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戦国を駆ける龍  作者: さくや一色
戦国を駆けろ
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誇りのために



「兄上の遺志を無駄にせぬよう、この龍堂高時、つつしんで駿河の主となろう。皆、宜しく頼むぞ」


 則之の悲報に、僅かに眉を寄せただけで、滞りなく会議と家督相続を行い、その後の配置やいくさの褒賞分配なども滞りなく終わらせた。

 次々にやってくる家臣達の対応をしながらも、久能城の家臣筆頭の安田を中心として則之の弔いを丁重に手配させていた。その姿はもう既に立派な領主の風格が漂っている。誰もが高時を中心として新しい駿河を造り始めた。



 夜更け、城の庭に一人佇む高時の姿があった。


 初夏に近い夜風はいくらか緩んでいて凛と冷えた厳しさがなく、今はそれが高時の心を乱す。

 闇に沈んだ富士の峰を仰ぐようにじっと目を凝らして闇を睨む。だがその目には何も映ってはいないようだ。


「……高時様、もう遅いのでお部屋に戻られたほうが……」

 遠慮がちに友三郎がそっと背中に声をかけるが、高時は振り返りもしない。ただじっと立ち竦んで闇を見ている。

「……高時様」

 再度かけられた声に、高時は小さな声で告げる。

「向こうへ、行ってくれ」

 戸惑う友三郎の肩に背後から手が置かれた。振り返るとそこに朔夜がいた。


 朔夜は緩く首を振ると友三郎に城へ戻っているように静かに告げた。どうするか迷う友三郎を見送ることもなく、朔夜は遠慮なく高時へと近寄り、その隣に黙って立つ。結局友三郎は戻ることなく木の陰から二人を見ていた。


「……ここに来るな!」

 視線を動かしもせずに高時が苛立った声を上げるが、朔夜は気にすることなく黙ったまま同じように闇を見据える。

 しばらく沈黙が辺りを支配した。


 どれくらい沈黙していただろうか。やがて高時が堪え切れなくなったように呻いた。


「何故、なぜ兄上は……自害など……」

 ぐっと拳を握りしめる。こんな事は望んでなどいない。相争っていたが、誰がこんな結末を望んだか! なんと愚かな事を! なぜそのような選択をしたのか。

「分からない、分からないんだ……」

 きつく唇を噛み締めるが、少しでも気を緩めれば喉の奥から勝手に叫びを上げてしまいそうになる。握っている拳が白くなっていた。


 じっとまるで飾り物のようにただ黙って隣に立っていた朔夜が、軽く息を吐いて闇に抗うように瞳を閉じて俯いた。


「お前の兄は、誇り高い男であったのだろう。国の為でも家臣の為でもない。お前の為でもない。自分の誇りの為に、死を選んだのだろう」

「……誇りの為に?」

「きっと、無念ではなく……満足していたと思う。誇りに殉じる己に」

「誇りに殉じる……」

 ぐっと喉を鳴らせて、せり上がる感情を飲み下す。目を閉じたまま告げる朔夜の声は闇に溶けるように静かで穏やかだ。

「……俺には兄も、父も母もいない。それを失う悲しみも知らない」


 体ごと向き直り、真っ直ぐに強い瞳で高時を見据えて続けた。

「だから、その悲しみを大事にしろ。今は兄の為に悲しんでやれ。そして自分の為に悲しめばいい。感情のままに誰かを想える姿は、美しい。それを持つお前は羨ましい。俺はそう思う」


 持たざる者のほうがその価値を知る。

 兄が前夜語った言葉だ。


 朔夜も、持っていないからこそ価値を知っているのだ。大切な兄弟を失う悲しみの価値を。

 朔夜に視線を移すと、その細い首に薄赤い痣が見えた。

 兄が付けた痣。一昨日これをみた時、押さえきれない感情に翻弄されて、痣ごと消してしまいたくて思わず朔夜の首を強く締め上げていた。


 だがそれは則之が生きていた証し。

 兄の残した証し。


 そっと手を伸ばす。

 一瞬、体を硬くして構えた朔夜だが、首に手を当てられるまでじっとしていた。


 高時は思い返していた。

 昨晩、兄が自分の頬に同じように優しく手を当てていた事を。そして「お前を好きだ」と美しい唇に笑みを浮かべていたことを。あの夜の兄は穏やかで澄んだ気を放っていた。


 嘘は無かった。


 朔夜が、不意に高時の腕を引いて頭を抱き寄せた。

 誰からも触れられる事を必要以上に嫌い、距離を置きたがっていた朔夜のこの行動に高時はとても驚いた。だが、じっとまだ小さく細い体に身を預けた。

 こうして誰かと触れ合うのは久方ぶりであった。


 暖かい……小さな鼓動が聞こえる。

 生きている証し。その鼓動はとても孤独だ。


 寺にいた頃に少し聞いたことがあった。朔夜は小さい頃に人買いに攫われ、さらに山中で山賊に襲われて攫われてしまい、それからは山賊の仲間として人の物や命を奪い生きてきたと。まだ幼い子供だったのに命を賭けながら生きてきた、その証しが聞こえる。


(一人でこの鼓動を刻んできたのか……)


 ふいに泣けてきた。

 我知らず涙が落ちる。それは朔夜の胸元に沁み込んで、着物を濡らしていく。


(兄上に伝えていなかった……。俺も兄上が好きだった、それをまだ伝えていなかったのに。……自害の時、朔夜の鼓動のように孤独ではなかったですか。そうでなかったなら幸いです。それが今はとても心配です。独りで逝ってしまったあなたを……俺は、あなたの死を心から悼みます)


 朔夜の鼓動が寂しいのか、兄を失ったのが悲しいのか、ただ高時は静かに涙を零し続けた。


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