第5話 履修登録
春。
4月の頭に入学式を行なった後、学生たちが各々に履修登録をし、授業が始まる。
アルベール冒険者養成学校の授業には、必修科目と選択科目がある。
このうちの必修科目は、卒業するまでに必ず履修して単位を取得していなければならない科目で、およそすべての冒険者にとって必要なことを学ぶ。
例えば、必修科目に「野外生存術」という授業がある。
冒険者は必然的に野外での活動が多くなるから、その際のサバイバル術を学ぶのである。
この授業では、まず手始めに野営の仕方を学ぶ。
テントの張り方や、火の起こし方などの本当に基礎的なことから、安全な野営場所の判断の仕方や、雨天の際に極力体温を奪われないための対処法なども学んでゆく。
「野外での寝具であるがー、理想的にはね、テントを張って、その中で毛布に包まって寝る。これがー、一番だね。もしくはね、ちょっとした洞窟なんかあればね、テントの代わりになっていいね。もちろんー、中にモンスターがいたら、危ないので、ちゃんと安全は確認するよーに」
しわがれた甲高い声で講義をする老人は、水も食料もなしで砂漠に1ヶ月放置されても生き延びられると豪語する人物で、サバイバル業界では伝説のサバイバーなどと呼ばれているらしいが、真偽のほどは定かではない。
あるいは、「モンスター知識」という必修講義もある。
この授業は、冒険者が出会う可能性の高いモンスターに関して、その能力や特性、攻撃方法や弱点、対処法などを勉強してゆくものだ。
この講義も必修科目だけあって、エヴァン、イレーン、クリストファーを含めた多くの学生が1年次の1学期から取得するため、講義を行なう部屋も、学校屈指の大部屋が宛がわれている。
その大教室に教師が入ってきたとき、教室にはどよめきが起こった。
何のことはない、その教師が妙齢の美女だったから、男子生徒が色めきだったのだ。
そしてその女性教師は、エヴァンとイレーンがすでに出会っている人物だった。
彼女は優雅な仕草で歩いて教壇に立つと、100人を超える生徒を収容可能な、かつその席数のほぼすべてが埋まった教室を見渡して、第一声を発する。
「モンスター知識Ⅰの講師を担当するエリスです。この月曜日の1限と、木曜日の1限を使った1学期の合計30コマ、45時間を使って、皆さんにはモンスターに関する基礎知識を身につけてもらいたいと思います」
すると、貴族の子らしい男子生徒の1人が挙手をして、声を上げる。
「先生ー! 彼氏いるんですかー?」
どよっと、教室に笑いが起こる。
女性教師──エリスは、少し顔を赤らめてその学生を睨みつけ、
「授業内容に関係のない質問はやめて。度が過ぎる場合は退室してもらいます」
そう一喝すると、あらためて授業を開始する。
「美人も大変ね」
大人数の生徒たちの中に混じっているイレーンが、横に座っているエヴァンに耳打ちすると、エヴァンは「そうだな」と興味なさそうに返す。
エヴァンの逆隣りに座っているクリストファーは、そんな2人の様子をどぎまぎした様子でチラ見しながら、授業に取り組んでいた。
さて一方で、そういった必修科目のほかに、選択科目がある。
選択科目は大きく、戦士系授業、魔法系授業、探索系授業の3種類に分けられる。
将来冒険者として、武器を使って戦う戦士の役割を目指すならば戦士系授業を。
多彩な魔法を使える魔術師を目指すならば魔法系授業を。
ダンジョンでの罠探知や聞き耳などといった、戦闘以外でのリスクヘッジを専門とする探索者を目指すならば、探索系授業を主に履修することになる。
そしてもちろん、武器も魔法も使える魔法戦士といったタイプを目指したい学生なら、戦士系授業と魔法系授業をバランスよく選択し、取得していくことになるわけだ。
例えば戦士を目指すエヴァンは、1年次の1学期の履修登録は以下のようにした。
必修科目のほか、戦士系授業や肉体的なトレーニングなどをメインに授業を構築している一方で、ピンポイントに治癒魔法の授業も入れているのが特徴的だ。
さて、このようなカリキュラムが組まれているアルベール冒険者養成学校であるが、この学校は、他の大学と比べてとりわけ「厳しい」という評価を受けている。
これには、2つ理由がある。
理由の1つ目は、この学校が3学期制であり、しかも各学期の期間が普通に15週間あるということだ。
通常、多くの大学は前期と後期の2学期制で、各学期が15週間なので、年間30週というのが就学期間になる。
