高麗青磁
刀をきっちりと刀掛けに整え終えた時に朔夜が部屋に入ってきた。
「友、いたのか」
「朔夜、どうしたの?」
「ちょっとな。高時は?」
「すぐに戻られるよ。今、丹羽殿と話している」
その言葉に瞬時眉根を寄せたが、すぐ元に戻して友三郎へと話しかける。
「あの丹羽という男と高時はどんな関係なんだ?」
「どんなって……。高時様は分け隔てなく普通に接していらしてるけど」
先を言いよどむ友三郎を軽く促すと、小さな声で言った。
「私は好きじゃないんだ。どうにかして高時様に取り入ろうと必死のようだし、最近は朔夜のことや、義信様のことまで探るようだし……」
「そうか」
分かった、と言ったところで高時が部屋に戻ってきた。
朔夜がいるのを認めると、すぐに朔夜だけを従えて茶室の部屋へと入った。
自ら点てた茶を朔夜の方へと差し出す。
静寂の空間で二人は何も話さずにいた。
出された茶碗は高麗の青磁であろうか。淡く澄んだ青色の中に濃い緑がきめ細かな泡を浮かべて誇らしげである。
すっと朔夜が右手を伸ばして茶碗を取る。
「朔夜、茶を飲む前に聞きたい。お前は俺に付いてきてくれるか?」
自分の前に取り込んだ茶碗から手を放した朔夜に高時は頭を下げた。
「その茶碗は龍堂家の家宝である高麗青磁だ。ずっと俺と共にあると言うてくれるなら、これをお前にやる。貰ってくれ。だがもし共にあらぬと言うのであれば、この場でその茶碗を割ってくれ」
朔夜はまだ茶に手をつけない。
シュンシュンと湯気を上げる釜が立てる音以外、ひたすらな静寂であった。釜の下の炭が弾けてパチリと音を立てた。
「ひとつ、聞きたい」
「なんだ?」
「お前は、なぜ俺に来て欲しいと言う。俺はさきの戦で失策した。今では多くの将がお前に従っている。その中でなぜ俺を選ぶ」
高時は驚いたように顔を上げた。
「朔夜、俺はお前を単なる一家臣のつもりで扱ったつもりはない。俺にはお前が必要だ。いや違うな。お前無しで俺はいられない。それほど強く望んでいる。頼む、共にあると約束してくれ!」
再び頭を垂れ答えを待つ。
朔夜は黙って少し冷めた茶を手に取ると一気に飲み干し、その茶碗を手のひらでもてあそぶようにしながら、目を閉じた。
「俺は……いつまでとは約束は出来ない」
はっとして顔を上げた高時が口を開きかけたが、遮るように朔夜が続けた。
「だが、お前の側に今しばらくは留まる。それだけは約束する」
「朔夜……おまえが望むのなら佐和姫をやろう! 佐和姫を――」
「やめろ」
凜と突き放す朔夜の声に高時は息を飲んだ。
「……やめろ、おまえがそんなことを言うな。あの姫を利用するな。それだけの価値など俺にはない」
すっと秀麗な面差しを上げて朔夜は鋭く高時を見つめる。その目には確かに獣の獰猛さが満ちていた。
「俺は約束はしない、いや出来ない。それだけだ」
そっと茶碗を高時の方へと返すと、深く頭を下げてから茶室を後にした。
一人取り残された静かな部屋で高時は恐れを抱いた。
朔夜の応えに言葉を失ってしまったのだ。
少し前ならば、きっと喜んだことだろう。
誰にも手懐けられない獣が、暫しであろうと自分と共に駆けてくれることを素直に喜んだだろう。だが、今告げられた言葉に言葉を失った。
望んだ応えはきっと。
「一生共にいる」
そう言って欲しかったのだ。
初めて気付いてしまった。
あの言葉では到底満足出来なかった。
貪欲に朔夜を望んでいる自分が怖かった。いつか抱いた強い独占欲が心に眠っていたことに気がついてしまった。
以前、朔夜を殴り飛ばした時、決して失策を責めたのではなかったのだ。 朔夜を失ってしまう、それは我を失うほどの恐怖を与えた。そして生きた朔夜の姿を見た途端に堰をきって感情が溢れた。
本当は安堵で抱きしめたいほどだったのに、腹の底から湧いたのは怒りだった。
あれは決して責めるために殴ったのではない。
朔夜を信頼する気持ちは微塵も変わってはいない。
何者にもなびかない強さ、何者をも恐れない心、獰猛なほど強い瞳、真っ直ぐな言葉。
そのどれもが高時を強く引っ張ってくれる。
迷う時、朔夜の姿を思えば自分の答えが見出せた。自分もあのように強くありたいと願う。
ただ共にあってほしいと願うだけなのに、どんどん貪欲になる自分に恐れてしまった。
妹を利用してでも朔夜を手に入れたいと望んでしまった。
政略のためなどではない、己一人の欲望のためだ。
たったそれだけのために妹を利用しようとした自分の心を恐れた。