

「ん?」

 蛹を蹴っていた男の脚が止まった。何事かと思う。その理由はすぐにわかる。

「……ヒビが」

 蛹に――ヒビが入っていた。

 そしてそこから、虹色の光。

 デン、デン、デン、デンデン、デデン、デデン、デデン、デデデーン。という、謎の音。

「なんだ?」

 古泉達もそれに気付いて殴る手が止まる。

 全員が注目する中、蛹が壊れ――。


 中から、大きな蝶々の羽根を背中に生やしたとらが飛び出してきた。


「やったぜ!」聖が指を鳴らす。「最終進化だ!」

 最終進化。

 蛹になったらいつか羽化するのが普通だ。これがとらの最終形態なのだろう。

「みんな、おまたせ」

 空中をヒラヒラと舞いながら、とらが俺達に言う。

「今まで篭ってた分、ちゃんと働くね」

「降りてきやがれ!」

 さっきまでとらを蹴っていた男が捕まえようとジャンプしている。当然捕まえられるはずもない。

「力試しだ、とら!」意気揚々と聖が叫ぶ。「アレを撒け!」

「わかったわ」

 聖の指示にとらが頷く。進化したてでいきなり新技を使うつもりらしい。とらは大きく深呼吸すると、羽根をゆっくりと大きく羽ばたかせ始める。彼女の身体が空中で上下する。

「♪~♪」

 すると羽根から、緑色の粉が降り始めた。

「なんだこりゃ!」

 下にいた男がその緑色の粉を受ける。毒物か何かだと思ったのか慌てて手で払っているが、おそらくその類のものではなかろう。と言って何かと問われたら答えられないが。

 だが粉の効果はすぐに現れる。

 男が急に、フラフラとし始めたのだ。

「あれ、意識が……」

 そしてそう呟いたのを最後に。

 男は前のめりに倒れ込んだ。

「……てめえ」真っ先に反応したのは古泉だ。「今、何をやった」

「眠り粉で眠ってもらっただけだよ」

 例によって聖が代わりに返答した。

「眠り粉……だと?」

 古泉達も驚いているが、俺も同様である。とらはそんな技が使えるようになったのか。進化というのはそういうものなのか。ポケマンの世界は奥が深いと改めて感じる。

「まだ終わってないぞ、とら」

 聖が俺達を指差し、

「光宙を援護しろ!」

「わかったわ!」

 とらがまた羽根を細かく羽ばたかせこちらへと向かってくる。

「させねえぜ」当然それを見守っているだけの悪党はいない。「湖池、やっちまえ」

「ラジャー」

 湖池は俺から離れると先程投げ散らかしたドラム缶を掴む。それをやはり片手で持ち上げる。もうここから先は俺にもわかる。

「とらさん避けて!」

「オラァ!」

 俺が叫ぶのと湖池が投げたのは、ほぼ同時。

 とらに向かって、重さ二十四㎏のドラム缶が襲いかかる!

 轟音に聖の声が被さる。

「とら! 念力だ!」

「♪~♪」

 直後、俺は信じられない光景を目撃する。

「……ドラム缶が」


 宙に浮いていた。


 とらの前で、まるで見えない糸で吊るされているかのように、ドラム缶は止まっていた。更に言えば、ドラム缶は紫色の何かに包まれている。不可解な光景がそこにはあった。

「あり得ないんだぜェー?」

 小石の言葉に俺は心の中で同意する。念力と聖は言っていたが、という事はドラム缶を停止させているのはとらってわけだ。確かにとらからも紫色のオーラ的なアレが出てる。芸術家を通り越して超能力者になってしまったらしい。

