第9話 ゴブリン退治(4)
ブレード・ストリング・スパイダーのテリトリーを迂回しつつ、森の中をしばらく進むと、やがて視界の先に、木々の途切れた明るい一帯が見えてきた。
サヴィアが先行し、森の木の陰から注意深く先を見渡し、危険がなさそうと判断すると、後続の5人に手招きする。
一行が歩み出たそこは、その一帯だけ木々が途切れ、うららかな日の光が降り注ぐ、川のほとりだった。
右手前方10mほどの位置に、清涼感のあるせせらぎの音とともに、幅5mほどの水が流れている。
その周辺の地面は砂利になっていて、ちょうど一行が立っているあたりの足元が、森の草地との境であった。
そして左手側を見ると、砂利地帯の先に高々と切り立った崖があり、その崖の最下部に、ぽっかりと洞穴が開いていた。
馬車をすっぽり収納できるぐらいの大きさの天然の洞窟で、奥の方は暗くなっていて、見通すことはできなかった。
「さてと……こっからどうするかね。見張りはいないみたいだけど」
サヴィアがそう言いつつ、無造作そうに見える足取りで、洞窟へと向かってゆく。
だが砂利地帯の上を歩いているというのに、まったく足音が響かない。熟練の隠密による歩法である。
そしてフラッと洞窟の入り口前まで辿り着くと、軽く中を覗いたり、耳を澄ませたり、入り口付近を観察したりして、またフラッと戻ってきた。
「入り口付近に罠とかはないみたいだし、その辺にゴブリンもいないっぽい。来ていいよ」
そのサヴィアの言葉を受けて、残りの面々も洞窟前まで移動する。
サヴィアは次いで、エリスに問いかける。
「内部の情報ができる限りほしいんだけど、エリス、何かいい魔法ない?」
問われたエリスは、しばし思案顔をして、
「そうね……生命感知を使ってみるわ」
そう言うと、洞窟の入り口の前に立ち、魔術師の杖を身体の前に両手で掲げ、目を閉じて呪文の詠唱を始めた。
魔法語による十数単語の詠唱を朗々と謳いあげると、魔術師の杖を伝ってエリスの体に魔力が流れ込み、魔法が完成する。
生命感知の魔法は、術者の周囲、一定範囲内に存在するあらゆる生命の存在を感知する魔法である。
視界外であっても効果範囲内にある生命であれば感知できるが、木々や草、虫などの小さな生命もすべて感知してしまうため、この魔法を初めて使った術者は、あまりの情報量の多さに圧倒されてしまうという。
しかし、慣れればそれぞれの生命の大きさを識別できるようになり、その方角と距離、数などの情報を、おぼろげながら認識できるようになるのである。
「この大きさの生命力が多分、ゴブリンか、村の子どもも混ざってるかもしれないけど……数は合計12、かな……? この洞窟の道まっすぐを12時の方角として、11時の方角20mぐらいのところに5つ、1時半の方角30mぐらいのところに7つ、反応があるわ。ロード種らしい強い生命力は感じない……」
エリスはそこまで言うと、精神集中を解き、ふぅと息をつく。
その額には、じっとりと汗が浮かんでいた。
魔法を使う行為は、強い精神集中を必要とするため、精神的な消耗を余儀なくされるのである。
「オッケー、いい情報だエリス。それだけ具体的なことが分かれば、だいぶ動きやすくなる」
サヴィアが労いの言葉をかけると、エリスは子どものように照れて頬を染め、謙遜を口にする。
「でも、魔法の効果範囲圏外にいたら、わからないわ」
「圏内は何mぐらいよ?」
「今は50mに拡大して使ったけど」
「オーライ。にしてもやっぱ、情報系の魔法が使える魔術師がいると、攻めやすさが段違いだわ」
サヴィアはそう、エリスの魔法を評価する。
そして、そのままのノリで、
「じゃ、ちょっと行ってくる」
と断って、洞窟の奥へと歩いて行ってしまった。
「えっ……?」
呆気にとられたのは、エリスと子どもたちだ。
彼女は明かりも持たずに、洞窟の真っ暗闇の中に溶け込んで行ってしまったのである。
結果、エリスや子どもたち4人は、洞窟の前に取り残された形になってしまう。
「エリス先生、サヴィア寮長は、1人で行っちゃったんですか……?」
イレーンがエリスに質問するが、エリスにしてみれば、自分が聞きたいぐらいだった。
しかしそのエリスにも、サヴィアがいなくなれば、引率としての責任感が湧いてくる。
「多分、偵察に行ったんだと思うわ。確かサヴィア、暗視の魔法は使えたはずだし……。私たちは、ここでしばらく待ちましょう」
エリスはそう方針を決め、サヴィアの帰還を待つことにした。
そうして、待つこと5分ほど。
一行が不安を感じ始め、そろそろ探しに行った方がいいんじゃないかという提案が出てきた頃に、洞窟の暗闇の中から、サヴィアが姿を現した。
だが、色彩の見えにくい洞窟の暗闇の中から、日の光が降り注ぐ外気の下へと歩み出てきたサヴィアの姿を見て、一行は思わず息を飲んだ。
その赤髪の女性は、髪ばかりでなく、その全身の至る所が鮮血の赤色に染まっていたのである。
「さ……サヴィア……?」
エリスが震える声で問いかける。
返ってきたのは、いつも通りの、気の抜けた寮長の声だった。
「左の5匹は片付けてきたよ。うつらうつらしてる見張りの1匹以外寝てたから、全部寝首掻いといた。右の方はダメだね。ほとんど起きてるっぽいから、あたし1人じゃ無理。全員で突入かけるっきゃないね」
一行に対してそう報告するサヴィアだが、エリスや生徒たちが真っ先に聞きたかったのは、そこではない。
「怪我、してないニャ……?」
ミィがそう聞くと、サヴィアは事もなげに、
「無傷だけど? ……ああ、これね。返り血よ」
と答えるのだった。