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ポケットマンスター  作者: キヨタカ
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第一章 ポケマン!きみにきめた!

 子供の頃から静電気体質だ。

「……いてっ」

 夏なのにドアノブに触れて静電気を起こすのは世界広しといえど俺ぐらいなものだろう。前触れもなくバチッとくる感覚が昔から嫌いだ。ドアノブに限らず、手すりや下敷き、誰かと触れた時にも静電気が俺をイラつかせにくる。毎日寝癖が酷い事になるのもきっと静電気のせいだ。

「静電気体質の人は不健康なんだって」

 毎日一緒に登校している中野亜衣は幼なじみで、唯一の女友達でもある。亜麻色の髪をツインテールにして、結い目を小さくお団子にしているのが特徴といえば特徴である。子供の頃から一緒にいる俺から見ても彼女は可愛く、また胸も子供の頃から一緒にいてもわかるほどに小さい。

 亜衣は隣を歩きながら俺の顔を覗くように見て、

「静電気体質の人ってね、肩こりとか冷え性とか、腰痛になってる人が多いんだって。光宙くんはそんな事ない?」

「ない……と思う」

 肩こりに悩まされる中学二年生なんて嫌だ。

 だが我が音島家は両親ともに腰痛を患っている。それに親父が肩こりでお袋は冷え性だ。俺もそのDNAを受け継いでるのではあるまいかと不安になる。

「心配しないで!」

 亜衣が俺の手を握ってくる。またもバチッとくるが彼女は顔を少ししかめただけで離さず、

「わたし、光宙くんが肩こりでも冷え性でも腰痛でも問題ないから! なんなら一緒に肩こりになってあげるからね!」

「ありがとう……?」

 亜衣の優しさは的外れな事が多い。優しいのには変わりないので、彼女は周囲からも好かれている。

 俺は度々周囲に嫌われる。

「おいテメェかー!? 俺の舎弟をやっつけてくれたのはヨォー!?」

「……」

 校門前で怖い人に絡まれる。背がやたらデカくて潰れた学生帽を被っていて筋肉隆々で岩みたいな顔をしているが指定のブレザーを着ているからこの人も俺と同じ中学生なのだろうなと思う。

「舎弟を痛めつけてくれたお礼、たっぷりさせてもらおうかァー!?」

 指をボキボキ鳴らしながら顔を至近距離まで近付けてくる。怖いし息が臭い。

「み、光宙くんっ」

 亜衣が俺の背中にしがみつく。頼ってくれるのは嬉しいのだがこれでは俺が逃げられない。

「あのう……舎弟って、この前の?」

 数日前にも似たような人に絡まれた覚えがある。こんな事になるのならあの時逃げていればよかったかもしれない。

「フハハ覚えているか、なら話は早いじゃねえか。さあ今ここで決着を着けようじゃねえかァー!?」

「……亜衣ちゃん、下がってて」

 覚悟を決めねばならないらしい。

「簡単にやれると思うなよ」

 軽く屈伸運動をし拳を構える。校庭の前という事もあって登校する生徒達からの視線が俺達に集まる。亜衣も心配そうな眼差しで俺を見ている。ここで負ければ恥ずかしい。もちろん勝算なんてないんだが。

 静電気体質の俺には一つだけ、その体質を活かした特技がある。

「おまえの舎弟とやらみたいに恥かかせてやる」

「フハハ言うじゃねえかァー!?」

 男が俺の二倍もありそうな大きい拳を振り下ろす。周囲から声が上がる。今は拳に集中しているので見えないが亜衣は暴力的な事が苦手だし、思わず手で顔を隠しているかもしれない。俺も殴られるかもしれないという少し先の未来が怖いしできればこのまま逃げ出したいが、ここまできてしまった以上逃げても逃れられるわけではないだろう。

 それに、避けられないわけではない。

「なにィー!?」

 男が拳を振り下ろした時、俺は男の真横にいる。驚くのも無理はない。普通なら拳を振り下ろすまでの一~一・五秒ほどの間に身体ごと避けるなんてできない。俺も普通の人間なつもりだけど、なぜだかできる。小さな頃からできる。