 考察している暇はなかった。

「弾き飛ばせ!」

 聖の命令で、ドラム缶がゆっくりと動き出す。底が俺達の方へと向く。

「おいおい」古泉が苦笑する。「冗談だろ?」

「……」

 ここで冗談をやれるほど、とらはユーモラスな人間ではなかった。

「あ、テメェ!」

 湖池が声を出した時には、俺はもう小石の腕を振り払いダッシュで逃げていた。俺も予測が正しければ、というより聖の言葉通りならばあのドラム缶は。

「♪~♪」

 とらが唱える。

 そして一秒後、「ぐわぁ!」「ぐふぅ!」「だぜぇ!」などの断末魔とともに交通事故の時のようなど派手な音が背中越しに聞こえてきた。足を止めて振り向くと、そこにはドラム缶の下敷きになっている古泉達の姿があった。

「……巻き込まれなくてよかった」

 正直な気持ちが口から漏れる。

 俺がいないから遠慮なくやったのか、俺がいても関係なくやったのかは怖いので聞かない。

「お、お頭がやられた!」「逃げろー!」

 生き残っていた残党も、古泉達がやられたのを見て一目散に逃げ出していく。実に悪党らしい逃げ様であった。

「……」

 俺達は勝利したらしい。

「♪~♪」

 とらがまたも唱える。また念力を使っているようだが何に対してだろうと思っていると、亜衣が吊るされている鎖が紫色のオーラに包まれていた。助けてくれるつもりなのだ。

「……とらさん」

 念力によって鎖が外れ、亜衣が紫色のオーラに守られながらゆっくりと降りてくる。俺は落下地点へと行き、降りてきた亜衣を受け止める。お姫様抱っこの形になってしまったが気にしない。様子を確かめる。タイミング良く、亜衣が瞳を開ける。

「光宙、くん……」

どうやら無事なようだ。

「やったな!」「大勝利です」

 聖、それに蒼が駆け寄ってくる。更にかめるが意気揚々と走ってきて、火影はと言えば。

「……なにしてんの」

 俺の前で仰向けになって寝そべっている。

「お姫様抱っこ」

「は?」

「私にも、お姫様抱っこ」

「……」

 そっとしておく。

 とにかく俺達は勝利したのだ。俺は亜衣を丁重に降ろし、勝利の余韻を味わう聖達を尻目に俺は古泉達の元へと戻る。確かめたい事があったのだ。

「……やっぱり」

 湖池、更には小石も脱糞していた。男の脱糞を確かめるというのもなかなかにキツい事だが、重要でもある。

 ポケマンの脱糞は敗北のサインだ。きちんと確認しておかないと、倒し損ないの可能性もある。少なくとも二人は既に気絶しているというわけだ。それほど念力ドラム缶の威力が凄まじかったという事か。結局俺が倒す事はできなかったが、倒せればこの際なんでもいい。

 最後に古泉を確認する。

「……ん?」

 古泉は脱糞を。

 していなかった。

「……んんん?」

 何回見ても脱糞してない。男の尻など注視したくないのだが、それでも俺は確かめてしまう。

「なにやってんだ光宙~」

 聖が陽気に声をかけてくるがなんて説明したらいいか迷う。

 くっくっと笑い声が聞こえてくる。それは聖の声ではなく、俺の視線の先にいる男から発せられたものだ。

「なかなかやるじゃねえか、お前ら」

 古泉の声は掠れきっている。ダメージを受けているのは確かなようだ。

 しかし、俺は彼に不気味さを感じていた。

「……何を考えてる」

 尋ねても、古泉は笑うばかりだ。

「答えろ!」

「そう急くなよ電気野郎」古泉はポケットから何かを取り出す。「勝負はまだこれからだぜ」

「何?」

 俺は古泉が握っている物を見る。

 それは――飴だった。

「ただの飴だと思ってんだろ」

 古泉が俺に言う。ただのもなにも、飴は飴だろう。古泉のような悪党が飴玉を持っているのに違和感を覚えただけだ。その飴で何をしようというのか。

「これは、不思議な飴だ」

 不思議な飴。

「……なんだそれは」

「今にわかるさ」

 古泉はその不思議な飴を口の中に放り込む。

「ウッ」

 直後、古泉が苦しそうに目を見開く。喉に詰まったのだろうか。背中トントンしてやった方がいいか。しかし古泉の苦しみはそれだけでは治まらず、背中を仰け反らせて声にならない絶叫を上げている。その異様な光景に思わず一歩後退る。

