第8話 ゴブリン退治(3)
村で情報収集を行なったところ、ゴブリンの棲息場所が分かった。
村の西側に広がる森林地帯に足を踏み入れ、細い獣道を30分ほど歩いたところにある、洞窟に棲みついているようだ。
エヴァンたち一行は現在、村の西のはずれ、ここより先が森林地帯であることを示す木々の群れを前にして、畑の間のあぜ道に寄り集まって会議をしていた。
村の子どもが捕らえられているかもしれない状況で、悠長に思うかもしれないが、ここより先、森に入ってしまえばどんな危険が待ち受けているか分からないのだから、必要な事はここで話しておくべき──というのは、一行で唯一、冒険者経験のあるサヴィアによる提言だった。
「それじゃあ、モンスター知識の講義に関する復習になるけど──クリストファーくん、ゴブリンについて説明してみて」
エリスが銀髪の少年に、これから一戦を交えるであろうモンスターについての説明を促す。
クリストファーはそれを受け、教科書通りの内容をそらんじてゆく。
「はい。──ゴブリンは人間の子どもに似た姿を持つ闇の眷属です。成体でも体つきは人間の8歳程度の子どもと同格で、腕力なども体格相応、知能も亜人種としては高くありません。ただし、ゴブリンは暗視能力を持ち、夜間や洞窟の暗闇の中でも通常通り活動できるため、彼らとの暗所での戦闘は避けるべきです。ゴブリンは基本的に夜行性で、日の光を嫌い、主な棲家である洞窟から日中に外出をすることは滅多にありません。1つの群れは通常、10匹~20匹程度で構成されますが、群れによってはゴブリン王と呼ばれる極めて強力な個体や、魔術を使える知能の高い個体が存在することもあります」
「はい、よくできました」
クリストファーの長い暗唱を受けて、サヴィアがいつになく真剣な様子で、学生たちに重要事項を伝えてゆく。
「ってわけで、ゴブリンってのは、強いモンスターじゃない。単純な1対1の戦闘能力で言ったら、武装の差もあるし、今のあんたたちの方が数段上のはず。ただそれでもね……」
サヴィアはそこで一旦言葉を区切り、エヴァンたち生徒を見渡してゆく。
そして、
「それでも、命の取り合いだってことだけは、絶対に念頭から外さないで」
そう言った。
さらにサヴィアは付け加える。
「ゴブリンだったら、おそらくは原始的な武器しか持ってないとは思うけど、木の棒の先に尖った石を括り付けた程度の石の槍や斧だって、鎧が防御していない部分に受ければ、十分に命取りになりうるってのは分かるよね。武器を持って敵と戦うってことは、決められたルール内で行なう安全な力比べや技比べとは違う。相手よりも実力が上であることは、あんたたちが絶対に死なずに、敵の命だけを一方的に奪えることを保証してくれるものなんかじゃないってことは、忘れないで」
サヴィアはそこまで言うと、いつものあっけらかんとした様子に戻って、
「じゃ、作戦会議といこうか~」
そう言ってまた、プラプラし始めたのだった。
どうにもサヴィアは、長い時間シリアスをやっていられない体質らしい……とは、エリスが語った言葉である。
ゴブリン退治の依頼だからといって、その冒険における敵がゴブリンとだけとは限らない。
そのことを、エヴァンたちは森に入ってすぐに、思い知ることになった。
都市や村などの人間が支配する領域の外に出れば、整備された街道ですら、安全とは言えない場所なのである。
まして、人の手のほとんど入っていない森林地帯が危険な領域であることは、冒険者にとっては常識とも言える現実だ。
そしてそれは、一行の先頭をエリスから引き継ぎ、周囲を警戒しながら進むのがサヴィアだったからこそ、気付けたことであった。
「警戒術の授業を履修したヤツ、いるか」
突然立ち止まったサヴィアが、一行にも静止を促してから、学生たちに問いかける。
「はい」
「取ったニャー」
これにはイレーンとミィが応じた。
「あたり見渡して、気付けるか? ほかの2人も」
サヴィアにそう言われて、学生たちとエリスは注意深く、森の木々に囲まれた周囲を見渡す。
最初に「にゃっ!?」と言って気付いたのは、ミィだった。
「ひょっとして、BSSニャ……?」
そう言われて「うそっ」と声を上げて慌てて周囲を見回し始めたのは最後尾のエリスで、すぐにイレーンも「ほんとだ……」と頭上を含めあちこちに視線を向けてゆく。
「ビーエスエスって?」
エヴァンが聞くと、エリスが前方の空間を指さす。
エヴァンがそちらに目を向けると、そこ──先頭を歩くサヴィアの、少し前ぐらいの空間──には、一見して何も見当たらなかった。
が、エヴァンが少し目を凝らすと、ようやく『それ』が見えた。
木漏れ日がわずかに挿し込む森の中で、その空間、ちょうどエヴァンやサヴィア、エリスの首と同じぐらいの高さ──イレーン、ミィ、クリストファーにとっては目の高さぐらいの位置──に、横一文字に、細い光が走っていた。
木の幹と幹の間に走るその細い光の線の正体は、ピンと張られた強靭な『糸』である。
エヴァンと、それにクリストファーもその『糸』に気付いたのを確認して、エリスが口を開く。
「ブレード・ストリング・スパイダー……通称BSS。モンスター知識Ⅱで教える予定のモンスターなんだけど……そっか、トラップ分野では、真っ先に教えるのね……」
そう、独り言を交えながら、エリスは解説を続ける。
「足を広げた差し渡しが3m以上にもなる、巨大な蜘蛛型のモンスターよ。主に森林地帯に生息して、自らのテリトリーに罠を仕掛ける。口から吐き出す糸を紡いで罠を張るんだけど、その糸は外気にしばらく触れることで硬化して、まるで刃のように鋭い、殺傷性の糸になるの。糸は無色透明で、極めて細いから、発見は困難。気付かずに糸の張られている場所を通過した生き物は、気付いたときには肉を切られ、血を噴き出しているっていうことになる。高速で飛ぶ鳥なんかは、それだけで真っ二つになって絶命することもあるわ。人間でも、ああやって首筋の高さに仕掛けられていたりすると……」
エリスはぎゅっと、ローブの裾を握る。
知識として知ってはいても、気付けなければ、命を落とす。
引率と言っても、エリス自身、震えが抑えられずにいた。
サヴィアが、注意深く前方を見据えながら言う。
「この先、奥に行くにつれて糸の密度がどんどん増してるね。このまままっすぐ進めば、ヤツのテリトリーに踏み込む。糸自体は見つけちまえば剣で切って進めるし、本体は毒も持ってないからそれ自体ヤバイ相手ってわけでもないけど、糸が密に張り巡らされた戦場でやり合うのは自殺行為だね。エリス、BSSのトラップ・テリトリーって、どのぐらいの範囲だっけ?」
「ん……個体差もあるけど、だいたい直径20~30mの範囲だったはず」
「ってことは、20m横に逸れれば、まずテリトリーを回避できるか。獣道でも、一応の道があるところを歩きたいトコなんだけど、贅沢は言ってらんないね。迂回するか」
そうやって手際よく方針を決める大人の姿に、4人の生徒たちはただ見て、従うことしかできなかったが。
それでも、それが彼らの経験、血肉とならないわけはなかった。