第7話 ゴブリン退治(2)
総勢6人の一行が、王都アルベールの北門を出て、街道を北に1時間ほど歩くと、前方に1つの農村の姿が見えてくる。
一面に野菜畑が広がる中、ところどころに民家が点在するといったごく一般的なその農村の風景は、エヴァンとイレーンが住んでいたナルカ村ともよく似ている。
一行の先頭を歩いているエリスが、歩きながら前方を指し、後続の生徒たちへと伝える。
「さて、これから私たちは、依頼の依頼者に会いに行きます。今見えているあの村の村長が、今回の依頼者です」
このエリスの言葉に、しんがりを歩いているサヴィアが補足をする。
「ちなみに、今のあたしらどういう状態かって言うと、王都アルベールの冒険者ギルドに貼ってあった依頼の紙を1枚引っぺがして、その依頼人に会いに行こうってトコね。実際に依頼を受けるか受けないかは、村長に会って直接話を聞いてから決めるってことになる、んだけど……」
サヴィアはそこで少し難しい顔をして、話を続ける。
「ただねぇ、今回の依頼内容は、ゴブリン退治と子どもの救出、この2つの両方を満たして、はじめて依頼達成になる抱き合わせ依頼なのね。これが冒険者側にとっては、めちゃくちゃリスキーな依頼形式だってのは分かる? えっと、ツンツン子ちゃん」
指名された少女は、渋い顔をして答える。
「イレーンです、サヴィア寮長。……つまり、ゴブリン退治を成功させても、子どもの救助に失敗したら、全体としては依頼失敗になってしまって、部分達成が評価されない……っていうことですか?」
「そういうこと。しかも子どもの救出の方は、現実的には達成が不可能に近い場合もあるんだから、全体としてべらぼうに不利な条件の依頼なのよ。──バカ正直に、このまんま依頼を受けたらの話だけどね」
サヴィアがそう話しているうちに、一行は村の入口に差し掛かる。
村の入口の近くの畑で、馬で鍬を引いていた農夫が、一行に声を掛けてくる。
「あんたらぁ、アルベールの冒険者学校の人たちか」
「はい。ゴブリンが近くに棲みついたというので、参りました」
先頭を歩くエリスが返事をすると、
「したらぁ、村長の家さ行ってくれ。このまんままっすぐ行くと、村で一番でっけぇ家があるで、そこだぁ」
そう農夫が案内してくれたので、一行は軽く会釈をして、村のあぜ道を進んでいく。
サヴィアは講釈を続ける。
「そんなわけで、冒険者の仕事ってのは、依頼人に会って話をするところからもう始まってるのよ。そこでどれだけ有利な条件での合意締結に持って行けるかが結構大事で、下手を打ったらその分だけ不利な条件を押し付けられて、骨折り損ってことになったりする。──ってわけでエリス、村長との交渉、やる?」
サヴィアが振ると、エリスはとんでもない、という顔で手をパタパタと振る。
アルベール冒険者学校の教員は、その多くが冒険者としての経験を持つ者だが、エリスの場合は主に魔法の教師として雇われている、冒険者経験のない魔術師である。
それでも引率教員の人員不足もあり、今後の戦力化も狙って、こうして試験監督見習いをしているというのが実情なのであるが。
サヴィアは、めんどくさいなぁという様子で頭を掻き、
「ま、しょうがないか。今回は、村長との交渉はあたしがやるから、みんなしっかり見とくよーに。二学期末には自分らでやると思ってね」
はーいと、エリスを含めた生徒たちが、思い思いに返事をする。
一応はエリスが引率教員、サヴィアはそのサポートという役割なのだが、その名目を認めている者は、もはやサヴィア以外にいなかった。
村長の家は、村のほかの家と同様の木造建築だったが、ほかの家と比べてかなり大きなものであった。
一行が訪問すると、家の中の広々とした応接室へと通され、十人以上が囲める大テーブルに着席を勧められた。
普段はここで、村人たちの会議が行なわれるといった場所である。
一行が大テーブルの一面の席を占め、その対面に村長──まだまだ壮健といった様子の老人──が着席する。
村長の妻らしき老年の女性が、お茶を淹れ、全員の席に配膳してゆく。
「アルベールの王都からよく来てくださった。私が村長のベクトです。──さっそくですが、依頼を引き受けてくださるということで、よろしいですかな?」
村長が早々に、かつ単刀直入に話を切り出してきた。
それに対して、一行の代表として村長の向かいに座ったサヴィアが返答する。
「アルベール冒険者学校のサヴィアです。ベクト村長、確かに私たちは依頼を請け負うために来たのですが、そのためには1つ、問題があります」
エヴァンたち4人の生徒は、この言葉が最初、誰の口から発せられたのか分からず、唖然とした。
普段のサヴィアのいい加減な話し方とはまるで違う、凛々しさと誠実さを感じさせる喋り方だったからだ。
エリスだけは、サヴィアの「外行き」の態度を知っていたので、驚きはしなかったが。
「問題、と言いますと」
村長が問い返すと、サヴィアはさらに、理知的な印象を与える口調で返答してゆく。