「どうした?」

 聖達も気付いたのか、こちらへと向かってくる。

 それは危険だと、俺の直感が告げていた。

「来るなお前ら!」

 だがそれも不要だった。

「ウアアアアアアアアァァァァァアアァッァァアアアアアァァァァアァァァッァァアァァァァァァアアアァァァァァァァァァァアアァァァアアアアアァァァァアァァァァァアァァァァァァアアアァァァァァァァァァァアアァァァアアアアアァァァァアァァァ――――――――――」

 長い長い絶叫を古泉が上げる。

 そして。

「……なんだと」

 古泉の身体が――虹色に輝いた。

 例の音も聞こえてくる。

「おいどうなってんだ光宙!」

「これは……」

 あるいは蒼は不思議な飴とやらの正体を知っていたかもしれない。絶叫後、虹色に輝く古泉を見て目を見張っている。

 できる事ならば確かめておきたかったが、どうやらその暇もなさそうだった。

 なぜなら。

「なんじゃこりゃ!?」


 見る見るうちに、古泉を包み込んだ虹色の輝きが巨大化していったからだ。


「光宙さん、下がってください!」

 蒼の声で、俺は自分の今いる位置を自覚する。しかしその場を動く事ができない。足が竦むという経験は生まれて初めてである。

 自分を擁護するわけでもないが、足が竦むのも無理ない話だと思う。


 虹色の光が消えた後、そこに現れたのが身長六mはあろうかという巨人の古泉だったからだ。


「ヨオ……デンキヤロウ」

 なんか口調もそれっぽくなってる。

「コレガオレノサイシュウケイタイダゼ……」

「……」

 俺は見上げる事しかできない。何しろ身長六mの大男だ。髪の毛も赤から青に変わっているがそれは些細な問題である。正直言おう、俺は圧倒されている。

 聖がポケマン図鑑を向けたのか、機械的な声が聞こえてくる。

『古泉暴竜 きょうあくポケマン ひじょうに きょうぼうな せいかく おおむかし まちを やきつくした きろくがある きょうあくポケマン』

「……」

 誰も何も言えない。仕方のない事だと思う。六mあって日常生活に支障をきたさないのかなとか、そもそも廃工場から出れるのかなとか、余計な事は思いつくが、こいつと今から戦わなければいけないという事実を目の前にして、誰もその対処法を考えられていない。

「デンキヤロウ」

 古泉が一歩前に出る。地面が揺れる。

「オマエ、イマカラ、コロス」

「……光宙さん、逃げてください!」

 蒼が叫ぶ。それは古泉が思いきり息を吸い込むのとほぼ同じタイミングだった。俺も逃げた方がいい気はするが、いかんせん脚が動かない。

「光宙くんっ」「光宙」「危ないでヤンス!」「あっちへ行ってはあなた達まで危ないわ!」

 亜衣と火影が俺の方へ来ようとしているが、かめるととらが必死に食い止めている。

 それが正しい判断だという事は、次の聖の一言でわかる。

「は、破壊光線だ! 全員退避ー!」

 破壊光線。

 名前だけでヤバそうだ。

「待っ――」

 やっと俺の脚が動く。聖はすでに俺に背中を向け走り出している。お前俺のトレーナーだろ。蒼も聖の隣で一生懸命足を動かしている。亜衣と火影はかめるととらにそれぞれ担がれた状態で俺に手を伸ばしながら何事かを叫んでいる。