 これが特技というわけではない。

「小癪な真似をしやがってェー!?」

 男が俺を岩のような顔で睨みつける。ここから再び俺をぶん殴れるまで数秒はかかる。

 ここが勝負どころだ。

「語尾吊り上げるのいい加減やめろ!」

 右拳を握り締め、力を込める。するとすぐに、

 バチッ。

 静電気が起こる。

 バチッ。バチッ。

 すぐに、静電気ではなくなる。

 バチチチチチッ。

「食らいやがれっ!」

 俺はそれを、いくつもの青白い電気の線を身に纏った右拳を、男の腹に叩き込む。



 昔から、子供の頃から俺はよく人に喧嘩を売られる事が多かった。

 子供の頃などは変態的な大人に連れ去られかけた事もあったし、小学校に上がってからも、老若男女問わず定期的に俺の前に立ちはだかった。喧嘩を売ってくる人もなんだか風変わりで、虫取りアミを持った少年や高校生くらいの女の人、紳士風の老人などなど、普通に生活していればおよそ喧嘩しないであろう人達から、戦いを挑まれそうになる事があった。その度戦いになる前に逃げてきたからか、変に素早く動けるようになったのだと思う。

 だから、見るからに不良っぽい男達に絡まれるのは、俺の中では珍しい事だった。今にも雨が降り出しそうだった放課後の日の事だ。

 今思い返せば、こいつらが駅前で朝に絡まれた男の舎弟だったのだろう。その男らにカツアゲされそうになった時、俺は彼らを倒すつもりも倒せる自信もなかった。喧嘩はしないよう避けてきた人生だったし、得意の逃げ足も数人に囲まれてはまったく使い物にならない。

「おらさっさと金出せェー?」

 路地裏に連れて行かれ一発ぶん殴られた時は、さっさと全額彼らに渡して事なきを得るつもりでいた。なけなしのお小遣い。生きる為には仕方がない。とはいえみすみす渡したくもないので、硬貨を握る手に力もこもる。強く握っていてもどうせ渡さねばならないのだけれど。

 それが、である。

「ギャッ」

 舎弟のうちの一人が急に声を上げた。俺が握っていた硬貨をむしり取ろうとした時だ。俺の手から一瞬、小さな小さな雷のようなものが現れ、硬貨を通り、硬貨を取ろうとした男に伝線した。男はビックリしたように手を離し、それから俺が何かをやったのだろうとばかりに睨みつけ、

「野郎!」

 殴りつけてくる。

「うわっ」

 反射的に避ける。硬貨を握り締めたまま。

 この握り締めるという行為。拳に力を込めるという行為が俺を助けた。俺は今まで静電気体質には悩まされてきたが、今回ほど派手に静電気が発生する事などなかった。そもそも今のは静電気なのか? と避けながら思っていた。だから、

「ちょ、ちょっと待って!」

 男を遠ざける為に拳を出したのも意図があっての事ではないし、その手がたまたま男の胸に当たった瞬間起こった事もまったくの偶然であった。


 まるでスタンガンのように瞬間的に、電気の筋が拳を包み込んだ。


「てめえ……今なにやった」

 そう聞いたのは俺を殴りつけようとした男ではなかった。俺のスタンガン拳(仮)を胸に受けた男は今、目の前で痙攣しながら倒れている。てか臭い。おいおい脱糞してんじゃねえかふざけんな。

「……」

 なにをやったかと言えば自分でもわからない。拳にはまだ幾つもの電気の線がまとわりついている。いったいこれをどうやって出したのか。どうやったら消えるのか。何かの病気なのか。今すぐ病院に行った方がいいのか。病院行くにしてもその前に一人倒したところでまだ何人もいる不良達を倒せるのか。俺にはさっぱりわからない。

「全員でやっちまえ!」

 漫画などで見るお決まりのセリフで本当に全員で詰め寄ってくる。漫画ならここで逆に全員やっつけてしまうのだろうが俺には無理無理無理。いかに右手がスタンガンみたいになっていようと無理なものは無理だ。俺は壁際に追い詰められる。一人二人倒せても最終的にはボコボコにされて終わるだろう。雨雫が頬を打つがこれは俺の涙も等しい。