年間52週間のうち、残りの22週間は夏休み、冬休み、春休みといった長期休暇期間になる。
ところがアルベール冒険者養成学校では、15週の学期が年3回あるわけだから、1年52週間のうち45週が就学期間に充てられることになる。
残ったわずか7週間が唯一の骨休めの期間になるのだが、夏休み2週間、冬休み2週間、春休み3週間の各休暇期間のそれぞれで最低1回ずつ、学生たちは「試験」を受けなければならない。
すなわちこのタイミングで、学生たちは実際の冒険者が受ける依頼を受け、それを達成しなければならないのである。
したがって、実質的な長期休暇期間はほとんどない、というのが実情である。
そして、アルベール冒険者養成学校が厳しいと言われるもう1つの理由は、この学校が「完全授業主義」を取っていることにある。
一般に大学の単位を取得するには、1単位当たり45時間の学習が必要とされている。
2学期制の通常の大学であれば、4年間で124単位、すなわち1年あたり平均31単位の取得が卒業要件とされるが、これは年間1,395時間の学習が必要であることを意味する。
年30週という就学期間でこれを満たすには、本来ならば週46.5時間の学習が必要になるはずである。
ところが、学術系の大学の多くは、1コマ1時間半の講義を15回、合計22.5時間の授業に対して、2単位を与えている。
本来、2単位を得るには90時間の学習が必要なはずのところを、その4分の1の授業時間で済むことになっているのである。
このため、1コマ1.5時間の授業を週わずか8コマ、12時間分の授業を受ければ十分に卒業の要件を満たせるというのが実情だ。
これはどういうことなのかと言えば、学生自身による一定の自主学習時間を想定することで、90時間の学習時間を確保したものとしているのである。
すなわち、授業時間の1.5倍の予習と、授業時間の1.5倍の復習を、学生が自主的に行なうことを前提とした措置なのである。
しかし実際には、多くの学術系の大学の学生は、1日平均1時間も自主学習をしておらず、日々遊び呆けている。
1日あたり5~6時間という時間を予習と復習に充てていることが想定されているのに、実際にはその5分の1にも満たない時間しか、自主学習が為されていないのである。
このため、多くの学術系の大学は、本来の機能を果たせていないのが現状である。
これに対して、アルベール冒険者養成学校では、この就学時間の形骸化を許容せず、完全授業主義を採用している。
すなわち、週46.5時間という本来満たされるべき学習時間のすべてを、授業時間だけで構成しているのである。
週のうち日曜日は休みなので、学生たちは月から土の6日間で、1コマ1.5時間の授業を平均31コマ分以上、受けることになる。
授業は選択履修式で、時間割の組み方によって「穴あき」ができる。
このため、1日の最終授業は7限となっている。
1限が朝の7時に始まって、昼食、夕食を含めた休憩時間も挟み、最後の7限が終わるのが夜の8時半。
それから寮に戻り、部屋で少しぐったりしてから入浴などをすれば、余分なことをする時間はほとんど残らない。
そうして夜の10時~11時ぐらいには就寝し、翌朝の6時頃には起きなければ食堂で朝食を取っての1限に間に合わないのだから、ほぼ毎日が、授業を受けて寝るだけの日々になる。
「うあー、疲れたー……。もうやだ。家に帰りたい……」
そんな今後の日常風景を予見してしまい、クリストファーは授業開始初日ですでに、心が折れかかっていた。
2段ベッドの下段に突っ伏して、ぐったりと動かなくなっている。
一方、ベッド上段のエヴァンはと言えば、こちらはケロッとしたもので、
「そうか? キツイって聞いてたけど、このぐらいなら別に大したことねぇじゃん。学食も肉とか食べ放題でうまいし、めちゃくちゃいいと思うぜ、ここ」
「いやでも……だってこれ、これから毎日やるんだよ。そう思ったらもう、気が滅入って……」
「先のことばっか考えるから悪いんじゃねぇ? 今日は今日、明日は明日だろ」
「むー……。エヴァンのそういうシンプルなところ、武器だよね……」
そう、受け取り方によってはエヴァンを小馬鹿にしたようにも聞こえる発言をしながら、再び枕に突っ伏すクリストファー。
彼は後に語る。
エヴァンと同室でなければ、自分は最初3日でこの学校をリタイアしていただろう、と。