 俺も、走り出す。

 しかし、日本には時既に遅しという言葉がある。古泉が息を吸い込んでから吐き出すまでそう時間はかからないだろう。というか、もうすぐ吐き出すに違いない。

「……」

 恐る恐る、振り向いてみる。


 まさに今、古泉が口の中からぶっ太い光の塊を放出しているところであった。


「ちょ――」

 轟音。

 視界が光によって潰れ。

 浮遊感。

 誰かの声。

 最後に痛覚。

「……ぉえ」

 起き上がると、今にも雨の降り出しそうな曇り空が見えていた。

 更に言えば、瓦礫の上で寝ていた。

「……どこ?」

 そんな疑問が口から出てくるくらい、今いる場所が廃工場には見えなかった。

 まず、屋根がない。端から端までどこかへと行っちまっている。床も見えない。瓦礫が山のように積み重なっていて、俺はどうやらその上に倒れているようだった。壁は辛うじて残されている。災害レベルの光景だった。

 気付く。

「……みんなは」

 辺りを見渡す。聖も、火影も、とらも、蒼も、かめるも、そして亜衣も、俺の視界に入ってこない。みんな逃げていたはずだ。それがどこにもいない。

 いる奴は一人しかいない。

「デンキヤロウ……」

 瓦礫の中から、巨大な物体がのそりと出現する。

 古泉だ。

「マサカ、マダイキテイルトハナ……グフッ」

 古泉もボロボロだ。よろよろこっちへ向かってくる様は、先程までの威圧感は見て取れない。強制進化したとはいえ直前まで気絶しかけだったし、もしかすると破壊光線を放った反動もあるのかもしれない。

 倒せるチャンスはあるという事だ。

 しかし、どう倒せばいいのかわからない。

「……」

 姿の見えない聖達の事も心配だ。だがまず、ここで古泉を叩かなければ心配すらできない。

 そして俺以外の誰も古泉を倒してはくれない。

 俺がやるしかないのだ。

「……」

 古泉と対峙する。百六十㎝の俺と六mの古泉。どう考えたって釣り合わない。勝てっこないって直感として思う。それが人間としての正しい反応だろう。

 しかし、しかし火影ならどうだろうか。あるいはかめるなら、とらなら。彼女らは古泉を目の前にして逃げるだろうか。否、勇敢に立ち向かうだろう。たとえ結果がどうなろうとも、彼女達は最後まで戦うだろう。

 なぜなら彼女達はポケマンだからだ。

 そして、俺もポケマンだ。

「……」

 考えろ。自分に言い聞かす。古泉に勝てる技が俺にもきっとあるはずだ。電気ショックでは多分威力不十分だ。電光石火、は攻撃技ではない。十万ボルトは未だ使い方がわからない。そもそも俺は戦闘経験が不足している。勝った経験など一度もない。だから普通のポケマン相手すら倒し方を知らない。