「覚悟しろよ、電気野郎」

「……」

 男の言うとおり俺は覚悟を決め、せめて少しでも痛くないように目を瞑って身体を丸めた。亀の体勢になれば多少は防御できると漫画で読んだからだ。

 そして俺は殴られ、所持金を奪われ、丸裸にされ、無様に雨に打たれるはずだった。

 だがそうはならなかった。

「……あれ?」

 その瞬間起こった事は、正直わからない。目を瞑っていたからだ。

 目を閉じていてもわかるほどに強烈な光と、轟音が響いたのは覚えている。

 殴られるよりももっと痛い衝撃が全身を包んだ事も。

 それでも俺が立っていられる事。

 右手の電気がいつの間にか消えている事。

 周りに、ほんの数秒前まで俺を殴ろうとした男達が全員倒れている事。

 全員焦げ臭い匂いを発しながら、泡を吹いて倒れている事。

 全員脱糞している事。

「……なんだこれ」

 俺に理解できるのは目の前に広がる光景くらいなものだった。



「……」

 目を開けた時視界に入ってきたのは街の路地裏、ではなく白い天井。そして、

「光宙くん」

 俺の顔を覗き込む亜衣だった。

「……亜衣ちゃん」

「よかった~、もう起きないんじゃないかって思っちゃったよ~」

 ホッとしたように胸を撫で下ろし、えへへと笑う亜衣。それを見て、俺はだんだんと思い出し始める。

 朝、校門前で岩のような大男に絡まれた事。

 やるしかないと思いスタンガン拳(仮)を男の腹にお見舞いした事。

 電気に包まれた拳は確かに男の腹にめり込んだ。数日前のように、食らえば感電し気絶するはずだと思った。肉体は一瞬で電気を通す。それはこの男とて例外ではないはずだ。

 しかし。

 ――効かねえなあ

 男がスタンガン拳(仮)を受けながらニヤリと笑った事。

 お返しとばかりに丸太のような太い腕で俺の顔を殴ってきた事。

 その瞬間目の前が真っ暗になった事。

 そこまでは覚えている。

「光宙くん、交通事故みたいにびょーんって飛んだの。すごかったんだから」

 つまり俺は負けたのだ。

 スタンガン拳(仮)は最強の武器だと思っていたが、どうやら違うらしい。

「……今、何時?」

 時間を聞けば、もう四時を回っているという。放課後じゃないか。俺は朝から一日中寝ていたのか。損したような、授業をサボれて得したような複雑な気分。

 頬はまだジンジンと痛む。

「あの男、俺をやっつけた後何か言ってた?」

 身体を起こす。もしかしたらまたやってくるかもしれない。舎弟とやらを引き連れて、集団リンチでもされたら敵わない。俺だけならまだいいが、そこに亜衣もいると危険だ。

「またぶん殴りにくるとか、さ」

 亜衣は首を振る。

「そんなことは言ってなかったよ。でも、もうこの件はこれで終わりって言ってた。先に手を出した舎弟は後で俺がシメとくから、って」

 やだなにそれかっこいい。俺を殴らなかったらもっとかっこよかったんだけど。

「……帰るか」

「うんっ」

 とりあえずは良かった。

 俺の日常は平和なままだ。静電気体質で苦労するくらいで、何の不幸も背負っちゃいないし厄介事にも巻き込まれない。今朝のが厄介事といえばそうだが。

 両親健康。友達は良い奴ばかり。亜衣もいる。

 毎日学校へ行って勉強をし、友達と遊び、亜衣と帰る日々。

 刺激がないといえばないが、まあ手から電気が出せるみたいだしそれくらいでいい。それ以上の非日常は望まない。身分不相応。一介の中学生には荷が重過ぎるってものだ。

 俺はこれからもこうして生きていく。

「そうだよな、亜衣ちゃん」

「なんの話?」

 夕暮れの街を、二人肩を並べ歩いていく。



「おいおまえ」

 幼く甲高い声が突如聞こえてきた。

 女の子の声だ。

「……俺?」

 振り向いてみると、すぐ傍に小学中学年くらいと思しき小さな女児が腕を組み立っていた。ツンツンした黒髪に野球帽、露出度の高いシャツに半袖パーカー、ホットパンツという、ボーイッシュな格好。

「可愛いっ」

 亜衣が横で瞳をキラキラさせる。確かに可愛いが女の子らしくはない。

「光宙くんのお知り合い?」

「いや……」

 見覚えのない子供だ。

「あたしの名前は赤田聖」俺を睨みつけながら、子供が言う。「ポケマンマスターを目指している者だ」

「……」

 聞きなれぬ単語だ。

「違うよぉ~、ポケマンじゃなくてポケモ」

「ポケマンだッ!」

 愛の言葉を大声で遮る赤田聖という少女。俺からすればマでもモでもどっちだっていい。

「それで、ポケマンマスターさんが俺達に何の用だよ」

 小学生はすぐに自分の設定を作りたがる生き物だ。ヒーローごっこや怪獣ごっこなどはどの世代の人間でも一度は遊んだ事があるのではないだろうか。それは子供がアニメや特撮やゲームの世界に影響を受けてしまうからで、自分もああなりたいという感情が素直にそのまま表へ出る。それが今目の前にいる赤田聖なのかもしれない。