「はい。依頼内容のうちの、ゴブリン退治、こちらは問題なくお受けできるのですが、もう1つの、さらわれた子どもの救出に関しては──これはうちの学生に限らず、どんな冒険者が挑んでも、という話なのですが──達成が、困難な依頼なのです」
サヴィアは村長に対してそう切り出し、問題の詳細を、丁寧かつ配慮のある言葉で説明してゆく。
さらわれた子どもが、すでに死んでいるかもしれないこと。
生きていたとしても、ゴブリンたちに人質に取られた場合などでは、命の保証をもって救出することは実質的に不可能であること。
あるいは、そもそもゴブリンに捕らえられたとは限らず、ゴブリン退治を完遂したとしても、子どもを見つけることができないかもしれないこと。
「ふむ……」
サヴィアの説明を受けて、村長が思慮の様子を見せる。
サヴィアはさらに、言葉を重ねる。
「私たちも、こうして生徒を育てている身です。村の皆さんの、さらわれた村のお子さんを助けたいという気持ちは、よく分かります。しかし今言ったような理由から、必ず救出しますとお約束できるような内容ではないのです」
サヴィアの言葉を受け、村長が黙考を始める。
そしてしばらくしてから、村長はサヴィアの目を見据えつつ口を開くのだが、その口から出てきた言葉は、疑念と皮肉を内包したものだった。
「……では、私どもに、さらわれた子どものことはもう諦めて、見捨てろと、そうおっしゃるのですか?」
この村長の言葉には、直接に交渉を担当していないエリスや、イレーンら生徒たちが色めきだった。
だが立ち上がって怒鳴りつけようとした彼女らは、サヴィアに手で制されて、しぶしぶ腰を落とす。
サヴィアは村長の目を見据え返し、こう続けた。
「いいえ違います、村長。私たちを、信じてほしいのです」
するとサヴィアのこの言葉に、村長は毒気を抜かれたようになる。
「信じる……ですか?」
「はい。依頼内容を『ゴブリン退治』に変更し、私たちに依頼してください。そうすれば私たちは、お子さんがゴブリンどもに捕らわれていたのであれば、無事に助け出せるよう力と知恵を絞ります。私たちだって、子どもがゴブリンどもにむざむざ殺されるのを、黙って見ていたくはありませんから」
サヴィアのその言葉を受けて、村長は再び、しばしの黙考をする。
そして村長は、サヴィアから視線を外し、エリスや、エヴァンたち少年少女の目を順に見てゆく。
村長からまっすぐに向けられた目に、少年少女たちは負けじとまっすぐな眼差しを返す。
それを見て村長は、ふっと緊張を解いたような様子で微笑んだ。
「……なるほど。申し訳ない、わしが少々、穿った見方をしすぎておったようだ。それでは皆様には、『ゴブリン退治』の依頼をいたします。村の子どものことも、何卒、よろしくお願いします」
そう言って、村長は一向に対し、深々と頭を下げた。
その後、ゴブリンを退治した証拠をどのような方法で提示するかなどの詳細を詰めてから村長宅を出た一行は、今は村のあぜ道を歩いていた。
「っとまあ、あんな感じにやるんだけど、わかった?」
サヴィアがそう聞くと、ほかの5人はぶんぶんと首を横に振る。
「なんだかよく分からなかったニャー。魔法を使ったみたいだったニャー」
ミィが言うと、ほかの4人がうんうんと頷く。
「んー、そっか。あたしも理屈で説明しろって言われると、難しいしなぁ。目指すべき着地点をあらかじめ決めておいて、話の内容と相手の心理をそこまで誘導する、そこまでの流れを頭の中で組み立てるってことなんだけど……ま、詳しいことは交渉術の授業で習ってよ」
サヴィアはそう言うと、「あ、そうそう」と、思い出したように付け加える。
「あとね、狙いのない喧嘩はしないこと。──エリスさ、村長が『子どもを見捨てろと言うのか』って言ってきたとき、どう言い返そうと思ってた?」
そう、サヴィアから話を振られたエリスは、
「……『そんなことは言ってないでしょう、こっちの言うことを勝手に曲解して悪者扱いするとか、どういう神経しているんですか?』って、言おうと思ってたけど?」
と興奮気味に答える。
サヴィアは「やっぱりねー」と呟いて、
「それ言ってたら終わりだからね。ドカーン! あとの話は全部喧嘩腰になって、最終的には村長にキレられて、もう結構だ、お前たちには頼まんと言われる。今回の冒険はおしまい、お疲れ様でしたー」
サヴィアに茶化し口調で言われて、エリスはムスッと仏頂面になる。
「もちろん向こうが悪い部分はあるんだけどさ、あっちだって村の子どもを助けたいっていう気持ちが先行して焦ってるだけなんだから、こっちでコントロールしてやればいいの。討論じゃないんだから、相手に勝とうとしちゃダメ。お互いが納得できる合意点までうまいこと話を誘導してやるのが、交渉術の基本ね。分かった、みんな?」
サヴィア先生の教えに、生徒たちが、はーいと返事をする。
だがその中で、反面教師に使われたエリスだけは、むくれっ面でいるのだった。