 強いて言うなら、ポケマンになる前。

「ツギデシトメテヤル」

 古泉がまたも息を吸い込む。再度破壊光線を打ち込む気だ。次は外してくれそうな気がしない。つまり俺もここで決めなければいけない。

 古泉に向かって走り出す。

 俺の中にある、僅かな記憶を頼りに。


――その瞬間起こった事は、正直わからない。目を瞑っていたからだ。

――目を閉じていてもわかるほどに強烈な光と、轟音が響いたのは覚えている。

――殴られるよりももっと痛い衝撃が全身を包んだ事も。


「……」

 あの時。

 古泉にカツアゲされ、自分の中にある電気能力に初めて目覚め、それでも追い詰められた時、俺は思わず目を瞑ったわけだが、目を開けた時にはすべてが終わっていた。

 それでも、俺が何かをしたのだというのだけはわかる。

 あの時はわからなかったが、今ならわかる。

 あの瞬間全身を包んだ「殴られるよりももっと痛い衝撃」の正体に、俺は今気付く。

「古泉ィッ!」

 俺は古泉に特攻していく。

「デンキヤロオォ!」

 叫び返してくる古泉の口の中に光の塊が見える。

 やるなら今しかない。

「行くぞォ!」

 俺は古泉の目の前で立ち止まると目を瞑り。

 身体を丸め。

「――フンッ!!」

 力の限り叫ぶ。

 だから正直、次の瞬間俺の身体に襲いかかった衝撃や空間を切り裂くような轟音が古泉の口から放たれた破壊光線によるものだと言われても信じたかもしれない。

 破壊光線のものでなければ、可能性は一つだ。

「……」

 俺はゆっくりと目を開ける。

 目を開けれたという事は破壊光線を食らわなかったって事で。

 俺の前には、焦げた古泉が倒れている。

 雷鳴とともに雨が降り出している。



 あの日。

 俺が古泉達にカツアゲされた日も、雨が降りそうな空模様であった。

 こういう天気でなければ、俺は巨大化した古泉はおろかあの日の孤威禁愚達にも勝てなかっただろう。

 それではなぜ、俺はあの日勝てたのか。

 なぜ、今巨大化した古泉を倒す事ができたのか。

「……」

 両手を見る。身体中から湯気が立っている。立っているのもやっとというのが正直なところだ。俺自身にもダメージがきている。

 痛む身体を押して古泉に近付く。尻を確かめる。

 古泉は、脱糞していた。

「……良かった」

 男の脱糞を見て安堵するのもおかしな話である。しかし、やはりあの技でなければ古泉を倒す事はできなかったであろう。

 あの技――雷攻撃でなければ。

「……」

 俺は昔から静電気体質である。静電気とは二つの物質の摩擦で引き起こされると言われている。俺は電気ポケマンなので、他の人よりも電気を惹き付けてしまうのだろう。

 雷も静電気と同じ原理で起こると言われている。雨雲と地上にいる物質が電気で繋がる瞬間。その時物質に迸る電気の量は、電気ショックや十万ボルトの比ではないだろう。

 俺はその雷を、意図的ではないにしろ自分の元に呼び寄せた。その結果孤威禁愚達をまとめて倒す事ができたのだ。あの時も目を瞑り身体を丸めていた。意図的に引き起こせるかはわからなかったので前回と同じ格好をしてみたが、うまくいって良かったと心から思う。

 俺は勝ったのだ。

 ポケマンになってから初めての勝利だ。

「……亜衣ちゃん」

 だが勝利の余韻に浸っている場合ではない。

「聖……火影……とらさん……蒼……かめる……みんな!」

 よたよたと歩きながら全員の名前を呼ぶ。古泉に破壊光線を撃たれてから消息が途絶えている。あの短時間で長い距離を走れるわけがないから、どこかに埋まっている可能性の方が高い。

 生き埋めにされているなら、正直俺には助ける自信がない。

「……みんな」

 その場に屁垂れ込む。雨が俺の顔や身体を打つ。頬を伝っているのが雨粒なのかはたまた別のものなのか、俺にはわからない。心にぽっかり穴が空いている感覚はある。

 亜衣以外とは、会って一ヶ月も経っていないような奴らだ。それでも俺にとってはかけがえのない人達であったんだろうと思う。何より俺の中に染み渡る絶望感がそれを物語っている。