 年上の役目はそれを否定する事ではなく、乗ってあげる事。

「俺は何をすればいい? 少しの間なら遊んでやれるぞ」

「遊び? いいや戦いだ」

 遊びでも戦いでもどっちだっていい。

 赤田聖が腰の辺りから何かを取り出す。野球ボールほどの球体。上半分が白、下半分が赤と色が分かれていて、真ん中には星型のボタンのようなものもある。

「音島光宙」

 なぜか俺の名前を知っている。

「おまえを二十五番目のポケマンと認定し、あたしのポケマンにする!」

「それって、愛の告白?」

 亜衣がおそらく見当違いであろう事を言っている。

「なあ聖……ちゃん、それってどういう」

 俺の話も、亜衣の話も聞いちゃいない。聖はボールのボタンを押し、大きく振りかぶった後投げながら、

「火影! きみに決めた!」

 球体を手前に叩きつけ。

 直後球体から煙が広がり。

 そして。


 球体の中から女の子が出現した。


 文字通りの意味である。

「……は?」

 目の前で起こった非現実的な光景に、俺は間の抜けた声を出すのが精一杯だった。ボールが地面に着いた瞬間、白と赤がパッカリと割れ、そこから白い煙とともに俺達と同い年くらいの女の子が出てきた。普通に考えれば野球ボールの大きさに人間が入れるわけがない。それに女の子も、見たところ普通じゃない部分がある。

 聖が火影と呼んだその女の子は、息を呑むほどの美貌の持ち主だった。切れ長の瞳、小さな鼻と艶の良い唇。可愛い系の亜衣のような子供っぽさはなく、胸もパッと見てわかるほど大きい。腰も細く、赤いブーツから見える脚も健康的に細く引き締まっている。ブーツと同様に、服装は全体的に明るい。オレンジのノースリーブに緋色のミニスカート。燃えるように赤く、

長い髪をポニーテールに結わっていて。

 そのポニーテールの先端が、本当の意味で燃えている。

「あのう……」

「何」

 思わず声をかけると、火影は無機質な声音で端的に言葉を発する。あまりに美人すぎて見られただけで気圧されてしまう。

「髪……燃えてるけど」

「大丈夫」

 何が大丈夫なものか。拳ほどの火が髪の毛の先端を燃やしているのに。その割りには焦げ臭い匂いなどしないが。

 一向に髪の毛を燃やし尽くす気配もないが。

「火影は炎タイプだからな」聖がよくわからない事を言う。「逆に火が消えた方が危ないんだよ」

「じゃあ私は!? 私は何タイプ!?」

 亜衣がただでさえ高いテンションを更に高くするから少しウザい。

「音島光宙」

 聖は亜衣を無視し、

「おまえは、電気タイプだ。そうだろ?」

「……そうだろと言われても」

 困惑すると同時に、嫌な予感もし始めていた。

 不良達に囲まれた時の事を思い出す。あの時拳から電流的な何かが出なければ、俺はきっとボコボコにされていた。電気が出せる人間だから、俺も普通じゃないと言えばない。髪に火を付けている火影を笑えない。

 火影が一歩前に出る。

「さあ、戦闘開始するぜ!」

 聖がそう言って不敵に笑う。

 喧嘩を売られまくった人生の中でも、こんな喧嘩の売られ方は初めてだ。

「わぁ~、なんだか本当にポケモ」

「亜衣ちゃん、下がってて」

 夕暮れの住宅街で、俺は今会ったばかりの美少女と対峙する。まだこの状況を受け入れてはいないが、それでも聖がさっき言ったように、遊びではなく戦いらしい。

「……」

 妙な事になってしまった。だが女の子と舐めていれば、俺はたちどころにやられてしまうだろう。俺がスタンガン拳(仮)を使えるなら、彼女もきっと凄い技を繰り出してくるはずだ。俺は身構える。

 緊張感が高まる。

 そして、聖が高らかに火影へ命令する。


「火影――引っ掻け!」


 引っ掻く。

 野良猫なんかと遊んでいると、たまに引っ掻かれてしまう事がある。人間相手にはまずされた事がない。引っ掻くより殴られたり蹴られる方が何倍も痛みを与えられるからだ。

 だからと言って油断しなかったのは、単純に油断する余裕もなかったから。

「うわッ」

 聖の命令と同時に火影がこちらへと走ってきた。手のひらを見せ、獣のように指を折り曲げている。走るスピードが意外にも速く、数m離れていたのに一瞬のうちに距離を詰められ、俺は避ける事しかできなかった。

 火影の手が、俺の頬を掠める。

 痛みが襲ってきたのは次の瞬間からだった。

「……」

 尻餅をついてしまっている事に気付く。引っ掻かれた頬が異常に熱く感じ、触ってみると痛みに加えぬめっとした感触が。

 頬に触れた手のひらを見ると、案の定そこには血が付着していた。

「今のを避けるとはなかなかやるな、音島光宙」

 聖はとても楽しそうである。最近の小学生は恐ろしい。親がどんな教育をしてきたのか気になるが今はそれどころではない。

 火影は黙って俺を見下ろしている。聖の命令がなければ攻撃を下す気はないらしい。

“ポケマンマスターを目指している者”などと自称した聖、そして聖の“ポケマン”の火影。

 彼女達は一体何者なのか、気になるところだが。

「火影! もう一度引っ掻くだ!」

「わかった」

 今はそれどころではない。

「ちょ、ちょっとタンマ!」

 そんな事を言ったところでやめてくれるはずもない。火影は今度は両手で、俺の身体を切り裂かんとばかりに攻撃を繰り出してくる。呑気に尻餅を付いている場合でもなく、俺は後ろに飛びながらなんとか彼女の攻撃を交わし続けるしかない。

「反撃しないの」

 俺を引っ掻こうとしながら火影がボソリと。

「捕まるよ」

「……」

 捕まったらどうなるのだろう。

 先程、火影はボールの中から現れた。彼女はあそこに閉じ込められていたのだろうか。聖に命令されているという事は対等な関係ではないという事だろう。歳は明らかに火影の方が上に見えるが、立場は聖が上。

 俺も、捕まればそうなってしまうのか。

「イテッ」

 痛みを感じたのは引っ掻かれたからではない。後ろへ逃げているうちに、壁にぶち当たり逃げ場がなくなってしまったのだ。

 万事休す。

「火影、一気に決めろ! 火の粉を出せ!」

「了解」

 火影は無表情で頷く。暮れなずむ街にポニーテールの炎が爛々と燃えている。

 もう左右どちらへ逃げても火影の攻撃は避けられないだろう。火の粉と言うからにはやはり熱いのだろうか。人体にどれほどのダメージを与えるのかわからない。だが俺は今、底知れぬ恐怖を感じている……。

 俺は観念して目を瞑る。どうせやられるなら潔く負けた方がいいと思ったからだ。

 しかし。

「おいツインテ! 邪魔すんなー!」

 聖の甲高い怒鳴り声が聞こえてきた。俺の目の前に誰かいる気配がする。

 目を開けると、亜衣の背中が見えた。

 両手を広げ、俺を守るようにして立っている。

「亜衣ちゃん……」

「なにやってんだこのメス豚! 丸焼きにしちまうぞ!」

 聖が目を吊り上げ地団駄を踏んで怒りを表現している。小学生っぽいが女の子っぽくはない。火影は亜衣を見てボーっとしている。火の粉攻撃を繰り出してくる様子はない。

 亜衣が叫ぶ。

「もう守られているだけじゃイヤなの!」

「……言うほど守った事もないけど」

 朝とかは守ったうちに入るのだろうか。

 亜衣が叫ぶ。

「一度こういう事やってみたかったの!」

「……」

 それはもうそうですかとしか言えないが、亜衣が庇ってくれた事によって大きなチャンスが生まれたのは確かだ。それに、少し気になる事もある。

 俺は亜衣の手を取る。

「逃げよう」

「うんっ」

 亜衣がすべてを理解しているような笑顔を見せる。

「あっコラ! 待て!」

 聖が何か言っているが構わず逃げる。逃げ足だけは自信がある。電光石火のごとき速さで道を駆け抜け、俺は得体の知れぬ小学生と髪に火をつけた少女から逃れた。三十六計逃げるに如かずとはまさにこの事。

 だが、これですべてが終わったわけではないということくらいは俺でもわかっている。



「光宙くん、なにやってるの?」

 日曜日。俺と亜衣は家の近くにある花小金井公園という場所に来ていた。子供達が遊べるフィールドアスレチックからスポーツ広場、サイクリングロード、花見までできるなんでもありの大きな公園だ。