 何より、亜衣。

 いつも俺の傍にいてくれた女の子。

 今はどこにもいない、女の子。

「……亜衣ちゃん!」

 煙が立ちこめる中、俺は涙を堪える事もせず、人目も憚らずに叫ぶ。

「亜衣ちゃん!」

「なあに?」

 亜衣の声がする。きっと幻聴だ。とうとう俺の頭もおかしくなってしまったのだ。俺もそっち側へ行くしかあるまい。

「どうしたんだよお前、なんで泣いてんの?」

 聖の声まで聞こえる。

 俺は気付く。

「そうか、俺も死んじまったんだな……」

「は?」

「良かった、俺一人が取り残される事はなかったんだ……!」

「頭どうかしちまったのか、こいつ?」

「長い戦いでしたから、きっと疲れているのでしょう。労わってあげるのがトレーナーの務めですよ」

「やだよ気持ち悪い」

「光宙、大丈夫?」

「よくわかんないけど、元気出すでヤンス」

「疲れてるなら眠り粉かけてあげようか?」

「光宙くん!」

 手を握られる。女の子の手。

 亜衣の手だ。

「……え?」

 その暖かな手の感触に驚き、俺は顔を上げる。


 そこには、亜衣も、聖も、火影も、とらも、蒼も、かめるもいた。


「……あれ?」

 あの世、というわけでもないらしかった。

 十数m先に瓦礫の山と化した廃工場が見える。今いるのはどうやら工場に隣接された小さな倉庫の中のようだった。こんなところがあの世であってたまるか。

 疑問は尽きない。

「……みんな、どうやってあの場から逃れたの?」

「こいつのおかげさ」

 聖がニヤリと笑って指差したのは、とらだった。

「こいつが進化して会得した技――テレポートのおかげなんだよ」

「……テレポート」

 念力にテレポート。どんどんとらが胡散臭くなっていく。

「だいたい数十mほどの距離までなら、数人一緒に瞬間移動させる事ができるみたいなの」

 とらが胸に手を当て微笑む。

「私、進化できて良かった。みんなを助けられて、本当に良かったわ」

「とらさん……」

 胡散臭い能力を身に付けようが、とらはとらだった。彼女のおかげでみんなの命は救われたのだ。また涙腺が緩みそうになる。

「光宙くん、なんで泣いてたの?」

 亜衣が直球の質問をぶつけてくる。

 まさかお前らの為に泣いてました、とは言えない。

「……古泉に勝ったのが嬉しくてさ」

「勝ったからって普通泣くか~?」

 ゲラゲラと笑う聖。ムカつくし恥ずかしいが真相はもっと恥ずかしいので黙る他ない。

「でも古泉を倒したんだな。よっしゃ、これでここには用はないぜ!」

「そうですね」蒼も頷き、「それでは私達はこれで」

 かめるを引き連れて、一足早く帰ろうとする。

「どこ行くんだよ。まさか濡美ジムか?」

 聖の問いかけに蒼が立ち止まる。確かにその可能性はあるかもしれないが、かめるを戦闘に使った直後でジム戦に挑む元気があるのだろうか。一度ポケマンセンターに寄るのが一番賢い選択なのではないだろうか。

 蒼は黙って、デニムパンツのポケットから何かを取り出す。

 蒼の手にあったのは――バッジだった。

「お、おまえそれは……」

 聖がたじろぐ。蒼が手にしていたバッジはひし形で、茶色く、ひし形の中央に「濡」の一文字が入っている。

 どこからどう見ても、それは濡美ジムのバッジであった。

「あなた方に呼ばれる前にサクッと勝ってきたんですよ」蒼はそれだけ説明すると、「それでは、私達は次の雛田ジムを目指しますので。これにて」

「みんな、さよならでヤンス!」

 雨が降る中、二人で倉庫から出て行った。

 残されたのは、あからさまにショックを受けている聖と、その他。

「……どうする、聖」

 微妙な雰囲気になってしまった中、しょうがなく俺が代表して尋ねる。

「今から濡美ジム行くか?」

「うぬぬ……!」

 聖は下唇を噛み締めこめかみに青筋を立てている。相当怒りゲージが溜まっている事が一目でわかる。これは今すぐ濡美ジムに殴り込みをかけそうな勢いだ。やれやれだぜ、と俺は思う。

 だが。

「……いや、濡美ジムには明日行く」

 予想外の返事が返ってきた。

「……いいのか?」

「だってお前ら、もうボロボロじゃん」

 確かにそうだ。さっきまで古泉と死闘を演じていた俺はもちろん、火影もとらも孤威禁愚達との戦いで疲弊している。今濡美ジムに殴り込みをかけても簡単に負けてしまうだろう。しかし彼女が疲労を考慮するとは思わなかった。