 聖と火影に襲われてから五日、俺はここに毎日通い詰めている。

 そして、俺が今何をやっているかというと。

「フンッ……フンッ……!」

 木々に囲まれた野原の中を、うさぎ跳びで飛び回っている。

 車のタイヤを紐で巻きつけ、腰に縛りつけながら。

「光宙くん、なにやってるの?」

 俺が答えないので、というよりは答える余裕がないので、亜衣には俺が何をしているのかさっぱりわからないらしい。女の子には理解できないであろう。簡単にわかってもらっちゃ困る。

 他にも亜衣が理解できない事をいろいろやる。

「フンッ……フンッ……!」

 上半身裸になり、片手で腕立て伏せをする。

「フンッ……フンッ……!」

 俺の身長の二倍ほどはある丸太を担いで走る。

「フンッ……フンッ……!」

 滝に打たれる。

「フンッ……フンッ……!」

 猪と格闘する。

「光宙くん、なにやってるの?」

 正午を過ぎる頃にはすっかり疲れ果ててしまい、俺は野原に寝転んだ。息が上がっている。身体中汗まみれだ。

「もしかしてだけど、」青空を見上げている俺を真上から覗き込んだ亜衣が、「これって特訓?」

 そのとおり。

 俺はこの五日間、毎日ここ常盤公園で特訓する毎日を送っている。

「なるほど~」亜衣が合点行ったように頷き、「だから学校にも来なかったんだ。電話しても返事がないから心配しちゃったよ。入院してるんじゃなかって」

「……ゴメン」

 あの技をモノにするまで、亜衣にも知らせたくなかったのだ。

「でもなんで特訓してるの?」

「それは……」

 五日前の記憶が蘇る。

 俺達の前に突如現れた二人の少女。実際に対戦したのは火影だけだったが、彼女は聖の命令で俺を本気で倒そうとしてきた。

 倒されたら、よくわからんが俺はポケマンになってしまうらしい。

「ポケマンって、なんなのかな?」

「さあ……」

 それすらわからないわけだが、俺には火影が聖の奴隷のように見えた。捕まられれば俺もそうなってしまう可能性がある。

 そんなのは嫌だ。

「だから、そうならない為に特訓をしてたんだよ」

「なるほどね~」

 亜衣は得心行ったというふうに頷くが、俺からすればただ身体を鍛えただけで太刀打ちできる相手なのかどうかわからないというのが本音である。

 相手は女の子だが、ポケマンだ。

 彼女も何かできるに違いない。

 だから俺も五日間、ただただ何の理由もなく身体を鍛え続けていたわけではないのだ。

「亜衣ちゃん、ちょっと来て」

 亜衣を連れて、俺は公園にある一番幹の太い大木の前までやってくる。俺の身体三つは入りそうなほどに分厚い。

「今からこの木を折ってみせる」

「できるの?」

 普通の人間ならできないだろう。

「できる」敢えて断言する。「危ないから亜衣ちゃんは少し離れて見てて」

 拳を握り、力を込める。まだまだ細い腕。身体だって部活している中学生達にすら敵わないかもしれない。だが俺は身体を太くしたいわけではない。俺は強化したかっただけなのだ。

 ほどなく、拳の周りに電気が迸る。五日前はそれで精一杯だった。

 だがそれは過去の話。

「フンッ!」

 一層、力を込める。

 それを見た亜衣が驚きの声を上げる。

「み、光宙くんの手が……!」


 俺の拳は、まるでグローブのように電気に丸く包まれていた。


「これが俺の会得した力だッ!」

 俺はそのスタンガン拳改(仮)を、大木の幹に全力でぶつける。普通のパンチならば皮一枚めくれないであろう大木が、電気に削り取られるようにして少しずつ中への侵入を許していく。俺はためらう事なく木の中に拳を入れ続け、限界まできたところで、