「言ったでしょ?」亜衣が耳打ちする。「聖ちゃんは、ホントは優しい子なんだって」

「……」

 少なくとも常識的な判断はできる奴だったらしい。別にアホだと思っていたわけではないが、それでも気を使ってくれただけ嬉しいかと言われれば、否定はできない。

「ほら、行くぞ!」

 聖が先頭切って歩き出す。

「まずはポケマンセンター行って体力を回復だ! その後明日の勝負に向けてミーティングだ、いいな!」

「おうっ」

 なぜか亜衣が返事をするが、俺や火影やとらも同じ気持ちだ。三人で笑い合って確かめる。

 今や俺達は一つのチームと言っても良かった。全員が同じ方向を向いている。どんな強敵が相手でも、チームワークで乗り越えられる気がする。

 最強、というよりは最高。

 最高のチームといっても、過言ではなかった。

「明日は絶対勝つぞ! えいえいっ」

「出合え出合えー!」

「おーっ!」

 聖の掛け声に合わせ、全員で拳を突き上げる。

 遠くから、俺達がさっきまでいた廃工場の方から誰かの声が聞こえた気がしたが、そんなのはどうでもいい事なのであった。



 そして翌日。

 俺達は絶望の中にいた。

「……くっ」

 立とうとするが、思ったように身体が動かない。せっかく昨日治療したのにあちこち傷だらけで意味がなくなっている。気を抜いたらすぐにでも意識を失ってしまいそうだ。

「光宙くんっ」

 観覧席から見守っている亜衣の悲痛な叫びが胸にくる。彼女の応援に応えてやりたいが、勝てる自信がない。

 火影ととらはこの場にいない。

 もうやられてしまったのだ。

「あと一手で終了をいったところだな」

 一番奥にいる男が、冷静に言い放つ。

 ボサボサ頭に細い目、面長の顔。上半身裸にジーパンという非常にワイルドな格好をしている。六つに割れる腹筋が見えるが別段そんなの見たくもない。

 この男こそが濡美ジムのリーダー、タケシマだ。

「どうする挑戦者よ。このまま最後まで戦うか? それとも、降参するか?」

 そして我らがトレーナー、聖はと言えば。

「……うぅ」

 泣いていた。

「うっ……ぐす……ひぅっ……ずずずっ」

 鼻水まで垂らして泣いていた。腕で拭いても拭いても、とめどなく涙が溢れてきている。聖の涙など初めて見るが泣き方はとても、小学生だった。

 既に敗北を認めたも同然だった。

「泣いても何も変わらんぞ」タケシマは容赦ない。「おとなしく降参しろ」

「ひっ……」

 聖が後退る。だが俺は彼女がそんな事をするとは思えなかった。聖ならば最後まで勝負を諦める事はないだろう。例え負けたとしても、倒れる時は前のめりに倒れようとするはずだ。

「ううっ……」

 聖と目が合う。弱々しい瞳の輝き。だがこの中に強さがある事を俺は知っている。俺はまだ戦える。火影もとらも気絶するまで戦った。気絶した後どうなったかは以前大鬼怒博士が説明したとおりだが俺は口には出さない。それは勝手に想像してほしい。とにかく二人が最後まで戦ったのに、俺が諦める道理はない。

 きっと聖も同じ気持ちなはずだ。

 だって俺達は、最高の


「――うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんッ!!」


 聖はそう泣き喚きながら。

 俺に背を向け、逃げた。

「……え?」

 俺を残して、濡美ジムからいなくなった。

 俺のマンスターボールも置き去りにしたまま。

「ヌハハ光宙よ、野良ポケマンになっちまったなァー!?」

 呆然としている俺に、後ろから声がかかる。

 以前聞いた事がある声。

 さっきまで一方的に俺達を叩きのめしていた奴の声。

 俺の電気技がまったく効かなかった男。

「……」

 振り返るとそこには、岩のような大男がいた。

 背がやたらデカくて潰れた学生帽を被っていて筋肉隆々で岩みたいな顔をしている男。

 俺がポケマンになる前に会った事がある男。

 タケシマのポケマンというこの男は、名を、岩瀬久男といった。


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