「フンッ!!」

 一気に振り抜いた。

「フンッ……」

 そして身体を半回転させ、振り向きもせず亜衣のところで歩いていく。背後から轟音が響き、地面に重く大きな物体が落ちる音がするが気にはしない。

 亜衣は目をまん丸にし、口を半開いて驚きを表している。

「しゅ、しゅごい……」

 驚きすぎてろれつが回ってないみたいだがそれも気にしないであげる。

「これだけ鍛えれば俺はもう誰にも負けない」俺は強くなりすぎてしまった。「もちろん火影にだって絶対負けないよ、亜衣ちゃん」

「そいつはどうかな!」

 そう言ったのはもちろん亜衣ではない。

「……聖か」

 振り返れば、聖がいつの間にかそこにいた。木に寄りかかり腕組みをしながらこちらをニヤニヤと見ている。小学生だからか余計生意気に見える。

「多少は強くなったみたいだな」

 聖一人だけで、五日前と同じように火影はまだ姿を見せない。

「まだ俺を捕まえる気なのか?」

「もちろん!」

 聖は気から離れ、一歩近付いてくる。

「あたしの目的はポケマンマスターになること。その為にはポケマン一五一種類を全員ゲットしなきゃならない。一人たりとも逃すわけにはいかないんだ!」

 一五一種類。

 そんなにあるのか、ポケマン。

「悪いが俺はおまえのポケマンとやらになる気はないぞ」既に戦闘モードに入っている。「返り討ちにしてやるから、さっさと火影を呼び出せよ」

「その強気、いつまで保つかな」

 聖が腰からボールを取り出す。あの時と同じ、上が白で下が赤の球体。

 そのボールを、やはりあの時と同じように全力で投げる。

「火影! 君に決めた!」

 ボールが地面に当たると、やはり煙が出てきて……。

「……呼んだ?」

 煙の中から火影が出てくる。五日前と違うところといえば火影の服装くらいだ。

「亜衣ちゃん」

 下がっててと言う前に亜衣は移動している。察しが良くて助かる。

 俺と火影、お互いに距離を取りながら対峙する。木々に囲まれた中で俺達以外誰もいない。戦うにはもってこいの場所だ。

 それに、俺にとっては都合が良い。

「今日は俺からいかせてもらうぜ」

 そう言って、拳に力を込める。慣れたもので見る間に拳の周りに電気が渦巻いていく。

「ほう」

 火影が感心したような声を出す。表情は相変らずだが。

 これから感心もできないほど速く終わらせてやる。

「いくぞっ!」

 駆け出す。電光石火の早業で一気に距離を詰める。火影はなぜか動かず俺の攻撃を待っているように見える。余裕の表れか、それとも動けないだけなのか。

 どちらでも同じだ。

 火影の胸めがけ、俺はスタンガン拳改(仮)を叩き込む!

「フンッ!!」

「火影!」

 声を上げたのは聖だけで、火影は何も言わない。言えないのかもしれない。スタンガン拳改(仮)を防御するでもなく胸に受けた彼女はそのままうしろへ吹っ飛び、背中から幹にぶち当たったからだ。ズルズルと倒れ込む。

「……」

 罪悪感がないわけでもない。

 女に対して暴力を振るいたいわけでもない。

 だが、これは戦いなのだ。

「戦いとは、残酷なものさ……」

 クールに呟き、俺は身体を反転させ亜衣のもとへいく。亜衣はこちらへ近寄ってこない。俺を指差しながら何か言っている。あれ、もしかして嫌われた? 女を殴ったから? などとも思ったがどうやらそうではないらしく、亜衣の声が脳に届く。

「光宙くんうしろうしろー!」

 うしろ。

 と言われたが俺が振り向く事はなかった。

 振り向けなかったと言った方が正しい。

 背中に衝撃が走り、俺は成す術もなく死んだ蛙のようにうつ伏せに突っ伏した。

「……」

 不恰好な体勢のまま見上げてみると、そこには先程倒したはずの火影が俺を見下ろしている。胸のあたりが破けていてたわわな乳房の一部が露わになってはいるけれども、胸の辺りが少し黒くなっているけれども外傷は見当たらない。おかしい。大木でさえ倒してみせたのに。

「それはな、これがポケマン同士の戦いだからだ」

 聖が得意気に、

「ポケマンは一方に限界が来るまで戦い続けられるんだよ。ダメージはもちろんあるが、限界が来るまでは立っていられるんだ」

「……なんだそりゃ」

 立ち上がる。胸にスタンガン並みの電流を流しても失神しないとか、ムチャクチャにも程がある。ポケマンって本当なんなんだろうと思う。こんな世界があるなんて思わなかったし、知りたくもなかった。

 聖が一歩前に出る。

「今度はこっちからいくぜ! 火影、火の粉攻撃!」

「了解」

 聖の命令に呼応するかのように、火影のツインテールの先で燃えている炎が一気に火力を増す。ボウッという音がしたかと思えば、瞬く間に大きくなっていく。それでいて髪の毛は燃えないところを見るとやっぱ人間じゃないのかなって感じる。

 冷静に観察している場合ではない。

「手加減はできない」

 そう言うと、火影は身体を覆いつくさんばかりに大きくなった炎を身体の回転を使ってこちらへと振るう。咄嗟に顔をガードするが間に合わない。

「覇ッ!」


 炎から飛び出した火の塊が俺に襲い掛かる!


「……熱ッ!」

 いくつもの火の塊が俺にぶつかる。熱さというよりも痛みを感じる。タバコを押し付けられたときってこんな感覚なのかなって思う。多分それの何倍も今は痛い。火傷してしまいそうだ。たまらず俺はその場から逃げ出す。

「追え火影!」

 木々に炎が燃え移っていないのが奇跡だ。それともポケマンの出す炎は他の物には影響を与えないのだろうか。それはわからないし今は考えられないのでとにかく逃げる。もちろん逃げているだけでは勝てない。

「……フンッ!」

 傍にあった木をスタンガン拳改(仮)でぶん殴る。細い木だったので一撃でへし折れ、折れた木は俺を追っている火影の方へと倒れていく。

「甘い」

 だが火影も慣れたもので、ひょいと避けるとその木に足を乗せて跳躍。空を飛びながら長いポニーテールを振りかざし、炎の塊を降らせてきた。

 避ける暇もないので、

「フンッ!」

 スタンガン拳改(仮)で炎の塊を殴り消す。熱くてたまらないがうまくいく。

「なかなかやる」

 火影が着地し、俺達は再び向かい合う。

「……一つ聞きたい」

「なに」

 まだ聖も追いついていない。火影一人の状況ならこの質問もできる。

「キミは聖の命令のまま動いているが、それはキミが望んでやっている事なのか? なぜ戦い合わねばならない。キミは何か弱みでも握られているのか?」

 ポケマンとはそういうもの、という答えが返ってくるような気もするが聞いておきたかった。理由もなく戦うなんて正気の沙汰ではない。例え聖に目的があったとしても、それは火影とはなんの関係もない事だろう。

 なぜ火影は聖の言いなりになっているのか?

「それは……」

 火影が言いよどむ。豊満な胸に手を当て、目を瞑る。

 やはり、彼女も本心では戦いたくないのだろうか。

「……」

 彼女も可愛そうな立場である。戦闘兵器として扱われ、初めて会った人間と戦わせられる。彼女が何も思ってないわけはない。きっと苦しんでいるのだろう。枕を濡らした夜もあったに違いない。

「私は……」

 火影が何かを言いかける。瞳が潤んでいるようにも見える。儚げなその姿に思わず彼女に近寄る。何か理由があるなら話してほしい。協力できる事ならする。ポケマンというわけのわからない存在同士、力になってやりたいという気持ちがあった。

 そして、彼女がとうとう口を開く。

「私は、聖の」


「火影! 大文字攻撃だ!」


 聖の声が響き渡る。俺も火影もハッとして顔をそちらに向ける。俺はまだ聖の言葉の意味を脳みそで処理しきれていない。今なんと言った? 大文字? 大文字ってなんだっけ。火に関係していた気がする。攻撃って事は攻撃なのだろう。大文字攻撃。ふむ。

 逃げないと。

 そう思った時には火影が目の前で手を広げていた。

 至近距離だった。

「――覇ッ!」

 その瞬間、火影の手から人間と同じ大きさの『大』の字の形をした炎が噴出し、そのまま俺に直撃した。

 決着の瞬間だった。



 そこから先の事はよく覚えていない。

――光宙くん!

 亜衣が俺に駆け寄ってきたのは覚えている。

――光宙

 火影が俺の名を呟いたような気がする。

――ポケマン、ゲットだぜ!

 聖が元気良くそう言いながら、上が白で下が赤のボールを投げてきた事。

 それが俺の腹に当たったところ。

 まではなんとなく覚えているのだが。

「……」

 俺は今仰向けに寝転びながら、自分の部屋の天井を見上げている。

「……あれ」

 起き上がる。そこにはもちろん亜衣も火影も聖もいない。

 ベッドと学習机と本棚とテレビがあるだけだ。

 時計を見る。火影と戦っていた時と同じ時間。

「……なんだこれ」

 夢だったのか? とも思うが、すぐに違うとわかる。

 なぜなら、俺の服がまるで炎にあぶられたように、真っ黒に焦げているからだ。

 それとしばらく経ってから気付いたが脱糞もしていた。


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